第195話 帰結
老の坂峠で待ち受け、惟任光秀(明智光秀)の謀叛を察知した太田牛一。
京へと馬を走らせながら、信長へ知らせるべきか、ただ史官としての役割をまっとうすべきか悩んでいました。
様々な思惑を乗せて、運命の日の幕が開きます。
老の坂峠から本能寺のある京までは約4里(約16km)。
思索にふけるには時間が足りなかったと言うべきか。
およそ半刻(1時間)ほどで俺は京へとたどり着いていた。
信長に光秀の謀叛を伝えるべきか、結局京へ着くまで答えは出なかった。
結果的にただ惰性で夜道を進むうちに本能寺の門が見えてきたような感じだった。
「まるで城みたいやな。」
考えがまとまらぬまま東側に向けて開いた門を眺め、俺はポツリとつぶやいた。
東は西洞院大路、西は油小路、北は六角小路、南は四条坊門小路に面した1町四方(約1ha)に及ぶ広大な寺域を持つ本能寺は、四周には堀と土塁が巡らされ、門は櫓門となっている。
応仁の乱以降、室町幕府の警察力が衰えると、京の町は上京と下京に分かれて要塞都市化していった。
そのなかで寺院もまた無関係ではいられず、また宗派間の宗論が抗争に発展したケースが多発したこともあって、このようなまるで城のような寺院がいくつも京の町中に建設されていたのだ。
このため、本能寺も寺と言うよりは武家の居館に近く、信長が度々宿所として利用したのもうなずける。
もし、ここや周囲に1千人規模の兵が籠れば、ある程度の日数を稼ぎ出すことは十分に可能だ。
その間に各地から急を聞いて駆けつける者がいるだろうし、京で身を守るには最良の施設のひとつと言っていい。
問題は、今回信長が引き連れてきた供廻りが少なすぎることだ。
ほんの数十人では、いくら何でもこの広大な敷地の守りをカバーすることは不可能だ。
せいぜい、信長が滞在する御殿を固める程度のことしかできないだろう。
門や周囲に架かる橋を守備するには到底足らず、防衛は不可能だ。
「開門、開門!」
意を決した俺は門扉をたたき、大声で呼ばわった。
深夜であるため、門は固く閉ざされている。
誰かに開けてもらい、取り次いでもらわねば信長に会うことなどできない。
周囲が寝静まっているためか、やたらと声が響く。
寺の北側には畑が広がっているのだが、俺の声に驚いたのか何かの小動物らしい鳴き声が聞こえてくるばかりだ。
「誰ぞ!?」
待つことしばし、ようやく姿を見せたのは信長の小姓らしき若い侍だった。
おおかた、不寝番で門などの警戒に当たっているものなのだろう。
見ない顔の若者だった。
このところ信長の近くに侍ることもなくなり、それどころか会うことすら減ってしまったため、信長の側近には知らぬ顔の者が多くなってきた。
「太田和泉守牛一にござる。火急の用あってまかり越しました。上様にお取次ぎ願いたい。」
「上様はすでに御寝遊ばされておる。明朝、改めてお越し願いたい。」
「それでは間に合いませぬ。何とぞ、お取次ぎを!」
「かような夜更けに、誰とも知れぬ者を取り次ぐわけには参らぬ。お帰り召され。」
「お待ちくだされ。わたしは織田の臣、丹羽五郎左様の寄騎にござる。戦場においては、いついかなる時も直臣が主君に御目通りがかなうはず。上様の御為を思って、無礼を承知で参った次第にござる。」
「ここは戦場にあらず、京にござる。上様は公家衆とお会いになってお疲れの御様子。ならぬものはなりませぬ。」
「・・・」
(織田家は大きくなりすぎた。)
今思えば、俺が織田家に仕え始めた尾張時代、信長と会うことはそんなに難しくなかった。
普段から顔をあわす機会はたくさんあったし、意見を求められることすらあった。
面会を求める場合も、こんな風に門前払いをされることはなかった。
信長の側近のほとんどとは顔見知りだったからだ。
かつての織田家では、信長が自ら先頭に立って動いており、真夜中だろうが早朝だろうが機をとらえて出撃することも珍しくなかった。
織田家が大きくなってもそのスタイルは変わることなく、政治に軍事に信長が陣頭指揮を取って進める形は維持されていた。
ただ、織田家が畿内を押さえてその外へと拡大を始めた頃から、その組織は肥大化していった。
作戦正面が増えて重臣に特定の戦線を任せることが恒常化し、信長の側近衆もより組織化していった。
つまり、信長の手足となって動く官僚組織のようなものが出来上がっていったのだ。
それは織田家の組織がより効率的なものとなったことを意味していたが、一方で俺のような家臣にとっては信長との距離が広がったと感じる。
