真意
惨毒大蜂の女王個体――惨毒女王大蜂とも呼ぶべき魔物が、シオン達に向かって襲いかかる。
(速っ!)
惨毒女王大蜂は、その巨体に見合わぬ素早い動きで空中を飛行し、シオン目掛けて顎を使った噛み付きを仕掛けてくる。
想定外の速度に初動が遅れたが、十分な距離をもって攻撃を回避したシオンは、お返しとばかりに惨毒女王大蜂へと『氷矢』の魔法を放つ。
しかし、魔法が惨毒女王大蜂に直撃するかに思われた瞬間、見えない壁の様なものに阻まれる形で氷矢は砕け散った。
その正体は、風の第五階位魔法である『颶風障壁』。
惨毒女王大蜂の周囲を鋭い鎌鼬が吹き荒ているのが、砕け散った氷矢の破片が散らばる様子からも分かる。
だが、風系統の防御魔法は質量を持つ攻撃に弱い。
シオンの氷矢は距離が離れていたため颶風障壁に防がれたが、もしあれが擦れ違い様に放たれていれば、風の渦を貫通していたことだろう。
一連の攻防で近接戦闘は不利だと判断した惨毒女王大蜂は、遠距離戦闘へと切り替える。
自らは地上から高い位置で滞空したまま、烈風刃の魔法を繰り出す。
迫り来る不可視の斬撃に対し、シオンが魔法での迎撃を図る。
「!」
「ノア?」
それを制止し、ノアールがシオンの前へと一歩踏み出だした。
ノアールは鎌鼬の軌道を見切り、両手で握りしめた魔剣を一閃する。
激しい颶風が吹き荒れ、周辺の木々が斬り刻まれるが、ノアールは見事、女王からの攻撃を掻き消した。
反撃に、ノアールは魔剣を大上段から振りかぶり、剣気を惨毒女王大蜂へと向けて放った。
援護のために、シオンも氷矢を放つ。
それでもやはり、二人の攻撃は女王が纏う風の結界の前に弾かれる結果となる。
(流石は女王。下っ端みたく、簡単にはやられてくれないか)
次々と烈風刃を飛ばしてくる惨毒女王大蜂を見て、シオン達三人は散開する。
直後、その場を鎌鼬が斬り刻んだ。
ノアールは斬撃を、シオンは氷矢を放ちながら、惨毒女王大蜂の反応を見る。
風の結界に隙は無い。
シリウスの影も結界を貫通するには至らないようだ。
惨毒女王大蜂が烈風刃に自身の毒液を混ぜて飛ばす。
シオンはその攻撃を危なげなく回避するが、鎌鼬に斬り付けられた大木はたちまち葉が枯れ始め、最終的には幹全体が腐敗し、音を立てて大地に倒れ込んだ。
見る限り、毒の威力も一般的な惨毒大蜂の数段上らしい。
魔導人形であるノアールに毒が効かないが、生身であるシオンやシリウスがアレを食らえばひとたまりもないだろう。
(さっさと終わらせよう)
シオンは氷矢を撃つ手を止め、別の魔法を準備する。
その行動に気付いたノアールとシリウスが、進んで惨毒女王大蜂の注意を惹き付ける。
毒の効かないノアールが前に立って鎌鼬を斬り裂き、背後のシリウスが闇魔法で構成した黒い矢を無数に降らせる。
もちろん、魔法は風の結界に阻まれるが、二人の思惑通り、女王はシリウスを標的に据えて攻撃を始めた。
「『霹靂神』」
白魚のようなシオンの人差し指が、真っ直ぐと惨毒女王大蜂を指し示す。
その先から青白い雷光が迸り、一条の稲妻が放たれる。
惨毒女王大蜂がシオンから注意を逸らした一瞬、風の結界を突き破り、左側の二枚の翅をシオンの放った霹靂神が貫いた。
魔法の発動媒体である翅が傷付いたことにより、風の結界が霧散する。
バランスが崩れた所にノアールの斬撃が飛来するが、惨毒女王大蜂は残った片側の翅を使い、どうにかしてそれを回避する。
だが、抵抗はそこまでだった。
影魔法により、一瞬のうちに惨毒女王大蜂の背後を取ったシリウスが、その首を影の刃で斬り飛ばした。
