友だちができたぞ、マリアンネ(1/4)
翌朝。マリアンネより早く目が覚めたシルヴェスターは、妻の体に毛布をかけ直してから寝室を出た。
「あとで街へ行く。馬車の手配を。それから、この手紙を東部地方の代官へ届けておいてくれ」
シルヴェスターは食堂へ向かう途中、すれ違った使用人にそう命じる。使用人は恭しく手紙を受け取り、一礼して立ち去ろうとした。ふと思い立ち、シルヴェスターは「ああ、それから」と用事をつけ足す。
「マリアンネに、私はすぐに戻るから、不安になっても泣くんじゃないぞと言っておいてくれ」
「か、かしこまりました」
意外な用件を言いつけられた使用人は、戸惑いながら去っていく。
朝食を済ませたシルヴェスターは街へ繰り出す前に母の部屋に向かった。
「失礼します」
ノックをして入室した。母は昨日と同じで、ベッドの上で大人しく横になっている。
彼女は一日のほとんどをこの部屋で過ごしていた。食事も自室で取っている。決まった時間に侍女が来て身の回りの世話をする以外は、基本的に一人きりで静かに生活をしているのだった。
「経過報告をいたします。昨日は妻と食事をして、街に出かけ、猫を追い出して、膝枕をしました。今のところ、きちんとマリアンネを愛せていると思います」
「あら、あの子の名前を知っているのね。お前のことだから、てっきり忘れていると思っていたわ。偉いじゃない」
母はわざとらしく感心してみせた。図星を指されたシルヴェスターは何も言い返せない。
「それから、いちいち報告になんて来なくていいのよ。息子の夫婦生活を根掘り葉掘り聞きたがるような下世話な趣味はわたくしにはないもの。それにしても、猫がどうのって何なの?」
「猫というのは、三角形の耳が頭の上に二つついている生き物で……」
「わざわざジェスチャーつきで説明してくれてありがとう。でも、わたくしだってそれくらいは知っているわよ」
知っているならなぜ聞いたんだ、とシルヴェスターはかすかに眉をひそめる。逆U字型にして頭の上に乗せていた両手を下ろした。
だが、今後は溺愛計画の進捗具合について、報告不要というのはありがたい。さすがのシルヴェスターも、自分と妻が何をしていたのか母に筒抜けというのはどうも気が進まなかったのだ。
「では、失礼いたします」
シルヴェスターはさっさとお暇しようとした。母は「あら、もう用はおしまい?」と言う。
「状況説明にうかがっただけですから」
「そう。……ねえ、シルヴェスター。あなた、もう食事は済ませたの?」
「ええ。……それがマリアンネを愛することと何か関係があるのですか? まさか、彼女と朝食を共にしなかったから、もう一度時を戻すとおっしゃるのでは……」
「……言わないわよ」
母は急にブスッとした表情になった。
「もういいわ、行きなさい。用は済んだんでしょう?」
母はしっしっ、と片手を振った。シルヴェスターは厨房に入ろうとしたところを見つかった野良犬にでもなった気分で、母の私室から退散する。
(自分から引き止めておいて、今度は早く行けとは……。筋が通らないな。それに、なぜいきなりあんなに機嫌が悪くなったんだ?)
