第四章:私的な殺意
用語集:
所有印:
純血種が、自らの支配下に置いた異種淵源種の肉体に刻む、浸食型の紋章。
物理的な暴力ではなく、魔法的なナノ汚染によって組織を意図的に壊死・再構成させる。
これにより、対象は「美しくも醜い、自分だけの所有物」として永続的に管理される。
フィリア・ソリチュードに刻まれたそれは、彼女の生存の対価を証明する、最も残酷な債務証明書である。
Ⅰ.静寂という名の拷問
情動省から電法省自室へと戻ったルーカスを待っていたのは、淡々と演算を続ける「L01」の排熱音だけだった。
息を吸えば、重金属の混じった『魔力と電子の腐敗臭』が鼻につく。
彼は重いコートを脱ぎ捨て、デスクに深く背を預ける。
指先はまだ、監査室の冷気で凍りついたままだ。
「……イヴ、状況は」
「肯定します。グレイ執行官は現在、閣下が提示した『絶望死の論理的再定義』の精査に入りました。少なくとも次の朝礼までは、物理的な干渉は発生しません」
部屋の隅に控えていたイヴが、感情のない声で応じる。
静止した人形のようなイヴとは対照的に、部屋の壁に這う配線が、まるで生き物のように脈打っている。
ルーカスはふっと、自嘲気味に口角を上げた。
「私の『情動のバグ』を解析するために、彼らが必死に『論理』を捏造している。滑稽だな。……彼らは知らない。この演算も、この記録も、何もかもを『放棄』したいだけだということを」
ルーカスは右腕の袖を捲り上げ、保護具を外す。
そこには、銀色の刺青で『U-001』というコードが刻まれている。
それは「未知(Unknown)」の1号。
万年のループの中で、5歳まで壊れずに生き延び、初めて「L(Logic)」の称号を与えられた個体の、消えない焼印。
その印自体が、マザーに直結した『生体認証キー』であり、ルーカスが演算するたびに、青白い微弱な光を発して、『観測』されていることをルーカスに突きつける。
Ⅱ.ライラの日記:十二周期目の真実
ルーカスは、L01の最深部に隠された暗号化ファイルを展開した。
前執行官が残した、膨大な「失敗作」の記録。
そしてその裏側に、寄生するように、寄り添うように、書き込まれていた母ライラの断片的な手記。
「12th:U-001」――つまり、ルーカスが生まれた世界線の記録であることを確認し、彼はその内容を読み込む。
それは二種類の記録で構成されていた。
一つは、日常的な人間としての日記。
『[削除済み]年[削除済み]月[削除済み]日。妊娠がわかった。ギルが笑った。彼は私の手を握り、永遠に守ると誓ってくれた。大好きよ、ギル。なんて幸せなの。』
『[削除済み]年[削除済み]月[削除済み]日。お腹の子が動いた。ギルが飛び上がって喜んでくれた。ギルが笑うと私も嬉しい。早くまた抱き合いたい。』
読み進めるほどに、ルーカスの瞳から光が消えていく。
読み進めるたびに聞き慣れた母の『甘い歌声』が耳元でノイズ混じりに再生される。
幼少期の安らぎの記憶が、汚染されていく。
そこには、自分が生まれたことへの喜びも、成長への期待も、一行たりとも記されていなかった。
あるのはただ、夫ギルベルトへの執着と、その「幸福な時間」を維持するためだけの母体としての独白。
そして、彼が最も内なる衝動を揺らす記述に行き当たる。
『(中略)――私には、ギルだけがいればいいの。他の何もいらない。大好きよギル。ギルは嬉しそう。よかった。お腹が軽くなった。また彼と二人で抱き合える。』
「…………はは」
乾いた笑いがルーカスの喉から零れた。
そして、もう一つの記録に手を伸ばす。
それは冷徹な純血竜の観察記録。
【記録No[削除済み]:人間との異種淵源種作成における生物学的定数】
対象個体:遊戯場Ω・第[削除済み]周期-死体サンプル
人間という種は、極めて不完全な容器だ。
竜の血を混ぜ合わせる際、その強靭な魔力循環に耐えうる「器」が未形成のまま崩壊する。
執行官が提供した死体サンプルを解剖したが、結果は明白。
母体が竜ならば、その魔力濃度に受精卵が耐えきれない。
着床と同時にナノレベルで組織壊死を起こしている。
私は人間の情動を理解したい。
ギルが言う、「子供こそ未来だ」というあの笑顔を解明したい。
――不可解だ。
滅び行く未来しかない、この貧弱な個体が、なぜあそこまで輝く「希望」を語る?
苦痛と死が確定しているのに、なぜ明日の食事に喜び、他者の些細な言葉に心を震わせる?
