エンディング 星々の導き
【爽風の緑】の解体とブランたちの逮捕は、彼らの本拠地である水都スイレンでは衝撃的な話題となった。 悪事と支援職への搾取はスイレン中に広まり、たとえ監獄から出てこれたとしても、その悪評から今後も冒険者として活動するのは難しいだろうと噂されているらしい。
ただ、すでに古都ユニバースのスラム街に戻っていたマオやアゲハたちの耳には、届くことはなかった。
一応、マオはユニバースのギルドに確認をしたのだが、ブランをはじめクランの主要メンバーは残らず監獄の中であり、少なくとも十年は出られないだろうとのことだった。リーなどの被害者側である支援職たちは、他のクランに入ったり引退したりと、バラバラになっているようだ。
「まあ、同じクランにいただけのやつらだ。別に俺がどうこうする必要もねぇしな……」
マオは屋根の上でハーモニカを小さく奏でながら、かつての同僚たちのことを思った。
リーにしろ誰にしろ、一癖あるやつらだが、元からスラムで泥水すすって生きてきた連中だ。どうにか生きてはいけるだろう。
それでも、胸の奥に小さな棘が残る。自分も同じ泥の中にいた人間だ。彼らを完全に切り捨てきれたわけではない。ただ、今はもう、その泥に足を取られるつもりはなかった。
あれからマオは、まるで何もなかったかのように日常を取り戻していた。帰ったその日からダンジョンに潜り、パーティーとして日々をこなしている。
アゲハもナルイもドラフトも、カラシュだったこと――【爽風の緑】や妻子のこと――について、なにも言及しない。
ただ、楽譜を返されて「今後もうちの吟遊詩人として、たのむね!」と言われただけだ。記憶が戻る前と変わらない態度に、思わず拍子抜けしてしまうほどアゲハたちはドライだった。
この距離感が妙にむず痒く、でもありがたかった。踏み込まれないことへの安堵と、それでも「仲間」として受け入れられていることへの静かな感謝が、胸の中で混じり合っている。家族でもない。だけど命を預ける“仲間”だった。
そして休養日のマオの行動にも、なにも口を挟まなかった。
スイレンに戻って最初の休養日から、マオは古都ユニバースの貧民街で密かに活動を始めた。と言っても、ナギサとリナが住むバラックを見つけ、遠くから見守るだけだ。
今さらなにもできるわけがない。家族でも親子でもない。ナギサも「私たちの前から消えて」と言っていた。その言葉を思い出すたび、胸が締めつけられる。自分が捨てたものだ。戻る資格などない。
それでも後ろめたさに、何もせずにはいられなかったのだ。見ているだけで、少しでも息がしやすくなるような、そんな自己欺瞞だった。
ナギサは昼間は市場で小さな屋台を営み、リナはそばで手伝いながら無邪気に笑っている。それをただ見るだけの日々。
マオは、ナギサの疲れた肩の線や、リナの笑い声を遠くから拾いながら、自分の存在を消すように影に溶けていた。近づきたい衝動を、何度も飲み込む。
マオは市場の裏で、ナギサの屋台にささやかな贈り物を置いた。
リナが好きそうな果物や、普段の食事に使えそうな野菜や調味料などの、あまり高額ではないものを。贈り物には一切名前を残さず、ただ下手くそな字で「おすそ分け」とだけ書いた。
誰にも知られないまま、ほんの少しでも負担を軽くできれば――それだけで十分だと思い込もうとしていた。
次に、貧民街をうろつくチンピラがナギサに絡んでいるのを見つけると、マオはハーモニカで《猛虎の咆哮》や《鉄壁の調べ》を吹き、自身を強化してからチンピラたちを路地裏で叩きのめした。チンピラたちはマオの赤い瞳と冷たい声に怯え、逃げ出した。いつしか、あの屋台の女に手は出さないほうがいいと、チンピラたちの共通認識になっていた。
拳を振るうたびに、マオの中で小さな声がする。「これは償いじゃない。ただの自己満足だ」と。それでも手を止められなかった。
そんなある日、マオはリナが一人で市場の外れにある空き地で遊んでいるのを見つけた。
貧民街の子供は、親が忙しければひとりで暇をつぶさなければならない。ここでは安全よりも稼ぎなのだ。
リナも小さな木の棒で地面に絵を描き、ナギサの仕事が終わるのを待っているのだろう。
マオは木陰に身を潜め、しばらくその姿を見つめた。自分の娘だという自覚が、胸の奥で熱く疼く。触れてはいけない。近づいてはいけない。そう自分に言い聞かせながらも、目が離せなかった。
その時、空き地の茂みから不穏な気配がした。
ゴブリンのような低級魔物が、迷宮から迷い出てきたのだ。迷宮が近くにいくつもあるユニバースには稀に起きることであった。特に貧民街は迷宮に近い。
魔物が近づいているというのに、リナは気づかず遊び続けていた。
