第10話 白紙の地図
ガタゴトと、車輪が石畳を噛む音が響く。
窓の外を流れる景色は、見慣れた王都の煉瓦造りの街並みから、緑豊かな平原へと変わっていた。
私は揺れる馬車の中で、膝の上の『行動記録手帳』を開いた。
万年筆のインクを補充し、今日の日付を書き込む。
『七月一五日。晴天。北の辺境、未解析魔導遺跡へ向けて移動中』
ペンの滑りは軽やかだ。
私はふと、手帳のページをパラパラと捲った。
かつて、そこにはびっしりと「予言」が書かれていた。
「断罪イベント」「婚約破棄」「国外追放」。
ゲームのシナリオという名の、呪いの言葉たち。
けれど今、その先のページには何も書かれていない。
真っ白だ。
インクの染み一つない、清浄な紙面が広がっている。
「……眩しいですね」
私は独り言ちた。
その白さは、不安ではなく、無限の可能性として私の目に映っていた。
◇
あの「断罪劇」の後、事態は急速に収束した。
王太子ジュリアン様は、王位継承権を無期限凍結された。
現在は王都から遠く離れた離宮に軟禁され、一から帝王学と歴史を叩き直されているという。
「王とは、感情ではなく責任で動くものだ」
父の言葉が届いたのか、あるいは失って初めて気づいたのか。彼がいつか本当の王になれるかは、彼自身の変数(努力)次第だろう。
そして、リナ・ベルモンド嬢。
彼女は、厳重な警備のついた修道院へ送られた。
罪状は、禁忌魔法の使用と、王族への不敬。本来なら極刑でもおかしくないが、精神の均衡を崩していることと、まだ未成年であることが考慮された。
彼女は最後まで「シナリオが間違っている」「バグだ」と独房で呟いていたらしい。
彼女がいつか「ゲーム」という色眼鏡を外し、現実の世界を直視できる日が来ることを、私は静かに願っている。
そして、私、アリア・ローズブレイドは。
『アリアよ。その明晰な頭脳と、危機管理能力。王家に埋もれさせるには惜しい』
国王陛下直々の勅命により、王宮魔導研究所の「特別研究員」に任命された。
婚約は円満に白紙撤回。
「傷物の令嬢」どころか、「国を救った才媛」として、私の評価は以前よりも高まってしまった。
父は「嫁の貰い手がなくなるぞ」と渋い顔をしていたけれど、口元が緩んでいたのを私は見逃していない。
それに。
貰い手なら、もうここにいる。
「……ん、ぁ……第三項の係数は……マイナス……」
向かいの座席で、無防備に眠っている青年。
エリアス・ノークス。
私のパートナーであり、今回の遺跡調査隊のリーダーだ。
彼はあの夜の礼服を脱ぎ捨て、いつもの着古したシャツと、薄汚れた白衣姿に戻っている。
膝の上には、読みかけの論文と、半分かじったサンドイッチ。
相変わらずだ。
でも、その寝顔は穏やかで、私の前だけで見せる隙だらけの表情だった。
私は微笑み、窓から吹き込む風で乱れた彼の前髪を、指先でそっと直した。
「起きてください、エリアス。もうすぐ国境の魔導ゲートです」
「……んん? ……あと五分」
「非合理的です。貴方の魔力波形で認証を通さなければ、結界が開きません」
「……君の声は、目覚ましにしては心地よすぎるんだよ」
彼は半分閉じた目で文句を言いながら、眼鏡をかけ直した。
そして、大きなあくびと共に身を起こす。
「まったく。なんで俺が隊長なんだ。面倒くさい。君がやればいいのに」
「私は補佐官です。計算式(理論)を立てるのは貴方の役目、それを運用(実践)するのは私の役目でしょう?」
「……口が減らない助手だ」
彼はぶっきらぼうに言ったが、その手は自然と私の手帳へ伸びてきた。
「見せてみろ。……また白紙か」
「はい。未来のことは、何も書かれていません」
「当然だ」
エリアスは私の手帳を取り上げ、その白いページを指で弾いた。
「未来 $y$ は未確定だ。入力因子 $x$ は、今この瞬間に俺たちが決定する。……誰かの書いた安い脚本なんて、最初から必要なかったんだ」
彼は私の手から万年筆を抜き取った。
そして、白紙のページにサラサラと何かを書き込む。
『目的地:未定。ただし、二人で解明する』
悪筆だ。
でも、どんな美しい詩よりも、私の胸を打つ論理的な「約束」だった。
「……目的地未定、ですか? 計画性がありませんね」
「遺跡の調査が終わったら、次は南の海流変動を見に行く。その次は東の鉱山だ。世界は広い。俺たちの知らない論理で溢れている」
彼はニヤリと笑い、私に手帳を返した。
「付き合ってもらうぞ、アリア。君の計算速度がないと、俺の研究――人生という実験は完成しない」
「ええ。望むところです、教授」
私は手帳を受け取り、大切に胸に抱いた。
窓の外には、広大な荒野が広がっている。
ゲームには登場しなかったマップ。
開発者が設定しなかった、データのない土地。
でも、今の私には見える。
風のそよぎ、雲の流れ、地面の凹凸。すべてが鮮明な「現実」として。
「さあ、行きましょう、エリアス」
馬車が大きく揺れ、国境のゲートをくぐる。
光が差し込む。
私は知識に依存することをやめた。
ここから先は、自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の足で歩く。
それが、私が選んだ「自分の人生」だ。
手帳の白紙のページに、私は新しいタイトルを書き込んだ。
『第一章 私たちだけの冒険』
私の物語は、ここから本当の意味で始まるのだ。
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