身ぐるみを剥がそうとするのはやめてもらえるか?(1/1)
「到着いたしました」
御者に声をかけられ、シルヴェスターは馬車から降りる。
辺りの光景に目を遣り、わずかに顔をしかめた。
「いらっしゃい、お兄さん。遊んでいかない?」
「どこを見ても体自慢の粒ぞろい! 早くしないと、人気の子はすぐに売れちゃうよ!」
客引きの声が響く。着ている意味があるのかと思うほど露出の激しい格好をした女性がしなを作り、艶めかしい男性が扇情的な笑みを浮かべていた。
ここはいわゆる花街と呼ばれる区画だ。要するに、娼館が集まるところである。
シルヴェスターはその中でも、一番の高級娼館へと足を運んだ。まだ開店からそれほど時間は経っていないはずだが、何人かの身なりのいい紳士が早くも女性たちを物色している。
「いらっしゃいませ」
愛想のよさそうな店員がシルヴェスターに近づいてきた。
「どの娘になさるか、お決まりでしょうか」
「三年以上前からいる女性だ」
「……はい?」
「聞こえなかったか? 三年以上前からいる女性を全員、一晩買う。ほら、持っていけ」
シルヴェスターは金貨の入ったいくつもの袋をぞんざいに渡し、さっさと店の奥へ入っていく。乱暴な態度だとは自覚しているが、どうしようもない。
シルヴェスターは、幼い頃より母にこの手の店には何があっても入ってはならないと厳命されていたのだ。お陰で、未だに花街には良い印象を持てていなかったのである。
巨大なベッドが鎮座する部屋に通されたシルヴェスターは、窓辺の椅子に腰掛ける。数分後、ノックの音と共にわらわらと女性が入ってきた。全員で十人以上はいるだろうか。
高級娼館だけあってどの娼婦も身なりは良く、あからさまに肉体を強調する下品な服を着ていないのは救いだった。目のやり場に困る格好をされていては、毛布でグルグル巻きにでもしてしまう他なかったろう。
「いらっしゃいませ、旦那様」
「あたしたちを全員買うだなんて、お金持ちなんですねえ。素敵!」
「たっぷりサービスいたしますわ」
シルヴェスターから太客の匂いを嗅ぎつけたのか、女性たちは媚びを含んだ笑顔でこちらににじり寄ってくる。オオカミに狩られる子ジカの気分に浸りながら、シルヴェスターは「私は遊びに来たわけじゃない」と彼女たちを制止させた。
「ただ、話を聞きたいだけだ」
「お話?」
シルヴェスターのベルトを外そうとしていた娼婦が、不思議そうな顔をした。
「お話って、何のですか?」
「父についてだ。……とりあえず、身ぐるみを剥がそうとするのはやめてもらえるか? 全員どこかに座って、楽な姿勢で聞いてくれ」
娼婦たちは、シルヴェスターがただの客ではないと薄々察し始めたらしい。まだ営業スマイルを浮かべながらも、大人しく言うことを聞く。
「私の名前はシルヴェスター・フォン・ノルトハイム」
シルヴェスターは乱れた着衣を正しながら名乗った。室内だというのに外套を外す気にもなれない。マリアンネが編んでくれたマフラーを、身を守る鎧のようにしっかりと首に巻き付けた。
どこを触られたというわけでもないが、すでにひどく汚された気分である。金輪際こんな店には足を運ぶまいと心に決める。
「このノルトハイム領を治めている領主だ」
「あら、やっぱり!」
一人の娼婦が嬉しそうな声を出す。
「どこかで似顔絵を見たことがあります! ええと確か……」
「『領民の敵! 氷の貴公子シルヴェスター!』だろう」
シルヴェスターが無感動に言うと、娼婦は顔を赤くしてうつむいた。他の娘が「滅多にないほどの美形だから、よく覚えていたのよね」と同僚をフォローする。
「そうそう! こんなに綺麗な人は、男娼の中にだっていませんよ!」
「お父様にもちょっと似ていらっしゃるし」
「……やはり父を知っているんだな」
シルヴェスターはこんなところへやって来たのを早くも後悔し始めていたが、話題が父のことに及んで、やはり自分の判断は間違っていなかったと安堵する。
「父はこの店の常連だったとノルトハイム城の使用人に聞いた。間違いないか?」
シルヴェスターはここに来る前、城の者に話を聞き、父をよく知っていそうな人物を探ったのだ。その結果、この娼館の娼婦たちの名前が挙がったというわけである。
シルヴェスターの質問に、皆が頷く。
「ええ、その通りですわ」
「あの方が事故で亡くなったと聞いた時、私たち、そりゃあ泣きましたよ」
一瞬、場が湿っぽい雰囲気に包まれた。どうやら父は、彼女たちのお気に入りの客だったらしい。
「私は父のことが知りたいんだ。君たちなら詳しいと思ってここへ来た。何か知っていることを話してくれ」
「そうですね……。あの方はとっても優しかったですわ。あたくしたちを乱暴に扱ったことは一度もありませんし、複数人を同時に相手なさる時も、それはそれは丁寧に……」
「そういう生々しいのはやめてくれ。彼の人柄だとか、どんなことを考え、悩んでいたのかとか、そういうことが知りたいんだ」