執行官はこれを「原始的な情動」と切り捨てる。
この「欠陥」こそが、竜が失いつつある生存戦略ではないか?
『情動の種』たる人間。
だから私は、竜としての理性の封印を受け入れることを選んだ。
ギルを愛している。
それが、シスターアリサの記憶による「皮」として『実験個体』を愛しているのか、私自身が『愛』を理解し始めているのか。
竜の愛は『支配と占有』。
私は「人間」という演劇を続けることを望む。
彼が死ねば、私の人間としての「皮」は剥がれ落ちる。
彼の「生への執着」の正体を暴くまでは、私は彼の隣にいたい。
【記録No[削除済み]:純血的帰結と投与の認可】
対象個体:第12周期-U-001
執行官より打診あり。
『U-001』の竜核形成を促進するための希少薬剤——「竜核促進剤」の投与計画について。
即刻、承認。
迷う要素は皆無である。
U-001は、これまでの幾千の死産個体とは異なる。
細胞周期の安定率が閾値を超えた。
これに「竜の火種」を流し込めば、異種淵源種としては初の竜核形成が成されるかもしれない。
人間という不純物を焼き払い、完全な竜の器へと結晶化するはずだ。
ギルは理解できないだろうから伝えない。
ただの栄養剤として押し通す。
竜核なき竜は竜ではない。
執行官は成功作と認めない。
これさえ完成すれば、周期ロックの申請がようやく通るかもしれない。
個体もより効率的に帝国のシステムに適応できるだろう。
視界の端で、現実の風景がノイズとなって剥がれ落ちる。
手首の『U-001』が、母の手記の感情データと共鳴するように、鈍い発熱と共に青白く明滅した。
刺青に走る電流が神経を直接焼き、ルーカスの思考を容赦なく過去の『記録』へと引きずり込む。
(ああ、まただ――)
視界が爆ぜる。
それは前執行官との契約によって始まった「永遠の第12周期」。
終わらない「繁殖プロジェクト」の日程を調整していた、あの日の記憶が、現実を侵食し始める。
【回想:遊戯場Ωでの業務連絡】
父ギルベルトがシステムによって『新しく』書き換えられてから、まだ数日しか経っていない頃。
当時、九十歳そこらだったルーカスは、母に問いかけたことがあった。
竜としてはまだ、世界を知り始めたばかりの若輩に過ぎなかった頃だ。
「母さん。……愛って、なんですか」
窓の外、万年続く地獄の始まりを予感させるような夕焼けの中で、母は虚空を見つめたまま、歌うように答えた。
「愛はね、ルーカス。……究極のわがままよ」
母の視線は、ギルベルトのクローンへと注がれている。
その瞳に宿る温もりは、父が死の淵で凍りついて以来、ルーカスには決して向けられないものだ。
彼を撫でる母の手は、冷たい。
息子への言葉は、ただの執行官への業務連絡。
かつて自分を慈しんだ「人間の母」は、純血の論理という名の墓標の下で二度と目覚めない。
その残酷な落差。
ルーカスは刺青の痛みに耐えながら演算する。
『愛』は失われ、ただ役割だけが亡霊のようにこの部屋を徘徊しているのだ。
日記を閉じた瞬間に、手首の刺青が過負荷で焼き切れるような激痛を放ち、視界のノイズが弾けて消える。
「………全て、死んだ」
あの時の、全てを悟り、全てを諦め、同時に全てを焼き尽くすような母の目。
母は父を、そして自分を、確かに『愛していた』。
だからこそ父が死んだあと、目の前でゆっくりと『竜』に『戻って』しまった。
(僕は、母さんを、止められなかった。むしろ、それを手伝っている)
ルーカスは目を閉じて、母を想う。
(……愛していたからこそ、その『愛の残骸』が、今はただの『ゴミ』として遊技場Ωに捨て置かれている)
当時のルーカスには理解できなかったその言葉の真意を、今、この日記が残酷に証明している。
出産という「わがまま」の障害を終え、再び愛する男との「わがまま」に耽る。
母は、今はどこまで『子供の数』を数えているのか。
その幸福な円環を維持するためなら、何万の命が露と消えようが、産み落とした息子が怪物になろうが構わない。
「……そうだ、母さん。貴方はずっと変わらない」
ルーカスは日記を置いて、ゆっくりと立ち上がる。
テラ・シルトへの介入の前日、ルーカスは母ライラに連絡を入れていた。
『僕は、好きにやってもいいかな?』
『どうぞ。愛しい息子よ。――それで、次の繁殖プログラムの連絡かしら?』
母はもう、永遠に変わらない。
彼女にとって、すでにルーカスは幸福な箱庭を脅かす「不純物」ですらなかった。
