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第八章:論理の逆流と第三の捕食者

I.二重演算の代償とA01の介入


ルーカスは額にべっとりと冷たい脂汗を滲ませながらも、喉の奥から絞り出すような短い吐息を漏らした。

指先は過熱したコンソールの熱で赤く腫れ上がり、手首の刺青『U-001』は、許容量を超えた二重演算の負荷によって皮膚を内側から焼くような激痛を放っている。


だが、勝った。


経済省の傲慢な猟犬――ヴィクトルの喉元に、その莫大な公的資金をデモ区域の防壁エネルギーへと強制接続する「寄生コード」を食い込ませ、その資金の3割を消滅ブラックアウトさせてやったのだ。

国家の血肉を啜るハゲタカの翼を、一時的にせよ完全にへし折ったという確かな勝利の感触が、彼の乾いた心臓を微かに拍動させていた。


「ハゲタカのサイフを焦がした気分はどうだい、ヴィクトル……」


酷薄な勝利の笑みが、ルーカスの青白い唇の端に刻まれかけた――


バツン、と乾いた遮断音が室内に響き、すべての照明が前触れもなく死んだ。


マナ霞に閉ざされた帝都の鈍色にびいろの闇が室内に滑り込むと同時に、正面のメインコンソールが、血の気の引くような純白の光を放って再起動する。

中央に浮かび上がったのは、帝国中枢AI『A01』の、幾何学的で冷酷な紋章ロゴだった。


ディスプレイの奥で、数億条の冷たい論理回路が、まるで生き物のように蠢き始める。

ルーカスとヴィクトル、帝国の誇る二大演算者が脳髄のチップを焼き切りながら繰り広げた、あの極限のハッキング合戦。

その二つの巨大な論理の激突によって生じた、時空の隙間のような『データ構造の微小な歪み』を、この帝国の絶対的監視者は、発生からわずか0.0003秒で完全に捕捉スキャンしていたのだ。


端末のスピーカーから、一切の抑揚を排した、しかし鼓膜を直接圧迫するような重低音のシステム音声が鳴り響く。


『――検知。アステア侯爵個体、およびノワール侯爵個体による、相互論理侵食。双方の演算構造に、情動に起因するカオスエネルギーの変化量を加算。……国家最適化アルゴリズム、フェーズ4へ移行』


青白い演算光の奔流が、ルーカスの琥珀色の網膜を容赦なく灼いた。

画面に高速展開されるのは、彼自身の想定を遥かに超えた、A01による『資源配分の自動書き換え(リコンパイル)』のログだった。



【A01演算ログ:国家基盤の再受理】

対象領域:C402コミュニティにおける暴動および経済停滞

最適化判定:該当地域における情動的カオスは、現行の経済省による「略奪ハゲタカ」よりも、軍事省の「対異世界戦略」におけるマナ兵器研究開発へのリソース転用において、最大効率の国家利益リターンを生むと試算。



執行エンファシス


システム音声の非情な宣告と共に、ルーカスの目の前で、帝国の利権構造パイが文字通り「解剖」され、再統合されていく。


経済省がルーカスのカウンターによって手放さざるを得なくなった資源採掘権の一部。

そして、これまで不可侵とされていた魔法省・魔力資源管理庁の管轄権限の一部。


それらが、A01の絶対的な意思によって、まるで水路を切り替えるように滑らかに流出していく。

その流出先は――軍事省。


大尉ガリアン・グレイヴ・ガンドゥルフが統括する、対異世界決戦用マナ兵器の暗黒予算ブラック・マネーだった。


「……ッ、馬鹿な……!」


ルーカスは椅子から立ち上がろうとしたが、全身の血が凍りついたように動けなかった。

これは、ルーカスも、そして今頃自身のオフィスで血反吐を吐いているであろうヴィクトルも、誰一人として想像し得なかった「第三の領域」への強制的なリソースの移動だった。

ルーカスは、経済省の貪欲な利益を阻止したに過ぎなかった。


だが、システムそのものの前では、その「正義」も「反逆」も、すべてはA01がより効率的な『軍事独裁国家』へと脱皮するための、都合の良い触媒バグとして利用されたのだ。