「あら、そうですか。シルヴェスター様ったら真面目な方」
ほほほほ、と艶やかな笑いが漏れる。
「そうですねえ……。まずは人柄ですけれど、先ほども言った通り、お優しい方でしたわ」
「お話もとっても上手くて、私たち、あの方とお喋りする時は演技じゃなくて心の底から笑い転げたものですよ」
「人を楽しませるのが得意な方でした。……でも、夫婦仲は良くなかったようですねえ」
娼婦たちは顔を見合わせ、気の毒そうな表情になる。
「あの方が体にひどいアザを作ってらしたことがあって。あたし、『どうなさったんです?』と聞いたんです。そうしたら『妻の愛の鞭だ』って」
「本当にお可哀想だわ。あの方は紳士だから、殴られようが蹴られようがやり返したりしないのよ! 見ていなくても分かるわ!」
「それに『自業自得だ』ともおっしゃっていましたわね。だけど奥様が必要以上に怒るから、余計に外に癒やしを求めてしまうんですわ!」
父を庇う意見が多いことに、シルヴェスターは驚いた。シルヴェスターが彼の息子だからというわけではないだろう。父は本当に彼女たちから愛されていたのだ。
「父は母のことを恨んでいただろうな」
シルヴェスターは嘆息したが、意外なことに娼婦たちは「まさか!」と首を横に振る。
「あの方は奥様をとても愛しておいででしたわ」
「派手に遊んでいらしたことは間違いありませんが、その心の真ん中にいたのは、いつだって奥様だったのですよ」
「あの方は、結婚を機に火遊びからは足を洗おうと決意していたそうです。でも、奥様が昔の不品行をしつこく責めるから、ついに我慢しきれなくなったとか」
「それでも奥方を愛していたなんて、健気ですわ! そういえば、こんな風におっしゃっていたことがありましたよ。『綺麗な花にはトゲがあるもの。問題は、私がそのトゲに真っ向から触れる勇気がないことだ』と。何だかとても悲しそうでしたわ」
「ああ、あんないい方がどうして亡くなってしまったのかしら……!」
娼婦たちは涙ぐむ。
シルヴェスターは唖然となっていた。
自分は愛されていないと思っていた母、妻に屈折した感情を抱いていた父、両親の確執を見て育ち、感情を表に出さなくなった息子……。
(……まったく、なんて家族だ)
複雑な人間関係に、氷が溶け始めたばかりのシルヴェスターの心はついていけなくなりそうだった。唯一分かったのは、皆少しずつ悪くて、だからこそ誰を責めるべきでもないということだけだ。
「貴重な話を聞かせてくれてありがとう」
シルヴェスターは席を立とうとした。娼婦たちが「あら!」と色めき立つ。
「いけませんわ! お代は一晩分いただいておりますのに!」
「金を返せと言うつもりはない。後の時間は自由に使ってくれ」
「まあ、太っ腹!」
「シルヴェスター様ったら、流石は素敵なお父様の血を引くだけありますわ!」
「わたくしたち、あの方がいなくなってしまってから、ずっと寂しかったんです。どうかシルヴェスター様が慰めてくださいな」
娼婦たちは艶めかしい表情で誘いをかけ始めた。あまりの商魂逞しさに、シルヴェスターは感心してしまう。
だが、彼女たちに好き放題させる気は全くなかった。
シルヴェスターはドアへ向かいながら、「悪いが、私は結婚しているんだ」と言った。
「妻以外に体を触れさせる気はない。諦めてくれ」
「シルヴェスター様ったら、お父上に負けず劣らず愛妻家なのですね!」
「ですが、もったいないですわ! 女性は星の数ほどいますわよ!」
「星では氷は溶かせないだろう」
シルヴェスターは振り返りもせずにドアを開ける。
「凍てついた心を溶かすのは、太陽にしかできないことだ。星と違って、太陽は一つしかない」
それだけ言い残して、シルヴェスターはさっさと娼館を後にした。
馬車に乗り込み、ようやく人心地が着く。
(マリアンネ……。早く会いたい……)
自分の体から香水や白粉の甘ったるい匂いがするのは、気のせいだろうか。潔癖なシルヴェスターは、さっさと湯浴みがしたくて仕方がなかった。
それに、妻の顔も見たい。彼女の傍で心を浄化したかったのだ。
帰城したシルヴェスターは、マリアンネの元に直行する。彼女は食堂で夕食を取っているところだった。シルヴェスターが料理人たちに命じて作らせた、少量でも栄養の取れる特別メニューだ。
「マリアンネ……」
シルヴェスターは、マリアンネが顔を上げるのと同時に妻を抱きしめた。カシャン、とマリアンネがスプーンを落とす音が聞こえてくる。
「……シルヴェスター様?」
「君が妻で良かった……」
シルヴェスターはマリアンネの頭を思う存分撫で回し、心の栄養補給を済ませてから彼女を解放した。だが、これだけでは足りない。後で膝枕もしよう。
「食事の邪魔をしたな。続けてくれ」
それだけ言って、食堂を去る。まだやらなければならないことがあったが、それは明日にしようと思っていた。