前執行官でさえ五歳まで生き延びた「成功作」と認めた自分を、彼女はただの「連絡係」程度にしか認識していない。
「……なら、僕は僕の『わがまま』をやるさ」
ルーカスはL01を閉じる。
Ⅲ.つぎはぎの共犯者
「イヴ。……君を拾ったのは、私の気まぐれだったな」
ルーカスは、手首の刺青を爪が食い込むほど握りしめて言った。
廃棄寸前だった異種淵源種の少女。
彼女の神経回路を電子パーツで直接縫い合わせ、自分と同じ「つぎはぎの命」として同期させたあの日。
「肯定します。閣下の論理的介入により、私は演算資源としての再定義を受けました。……今の私の職務は、閣下の思考プロセスの補助です」
「……そうだな。君の『情動』を物理的に焼いてOFFにしたのは、私の最大の慈悲だった。……こんなゴミのような真実を読み込み、私の回路と同期されずに済むのだから」
ルーカスはメインコンソールへ歩み寄る。
その瞳はもはや光を失い、解析だけを目的とする捕食者のレンズへと変貌していた。
「私がやろうとしていること。……その論理演算の結果が、君には理解できるか?」
イヴは首をかしげない。
彼女の首筋にある銀色のジョイントパーツが、電子音を立てて回る。
「肯定します。ただし、それは閣下の情動的エラーに起因する『破壊工作』と判定されます。よって、私の演算対象外です」
ルーカスは、彼女の首筋に露出した『自分の手で埋め込んだ』基板を見つめる。
彼女に生きる目的を与え、感情をコードの裏側に封じ込めたのは自分だ。
師匠が母を破壊してU-001を作ったように、自分もまた、少女を壊して『イヴ』という端末を作った。
「……ああ、そうだ。君をこうしたのは私だ。君に動機を問うこと自体、私の論理的ミスだったな」
ルーカスは自嘲する。
自分も結局、あの憎き師の『複製』に過ぎない。
「イヴ、私のこの『わがまま』を、憎むか?」
「いいえ。私の論理回路に『憎悪』というサブプログラムは存在しません。……閣下、体温が0.2度上昇しています。心拍数も不安定です。速やかに、次の予定へ移行してください」
IV.情報の断片と疑惑
電法省の執務を終えたルーカスは、その夜、地下深くの隔離通信室に潜り込んでいた。
ここは帝国のインフラ網から切り離された、闇市場のデータ回線だ。
かつて遊戯場Ωで共に廃棄を免れた、今や帝国のインフラの『部品』と化した元ハイブリッドたちとの、唯一の同期点でもある。
コンソールに映る暗号化されたパケット。
その文字列を目にした瞬間、ルーカスの神経系が過負荷を起こし、視界が真っ赤なエラーログで埋め尽くされた。
[差出人:コードΩ-788(遊戯場Ω・元技術班)
対象:フィリア・ソリチュード]
[ステータス:A閣下への『資源提供』完了。]
[対価:純血回帰種1体(純血判定:適合)
当該個体への最低限の生存インフラ供給決定。]
[補足:A閣下の「情動的渇望」を最適化するため、対象の情動パラメータを継続的に刺激する『飼育』プロセスを恒常化。]
ルーカスは指先を震わせ、コンソールを掴む。
握りしめた硬質の外装が、彼の過熱する熱量で軋んだ音を立てる。
フィリアは、彼と同じ異種淵源種。
母ライラの代用品として、アレスの「愛」のコレクションへ放り込まれた妹だ。
アレスの嗜好は周知の事実だ。
彼は唯一無二の恋人など欲しない。
ただ、自分が支配できる『愛』という名の感情のサンプルを、数多の個体から同時抽出し、その悲鳴や歓喜をコレクションとして並べることに悦楽を覚える怪物なのだ。
正妻として戸籍登録した母ライラでさえも。
純血認定の子を産んだフィリアの現状は、帝国の『論理的成功』だ。
だが、それは生身の肉体を、永遠に資源を搾り取るための『生体端末』として固定されることを意味する。
ルーカスはデータリンクを強制遮断し、電脳室の冷たい壁に額を押し当てた。
脳内に構築された『情動の防壁』が、激しい摩擦熱で焼けていく。
テラ・シルトの飢餓は論理的に演算可能だった。
だが、妹の屈辱を「リソースの最適化」としてしか認識できないこの世界そのものが、今、彼の中で猛烈な汚染として増殖している。
彼は立ち上がる。
その瞳の奥では、A01の管理プログラムを欺くための『私的な殺意』が、静かにコンパイルされ始めていた。
「……許可申請、送信」
ルーカスは、情動省管轄の『純血回帰種育成施設』へのアクセス権を、自らの刺青を鍵として無理やりねじ込んだ。