マオの心臓が跳ねる。頭の中が真っ白になるほど、強い衝動が体を突き上げた。
「くそっ……!」
ハーモニカを口に当て、マオは《猛虎の咆哮》を吹いた。身体に力がみなぎり、一瞬でゴブリンに飛びかかる。ナイフを手に、強化された動きでゴブリンの首を一閃すると、断末魔と魔石を残してゴブリンは砂のように消えた。死体が残らないのがダンジョンの魔物の特徴だ。
息を整えながら、マオは自分の手がわずかに震えているのに気づいた。恐怖ではない。守りたいという欲求が、あまりに強すぎたせいだった。
リナが驚いて振り返り、マオの姿を見た。
「えっ……にいちゃん……! あの時の!」
リナが目を輝かせ、駆け寄ってくる。
マオは慌ててハーモニカをしまい、膝をついてリナと目線を合わせる。リナの身体をさっと確かめるが、怪我はなさそうだ。ほっとした安堵と同時に、胸の奥が鋭く痛んだ。
「お、お前……一人でこんなとこ、危ないぞ。ママのとこ戻れ」
「にいちゃん、強いね! 冒険者? かっこいい!」
「……ただの冒険者だよ。言っただろ、吟遊詩人だ」
「また会えた! やった!」
リナがジャンプしてマオに抱きついたが、抱きしめていいのかわからない。恐る恐るその背中をなでる。小さくて、温かくて、壊れそうな感触。
自分の娘だと自覚してから初めての接触に、目の奥が熱くなるのを感じて、マオは小さく首を振った。涙など流す資格はない。流せば、この子を汚してしまう気がした。
その時、遠くから母親の声が聞こえた。
「リナ! どこ!?」
マオは咄嗟に立ち上がり、リナから離れる。指先に残る温もりが名残惜しくて、リナの背中を軽く叩く。離れる動作のひとつひとつが、自分に対する罰のように感じられた。
「ほら、ママが呼んでる。早く行け」
「また会えるよね、……えっと、おにいちゃん、なんて呼んだらいい?」
「――マオ。吟遊詩人のマオだよ」
「マオ! またね! また会おうね!」
「……ああ、きっと」
「きっと」と言いながら、マオは心の中で呟く。
本当にまた会えるのか。会っていいのか。答えは出ないまま、リナが母親のもとに走っていく後ろ姿を見ながら、ポケットの玩具の竹とんぼを握る。
リナの小さな背中が遠ざかるのを、マオはどこか寂しげな目で見送った。握りしめた竹とんぼが、掌に食い込むほど強く感じていた。
「マオ、おかえり! 今日もこっそりいいことしてきた?」
「まぁ……ちょっとだけな」
クランハウスに戻ると、アゲハたちがいつもの様子でマオを迎える。
その何気ない声が、意外なほど救いになる。何も聞かれないこと、何も触れられないことが、今の自分にはちょうどよかった。
「お前、最近やけに夜出歩いてんな。まさか、女でもできたか?」
「バカ、んなわけ、ねぇだろ!」
「あははは、わーってるって! マオはモテねえもんなあ」
「……うるせえっ」
ナルイがニヤリと笑うと、マオが顔を赤くして言い返す。冗談の裏に、わずかな気遣いや観察眼が隠れている気がして、マオは少しだけ肩の力が抜けた。
「屋台で儂の酒のつまみでも買ーてきてくれても、いいんじゃがのう?」
「じいさんは、酒飲みすぎるとまたいろいろわすれちまうぜ」
「まあ、そうなったら、またマオに《トートの詠唱》を頼むしかないじゃろ」
「戦歌はそんな便利に使うもんじゃねえよ……」
「じゃあ、つまみのかわりになんか聞かしとくれよ。|いい気分になれるなら、どんな曲でもえぇから……」
「まあ、いいよ。……《星々の導き》なら」
マオはハーモニカを取り出し、曲を奏でる。
旋律は穏やかで、どこか切ない。過去を置き去りにしつつも、完全には手放せない――そんなマオの心を映しているようだった。
指が自然に動くたび、胸の奥の棘が少しだけ柔らかくなる。アゲハたちの笑い声が背景にあり、それが今の自分を繋ぎ止めている。
マオはアゲハたちと過ごす「今」を選ぶ。
ナギサたちに直接償うことはできないかもしれないが、陰から守り続けることで、せめて少しでも罪を軽くしたい。これは自己満足でしかないのを、重々承知していた。それでも、何もしないよりはましだと、自分に言い聞かせていた。
完全な赦しなど、最初から望んでいない。ただ、少しでも前を向ける自分でいたかった。
「よし、明日もダンジョンだ! マオ、最高の戦歌、頼むよ!」
「ああ、任せろ」
ユニバースの夜空に、ハーモニカの音色が静かに響く。
それは、過去を引きずりながらも、未来へ踏み出そうとする、希望の旋律だった――。
ご高覧いただき、ありがとうございました
昔見た映画のオチが気にくわなくて、自分だったらこうするをファンタジー小説に書き直したものがこの小説です。でももっとやりようがありそうで、今後も模索していきます。




