宵闇に消ゆ
クライマックス前の箸休め的な話です
◆◆◆
広場に集まっていた観客は散り散りになり、ヴァーノルドとノアールの戦いに触発された何人かの冒険者が、武器の素振りや訓練を行っている。
「どうだった、ギルマス?」
模擬試合を終えたヴァーノルドは、兜や籠手を外し、ベンチに腰掛けて楽な姿勢を取っている。
そこに声を掛けたのは、ライカンスロープ――いわゆる二足歩行をする狼の姿をした、獣人の男、ガルだった。
「どうも何も話しにならんわ、実力が離れ過ぎとる」
「まあ、そうだよな」
渋い表情になるガルとヴァーノルド。
ヴァーノルドは頭に巻いていたタオルを解くと、顔にびっしりとこびり付いた汗を拭った。
二人の会話にルークとアランも加わる。
「あのノアールって人、メッチャ強いですね! あれなら神煌金級も目の前じゃないッスか?」
「俺もそう思う」
立ち会った二人はノアールの実力を評価するが、ガルとヴァーノルドの顔は晴れない。
それどころか、両者の顔は険しさを増してく。
「どうかしたんスか?」
二人の反応に疑問を感じたルークが問い掛ける。
ガルがどう言ったものかと考えていると、ヴァーノルドが口を開いた。
「あのノアールが魔物の素材を持ち込んだんじゃよ」
「魔物の素材? 冒険者ですから不思議な事じゃないでしょう?」
「そこらの雑魚いのなら、のぅ。そうじゃったら儂も悩んでおらんかった」
ヴァーノルドはため息を吐くと、その顔を一層険しくする。
そして、一つの単語を口にした。
「――燼滅級」
「ッ!!!」
「それはッ!!」
ルークがその顔を驚愕に染め、寡黙なアランですら声を上げる。
不思議に思った広場の冒険者が四人を見るが、すぐに各自の訓練へと戻った。
「まさか、倒したんッスか!?」
声を抑えつつ、ルークがヴァーノルドに問う。
アランも視線で答えを促す。
「そこまでは分んねぇが、少なくとも深淵級の上位相等、もしかすると燼滅級かも知れねぇってとこだ」
今度はヴァーノルドの代わりにガルが答える。
燼滅級に相当する魔物が討伐された例は、過去14件該当するものがある。
その内の7件が魔王によるもの。
確認は取れていないが、他に3件を加えた計10件が魔王による討伐ではないかと、まことしやかに囁かれていた。
「どちらにしろ、それだけの実力は持っとる」
ヴァーノルドはノアールの身元について、組合本部に照会していた。
各国に支部を置く冒険者組合には、魔物や力を持った人物の情報が自然と集まる。
結果、ノアールに該当する情報は得られなかったのだ。
「ノアールの正体が魔王の可能性もあるって事ッスか」
「あくまでも、可能性の話しじゃ」
四人の間には重苦しい空気が漂っていた。
その頃ノアールは、四人から疑惑を向けられているとはいざ知らず、素知らぬ顔で組合の受付嬢から聖霊銀級の冒険者証を受け取っていた。
◆◆◆
ウォーデスの町の冒険者は気さくで心優しい者が多い。
魔境に隣接する町ということもあって、素行の悪い者が多いとよく誤解されるが、その実態は真逆だ。
確かに、絶好の狩り場が近くにあるため、冒険者の数は多い。
そして、冒険者の数が多ければ、必然的に町の店舗を利用する機会も多くなる。
ウォーデスの町では、冒険者の利用の多い飲食店や武器屋、薬屋といった店舗が組合の協賛店となっていた。
例えば、最下級の冒険者なら出店の商品が一割引であったり、武具の購入に組合が仲立ちすることで付け払いが可能だったりと支援が手厚い。
そして組合側からは、飲食店や薬屋に卸すオークの肉や薬草の値を安くする。
双方にとって利益のある関係性が築けていた。
駆け出しの頃から世話になってきた冒険者は町やそこに住む人々に対して恩義があり、町の人々は冒険者に対して愛着を感じる。
持ちつ持たれつの関係だった。
しかし残念なことに、どの世界にも一定数、悪人というものが存在する。
彼ら二人は、一方は剣士として、もう一方は魔術師として、銀級冒険者に登録されて。
二人はそれぞれ、『黒の魔境』の外にある村の農家出身だ。
農家の仕事は畑を耕し、家畜を育てること。
朝、日が昇る前に起床し、土に触れ、家畜たちに揉まれ、日が暮れると同時に仕事を切り上げると、明日の日の出まで泥のように眠る。
充実しだ仕事だろう。
しかし、面白味に欠ける仕事だと二人は考えていた。
剣士は農家の三男、魔術師は農家の五男であって、家を継ぐことができない。
ならばと思い成人前に家を出て、身分を問わず、誰にでも出世できる可能性のある冒険者の道を歩み始めた。
結果は散々なものだった。
冒険者を甘く見すぎていたのだ。
