徴収
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「で、あるからして―――此度の進軍のために、町民から糧秣と油を徴収することをここに伝える!!」
六櫻の国の城下街、その広間。そこで久留也が声を張り上げ、聴衆へと私からの指示を伝える。
私はそれを眼を閉じたまま聞いていた………一言一句、木簡に書いたことと違わない。これで良いのだ。
田村の死以降、せっせと行っていた恐怖という仕込みは上手く機能しているらしい。例え武士の世とはいえ、無為な死を許容できるものは少ないという事だろう。
素直に言うことを聞くのであれば何でも良い。そのつまらない誇りやら誉やらをさっさと犬に食わせてしまえ。
「はぁ?!ふざけんじゃないよ!!」
「なんで俺たちの蓄えをお前なんかに!」
「華樂様ならともかく、アンタみたいな木偶の坊に渡すなんて御免だね」
案の定というべきか民からの反発は強い。通達を伝えた直後に罵倒が飛び交うが、その中の半分は華樂であれば、というものだった。
相も変わらず民たちですらもはやこの世にいない父ならば、と。そんなことを思っているのか。
溜息を吐きつつ、私は舌打ちをした。そしてそのまま久留也に追加の指示を出す。
「………これは決定事項だ。従わないものからは強制的に徴収する。当然、罪人としても扱う、とのことだ」
頬を痙攣させつつも声を張り上げる久留也。その後ろで、夕影が私に囁く。
「姫様。せめて言葉を取り繕ってはいかがでしょう―――これほど支配的な言葉ばかりを並べては無為に反発を招くだけです」
「ふん。だからですよ」
反発をこそ、待っているのだ。
何故かって?それは一つ、私が彼ら民に寄り添うことなどないと知らしめるために。そしてもう一つ。その理由はすぐにでも分かるだろう。
そもそも、だ。この時代、この異世界。あるところから奪うという事はなんらおかしなことではない。略奪は兵站の維持のために必須ともいえる事なのだ。
戦における略奪行為を指す乱取りという言葉がある。この乱取りが行うべきではないと扱われ始めたのは、略奪してはその後の統治に際して不利に働くからであったとされている。
………私から言わせれば、それは天下統一という夢物語が現実に近づいてきたからではないのかと思う。ただ攻め滅ぼすだけだった隣国が、遠い他国の武家が徐々にその数や勢力を減らし、天下統一後の治世を想定したからではないのかと考える。
戦が終わって以降、乱取りをした地域を自らの領土として接収するのであれば、成程確かに乱取りを行って無駄な血を流す必要はない。血が流れれば基本的に憎しみが満ちるものだからだ。
憎しみが溢れれば銃後―――戦が終わった後に面倒が増えるだけだ。だからこそ、戦国時代の終わりの方では乱取りは徐々に行われなくなっていったのだろう。戦国時代に生きた事の無い私には、実際の所はどうなのかは分からないのだが。
「この………っ!!」
目の前で怒声を上げる民たちが、広間に更に集まりだす。最初に久留也の口から伝えられた言葉が人伝に広がり、この場所へと誘っているのだろう。
私を囲う人の輪が少しずつ、狭くなっていく。私に対する敵意が強くなっていく。
きっと感情が爆発するのはもう遠くはない。一人でも暴徒と化せば、それに引きずられるように全員が私に対してその攻撃性を露にするだろう。
「頃合いでしょうかね」
視界の端で、地面に転がっている石を拾い上げている青年の姿が見えた。
隣に立つ夕影が前に出ようとするのを、手で制す。お前の出番はまだそこではない、じっとしていろ。
高まる熱量。その膨れ上がった爆弾のような空気の導火線に、火が付けられる。
「―――死んじまえっ!!」
こぶし大の石が投擲された。
………この時代の人々は日々の作業でただの町民ですらそれなりに筋肉がある。適当なフォームであっても、放られたその石の速度は中々の物であった。
風を切って投げられた石は、私の左の額に当たる。ガツッ………と、音が鳴り、衝撃が頭を貫く。数泊置いて血が流れ、頬に滴った。
私は眼を細めるとその石が飛んできた方向へと改めて視線を向けた。
「無礼者」
左の隻腕を上げて、その先に持った扇子を石を放り投げたばかりの青年へと向けた。
何の感情も伴わない私の声は、今にも破裂しそうになっていた町民たちの意識を縛り付け、青年に続いて暴力行為に働こうとしていた人間の動きを止めさせた。
―――私がその投げられた石で泣き叫べば、彼らはその勢いのままに攻撃を続けただろう。しかし、石を投げられ血を流しても一切動じず、虫けらを見る目で見続けられれば民の心の中に浮かぶのは異質な者への困惑だ。
人は良く分からないものには強く出れない。生来そう言う生き物なのだ。