ひどく理不尽な扱いを受けたような気がして、シルヴェスターはげんなりとなる。母は気分屋だから、と自分を納得させるしかなかった。
気持ちを切り替え、今度は街へ行くことにする。目的地は孤児院だ。
シルヴェスターの頭にあったのは昨日の出来事だった。
シルヴェスターとぶつかり、泣いてしまった子ども。すっかり恐縮しきって平謝りしていた男性。彼らに対し、別に自分は怒っていないと弁解しようとしていたのである。
彼らが孤児院の関係者だと思ったのは、町民たちがあの男性を「院長先生」と言っていたからだ。
だとするならば、あの子どもは孤児院で預かっている児童の可能性が高い。シルヴェスターの知る限り城下町には孤児院は一つしかないので、あちこち探し回る必要はなかった。
普段のシルヴェスターなら、この手の勘違いは放っておくのだが、今回あえてこのようなことをしたのは、マリアンネの言葉があったからだ。
――シルヴェスター様はノルトハイム家の当主ではありませんか。でしたら、領民をもっと愛してさしあげるべきです。
シルヴェスターには、「領民を愛する」とはどういう状況を指すのか見当もつかなかった。だが、領主に対する恐怖心を和らげてやるのは、「領民を愛する」行為に相当するのではないだろうか。
そう思い、今回の訪問を決定したのである。
目的地はもう間もなくだ。馬車の窓から外を眺めていたシルヴェスターは、立ち並ぶ商店街を見ている内に、あることを思いついた。
「停めてくれ」
御者に停車を命じ、馬車を降りたシルヴェスターは手近な店に入った。
(うっかりしていたな。誰かを訪ねるのに手土産もなしとは)
今さらノルトハイム城に戻るのも面倒だったので、何か持っていくものをこの店で調達しようと思ったのだ。
(ここは……本屋か)
何も考えずに選んだ店だったが、悪くない選択だろう。シルヴェスターは読書が嫌いではなかった。
(そういえば、昨日マリアンネも図書室にいたな)
彼女も本を読むのが好きなのだろうか。思わぬところで共通点を見つけ、シルヴェスターは満ち足りた気持ちになる。
(マリアンネにも土産を買っていってやるか)
今頃、マリアンネは何をしているだろう。もう起きて、シルヴェスターの不在を心細く思っているだろうか。
不安になっても泣かないようにと言付けてはあるが、できるだけ早く帰るのが妻を愛する夫の務めというものだ。
そのためにも、さっさと用事を済ませなければ。
その辺の本棚から適当に二冊選んで、シルヴェスターはカウンターへ向かった。店で買い物をするのはこれが初めてだったが、どう振る舞えばいいのかという知識くらいは持っている。
だが、カウンターには誰もいなかった。店内にも人は見当たらないし、強盗にとってこれほど仕事のしやすい店もないだろう、とシルヴェスターはやれやれとなる。
「誰かいないか」
シルヴェスターはカウンター越しに呼びかけながら、店員を探して辺りを見回した。
その拍子に、壁に貼られているポスターが目に留まる。そこに自分とそっくりな男の絵が描かれているのを見て、シルヴェスターは息を呑んだ。
『領民の敵! 氷の貴公子シルヴェスター!』
そんな過激な文言が紙面で踊っていた。シルヴェスターの似顔絵の上には大きな×印が描かれている。
(……領民の、敵)
シルヴェスターは呆然となった。冷たい男だと言われたことは何度もあったが、こうあからさまに憎しみをぶつけられたのは初めてだ。
「ご、ご領主様……!」
声をかけられ、我に返った。いつの間にか、「店長」と書かれたネームプレートをつけた男性が近くにいる。
「な、なぜこのようなところに……」
「買い物に来た。この本はもらっていく。現金を持っていないから、支払いはあとでも構わないか? 城へ請求書を届けてくれ」
シルヴェスターは手短に用件を伝え、視線をポスターへ戻した。
「これは何だ」
「あ……その……」
店長は脂汗をダラダラと流していた。かと思えば床に額をこすりつけ、「申し訳ございませんでした!」と大声を出す。
「ほ、ほんの出来心だったのです。商店街の仲間にポスターを貼るように言われ、断り切れず……。お許しください! 私には妻と娘と年老いた両親がいるのです。私が処刑になると、明日から家族が生きてゆけません……!」
「処刑? 何の話をしているんだ」
シルヴェスターは困惑したが、マリアンネの言葉を思い出す。
――シルヴェスター様は、ただなんとなく黙っているだけで冷酷に見える。そのために、いらない誤解を招く。そういう方なのです。
