病院にて妄想
「助かったわ。ありがとう、ユージーン。あなたのお蔭よ。」
そう僕にお礼を言うルカ先生の目は涙で潤んでいる。ゴブリンの恐怖から解放されてホッとしているのだろう。それにやけに唇の色が赤く見える。僕はちょっと照れながら言った。
「いえ、それは逆です。先生が助けてくれなければ僕は死んでました。生き残れたのは先生のお蔭ですよ。」
すると先生はニコッと微笑んだ後、頭をゆっくりと横に振ってからこう続けた。
「……先生なんてやめて。ルカって呼んで! 」
そう言うルカ先生の表情は艶やかだ。僕はドキドキしながらも思い切って言った。
「……分かりました。ルカ、君のお蔭だよ。」
するとルカ先生は顔を近づけてきてこう言った。
「あぁ、ユージーン、好きよ。愛してるわ。」
そう言って瞳を閉じるルカ先生を前にして僕は一瞬どうしていいのか分からなかった。今まで女の子に全く縁がなかった為に自分がこんなシチュエーションに身を置くことなど想像したこともなかったからだ! だけど僕はようやく事態を理解すると心臓の鼓動を抑えつつ意を決して言った。
「僕もさ。ルカ。」
そして僕は瞳を閉じた。僕がドキドキしつつ顔を近づけると何かガタガタと音がした。「ん? 何だ? 」と思った瞬間僕は目が覚めた。夢だったのだ!
「なんでこんないいところで目が覚めるんだよ! あと数秒でいいから寝てればキス出来たのに! 俺の馬鹿! 」
僕はそう真剣にキレた。だがふと気が付くと開いている部屋の扉からルカ先生が入ってこようとしている。思わず僕は顔が赤くなった。
「あら! 目が覚めたのね! 良かった! 」
先生はそう言うと手にしていたタオルを棚の上に置いて僕のベッドの左側に腰掛けた。周囲を見回すと部屋は壁も天井も真っ白く僕が寝てる大きなベッドとそのベッドカバーまで真っ白だった。そういえば昨日病院に担ぎ込まれたんだっけ。で診察をしてる間に寝ちゃったんだな、おそらく。僕は赤い顔のまま先生に聞いた。
「い、今何時ですか? 」
「午前11時よ、日曜日のね。」
日曜日? ということは僕は昨日の夜からずっと寝ていたらしい。ふと僕は昨日出会ったゴブリンの緑の顔に浮かぶ邪悪に満ちた笑いと脇腹に喰らった強烈なパンチのことを思い出した。今でもゾッとする。よく生きて帰れたものだ。脇腹もまだ痛む。僕は無意識のうちに右手で脇腹をさすっていた。
「痛い? 大変だったものね、大丈夫? 」
先生が心配そうにそう聞いてきた。先生の手が脇腹をさすっている僕の右手に触れる。僕は顔を更に赤くしながらもハッキリと答えた。
「大丈夫ですよ。」
それから僕はルカ先生の顔を改めて直視した。するとルカ先生もちょっと顔を赤らめたようだった。でも先生も僕と同じように目を逸らすことなく僕の顔を見つめている。すると先生は言った。
「助かったのはあなたのお蔭よ。あなたがいなければ……あたしあの場所で死んでたわ。本当にありがとう。」
「いえ、先生がいたから僕も頑張れたんです。先生がいなければ僕も間違いなくゴブリン共にやられていましたよ。でも二人とも無事で……良かった。」
僕がそう言うと先生の目はやや潤んだ。あれ!? ひょっとして……? 僕は上体を少し起こして顔を先生に近づけようとした。そう、僕はたった今気付いたのだ! 今夢の中と全く同じ状況ということに! ムードもいいし誰もいない! さっきまで僕の心を包んでいた「命があっただけで良かった」という感謝の気持ちは一瞬で「先生の唇を奪う」という欲望に飲み込まれてしまっていた。
「……先生。」
僕がそう言って先生の唇を奪おうとした瞬間、扉がまたガタガタと音を立てて開き騒がしい女が入ってきた。……母さんだ。
「あら〜ユーちゃん! 目が覚めたのね! さっき家に帰ってユーちゃんの好きなジャーマンポテトを作って持ってきたのよ! ほうれん草入りで! 」
あのままキス出来たかどうかは分からないがそのチャンスを逃した僕の落胆は深いものだった。僕は母さんを睨みつけたが母さんはそんな僕に気付かず持ってきたお皿にジャーマンポテトを鼻歌交じりで盛り付けていた。
その後僕は一晩熟睡したおかげか元気になり昼過ぎには退院となった。母さんに聞くと昨日の夕方僕が病院に担ぎ込まれてから検査が終わった夜中までルカ先生は付き添ってくれていたらしい。検査結果に異常が無いと分かった深夜に警察から連絡を受けた母さんがちょうど病院に到着してそこで初めてルカ先生は家に帰ったそうだ。だが先生は翌朝にまた顔を出してくれて僕に付き添ってくれていたらしい。
「先生、お怪我が無かったのが幸いです。看病までして頂いて、どうもありがとうございました。」
病院を出て別れ際に母さんがそうルカ先生にお礼を言った。
「とんでもないです、お母様! 私の方がユージーン君に助けられましたから。こんなことになって私は家庭教師失格です。」
ルカ先生は伏し目がちにそう力なく言った。教え子の僕がトラブルに巻き込まれたことで先生はかなり罪悪感を持っているようだ。すると母さんが言った。
「先生、気になさらないで下さい。今回の件は先生は何も悪くありませんわ! 誰もいつどこで野獣と出会うなんて分かりませんもの! 気になさらずこれからもうちのダメっ子の面倒を、宜しくお願いします。」
母さんがそう言ってくれたのでルカ先生は少し気分的に楽になったようだった。ルカ先生は母さんに深々とお辞儀をすると自分の家に帰っていった。病院の玄関で僕と母さんはルカ先生の後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
「じゃあ、帰ろうか? 」
「うん。」
僕と母さんは石畳の路地を家に向かって歩き出した。暫く無言で僕らは歩いていたが僕はふと口を開いた。
「母さん。」
「何? どうしたの? 」
「心配かけて……ごめんね。」
僕がそう言うと母さんは急に立ち止まり僕を抱きしめるとシクシクと泣きはじめた。最初はびっくりした僕だがそれだけ心配をかけていたんだと思うと僕も泣けてきた。母さん、本当にごめんね! 僕はそう心の中で優しく繰り返した。




