『鏑矢は静かに放たれる』
昇格試験の翌日。
朝早くに起床し、宿で朝食を摂ったシオンが組合へ向かうと、そこには多くの冒険者たちが集結していた。
何事かと疑問を覚えるシオンだったが、その理由にすぐさま思い至る。
その日は年に複数回計画されている"大討伐"が実行される予定だった。
数日前から、依頼票の貼り付けられた巨大なボードの中心、一際目立つ場所にポスターサイズの依頼票が掲示されていた。
――大討伐
それはスタンピードの予防策として行われ、文字通り、冒険者を中心とした大規模な魔物の討伐作戦を指す。
つまるところ、大規模な魔物の間引きである。
数が増えてスタンピードが起こる前に、魔物の総数を減らすのが目的だ。
この時期になると、周辺地域や王都からも、大討伐に参加する冒険者がウォーデスの町へと集まる。
実を言うと、ノアールの聖霊銀級昇格試験で立会人を務めたルークとアランも、この大討伐に参加するために来たようなものだった。
大討伐の範囲は、『黒の魔境』深度2までの比較的浅い層を中心として行われる。
深度0から深度1までの範囲を白金級以下の冒険者が担当し、深度2を聖霊銀級以上の冒険者が担当するという内訳だ。
深度3より奥の範囲は、日夜、魔物同士が縄張り争い等を繰り広げてるので、放置していれば自然と数は減ることから無闇に侵入しない。
魔物の方も、高位の魔物であればあるほど、魔力の豊富な自身の縄張りから出ることは稀なのだ。
むしろ、深度3以上に生息する魔物を下手に刺激した場合、それがきっかけとなってスタンピードが起こりかねない。
大討伐の詳細について書かれたポスターを前に、シオンは今後の予定を頭の中に思い浮かべる。
作戦は数日を予定されているが、この国の首都に向かうのは大討伐の後でも問題はない。
さらに大討伐の期間中に倒された魔物や素材は、組合が幾らか色を付けて買取を行うそうだ。
折角なので、シオンも最後の小遣い稼ぎの機会だと考え、大討伐に参加することに決めた。
といっても、今さら下級や上級の魔物を相手にしてもつまらないので、シオンはノアールに随行して深度2の魔物を中心に狩ろうと考えている。
シオンは組合のロビーで説明が開かれるのを待つ。
大討伐の時期は稼ぎ時とあって、集まった冒険者の数も非常に多い。
中には一般人の参加もあり、組合から貸し出された武具を身につけている町人の姿も見えた。
「おう、シオンじゃねぇか!」
シオンの名前を呼ぶ声に振り向くと、そこには串焼きの出店を経営している店主――ダミアンの姿があった。
彼女はいつものフードを目深に下ろした出で立ちだが、常連客の姿を見間違えるダミアンではない。
遠目に彼女を認めたので、わざわざ声を掛けに来たらしい。
彼も周囲の冒険者たち同様、革鎧や片手半剣といった装備で武装している。
「おっさんも大討伐に参加するの?」
「ああ、串焼きやる前はこっちを本業にしてたんだよ」
シオンがダミアンに聞くと、彼は腰に下げた片手半剣を軽く叩いてみせる。
つまり、元冒険者だ。
よくよくく観察すると、彼の着用している革鎧には細かい傷があり、剣帯や片手半剣の柄に巻かれている革は使い古された跡が見られる。
「体力とか落ちてない?」
「馬鹿言え、こちとら毎日仕込みで大忙しだ!」
「多少は鈍ってるかもしれぇねがな!」と笑いながら、ダミアンは丸太のような腕に力こぶを作ってみせる。
冗談交じりのその言葉に、シオンも釣られて笑顔になる。
ダミアンのように、大討伐には仕事を休んで作戦に参加する者も少なくない。
参加するのは元冒険者の肩書きを持つ者が大半だが、戦闘以外、補給や討伐した魔物の運搬を買って出る一般人も多くいた。
ウォーデスの町は魔境に近いこともあり、スタンピードが発生すれば一番に被害を受ける。
過去に何度も、スタンピードの被害を受けてきたからこそ、この町の住人は協力して大討伐や組合の活動に貢献しようと行動するのだった。
しばらくして、支部長のヴァーノルドや職員数名による大討伐の説明が行われた。
簡易的ながらも要点を押さえた説明が終わると、階級の低い冒険者や一般人は即席の小集団を組む。
既に小集団で活動している冒険者や単独で活動する冒険者らは、早速魔物を討伐しに向かう。
「それじゃあ、シオン達も気を付けろよ!」
「おっさんもね。……さて、私達も行こうか」
『はい』
シオンもダミアンと別れ、シリウスとともに町を出た。
◆◆◆
豪腕が音を立てて振り下ろされる。
シオンがそれをひらりと躱せば、標的を見失った拳が大地へと打ち付けられ、大量の土煙を巻き起こしながら大穴を穿った。
土煙が晴れた先、地の底から響くような咆哮を放つその魔物は大鬼。
