59 アレンのターンです
「ねぇエミリア。農地の見学にいきましょう」
今日はアレンとのデートの日、のはずだがアレンは予定よりも早く屋敷に訪れた。まだ身支度も完全には整えていないから少し待って、といったものの、「今日はおめかしはいりませんよ」と意味深げに唇に人差し指を当ててそのまま私を外へと連れ出した。別に外に出られる格好ではあるものの、ロゼとはまた違う意味でデートにはあまりそぐわない格好である。ごく普通の動きやすい真っ白なキャミソールのようなワンピース1枚だからだ。
「農地?」
「はい、お米農家ですよ」
アレンはにっこりと微笑んだ。お米農家に連れて行ってもらえるとは思っていなかったため驚いたが、正直嬉しい。お兄様やロゼの時も思ったが、皆ピンポイントで私の行きたいところを選んでくれる。デートなんて、と思っていた私がデートの日を楽しみにしつつあったのはこのサプライズ性のせいだ。
「嬉しい…!!ありがとうアレン!」
「いえいえ、僕達の将来のための下見ですから」
将来のため?なんのことかわからずアレンを見ると、アレンはにこにこと何事も無かったかのように窓の外を眺めていた。なんかよくわからないけれど、アレンは将来農家になることも視野に入れているのだろうか…と思ったけれど、王族としての農民の生活の視察のようなもののついでなのだろう。まあとりあえず、アレンの方もどこか機嫌良さそうだし私も念願のお米の故郷に行けて嬉しいので深く考えないで、一緒に窓の外を眺めることにした。ちなみに言うと、私は今何故か手を繋がれている。繋がなくとも逃げないのにね。
「ねえエミリア。エミリアはどうしてお米が好きなのですか?」
「どうして?だってお米だよ?何にでも合って素材本来の味も甘くて柔らかくて暖かくて落ち着くでしょ?白いご飯に梅干しを添えてもよし、はたまたカレーみたいなものにも合うし、」
私の力説をアレンは笑顔を浮かべたままずっと聞いている。もしかしてアレンも興味持ったの!?と尋ねたら、笑顔で首を横に振られた。なんだ。どうしてお米の良さはなかなか伝わらないのだろう。お米はみんな知ってはいるもののやはりパン食や麺類が王道なのだ。元日本人からしてみると非情に遺憾である。まあ確かに、アレンがお米おいしいです!とお米をおかずにお米を食べているところは想像がつかない。アレンはやっぱりパンが似合うね。
「そうですね、僕は特にバケットが好きですよ」
「はっ声に出していた!?」
「いえ、出てませんよ。安心してください、エミリア」
「そっか、なら安心…しないよ!むしろそのほうがなんか怖いよ!」
私のツッコミにアレンはくすくすと心底楽しそうに笑う。腑には落ちないけれどあきらめる。正直アレンには勝てる気がしない。なんとなく。
「僕だってエミリアには勝てる気がしないのですよ?」
「だから心を読まないで!!」
「表情に気持ちが出やすい人は大変扱いやすい…いえ、好ましいと思います」
全く隠す気がないようだ。にっこりと貶された。ミシェルであれば食って掛かったところだけど、やっぱりアレンには食って掛かっても意味がないような気がする。せめて乗ってやるかとばかりに頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めた。緩やかに変わっていく景色はとても興味深くて、それでいて落ち着く。かすかな振動や手のぬくもりがなんともいえない眠気を醸し出して
「……エミリア、エミリア」
「はっ」
「おはようございます、エミリア」
「お、おはよう?ここはどこ?わたしは誰?」
「エミリア=セレドニアですよ、エミリア」
「勝手に苗字変えないでよ」
どうやら目的地に着いたらしい。朝早くに出たおかげでまだ東にあったはずの太陽は真上から降り注いでいる。アレンはといえば眠ってしまって寂しかったのですよ、といいながらこらえきれないようにくすくすと笑いを漏らしていた。…それにしてもエミリア=セレドニアって語呂が悪いね。ミシェルかアレンと結婚するとこうなるのか。…正直嫌だ。
「名前なんて慣れですよ。さあ、行きましょうか、僕のお姫様」
そういって車の外から手を差し伸べられる。この風景だけみると舞踏会へ王子様にエスコートされるお姫様のように見えなくもない。行先はお米農家なんですけど。手を引かれたままきらきらとまぶしい笑みを浮かべたアレンについて農地へ出向く。一面田んぼで、なんとなく懐かしさを感じさせる風景。差し込む光にセミの声に稲の匂い。日本の夏、という感じがして、思わず立ち止まった。
「…エミリア?」
「……えぁ…わ…ここ…」
お父さんとお母さんを思い出す。二人は共働きながらも精いっぱい私を育ててくれた。豪快なお母さんと、寡黙なお父さん。お母さんの口癖は「女だからって舐められちゃいけないよ」だった。私は今でもその言葉を守り切れているのだろうか。
お兄ちゃんは私の事を呆れつつも窘めて、「仕方ないなあ」と付き合ってくれるいいお兄ちゃんだった。でも私はそんなお兄ちゃんについぞ素直にお礼を言うことは出来なかった。今なら言えるんだ。いつもありがとう、大好きだって。