駆け出しの頃は満足に薬草を採る事もできず、ゴブリンを狩るのもやっと。
銀級に昇格した今でこそ、オーク程度の魔物は狩ることができるが、それ以上となるとかなり厳しい。
銀級とは八階級ある冒険者階級の中でも下から三番目に位置する。
そして、冒険者のボリュームゾーンが銀級だ。
人の領域を出られない者。
それが銀級。
獣人族ほど筋力はなく、森妖精族ほど魔法に長けていない人族は、種族的にはとても弱い。
中には、経験や知識といったものを武器に金級へ登り詰める冒険者もいるが、多くは才能の壁を越えることができずに銀級で終わる。
この二人の例がまさにそれだった。
冒険者は命の危険と常に隣り合わせな職ではあるが、その生活はけして豊かなものではない。
武具の整備、魔法薬の代金は、削れば生死に直結する。
携行食は保存が利く分、普通の食事に比べて手間が掛かるため、それも値が張るものばかり。
依頼によっては専用の道具を買い揃える必要があったりと、活動には何かしら費用がかさむ。
そういったものを差し引けば、銀級冒険者の稼ぐ賃金など一般的な職種よりも少し多い程度だった。
よって、銀級冒険者に昇格し、超えられるはずのない壁に直面した二人が出会い、悪の道へと堕ちていったのは必然だったのだろう。
魔術師が一つの魔法を使う。
高度な魔法を扱うことのできない彼だったが、風魔法の適性は中々に高かった。
とは言っても、威力が高い魔法を行使するほど、魔力量に余裕はない。
発動させたのは周囲の音を抑える魔法だ。
魔物に不意打ちを成功しやすくしたり、追われる際に痕跡を消すのを助けるだけの下級魔法。
それでも使い方次第では、とても有用な魔法になる。
もう一人、剣士の方が慣れた手つきで解錠を試みる。
この様に、彼ら二人は深夜になると、たびたび宿や民家に忍び込み、金や小物を盗んでいく。
きっかけは想定外の出費の埋め合わせだった。
偶然、戦災級の魔物と遭遇した際に防具を壊され、その修理のために金を借りる必要があった時。
二人はその出費を盗みで埋め合わせようとした。
結果、上手くいってしまった。
そしていつしか、引き返せなくなっていった。
実行するのは怪しまれる可能性が低い宿が中心。
盗む金は少額、足の付く可能性のある高価な物は避ける。
回数も月に数度と徹底する。
それだけで暮らしは随分と楽になった。
町で窃盗が騒ぎになったことはなく、被害者は盗みに入られた事すら気付いていない様子だった。
これには二人も笑いが止まらなかった。
彼らはこれからも盗みを続けるつもりだった。
――だが、彼らに"明日"は訪れない
扉の解錠が完了する。
ピッキングによる騒音とロックが外れる音は風魔法によって消されるため、宿の廊下は静かなままだった。
魔術師が魔法を掛け直すために、先に部屋へと踏み入れる。
続いて剣士も部屋へと侵入するが、魔術師が後ろへともたれ掛かってきた。
一瞬、何かの悪ふざけかと思い、魔術師を傍らに除けたところで、剣士は異変にはたと気付く。
魔術師の首がなかった。
突然の出来事に冷や水を浴びせられた剣士は、慌てて室内を見渡した。
そして、直後に彼が見た光景は自分の後ろ姿。
股の間に広がっている光景は、床一面を埋め尽くす赤黒い影と、その上に転がる相棒の頭部。
最後に、採光用の窓から白い月明かりに照らされる、赤い狼の姿――
盗人が絶命したことを確認すると、シリウスは自身の影を伸ばし、そこへ二人を引きずり込む。
底無し沼に沈み込むかのようにして、成人男性二人分の遺体は消え去った。
チリ一つ見当たらない、木張りの床。
宿の従業員による清掃が行き届いている証拠だ。
もちろん、血痕などは一滴も見当たらない。
シリウスは影を器用に使い、再び部屋の鍵を掛け直すと、シオンの眠るベッドの隣――シオンがシリウスのためにと購入した敷物の上に、その身をうずめた。
その日は実に静かな夜だった
~冒険者階級~
人間種は魔物と比較して圧倒的に脆弱な存在である。
金級冒険者は、凡人が努力の果てにたどり着ける限界であり、そのレベルの冒険者であっても、精々が戦災級の魔物と五角レベル。
それでも正面から戦えば、魔物の方が圧倒的に身体能力が高いため、罠にかけるなどの策戦を立てて討伐する。
戦災級の魔物に真正面から立ち向かうことのできる白金級以上の冒険者は、一般人からすれば文字通りの英雄。
逆に神煌金級は恐怖の対象。
十分な装備さえあれば燼滅級の魔物を倒せるというのは、言い換えれば一人で国を滅ぼせると同義。
彼らには例え国家であろうとも、迂闊に手出しできない。