この店長も、昨日の子どもや孤児院の院長と同じだ。自分たちの不手際のせいで、シルヴェスターの逆鱗に触れてしまったと思い込んでいる。
何が起きているのか分かったからには、その勘違いは正さねばならないだろう。
「店長、私は怒ってなどいない」
シルヴェスターは、床の上で縮こまっている哀れな男に声をかけた。
「ただ、思いもかけないものを見つけて驚いただけだ。……この絵はよく描けているな。誰の手によるものだ?」
「……へ? 以前ノルトハイム城に住み込んでいた画家と聞いておりますが……。なんでも、長年の付き合いがあったにも関わらず、急にご領主様に出ていくように命じられたとか」
「ああ、そんな者もいたな。父が雇った人物だった。だが、私は芸術にはあまり関心がない。そんな私の元にいるよりも、美に理解のある者をパトロンとしたほうが画家にとってはいいだろうと思ったのだが、そうでもなかったか」
「は、はあ……」
「それにしても素晴らしい出来だ。せっかくだから、久々に仕事を依頼してみるか。マリアンネの肖像画を描かせて、城の広間にでも飾っておこう」
「……ご領主様、本当に怒っていらっしゃらないのですね。その……これはご領主様を糾弾する貼り紙なのですが……」
「それは見れば分かる。だが、君に怒ってどうなるんだ。ポスターを処分させたら、私への憎悪がなくなるのか? そんな単純な話ではないだろう」
シルヴェスターは、『領民の敵! 氷の貴公子シルヴェスター!』の文字を見つめる。
「私は領民の敵なのか?」
「い、いえ、そのようなことは……」
「誤魔化すな。……本当のことを話してくれれば私は嬉しい」
言い方がきつかったかもしれないと思い、シルヴェスターは言葉を添える。店主はしばらくためらった末に、「そう表現する者もいます」と恐々認めた。
「なぜ私は君たちにとっての敵なんだ」
「……ご領主様の取り立てる税が高いからです」
店長は、こんなことを話してもいいのだろうかと思っているようだった。
「三年前にご領主様が代替わりなさってから、我々の生活は苦しくなるばかり。一方、領民からむしり取った税で、あなた様は贅沢な暮らしをなさっている。これでは、皆が敵と見なすのも無理ないことかと……」
「私は贅沢な暮らしなどしていない」
本当のことだ。ノルトハイム家は、同格の貴族家と比べても慎ましやかな暮らしぶりだった。
「集めた税は、ノルトハイム家のさらなる発展のために使っている。決してドブに捨てているわけではない」
「も、もちろん、我々も税を取られることそのものに反対しているのではございません!」
店長は激しく首を振った。
「ですが、ノルトハイム家が栄えたところで、我々には何の利益もないと申しますか……。例えば、この街の外れにかかる壊れた橋。その修理のために余分な税を取るというのなら、我々も納得いたします」
けれど、あそこはもう一年も放置されたままです、と店主は苦々しい顔になる。
「お陰で交通にも不便が生じています。かといって封鎖されているわけでもないので、この辺りをよく知らない者が通って、いつか事故が起きることも……」
内心の不満を小爆発させるようにペラペラと言葉を並べていた店長は、シルヴェスターが真剣に耳を傾ける様子を見て、喋りすぎたと気づいたらしい。
顔を引きつらせると、「申し訳ございません!」と謝った。
「請求書は後ほど送付すればよろしかったのですね。お買い上げ、ありがとうございます」
店長はせかせかした足取りで奥へと引っ込んでいく。しばらく待っても帰ってこなかったので、シルヴェスターは買った本を手に店をあとにした。
(領民の敵、か)
馬車が本来の目的地である孤児院に向けて出発する。一方のシルヴェスターは、先ほどの出来事をまだ引きずっていた。
領民を愛せというのがマリアンネの望みだ。妻のためにシルヴェスターはその願いを叶えたいと思っている。
だが、そんなことは可能なのだろうか? シルヴェスターが彼らを愛しても、向こうはそれを受け入れる気はさらさらなさそうだ。
こんな状態でマリアンネが満足するような愛は生まれるのだろうか。
(マリアンネを喜ばせたいが……これはかなり骨の折れる仕事だな)
もっとも、楽な道のりではないことは初めから分かっていたが。
それでも、できるだけのことはやってみせようとシルヴェスターは決意する。
全てはマリアンネの笑顔のためだ。夫として、妻を喜ばせるのは当然のことなのだから。