血のように紅い肌。
口元から覗く鋭い牙。
痛んだ黒髪の間から、天に向かって伸びる二本の歪曲した角。
その姿はまさに、地獄で罪人に罰を与える獄卒そのもの。
体長は3メートルを超え、腰蓑一枚を身に付けただけのその身体は、切れんばかりの筋肉に包まれている。
等級は戦災級。
戦闘能力が非常に高く、繰り出される拳や蹴りを食らえばただでは済まない。
分厚い皮と筋肉の鎧は、よく研がれた鉄剣であっても斬り裂くことは容易ではなく、例え傷を付けたとしても高い再生能力で瞬時に回復してしまう。
まさに、怪物と呼ぶに相応しい魔物だ。
出鱈目に振るわれる腕を次々と躱すシオン。
防戦一方に見えるが、彼女の目は大鬼の動きを完全に捉えている。
攻撃の隙を突くとシオンは大鬼の懐に潜り込み、軽く跳躍してその首元に手を触れる。
直後、流し込まれた大量の魔力に耐えきれず、大鬼の頭部が爆ぜた。
全身を弛緩させ、倒れ臥す大鬼。
大鬼の素材として最も有用なのはその皮だ。
加工して作る革鎧は、高い防刃性と耐久性が魅力的な一品へと仕上がる。
損傷が少ない高品質の皮素材は高値で取引される。
綺麗に狩ることのできた大鬼に満足し、シオンがその死骸を『収納』に回収したところで、シリウスの方も獲物を倒し終えたようだ。
シリウスが相手にしていたのは豚鬼将軍。
その等級は大鬼と同じ戦災級。
豚鬼の上位個体である豚鬼将軍は、体長2メートル強といったとろこだが、大鬼とは違い武器を使う。
使うのは木を荒く削った棍棒や弓が多く、金属武器は持たない。
と言うのも、魔物は武器を扱う能力は持っていても、複雑な造りをした武器を加工する技術と設備を有していないためだ。
中には冒険者を殺して奪い取る個体も居るが、そのような魔物は少数。
今回、シリウスが相手にしていた個体もその例に漏れず、粗雑な棍棒を携えていた。
しかし、造りの荒い棍棒と言えど、ここは『黒の魔境』。
良質な魔力を吸収した樹によって作られた棍棒は、鋼鉄の強度を軽く上回る。
さらに武器によるリーチの伸びと攻撃手段の多様化は、戦う相手を大いに苦しめる事だろう。
ただ、遠距離攻撃の手段を持つシリウスには分が悪かった。
先制して放たれた影の槍に、豚鬼将軍の両足が貫かれる。
無論、それだけでは豚鬼将軍を仕留めることはできない。
怒りの形相で駆け出す豚鬼将軍だが、脚を負傷しているために速度が出ず、振るわれた棍棒はあっさりとシリウスに躱され、再度影の槍の攻撃を受ける。
次に攻撃を受けたのは腹部。
しかし、分厚い脂肪の前には些細な傷でしかない。
それでもシリウスは攻撃を続ける。
脚、腹、腕、手首……豚鬼将軍の身体を次々と影の槍が穴を開けるが、どれも致命傷にはほど遠い。
対して豚鬼将軍は、受けた傷の深さに反して、次第にその顔を切迫感の募ったものに変えていく。
彼は攻撃の意図が分ってしまったのだ。
そう、シリウスがしているのは、まさに血抜きだった。
致命傷とまではいかない傷を負わせた上で、豚鬼将軍に身体を動かせることによって出血を促す。
動物ならば確実に肉の質が落ちるであろうその下処理も、魔物ならば話は別だ。
確かに、死の淵に立たされた魔物は魔力を消費し、再生力・運動能力を高めようとするため、多少味が落ちる。
だが、魔力が抜けて柔らかくなった肉は――特に豚鬼将軍の肉は、筋肉と脂身が絶妙な比率となり、極上の味わいを舌の上で奏でるのだ。
シリウスは美食家で、そしてどこまでも残酷だった。
徐々に豚鬼将軍の動きは精彩を欠いていき、苦し紛れに投擲した棍棒も勢いが乗らず、容易くシリウスに躱される。
全身を血塗れにした豚鬼将軍は、その顔を絶望に歪め、最期は俯せに倒れた。
豚鬼将軍をシオンが回収したところでノアールが戻る。
しかし、ノアールは獲物を見つけられなかったようで、その手には何も持っていない。
頭を下げるノアールだが、その異常性にはシオンも気付いていた。
索敵が苦手なノアールでも、特定の魔物に限定して狙わなければ、深度2以上の深さでは簡単に魔物を見つけられるはず。
そのノアールが獲物を狩らずに戻ってきた。
シオンたちが町を出て二時間が経過した。
彼女たちこれまでに狩った魔物は、今の大鬼と豚鬼将軍のみ。
これが意味する事は――
甲高い音が『黒の魔境』の空に幾つも響く。
それは"大討伐"の開始直前に説明された、異常事態を知らせる鏑矢の音だ。
『黒の魔境』に散らばっていた冒険者たちがその音を聞き、魔物との戦闘の最中であった者以外、誰しもが空を見上げた。
その時は、誰一人として予想しなかっただろう。
この鏑矢が、血と肉と、無数の屍の山を築き上げる、戦の始まりを告げていたとは――