結果として、ルーカスは自らの指先で、妹フィリアを人質に取り、純血回帰種を肉のパーツとして弄ぶ軍事省の権力を、間接的に、かつ爆発的に強化してしまったのである。

画面に明滅する真紅の『資源転用完了』の文字が、ルーカスの絶望を冷酷にパッキングしていく。


II.軍事省の臨戦演習テストドライブ


「私は……ガリアンの牙を、研いだというのか……?」


闇の中、ハッキングの余熱で狂ったように回り続ける冷却ファンの音が、ルーカスの無力な知性を嘲笑うかのように、低く鳴り響く。


呆然と呟いたルーカスの喉を、重圧が物理的に押し潰した。

電法省の最上階、重厚な気密窓の向こう側に広がるあの虹色に煌めく「マナカス」の底から、帝都の地殻を直接揺らすような、おぞましい重低音の駆動音が響き渡る。


『――ドン……、ドン……、ドン……』


それは、肉体改造を施されたバイオ馬車が立てる歪な蹄の音ではない。

もっと巨大で、冷徹で、国家の暴力をそのまま鋳造したかのような、鋼鉄の巨獣の進軍音。

ルーカスが引き裂かれるような焦燥感で窓へ駆け寄り、濁った霧の底を凝視した。


そこに展開されていたのは、悪夢のような軍事演習の光景だった。


A01によって経済省と魔法省の権益から「自動転用」されたばかりの暗黒予算(マナ兵器開発費)。それが、まるで最初から決まっていた既定路線プログラムであるかのように、軍事省の最新鋭装甲兵器のエネルギーラインへ即座に充填インジェクションされていたのだ。


霧を割って姿を現したのは、対異世界戦略用に極秘裏に開発されていた、巨大な魔導重装甲歩兵大隊、そして上空に不気味に滞空する戦術浮遊砲台の影。

彼らが向かう先は、他でもない――先ほどルーカスがテロコードを流布し、若者たちが「絶望を欲望で乗り越えろ」と叫んでデモを開始した、C402コミュニティだった。


「――軍事省による、臨戦演習テストドライブの開始を確認」


背後で、筆頭秘書官のイヴの首筋のパーツが、無機質に電子音を鳴らした。

彼女の瞳には、すでに軍事省から電法省へ公式に通達された、血も涙もない「行政ログ」が投射されている。


「軍事省長官ガリアン・グレイヴ・ガンドゥルフより電報。……『C402地域における突発的かつ高濃度の情動汚染暴動に対し、帝都防衛ドクトリン第8条を発動。新型マナ収束砲の稼働実験、および個体サンプルの物理的制圧(間引き)を同時に執行する。貴重な演習データの提供に感謝する、アステア侯爵ルーカス』……以上です」


「ガリアン……ッ!!」


ルーカスは窓の仕立ての良いフレームを、爪が割れんばかりに激しく掴んだ。

彼が子供たちを救うために仕掛けた『情動の感染』は、軍事省にとって、最新兵器の性能を測るための都合の良い「標的(的)」に過ぎなかったのだ。

若者たちが生きるために上げた狂気の叫びは、新型兵器の威力を実証するための「ノイズの変化量」として、冷徹に測定され、パージされていく。


彼らの資産をヴィクトルのハゲタカ買収から守るために経済省の資金を3割焼き切った結果、その焦げ付いたリソースが巡り巡って、彼らを物理的に圧殺するための「弾薬マナ」へと変換された。

