君のことは私が必ず守ってみせる(2/2)
順番が来たシルヴェスターは医師に城で待つ病気の妻のことを話し、往診の約束を取りつけた。帰りに行きつけの本屋へ寄り、店長に病人が読むのに最適な本を選んでもらってから帰城する。
だが、マリアンネはぐっすりと眠っていたので、読み聞かせはお預けとなった。シルヴェスターは本をナイトテーブルの上に置き、妻の部屋をあとにする。
向かった先は図書室だった。買ってきた本を読み終わったら、今度はここにあるものを持っていってやろうと思ったのである。
(マリアンネはどういうジャンルが好きなんだろう)
そういえば、その手の話は今までしたことがなかった。元気になったら聞いてみようか。
(マリアンネと私の関係は、この部屋から始まったんだったな……)
時が戻ったあと、最初にシルヴェスターがマリアンネと対面したのが図書室だったのだ。なんだか遠い昔のことのようにも感じられるが、まだあの日から二カ月ほどしかたっていない。
(マリアンネは、この部屋で魔法に関する本を見つけたと言っていた)
シルヴェスターは辺りを見渡す。今まで、そんなものが棚に並んでいるとは知らなかった。
だが、注意して見てみればマリアンネの言ったとおりだった。いかにも禍々しい装丁の魔導書や、子ども向けとしか思えないおまじないの本まで、色々なものが棚にぎっしりと詰まっている。
(こんなもの、誰が集めたんだろう。ひょっとして母上だろうか?)
シルヴェスターの周囲で魔法を実際に使ったことがあるのは彼女だけだ。もっとも、彼の知る限りは、だが。
よくよく見れば、棚の本はほとんどが同じような題材を扱っていた。愛の妙薬の作り方、魅了の呪文について……。シルヴェスターは一つの仮説を立てる。
(母上は魔法を使って、父上の関心を取り戻そうとしていたのかもしれない)
母はプライドの高さのせいで、素直に自分の気持ちを口にできなかった。そんな彼女が選んだ方法が魔法だったのだろう。そして今度は、引っ込み思案なマリアンネがこの本を見つけ、義母と同じことを試そうとしたというわけだ。
シルヴェスターは何の気なしに棚から一冊の本を取る。どんな内容か見ようと思ったのだ。
タイトルは『洗脳操作の作法』。どうやら怪しげな儀式によって誰かに魔法をかけ、強制的に心を操る方法を紹介した本らしい。
その中に、こんな記述があった。
『満月の夜の翌朝、日が昇る前に水辺に咲く血の色の花を摘み取れ。その花を墓場で煮込み、三日三晩火を絶やすな。そうしてできた煮汁を恋しい相手に一口飲ませれば、その心は術者のものとなるであろう』
(血だの墓場だの、随分とおどろおどろしい文句が並んでいるな。こんな儀式、本当に効果があるのか?)
シルヴェスターは本を閉じようとした。けれど、何かが頭に引っかかる。
――日が昇る前に水辺に咲く血の色の花を摘み取れ。
(日が昇る前、水辺、血の色の花……)
シルヴェスターの頭の中で、三つの言葉がグルグルと渦を巻く。やがてそれが、はっきりとしたイメージを作り出した。
(マリアンネは水の事故が元で亡くなった。時刻は早朝。そして現場の池の中洲には……赤い花が咲いていた)
――その心は術者のものとなるであろう。
シルヴェスターは頭から冷水を被ったような心地がした。
(私の……せいだったのか)
マリアンネは冷たい夫の気を引きたい一心で、本に書いてある愛の儀式を実行に移そうとした。その最中に死んでしまったのだ。
(私がマリアンネをぞんざいに扱わなければ……あんなことは起きなかった……)
シルヴェスターの呼吸が荒くなる。自分が犯した罪の重さに、今にも押し潰されそうだった。
「マリアンネ……許してくれ……」
シルヴェスターは机に突っ伏して涙を流した。
誰よりも愛しい者を殺めてしまった。直接的にではないにしろ、マリアンネの死の原因を作ったのはシルヴェスターなのだ。その事実に、彼は絶望した。
長い間嗚咽を漏らし、やっと涙が止まっても、シルヴェスターはその場から動くことができなかった。
(マリアンネ……私はもう君に会わせる顔がない……)
光の届かない暗い谷間を歩いているような感覚。いっそこのまま、空気に溶け込んで消えてしまいたかった。
抜け殻のようになってしまったシルヴェスターの目が、ある一冊の本をとらえる。
『死神にまつわる研究』
死神。
まさにシルヴェスターはマリアンネにとってそういう存在だったのだ。シルヴェスターは無理に体に力を入れ、自分のことが書かれた本を棚から抜き取った。
初めは白けた気持ちでページをめくっていく。だが、ある文言を目にした瞬間、シルヴェスターの体を戦慄が駆け抜けた。
『死の運命は覆らない。定められた死を受け入れろ。死神が犠牲者の手を取れば、その者の肉体から魂は離れる。今この瞬間に刈り取られるべき魂は、死神のみぞ知る禁忌の……』
シルヴェスターは本を閉じた。とてもではないが、これ以上は読んでいられそうもない。
けれどシルヴェスターは、なぜ自分がこんなにも動揺しているのかさっぱり分からなかった。
「あら、旦那様。こんなところにいらしたのですか」
図書室に入ってきた使用人から声をかけられ、シルヴェスターは心臓が飛び出るほど驚いた。
「奥方様がお目覚めになりましたよ。ついウトウトしてしまって申し訳ありません、とおっしゃっていました」