そして毎年時期になるたびに新米を送ってくれる優しいおばあちゃん。おばあちゃんに会いにいくといつもおいしいごはんにお手製の梅干しをつけて私に出してくれた。みんなで食べるそのシンプルなご飯がおいしくておいしくて、…だから私はお米が好きになったんだ。
語彙力を失くしたどころか懐かしくて嬉しいやら家族を思い出して寂しいやらで涙ぐむ私に、アレンはしばらくの間何も言わずにずっと近くに寄り添ってくれていた。
「…急に泣き出しちゃってごめん、ありがとう」
「…僕は、今も昔もエミリアに振り回されっぱなしなのですから。今更このくらい全く問題ありませんよ」
「…大げさだよ、ふふ」
こんな時も冗談を言ってくるアレンの心遣いがしみてくる。何故泣いたのか、とかそういうことを聞かないでいてくれることにもう一度ありがとう、とつぶやいたけれど、そのころには農家のおばあさんにきらきらと輝く笑顔で声をかけはじめていて、聞いていない様子だった。なんとなくアレンらしい。
「すみません」
「あん?…おんやまぁ、これまたえらい別嬪さんだねえ、どっかのお姫さんかい?」
「ふふ、照れますね」
アレンを女だと勘違いしたおばあさんにも笑顔でさらっと返すアレン。…いや、性別否定しなよ。おばあさんは勘違いしたまま、アレンと会話を継続していた。
「そっちのお嬢さんはお友達かい?別嬪さんが二人してこんな辺鄙なところへどうしたんだい?」
「僕たち二人は街の娘なのですが、農業の勉強をしていまして、本物の農家の見学をしたくてここまでやってきたのです。是非体験させていただきたくて」
「ほー!若いのにえらいねえ」
誰もが見惚れる愛らしい天使のごとき微笑みでさらりと嘘をつくアレン。あまりに自然すぎて私ですらも恐怖を感じる。腹黒アレンはこの程度の嘘は朝飯前らしい。正直引いた。うわー、という気持ちを込めて天使スマイルを見ていると、ぎゅむううう、と握っている手の力が強くなった。はいごめんなさい。
「そいならお米のお世話を手伝って欲しいところなんだけどねえ。虫をもぎ取る作業だからねえ…お嬢さんたちには難しいかもねえ」
「虫ですか?大丈夫で」
むぎゅううううう。私が答えようとしたタイミングで何故かさらに強く握られた。少し痛いくらいだ。痛いよと訴えようとアレンの方を向くと、天使の笑顔が凍りついている。…さてはアレン、虫が嫌いだな。確かに見た目は薄幸の美少年だからわからなくもないけど、性格は腹黒だしむしろ笑顔で虫をぽいっと投げ捨てそうなイメージがあった。…アレンの赤い瞳が私に「なにか文句でもありますか」と訴えている。…イエ、ナンデモアリマセン。
そうして代わりにと案内された野菜の畑。そちらで鍬を握ってみるも、これが思いの外難しい。アレンはと言うと思うように動かない鍬に四苦八苦している私をみてくすくすと笑って高みの見物をしている。…む、アレンも手伝ってよ。
「どうせ体験するだけなのですから、そこまで全力でやらなくとも良いのですよ?」
「それは、やだっ、やるならちゃんとしたい!」
「それでしたらエミリア、こちらの腕の意識をすることが大切ですよ」
「えっわっむり、んわー!!」
アレンに後ろから直接コツを教えられるも、ただでさえバランスが危うかったものが更に崩れ、足を滑らせて柔らかい土の上にアレンを巻き込んで倒れ込んだ。受け身の技術を咄嗟に駆使してアレンに乗っかることは回避したものの、アレンの方もそのまま防ぎきれず倒れてしまったようだ。2人してゴロンと横になった妙な状況に、なんだか笑えてくる。
「はー、土柔らかいねえ」
「こんなに汚してどうするのです?お母様に怒られますよ」
「アレンのせいですっていうからいいもん」
「うーん、それは困るのでもう帰りましょうか」
「えー、もう少しいようよ」
青い空を見上げながらそんな会話を交わしていると、隣のアレンがふっと笑う気配がする。隣を見ると、いつもの天使スマイルではなく目を細めただけの自然で優しい横顔が見えた。私がじっと見つめていると、アレンはそれに気づいたのかごろりと寝返りを打つ。そして暫くじっと赤い瞳を見つめていると、アレンが口を開いた。
「貴女を守りたい、支えたい、そう思っていました」
「?」
「でも、いまの貴女は強い。…僕なんかでは頼りがいがないにも程がある」
「アレン?」
「だからこそ…僕はどうすべきだと思いますか?」
どう答えればいいのだろう。そもそもどういう意図だろう。疑問符をうかべる私の頭をくしゃりと撫でたあと、アレンは何事も無かったように立ち上がった。どうやらさっきの言葉に返答を求めるつもりはなかったようでやけにあっさりとしている。そしていつもの天使スマイルで「さあ、作業の続きをしましょう」と笑いかけてくるのだ。そういわれてしまったら頷かざるをえない。
結局日が暮れるまで2人で畑を耕して、お礼に野菜をおすそ分けしてもらったあと帰路に着いたのだった。
車内にて
「…すぅ…すぅ…」
「………眠ってしまいましたか。…本当に、無防備ですね」
「…んう…」
「強くなったと同時に、警戒心をなくしてしまったのでしょうか。…本当に、どうしようもない人ですね、貴女は。僕になにかされても文句は言えませんよ?」
「ん…ミシェ…ミシェル…」
「………」
「それ…蛙だよ…お腹壊す…」
「どんな夢を見ているんですか…」
また三日後更新予定です。




