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仮面の毒姫



「まあ毒姫については後でだ」


そう言って霧墨が机の上に広げられている地図の上に駒を置く。

六櫻の国の国境線近くに置かれた駒は香車の駒が二つ。対してその駒が向かう先には銀将の駒が置かれていた。


「須璃の国に一騎当千の兵はいない。国家の規模として須璃の国は六櫻の国と大した違いはないが、武士たちの練度や夕影のような兵の有無は決定的な差となって現れる。今まで須璃の国が何度も攻め込んできても一の砦すら落とせなかったのがその証拠だ。………まあ、今回で落とされないまでも攻略のとっかかりが出来ちまったが」


霧墨の視線が私の義足へ向いた。私が率いたことで実質的な敗戦となった事を揶揄しているのだろう。

私を貶すための言動に応じることは無く、冷たく彼の顔を見やると、さっさと続きを促した。


「ッチ。………今の士気が限りなく低い状況でも、六櫻の国の兵は須璃の国の兵の三倍は強い。一人で三人を相手取れる―――ま、そもそも軍略っつうのは集められた数の力を乗算するためのもんだが、今回はもっと単純に行く」


香車の駒を掴んだ霧墨が、そのままその駒を敵方の銀将へと突っ込ませる。

恐らくは須璃の国の兵の本陣があると思われる場所まで進めた駒をひっくり返し、”成り”にすると金となった香車を更に敵陣の深くまで押し込んだ。


「あいつらは毒姫が死んだと思ってる。そして、華樂様の血筋が絶えた六櫻の国は殆ど死に体だとも思ってる。今頃念願の六櫻城の征服が現実味を帯びて、愉快な宴でも開いているかもな」

「………戦の前に宴ですか。随分とまあ、気楽な事で」

「馬鹿か。大事な決戦前だから英気を養わせてるんだろ。普通の国主なら兵を労うためにもそう言う手段はとるもんだ」


―――他国を攻め落とすために兵を集め、奪った食料で宴を開き、襲った村々で女を犯す。

天唯の南部に密集する小国の兵は、その殆どが規律も何もない実質的な蛮族のような者たちばかりだ。これは彼らが侍や兵として専属的に育てられたものではなく、元は農民だったものを戦時中に限り用兵していることに由来している。

実際に、私も足を切り落とされた後に犯されそうになったのだ。須璃の国の兵の意識は、所謂侍の誇りなど持たない足軽のそれと同じだろう。

逆に大国ともなれば足軽をすら規律に縛り付け、一糸乱れぬ軍隊となる。そうなってこそ群れの力は発揮されるというものだ。


「なるほど。そういうものですか」


そう納得はすれど、実際にそれ行おうとは思わない。現状のこの国の状況で私が宴を開いたところで、肯定的に受け止める人間は皆無だろう。

兵もガス抜きをする必要はあるだろうが、私の目がない方がそれは上手く行くのではないかと思う。

まあそれはどうでも良い事だ。今は六櫻の国の兵に宴やガス抜きなどさせるつもりはない。彼らには私の手足となって馬車馬のように働いてもらわねばらないのだから。


「………夜だ。強力な突撃能力を持つ兵を編成して、夜闇に乗じて奴らを急襲する。相手も斥候を置いてこちらの動きを警戒しているだろうが、夜間に少人数から成る部隊を全て観測出来るほど、奴らの練度は高くない」

「複数方向から部隊を進行させて、敵陣の奥深くを狙い撃つと?」

「ああ。それくらいを読み取る頭はあったか」


私を鼻で笑った霧墨が、そのまま歩兵の駒を数個手に取り、敵陣の周りへと配置する。


「相手が混乱したならば、次は制圧の一手だ。弓を射かけ、相手の動きを制限する。反撃なんて許さねぇ」

「反転攻勢の準備がままならないうちに兵を狙い撃つということですか。その動きをするためには敵陣深くを強襲した直後に何かしらの手段で後続の兵たちに知らせなければなりませんが、それについては?」

