第25話
布の感触で、生きていると分かった。
タイルの床じゃない。
硬いが、それなりに厚みのある何かの上に寝かされている。
次に匂い。
消毒液と、密閉された部屋特有の澱んだ空気だ。
目を開けると白い天井で、蛍光灯が一本、じじ、と小さく鳴っていた。
保健室だ。
上体を起こすと背中がじわっと熱を持ったが、昨夜よりはだいぶましだった。
隣のベッドのカーテンが閉まっていて、向こうに誰かいる気配がある。
窓から朝の光が差し込んでいて、時間は分からないが昼前くらいだろうと思った。
ぽこん。
すっ。
手が先に動き、背中に触れてみる。
湿布が何枚か貼られていて、位置と範囲が昨夜かぶれていた箇所とほぼ一致している。
熱感はまだあるが、皮膚の硬化していた感触がだいぶ薄れていた。
一晩でここまで変わるか、と思って少し引っかかった。
処置が、綺麗すぎる。
ぽこん。
断定はまだできない。
保留。
「あ、起きた」
カーテンの隙間から顔が覗いた。
三十代くらいの女性で、サバイバル環境にやや似合っていない柔らかい雰囲気をしている。
「気分どう? 熱、昨夜よりだいぶ下がってるけど」
「……わりと、普通です」
「ならよかった。びっくりしたよ、上半身裸で倒れてきたから」
知っている。
だが言い返す言葉が見当たらないので黙っていると、彼女はカーテンを少し開けてパイプ椅子を引き寄せ、当然のように座った。
「処置、してくれたんですか」
「そう。回復スキル持ちなの、一応ね」
さらっと言ったが、それが答えだった。
回復スキルがあれば一晩でここまで回復する説明がつく。
引っかかっていたものが綺麗に収まって、保留が一個片付いた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。あ、そうだ」
彼女が思い出したように手を叩いた。
「知り合いの子が来てたよ。日向さんって」
日向。
名前を頭の中で転がしてみたが、顔が浮かんでこない。
知り合いというのが間違いなのか、それとも俺の記憶の問題なのか。
「……俺の知り合いですか」
「そう言ってたけど。違う?」
「名前だと、ちょっと」
「あー、じゃあ呼んでくるね」
待ってください、と言いかけて間に合わなかった。
彼女はもう立ち上がっていて、保健室の扉が開く音がした。
ぽこん。
すっ。
日向。
記憶を引っ張っても名前からは何も出てこない。
壁のホワイトボードに油性ペンで「保健室ルール」が書いてあるのを眺めながら、ノートがないことを思い出した。
失ったものリストの続きを書きたかったが、手元にあるのはキューブだけだ。
足音が二つ、廊下から近づいてきた。
扉が開いて、お姉さんが先に入ってくる。
その後ろに、もう一人。
同い年くらいの女だった。
動きやすそうな服装で、表情は平坦で、こちらをまっすぐ見ている。
一秒くらい経って、繋がった。
あのときの。
崩壊からそう日が経っていない頃、魔物に囲まれた生存者グループと鉢合わせた。
その中で一人だけ、怖がりながらも目を逸らさずにこちらを見ていた女性だ。
街の状況を端的に教えてくれて、俺が中学校への合流を断ったとき、他の人間みたいに引き止めなかった。
「……あのときの人か」
「覚えてたんですね。あのとき名乗らなかったから、分からないかと思ってました」
少し意外そうな顔を見せたが、すぐ元の表情に戻った。
「日向香織といいます」
「榊です」
お姉さんが「あ、自己紹介してる」と呟いたのが聞こえたが、特に気にしないことにした。
「裸で倒れてたって聞いたんですけど、何があったんですか」
「色々あって」
「色々ですか?」
「スライムに服をダメにされた」
香織が少し間を置いてから口を開いた。
「それは災難でしたね」
「ほんとにね」
お姉さんが便乗してくる。
「拠点ごと制圧されたので、物資も全滅です」
「ノートも?」
あのとき、メモしているのを見ていたのだろう。
「ノートは持ってた。他が全滅した」
「それは……かなりきついですね」
同情というより、状況を正確に理解した上での反応のように聞こえた。
そういう受け取り方をする人間だというのは、あのときから変わっていない。
少し間があって、香織が何かを差し出した。
畳まれた服で、サイズ感からして男物だと分かる。
「これ、使ってください。そのままだと動けないでしょう」
「……なんで持ってるんですか」
「昨夜、あなたが運ばれてきたときに用意しておきました。いつ起きるか分からなかったので」
お姉さんが少し悔しそうな声を出した。
「あー、私も探したんだけどね。先越されちゃった」
「いつ探したんですか」
「あなたが寝てる間に。だいぶ遅かったけど」
どうやら昨夜、俺が寝ている間に二人が別々に動いていたらしい。
知らないところで事が進んでいるのは落ち着かないが、今回に限っては文句を言える立場ではない。
「ありがとうございます」
二人にまとめて言うと、お姉さんは「どういたしまして」と笑い、香織は「いえ」と短く返した。
ぽこん。
すっ。
QoL完全敗北宣言から一晩。
物資は全滅、拠点は消滅、上半身裸で知らない保健室のベッドにいる。
どこからどう見ても最悪の状況だが、生きているし、背中の熱も引いてきた。
とりあえず、服を着よう。




