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神様に投げつけられた地味なバグスキルを限界まで検証した俺だけ、荒廃した東京で今日も飯がうまい  作者:


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第15話

 あの頑丈で、そしてどうしようもなく臭かった高台の公衆トイレに拠点を構えてから、十日余りが経過した。

 日々の生活は驚くほどルーチン化し、時折現れる魔物も、距離を測ってキューブを固定するだけで淡々と処理できるようになった。

 その副産物として手に入る巨大な毛皮を個室の床に敷き詰め続けた結果、かつての冷たいコンクリートは消え去り、そこには場違いなほどラグジュアリーでふかふかな「王の間」が完成している。

 三メートルのヒグマの毛皮に包まって眠る夜は文明崩壊後とは思えないほど安らかだが、冷静に考えると場所は公衆トイレだ。

 最高級の寝具でボットン便所の隣に寝ているという事実に、たまに虚しさが込み上げてくる。


 だが、どれほど寝床が快適になっても解決できない問題があった。


「……いい加減、飽きたな」


 毎日、三食、塩コショウだけで焼いた肉だ。

 イノシシ、鳥、たまに毛皮だけのクマ。

 最初は「毎日ジビエ三昧とか飯テロじゃん」とはしゃいでいた俺の胃も、連日の脂攻撃に悲鳴を上げ始めている。

 脳が、身体の芯が、強烈に「別の何か」を求めていた。

 ふっくらと炊き上がった白飯。

 シャキシャキとした瑞々しい野菜。

 そして、疲れを吹き飛ばすような、脳に直接響く甘いもの。


「意外と、街はもう平気なのかもしれないしな」


 朝、換気口から差し込む初夏の光を浴びながら、自分に言い聞かせるように呟いた。

 自衛隊がとうに事態を鎮圧して配給所が設けられているとか、インフラが一部復旧して店が再開しているとか。

 そんなわけがないことは遠くに立ち上る黒煙を見れば分かっている。

 単なる現実逃避の「気休め」だ。

 だが、そうでも思わなければ、この安全でふかふかな絶対防壁から、死が支配する外界へと踏み出す勇気は湧いてこなかった。


 俺は最も状態の良い毛皮を一枚だけ丸め、パンパンになったリュックの隙間に力ずくでねじ込んだ。

 加工する道具も技術もない俺にとって、これは敷物か、あるいは生存者と会った時の唯一の取引材料だ。

 バットを手に、重い引き戸を開ける。

 外には、初日にここまで乗ってきた緑色のシェアサイクルが、あの時のまま木陰に佇んでいた。

 通信が死んでいる今、スマートロックは二度と開かないはずだが、あの日、あえて施錠せずに放置した自分の「ずぼらさ」にこれほど感謝したことはなかった。


 サドルに跨り、ブレーキを握りながら坂を下り始める。

 初夏の風が頬を撫でる心地よさとは裏腹に、下界の景色が近づくにつれ、俺の「気休め」は冷徹な現実によって粉砕されていった。

 大通りに差し掛かった瞬間、視界に飛び込んできたのは無秩序に放置された車の列だ。

 ドアが開けっ放しのまま、あるいは窓が砕かれたまま、それらは巨大な墓標のように道を塞いでいる。

 歩道には中身をぶちまけられたキャリーケースや衣類が泥にまみれて散乱し、アスファルトには黒ずんだ不気味な染みがこびりついていた。

 人の声もエンジンの音も聞こえない。

 ただ、風に揺れる放置車両のドアが、キィ、キィと乾いた音を立てているだけだ。


「……やっぱり、平気なわけないよな」


 引きつった声が漏れる。

 分かっていたことの答え合わせをしている気分で、俺はブレーキを握る手に力を込め、警戒レベルを最大まで引き上げた。

 自転車なら車の間を縫って進める。

 それが唯一の救いだ。

 坂を下りきった場所に、目指す看板が見えた。

 麓のコンビニだ。

 ガラスの自動ドアは無残に叩き割られ、店内の照明は落ちて死んだように暗い。

 俺は自転車を死角に停め、バットを構えて中へ滑り込んだ。

 足元で割れたガラスがチリ、と小さな音を立てるだけで心臓が跳ねるほど、店内は静まり返っている。

 棚という棚はなぎ倒され、商品のパッケージが床を埋め尽くしていた。

 真っ先に確認した弁当やパンのコーナーは当然のように空で、日持ちするカップ麺やスナック菓子、そして俺が何より欲したチョコレートの棚も、指一本分も残さず略奪し尽くされていた。