「なんのことはねぇ、鏑矢を使う。んで、相手の兵の反撃の出鼻を挫いたら次は火矢の出番だ」


歩兵を敵陣に進ませ、と金へと成らせる。

面を制圧するようなイメージだろうか、少数の部隊を展開して敵陣を囲むといった布陣である。


「糧秣を全て焼き払っちまうと困るが、多少は焼いてやらねぇと素直に逃げないだろう。まあ焼くのは相手に持ち出させる分の糧秣だからな、対して問題はない」


霧墨は私が提案した敢えて少量の、兵としての矜持を維持できる程度の糧秣を持たせたまま逃がすという策を採用したらしい。

………他国は侵害できても己の国の民からに対して侵略行為を働くのは流石に理性が止める。その理性が溶けるのは極限状態になったときだけだ。

混乱を長引かせ、しかして理性あるままに逃がし、そうして彼の国からすべてを奪いつくす。これくらいやらねば駄目なのだ。

そして木簡に書かれていた文字を思い出して、ああと呟く。


「火矢を射るために油が必要、と」

「ああ。無いと話にならない。せめて物資程度はきちんと用意しやがれ」

「分かっていますよ、言われなくとも………それで?」


地図の外に置かれた玉将を隻腕で手に取ると、それを霧墨の前にかざす。

此処までの話に私の存在が出てこない。蛇蝎の如く私を嫌う霧墨の作戦だ、必ず私に死なない程度の無理をさせるような作戦を立てているだろう。

そうでなくては、軍議を行う前に彼が発した言葉の意味が通らない。それにわざわざ見た目を変える、というのは見られるのが前提の筈である。


「毒姫、お前はここだ」


翳した玉将を奪い取った霧墨は、それを成った香車の前へと置く。


「なるほど」


つまり私は突撃する部隊と共に行動するという訳だ。

気が付かれない程度に自らの義足へ目をやって、すぐに霧墨の方へと戻した。


「どういう意図で?嫌がらせだけではないでしょう」

「当たり前だ。お前みたいな足の遅いやつを速度が命な部隊に放り込むなんて、嫌悪っつう感情だけで取れる案じゃない。僕はお前のことが嫌いだし、お前がなるべく惨たらしく死ぬのを期待してるけど、無理な策でお前を殺したとしてもその先にあるのは策を立てた僕への批判だ。軍師としての道を捨ててまでお前に構ってなんてやらない」

「貴方の嗜好や矜持なんてどうでもいい。さっさと理由を述べなさい」

「………ほんとにむかつく奴」


役に立つのならば使う。塵となれば捨てる。ただそれだけの事である。

霧墨が持つ軍師のしてのプライドは非常に高いようだ。作戦上不必要な行動で私を危険にさらした場合、そんな策を立てた軍師である己に向かう失望の視線を許容できないのだろう。

だからこそ私が死ぬ気で動けば死なない程度の使い方しか出来ない。

―――人の信頼や信用などは欠片も使い道がないが、意地やプライドは利用できる点が多いらしい。私はそう心の中で呟いた。


「まず一つは、お前の姿を見た敵の兵士はそれだけで大きな衝撃を受ける。死んだはずの姫が動いてるってだけで混乱を助長させるには十分だ」


それは納得できる。須璃の国からして見れば既に私は死んだ扱いである訳で、そんな死人が前線に出張ってきていれば多少なりともどうしてという想いが生まれるだろう。

長く続くような混乱ではないが、苦労して得た成果………つまり私の殺害が成功していなかったという事実は士気を下げる事にもつながる筈である。


「次にお前を前線に出せば、夕影も戦力として使える。………今の夕影はお前につきっきりだ。だが後方に置いておくには夕影という兵は存在が大きすぎる。本来そいつは攻め手として使うのが一番いいんだ」

「受けるのは苦手、と?」

「お前みたいな無能を引っ提げてなければ夕影は防衛も巧い。だが、戦場を縦横無尽に駆けまわる敏捷性と敵を一太刀で切り伏せる圧倒的な攻撃力は相手の行動を待つ受けよりも率先して場を荒らす攻め手としての方が輝く」

「………ふむ。理解できます」


夕影は将棋の駒で言うところの龍王なのだ。守りに置いても強いが、やはり圧倒的な攻撃力こそが持ち味であり、ましてや穴熊の囲いの内側、それも玉の隣などに置いてしまっては持ち味が薄れる。

今の夕影は契約によって私を守護している。まあ実際は余り守ってくれないことが多いが、それでも明確な敵対者となればその刃を振るうことに躊躇いは持たないだろう。

現状の私の敵は内側にも多く、それに対して刃を振るっているからこそ夕影の動きが鈍いのである。心の底では私のことなど認めていないし、厭々従っているのだろうから当たり前か。


「他には?」

「相手の攻撃をお前に集中させる。囮だよ、囮」


霧墨が唇の端を歪めた。


「鴨が葱を背負って来てるんだ、全員がお前を狙うだろう。お前を殺せば六櫻の国は終わりっつうことに変わりはないからな。そうしてお前が狙われている間に火矢を射掛け、本陣を制圧する」

「私が死んでは元も子もないと思いますが」

「馬ぁ鹿。夕影もいるし他の兵も付けてるんだ、死ぬ気でお前が逃げ回れば死ぬことはねぇよ」

「そうですか。分かりました、ではそうしましょう」

「………あ?」


素直に首を縦に振った私に対して霧墨が怪訝そうな表情を浮かべる。


「軍師である貴方が、私が死ぬ気で逃げ回れば死なないというのですから、それは事実なのでしょう」

「………姫様、危険です」

「今更何を言っているのですか?別に私が危険に晒されたところで何か思うことなどないでしょうに」


背後の夕影が沈黙する。

左の隻腕で筆を取ると、嫌がらせが不発に終わったような表情を浮かべている霧墨に問いかけた。


「日時は」

「………四日後だ。士気が上がり切った直後、明日から城攻めを行おうと意気揚々としたその出鼻を挫く」

「相手の城攻めの計画がわかると?」

「推測だ。六櫻城までの距離と行軍速度、そして須璃の国の大将の心理………混乱が続いているうちに攻め入りたいのは相手も同じってことだ」

「なるほど。ではその予定で物資を調達します」


紙に日時と今しがた聞いた作戦を書き込む。

利き手ではないため蚯蚓がのたうち回ったような歪な字であるが、何とか読むことは出来るだろう。


「さて。後は………ああ。私の姿についてでしたか」


唇に筆の反対側を当てて一瞬考え込むと、それを思い出して口に出す。


「こんな身体、何をどうしようとも変わらないと思いますが」

「お前が一番糞ったれなのはその中身だろうが。ッチ、外見が与える印象は敵にも味方にも大きく作用する。傷だらけのお前が戦場に立ったところで敵が六櫻の国を舐めてかかるだけに終わるんだよ」