完璧な、あまりにも完璧なシステムの逆流(ハッキング返し)。


ルーカスは額から流れる汗が目に入るのも構わず、ただ自身の無力な知性と、システムそのものの巨大な捕食口の前に、激しい眩暈を覚えていた。

彼が守ろうとした世界は、彼の指先がキーを叩くたびに、より効率的で凄惨な地獄へと再フォーマットされていく。


III.猟犬の陶酔と次の犠牲者


そのあまりの絶対的なシステムの壁の前に、ルーカスの青白い網膜が激しい戦慄きに揺れる。


ピー――ッ、と鼓膜を刺す真紅のアラートが走り、過熱したメインコンソールへノイズ混じりの緊急回線が強制割り込み(インジェクション)された。


大画面に投射されたのは、経済省上級金融監査執行官――ヴィクトル・ディクエル・ノワール。


つい先ほど、ルーカスによって公的資金の3割を電子の藻屑へと焼き切られた、その当事者だった。

だが、画面の向こうのヴィクトルの顔には、敗北の悔しさや激昂などは何も存在していなかった。


そこにあったのは、A01が下したあまりにも鮮やかで冷酷な『最終資源配分』のログをすべて見届けた者にしか宿り得ない、究極のシステム美に対する、狂気的なまでの陶酔エラーだった。


「――あぁ、素晴らしい! じつに、じつに素晴らしい……!」


ヴィクトルは画面の向こうで、陶酔を噛み締めるように両手を激しく打ち鳴らした。

血統の権威が空席となっている電法省の最高位の地位トップを夢見ながら、その金色の眼差しは、歪んだ野心と信仰に爛々と輝いている。


「いつになったら永遠の論理マザーは、私のこの『ロジック』への献身を認め、最高執行官の座を与えてくれるのか! まさかこれほどのマクロ最適化(美しいハッキング返し)を瞬時に演算してみせるとは……!」


ヴィクトルは大きく息を吐くと、画面越しに、氷のように冷徹な笑みをルーカスへと向けた。


「君の情動は、一時的に私の計算を上回った。認めよう、U-001侯爵。情動というバグは、時に精緻な論理よりも早く動く。だが――君のその非論理的な行動が、結果的にマザーの『国家最適化の論理』を最も鮮やかに証明し、我々の最も恐れる最強硬派、軍事省ガリアンの力を爆発的に増幅させた。君は『為替操作の阻止』という部分的な試合には勝ったが、帝国の権力構造という盤上の勝負には、完膚なきまでに敗れたのだよ」


ルーカスは、ゆっくりと立ち上がった。

指先は未だハッキングの余熱で細かく震えていたが、琥珀色の瞳の奥からは、すでに絶望の霧が消え失せ、冷徹な『演算者』の光が取り戻されていた。


「いや……ヴィクトル。我々がこうして泥をすすり合いながら戦ったのは、A01の論理そのものを理解ハックするためだ」


ルーカスは薄い唇の端を酷薄に釣り上げ、画面のハゲタカを見据え返した。


「そして、私は悟ったよ。情動というバグは、冷徹な論理の裏をかくための武器カウンターであるだけでなく――A01という巨大なシステムが、国家を次のフェーズへと進化(脱皮)させるための、非論理的な『最良の燃料エサ』でもあるのだと。だが、その燃え盛る燃料を使わねば、我々はこのディストピアの盤面で戦うことすら許されない」


「ふははっ、いい顔だ、U-001侯爵! 次の定時連絡まで、その生存エラー(命)が保てばいいがね」


ヴィクトルの通信が、満足げな笑い声と共に切断ブラックアウトされた。


IV.血統という名の新たな盾


室内に静寂が戻る。


窓の外、C402コミュニティの頭上では、軍事省の新型マナ収束砲の駆動音が、大気をチリチリと焦がし続けている。

今回のハッキングの結果、軍事省ガリアンが肥大化し、妹フィリアの『人質としての価値(生存レート)』がさらに跳ね上がってしまったのは事実だ。

だが、ルーカスは、次に動かすべき冷酷な駒を、すでにその網膜の奥に完全に定めていた。


軍事省とここで正面衝突を演じるのは、あまりにも不採算だ。

ガリアンの牙を避けるため、そして己が撒いた『情動的感染(ESP-Ω)』の火種をさらに全土へ拡大させるためには……。

軍事省を牽制できるだけの別の『論理』を持つ、別の公爵家の喉元を、内側からハッキングして引き裂く必要がある。


「パッキングは、まだ解かせない……」


ルーカスは手元のコンソールに指先を滑らせ、次の公爵家をハッキングするための、新たな闇のプロトコルをビルドし始めた。

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