 店の奥にあるはずの米やパックご飯も、そこだけぽっかりと穴が開いたように消失している。


「一応寄ってみたが……やっぱり、考えることは皆同じか」


 パニックの中、人は真っ先に「手軽にカロリーが取れるもの」へ殺到する。

 誰でも知っているコンビニが最初の犠牲になるのは、論理的に考えて当然の帰結だった。

 残っているのは、棚の隅に散らばった激辛スナックの袋と、重いだけの単一乾電池くらいのものだ。

 店舗から物資を抜くのは不可能だ。

 俺は即座に思考を切り替えた。

 これだけ車が放置されているということは、大勢の人間が「徒歩」で逃げたことを意味する。

 パニック状態で逃げる人間が、果たして重い「五キロの米袋」を最後まで背負い続けられただろうか。

 あるいは冷蔵庫の奥に眠る「重い瓶詰め」まで持ち出せるだろうか。


「……逃げた人間の家を狙う。そっちの方が確率が高いな」


 俺はコンビニを後にし、静まり返った住宅街のアパート群へと自転車を向けた。

 すぐに、条件に合う物件が見つかった。

 築年数の経った木造二階建てのアパートで、一階の角部屋のドアが半開きになったまま放置されている。

 鍵をかける暇もなく住人が逃げ出した、完璧なサインだ。

 俺は自転車を物陰に隠し、バットを突き出すようにして室内へ足を踏み入れた。

 玄関には脱ぎ捨てられた靴が散乱し、居間は荒らされていたが、俺の目的は最初から一つだ。

 一直線にキッチンへと向かい、シンク下の収納扉を勢いよく開け放った。


「……あった!」


 暗い収納スペースの奥に、それは確かに鎮座していた。

 半分ほど消費された、五キロの米袋。

 読み通りだ。

 重くてかさばり、おまけに「炊く」という手間が必要な生米は、即座に逃げなければならない人間にとっては真っ先に切り捨てられる荷物だったのだ。

 米袋を引きずり出すと、ずっしりとしたおよそ三キロの重量感が腕に伝わる。

 これほど米一粒一粒の重みを愛おしく感じたことは、二十年生きてきて一度もなかった。

 さらに俺は、電源の落ちた生ぬるい冷蔵庫を開けた。

 腐敗し始めた食材の匂いに顔をしかめながらドアポケットの奥を探ると、半分ほど残ったイチゴジャムの瓶を見つけた。

 戸棚からは使いかけの砂糖の袋も出てきた。


 俺は我慢できず、ジャムの蓋を回し開けた。

 指ですくって、直接口に放り込む。

 脳髄を痺れさせるような、強烈で暴力的なまでの甘味。

 身体中の細胞が歓喜の声を上げ、疲労の膜が剥がれ落ちていく感覚に、思わず「うまっ……」と声が漏れた。

 他人の家のキッチンで指に付いたジャムを必死に啜る大学生。

 客観的に見れば末期だが、今の俺にはこれが命の輝きに見えた。


「最高だ……あとはこれで米を炊けば……」


 法悦に浸りながら米袋をリュックにねじ込もうとした、その時だった。

 ギシッ、と玄関の床板が不自然に鳴った。

 背筋が凍る。

 振り返ると、幅一メートルにも満たない暗い廊下の入り口に、醜悪な緑色の影が立っていた。

 ゴブリンだ。

 かつて毎日のように検証の的にしたあの魔物が、かつての生活の場に立ち、ひくひくと鼻を動かしてこちらの匂いを探っている。

 俺から漂う肉の匂いや、ジャムの甘い香りを嗅ぎつけたのだろう。


「ギギャッ!」


 ゴブリンが錆びた鉈を振り上げ、狭い廊下を一直線に突っ込んできた。

 屋外なら左右に回り込まれたり上空を警戒したりする必要があるが、ここは壁と天井に囲まれた一本道だ。

 俺は必死に動悸を抑えながら、相手との距離を測った。

 二メートル。

 俺の「罠」が発動する絶対領域だ。


「出ろ……っ!」


 ゴブリンの鼻先、進行方向のど真ん中に、最大の二十五センチに広げたキューブを配置した。

 逃げ場のない廊下でゴブリンは急停止することすら叶わず、自らの突進の勢いのままに、空中に完全固定された「見えない壁」に顔面から激激突した。

 ゴキッ、という生々しい破壊音が響き、ゴブリンの鼻梁が完全に陥没する。

 悲鳴を上げる間もなく仰け反り、無防備になったその喉元へ、俺は一気に距離を詰めてバットを全力で振り抜いた。

 壁に叩きつけられたゴブリンはピクリとも動かなくなり、やがて光の粒となって魔石だけを遺して消滅した。


「……野外より、圧倒的に楽だな」


 バットを下ろし、激しく波打つ息を整えながら呟く。

 キューブは「地球の慣性系に完全固定され、動かすことができない」。

 それが最大の弱点だと思っていたが、逃げ場のない狭い屋内においては、その「動かない」という特性こそが最強の武器になる。

 相手は自ら進路上の壁に激突し、自滅するしかないのだ。


 俺はノートを取り出し、震えの止まった手で今日の記録に書き加えた。

 屋内戦:通路が狭いほど軌道が限定され、固定キューブによる迎撃が必中となる。

 地の利は完全にこちらにある。


 確かな戦術のアップデートを実感しながら、米袋とジャムをリュックに押し込んだ。

 背中にのしかかる重みは、これからの生活の質を劇的に向上させてくれる「希望の重さ」だ。

 しかし、このアパートを拠点にすることはできない。

 玄関のドアが壊れていて防犯性が皆無な上、ここで火を焚いて米を炊くにはリスクが高すぎる。


「……さて、どこで自炊するか」


 俺はリュックを背負い直し、バットを握り締めて再び自転車に跨った。

 目標は、安全に米を炊き、ゆっくりと眠れる「頑丈な家」だ。

 贅沢を言えば、ふかふかのソファと、トイレとは別の寝室がある家がいい。

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