「戦で負った傷は勲章にもなりえますが、その………姫様のそれは、違いますので」

「そういうことですか。生きる恥そのものですからね、これらの傷跡の全ては。確かに隠す必要もあるでしょう」


混乱を与えるためにわざわざ前線に向かうというのに、容姿のせいで嘲られては全てが逆効果となる可能性もある。

傷を隠すだけでそのリスクを減らせるのであれば、隠さないという選択肢はあり得ない。


「義足は丈の長い着物で隠せる。隻腕程度なら遠目じゃ分からないし、仮に見えても問題ない。一番はその顔の包帯と傷跡だ。一番目立つ弱い場所だからな。おい、お前その包帯を取ったら下はどうなってる?」

「………。夕影、包帯を外しなさい」

「いいのですか?」

「何度も言わせないでください」


夕影の手が触れる。嫌悪によって立つ鳥肌を我慢しつつ、右目を覆っていた包帯が解かれた。

まず見えるのはやけどの後だ。これは傷を夕影が炎で焼いて処置したためである。

火傷の内側には深い裂傷があり、その下に本来収められていた筈の右の瞳はすでに無く、焼かれたままに閉じ、繋がった瞼はもう二度と開かれることは無い。凡そ、眼球を構成する全ての器官は死に絶え、醜い傷跡だけが残された。


「汚ねぇ顔だな」

「ええ。私もそう思います。それで、どうするつもりで?」

「………その傷を見せたままじゃ、人前にも民の前にも、敵の前ですら立てない。だから、これを被れ」


霧墨が私に投げ渡したのは、彩色が施された木彫りの面だった。

とはいえ片手の私にそれを受け取ることは出来ない。私の身体に当たったそれは床へと静かに転がった。

筆をおくと左手を伸ばしてそれを手に取る。


「狐の半面………?」


白と赤の色で色彩が施された狐の半面。ただし、その狐面は幾つもの造花によって飾り付けられていた。

―――野に咲き、しかし誰しもに踏みしめられる無価値な有象無象の作り物の花弁たち。

美しく彫られた狐の半面だけれど、名も無き花に埋もれたその面はどこか………そう。虚しさを背負っているようにも思えた。当たり前か、価値のないものを身に纏ったその面は一見すれば美しいけれど、ただそれだけのものでしかないのだから。


「ああ」


踏みしめられる花を飾る狐の面。それを傷跡に被せる。


「―――これは」


何者にもなれる筈が無く、あるがままに踏み潰される。

汚泥に塗れた醜い花とそれを飾る無価値な面。そしてすぐにこれらは罅割れ血に染まるのだろう。

………無意味で無価値なからっぽのこれは私だ。私の、人生だ。この面は、私と共に地獄を進むものだ。

静かに私は瞳を細める。


「人前に出るときは必ずそれを付けろ。いいな?」

「ええ。………ええ、分かりました」


狐の半面を握る指に一瞬だけ力を込めて、けれどすぐに抜いた。

そして先程作戦の詳細についてを記した紙を持つと、私は立ち上がる。


「これで全て終わりでしょうか」

「ああ。もう用はねぇ、さっさと失せやがれ、毒姫」

「言われなくてもそうするつもりです」


すぐに背後を振り向くと、夕影に対して指示を出した。


「連れていく兵の選別は夕影が行いなさい。まあ、誰を連れようとも変わりはないでしょうが」


元より誰も信じていないし、期待もしていない。

そんな私が直接出向いてスカウトするよりは夕影を間に挟んだ方が円滑に進むだろう。現状、唯一裏切らないという点に置いて夕影は優れた駒である。

そもそも、契約を破った時点で首を掻っ切って死んでやる―――そう昏い感情を浮かべつつ襖に手を当て、ふと霧墨の方を見た。


「そう言えば軍師は戦場に出ないのですか」

「いいや?時と場合よるが、出ることが多いな」

「では今回、貴方も出陣すると?」

「後方で火矢を射かけるときに誰が指示出すと思ってんだ」

「そうですか。まだあなたには使い道があります。勝手に死なないように」


それだけを言い残すと、私は夕影を連れて軍議室を出た。

次にやることは物資の調達だ。これについては当てがある………というよりも長く戦うためにはそうするしかない。

どうせ生きるも死ぬも地獄なのだ、突き進むだけである。


「さあ………始まりますよ」


そう、呟いた。

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