今のこの場面ほどそのことを感じたことはない。
(・・・これも天命と言うものやろう。信長が目を覚ます夜明けを待っていたら、到底間に合わん。太田家の京屋敷の避難の方に思考を切り替えるべきやな・・・。信長を助けられん以上、俺には当主として太田家を守る義務がある。)
押し問答をしていても、どうにもならない。
俺は信長を助けることを諦めることにした。
やはり歴史を変えることはできないのだろうか。
こうなれば、俺ができることをするしかない。
京にある大田屋敷へと戻り、いつでも避難できるよう準備を整えるのだ。
おそらく光秀の軍はもう京の近くまで迫って来ているはずだった。
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「馬蹄の音じゃと?」
「はっ。恐らく単騎かと。鹿かもしれませぬが・・・。」
同じ頃、光秀の軍は老の坂峠を越えて沓掛へと至り、兵糧を使いつつ休息していた。
さすがに夜間の山越えは疲労が大きく、休息が必要と判断されたのだ。
そんななか、光秀のもとへ知らせが舞い込んできていた。
先鋒部隊が山中にこだまする馬の蹄の音を聞いたと言う。
それはまさしくマタスケが立てた音だったが、もちろん光秀にそこまではわからない。
「いや、馬と見るべきであろう。油断はせぬことじゃ。」
光秀は慎重だった。
いくら人目につきにくい夜間行軍をしてきたとは言え、まったく誰にも見つからずにいられるはずがない。
馬に乗って去った者は、京にいるはずの信長に向けて知らせに走ったと考えるべきだ。
光秀は家臣の安田国継を呼び、先行して怪しげな動きをする者をすべて斬り捨てるよう命じた。
すでに注進に走られた可能性はあるが、これ以上のリスクを回避するためだった。
安田は忠実に命令を実行し、前方に見えた怪しげな2,30人を追い回して斬り捨てた。
先鋒部隊はまるで敵の先手をほふったかのように大いに気勢を上げたが、討ち取ったのは近隣の農民に過ぎなかった。
夏場ということもあって早朝から瓜づくりに精を出していたのだが、それが仇となった形だ。
休息を終えて動き出した軍勢を黎明の光が包み始めたのは、桂川に達した頃だった。
この川を渡れば、そこはもう京の町だ。
ここで光秀は全軍に指示を出し、馬の脚を保護するためにつけていた沓を切り捨てさせ、足軽たちには草履を新しい足半草履(通常の半分の長さの草履。密着性が高く、小石などが間に挟まりにくい)に替えさせ、鉄砲の火縄に火をつけて準備させた。
これらはすべて戦闘準備である。
当然ながら不審がる兵たちに対し、初めて本来の作戦目標が告げられた。
さすがに動揺は見られたが、ここまで来ては脱走することなどみな思いもよらない。
徹底した光秀の情報統制が功を奏した結果だ。
光秀は兵を大きく2つに分け、信長が泊まる本能寺と信忠が泊まる妙覚寺へそれぞれ進ませた。
本能寺では北にある畑が最も兵を展開しやすいと見て、そちらに兵の多くを回しつつ周囲を蟻の這い出る隙間のないほど厳重に包囲させた。
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燃え盛る火が、遠く京の町の真っ只中に上がるのが見える。
わざわざ確認しなくても、それが本能寺の大伽藍を包むものであることがわかった。
この東山からは遠くて境内の様子まではわからないが、あの火炎の下では織田信長がその生命を終えつつあるはずだった。
(結局、何も変わらなかった。光秀は謀反し、裏切られた信長が死ぬ。となると、この後はヨシローの天下か・・・。)
近江国佐和山への退避を部下たちに命令しながら、俺は無力感を覚えていた。
馬に揺られながら、俺の胸中にはある言葉が浮かんでいた。
それがこぼれ落ちるように、俺の口から溢れ出た。
「是非に及ばず・・・。」
今話をもって『是非に及ばず』は終了といたします。
これ以降のお話については、牛一と秀吉を主軸に据えて描くことになりますが、いったん間を置いてから書きたいと思います。
今月中に別作品をスタートさせたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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令和4年6月17日、新作品『三国志天の記』(https://ncode.syosetu.com/n6490hr/)の連載を開始いたしました。
引き続きよろしくお願いいたします。