「いや、気にしていない。マリアンネは病気なんだ。睡眠は大事だろう」
「もうご用がお済みでしたら、ぜひとも奥方様のところへ戻ってあげてくださいね。病気の時は、何かと心細くなるものですから」
使用人は一礼して去っていく。シルヴェスターはどうしようかと迷った。
もう会わせる顔がないと思っていたものの、病気の妻を放置しておくのもよくないだろう。
(妻の不安を解消するのも夫の役目か)
シルヴェスターはマリアンネの私室へ赴いた。
「お帰りなさいませ、シルヴェスター様。どちらまでいらしていたのですか?」
妻はベッドの上で、病人にしては精一杯の朗らかさで微笑んでいた。シルヴェスターの胸がキリキリと痛む。
「街へ行って、それから図書室で本を読んでいた」
シルヴェスターはベッドサイドの椅子に腰かけた。マリアンネは「そうですか……」と言いつつも、首をひねる。
「どうなさいました、シルヴェスター様。お顔の色が優れませんが」
「……図書室で恐ろしいことを知ってしまった」
「あそこには不気味な本もたくさん所蔵されていますものね」
マリアンネは納得したような顔になる。不気味な本と言われ、シルヴェスターは『死神にまつわる研究』のことを思い出した。
「君は、『死の運命は覆らない』という文言について、どう思う?」
聡明なマリアンネなら、自分が見逃していた点を発見できるかもしれないと思い、シルヴェスターは質問する。
マリアンネは、シルヴェスターが突然おかしなことを言い出したので戸惑ったようだが、「そうですね……」と思案顔で顎の下に手を当てた。
「誰がいつどこで死ぬかは運命で決まっていて、それを変えるのは無理だ、という意味でしょうか」
「……何だって!?」
シルヴェスターは思わず椅子から立ち上がった。
「それはつまり、マリアンネも……?」
「そういうことになるでしょうね」
マリアンネは事もなげに頷いたが、シルヴェスターは目眩を覚えていた。
(つまり、マリアンネは私が知っているのと同じ末路を辿ることになるというのか? 遠くない将来、マリアンネの未来に待つものは……死?)
そんなバカな、とシルヴェスターは叫びそうになった。けれど、声が出ない。じっとしていられなくなって、シルヴェスターはマリアンネの部屋を飛び出して図書室に転がり込んだ。
棚から戻したばかりの『死神にまつわる研究』を乱暴に引き出すと、シルヴェスターは本を抱えて母の居室に向かう。
「母上!」
今日は話し相手の孤児院の子どもたちが来る日ではなかったらしく、母は一人きりだった。ノックと同時に飛び込んできた息子を見て、目を丸くしている。
「どうしたの。騒がしい子ねえ」
「この本に書かれていることは本当なのですか!?」
シルヴェスターは母の膝の上に、『死神にまつわる研究』を放り投げた。母は目をすがめる。
「マリアンネは死ななければならないのですか!?」
「あの図書室にある魔法の本は、八割方インチキよ」
母の言葉に、シルヴェスターは束の間安堵する。けれど、次のセリフに背筋も凍るような思いがした。
「でも、これは本物。ここには嘘は書いていない。死神はいるし、奴が生者を死出の列に加えてしまうのも本当だわ」
「なんとか……ならないのですか……」
母はこんな時に冗談を言うような女性ではない。シルヴェスターは蒼白になって尋ねた。
「このままだとマリアンネは死んでしまう。母上なら、どうすればいいのかご存知ですよね……?」
「死からは逃れられないわよ」
シルヴェスターは縋りつくような声を出したが、母は顔色一つ変えなかった。
「死神は人間がどうこうできる相手じゃないの。本にあったでしょう? 『定められた死を受け入れろ』と」
「マリアンネを見殺しにするのですか!」
母のあまりに平然とした態度に、シルヴェスターは思わず声を荒げた。
「母上はそれで平気なのですか!? 私は耐えられません!」
シルヴェスターは自分の声の大きさに頭痛を覚え、顔をしかめる。
「私にマリアンネを愛することの重要性を説いたのは、母上だったでしょうに」
シルヴェスターは苦々しく吐き捨てて退室しようとする。息子の背に向かって、母は「何をする気なの」と問いかけた。
「決まっているでしょう。マリアンネを助ける方法を探します。運命など、私が変えてみせる」
「お前、無茶苦茶なことを言っているのよ。分かっているのかしら」
「一度時を戻した人がよく言います。あれも充分に無茶苦茶なことだったと思いますが」
シルヴェスターは母のもとを去った。その足でマリアンネの部屋へ戻る。
「シルヴェスター様、どうなさったのですか? いきなり出ていったから、驚きましたよ」
マリアンネはベッドの上で身を起こして、きょとんとしていた。顔は熱っぽく赤らんでいるが、彼女はまだ生きている。ただそれだけのことに、シルヴェスターは涙ぐんだ。
「愛してる、マリアンネ」
シルヴェスターは熱を持つ妻の体を優しく抱きしめた。
「君のことは私が必ず守ろう。だから安心してくれ」
「シルヴェスター様……?」
マリアンネは夫が何を言っているのか分かっていないようだった。ポカンとする妻をシルヴェスターはベッドに横たわらせる。
(何があってもマリアンネを死なせはしない)
そう決心し、シルヴェスターは「ゆっくり休んでくれ」と妻に言って、部屋をあとにした。