地上へと落ちる惨毒女王大蜂。
首を落とされた状態にも関わらず、その頭部は如何にも蟲らしい生命力で尚も動き続けている。
胴体の方は痙攣を起こし、まともに動けない様子だが、頭部は顎をしきりに打ち鳴らして未だシオン達に対する敵意を露わにしている。
それでも、シオンが止めとして氷矢を放つと、ようやく絶命した。
惨毒女王大蜂の巨大な死骸を『収納』に回収し、地面に散らばる大量の惨毒大蜂の働きバチも回収していく。
中には傷が浅かったために息を吹き返す個体も居たが、シオン達の前には最期の抵抗も無意味に終わった。
死骸の回収が終われば、いよいよ依頼の目的である眩耀蜂蜜の採集だ。
女王の這い出てきた穴から巣の内部を覗くと、大量の白い蜂の子が、仕切られた区画の中で身を蠢かせていた。
蜂の子の一部はサナギとなり、今にも羽化しそうな個体も見られる。
「うわぁ……キモッ」
「!」
その光景にシオンが引いていると、巣の内部に入ったノアールとシリウスが蜂の子と蛹達を仕留めていった。
下手をすると眩耀蜂蜜が汚れてしまうため、蜂の子は体液が飛び散らないよう、注意をしながら討伐する。
一応、これらも珍味として取引されるので回収するが、シオンは子犬サイズをした惨毒大蜂の蜂の子を食べたいとは思わなかった。
最後の一匹を倒し終わったノアールが、蜂の子を育成している区画の壁を破壊する。
すると飛び込んできたのは、輝かんばかりの黄金の海。
念願の眩耀蜂蜜である。
試しにシオンが指で掬い取って口に含むと、濃厚で、然れど上品な甘さが舌の上に広がり、爽やかな香りが鼻孔を駆け抜けていった。
通常の方法では忌避剤の煙に巻き込まれ、眩耀蜂蜜の鮮度は著しく低下する。
しかし今回、シオン達は煙を使わず、全ての惨毒大蜂を倒しきったので、眩耀蜂蜜の質や鮮度は最高のものと言えた。
久し振りの甘味に、思わず顔が蕩けるシオン。
その様子をノアールが嬉しそうに見る。
「ひょっとして、この為に依頼を選んだの?」
「!」
なぜ、ノアールが『眩耀蜂蜜の納品』などという高難度の依頼を選択したのかシオンには理解できなかったが、どうやらノアールはシオンに眩耀蜂蜜を食べて貰いたい一心でこの依頼を選択した様子だった。
本来ならば、ノアールは自分一人で眩耀蜂蜜を確保し、シオンに渡す予定であったが、肝心の惨毒大蜂が幾ら探しても見つからなかった。
そのため、森の中で彼女達に出会った当初、ノアールは落ち込んでいたのだ。
そこまでしてノアールが眩耀蜂蜜を求めたのは、偏に、ノアールがウォーデスの町までの道のりで、シオンが甘いものが食べたいと言っていたことを覚えていたからであった。
「ありがとね、ノア」
「!」
「シリウスも、最後のトドメ、格好よかったよ」
『勿体ないお言葉です』
シオンが二人に感謝を告げた後、本来の目的である眩耀蜂蜜を回収する。
蜜を入れるのは、ポーションの保管にも使われる素焼きの小瓶だ。
ノアールはこれを事前に雑貨屋で購入しているため、回収に手間取ることは無い。
眩耀蜂蜜に小瓶を浸し、充填された事を確認して栓をする。
納品する本数は特に書かれていなかったため、取り敢えず五本分の眩耀蜂蜜を小瓶に詰めた。
残りの眩耀蜂蜜は巣ごと回収だ。
巣が浸食している樹をノアールが切り倒し、地面に落ちる前にシオンが『収納』を展開して回収する。
後は小瓶を冒険者組合に納品すれば依頼は達成だ。
「お疲れ様。それじゃあ、帰ろうか」
「!」
『はい』
シオン達は惨毒大蜂の巣のあった場所を後にし、ウォーデスのある方向へと歩き出した。