「首を撥ねよ。あれは私に手をあげた。国主に手を出した。許されないことだ」
「………なっ?!」
「お前たちはどうやら勘違いをしているようだ」
怒りなど見せない。そもそも胸の裡に怒りなどないのだから当たり前だ。
ただやるべきことを淡々とやるだけ。堪え性のない間抜けが攻撃しやすい場所にいてくれて手間が省けた。
今の私の人望のなさでは、サクラを仕込むことも難しい。反発せずに使える駒を集めるのは急務だが、一朝一夕には行かない。多少、今回のように運が混じり込むのだけは腹立たしいことであった。
「国主の命は絶対。お前たち民の上に武士が、そして私が立つ。本来、お前たちと私たちは同じ場所に立つことすら許されない」
この異世界は戦国時代である。下剋上の世の中であっても、社会を構成する身分制度が崩壊したわけではない。
武士や公家や平民よりも遥かに身分が高く、本来であれば姫や殿といった存在のことを、平民たちは盗み見ることすら許されない。
「今までが異常だったのです。華樂は貴方たちに寄り添っていたようですが、私はその必要性を感じない。私はあなた達に何も求めない。期待もしない。ただ役割を果たせばいい。差し出せと言えば物を用立て、やれと言われたことをその通りにやればいい。代わりに私は貴方達を凶刃から守る。それは信頼関係ではなく、ただの契約関係です」
一歩、町民たちの方へと歩き出す。
私に石を投げた青年が後ずさり、逃げようとするが一瞬のうちに夕影に手を掴まれ、地面に押し付けられる。
彼女の役割としても、私に手を出したものを逃がすわけには行かないのだろう。わざと、石を投げさせたという側面があることを理解していても、だ。
「ゆ、夕影様………放してくれ!!頼む!!」
「………」
夕影が首を振る。それを見た青年の顔が真っ青になった。
華樂であれば、見逃したのだろう。笑って済ませたのだろう。きっと人誑しの父はそうする。人心の掌握に長けた父は天然と策略、双方を以て人の懐に入り込む。
敵も多いが味方は更に多い、というのが六櫻華樂という将だった。だが、私は決して、どう転ぼうとも華樂には慣れない。
だから。慈悲なくやるのだ。
「公開処刑と行きましょうか。丁度よく、観客も集まっているようですし」
「ふざけんな!!放せよ、俺が何をしたってんだ!!この木偶の坊が、そうされて当たり前だろうがよぉ!!」
喚く青年の背後を見る。見覚えのある顔が、敵意を含んだ視線で私を見ていた。
あれは前に城下に降りた時に農作業について問いかけた弓削だろうか。その他にも、関わりのある民の姿があり、その全てが私を睨み付けていた。
そうか。まあ、そんなものか。私が今まで築いてきた関係性など、端から無いに等しい。
全ては父の、華樂の名の上にあった関係性でしかないのだから、その土台が崩れればこんなものである。
静かに、昏く笑った。
「当たり前ですか。民が国主に手をあげることが当たり前だと。お前は天唯の皇にでもなったつもりですか」
義足の音を響かせつつ、地面に顔を押し付けられている青年のすぐそばに移動する。
小袖の帯の中に左手を入れ、中に隠されていた短刀を引き抜く。あまり手入れのされていない、少し欠けた刃を持つそれが鈍い光を放った。
こびり付いた血は私のものだ。犯されそうになった時に振り回した短刀である、刃にも血と土の汚れが染みついているので、これで切ればさぞ痛むだろう。
切れ味の悪い刃で切るのは鋸で削られているのと大差はない筈である。
そんな刃先を、眼球へと近づけた。
「ひっ………?!」
「弁えなさい、愚か者」
―――血が飛び散る。
眼球を貫き、その奥へと刃が刺さる。
隻腕の上、利き手ではないことから恐らく即死するほど深くは刺さっていないだろう。だが、医療技術の未発達なこの時代に於いては完全なる致命傷である。
放っておけば、死ぬ。そうとも、私が殺した。
町民が沈黙する。代わりに殺意が込められているのであろう視線を受け止めると、口の端を歪めて笑った。
「これはこの場に野ざらしとします。助けることも死体を片付けることも許しません。これが骨になり、それすら粉々になるまでここに放置します。もし規則を破れば」
同じようにしてやる。言葉にはせずに、しかししっかりと思い知らせる。
夕影が青年から手を放し、私の背後へと戻る。顔を顰めているのが見えるが、放っておいていいだろう。どうせこの国に有用に働くのであれば、あれは何もしないし反抗もさせない。
「では徴収する物をしっかりと用意しておくように」
そう言い残すと、私は六櫻城の方へと歩き出す。モーゼのように人の波が割れ、睨む視線こそ幾重にも私を捉えるけれど………暴動になることなく、彼らは沈黙のまま私を見送った。
これで町民へ釘は差せた。物資を集めたのちに、いよいよ国盗りと行こうじゃないか。




