冒険へ。
「シオンくーん! おはよー! 起きてますかー? てか起きてー!」
早朝。シオンの下宿先の部屋の扉をどかどか叩く喧しい音でシオンは目を覚ました。寝ぼけ眼を擦りながら、ベッドから出て扉に向かう。
「起きてる。起きてるから静かにしろよ。他の人に迷惑だろ」
「おはようシオン君! というわけでお邪魔しまーす」
扉を開け、騒音を立てていたエリスを嗜める。対するエリスはシオンの訴えに応えぬまま、するりとシオンの部屋に侵入してきた。
欠伸を噛み殺しながら扉を閉めたシオンだが、覚醒してきた頭がエリスの奇行に気付く。
「待て。何で入ってんだ。外で待ってろ」
「えー? 通路で立って待たせるんですか〜? こんなか弱い女の子を〜?」
「なら自分の部屋で待ってろ。準備できたら行くからよ」
「いえいえお構いなく〜。あんまり散らかってはないんですね。これが男の子の部屋……んふふ」
「出てけ」
怪しげな笑みをこぼすエリスを半ば強引に追い出す。例え彼女が気にしないにしても、女性の目の前で着替えたりとか、そんな度量はない。
昨日、エリスの冒険者登録を終えた二人は、夕食を済ませた後、シオンの下宿先の宿で新たにエリスの部屋を借りる事にした。ちなみにエリスはシオンと同じ部屋で暮らしてもいいなどと宣ったが、勿論却下した。エリスの元いた世界の常識がどうなのかは知らないが、年頃の男女がひとつ屋根の下など、いいわけないに決まっている。どうかしてるぞあいつ。
それから当然宿代はシオンが出した。というか、これから買う事になるエリスの装備を始めとした備品等の事を考えると、間違いなくシオンの備蓄は底を尽きるだろう。くそう、もしこれでエリスが役に立たなかったらどうしてくれようか。
昨日の出来事と今後の事を考えながら支度を終え、扉を開けたシオンの目に入ったのは、しゃがみ込んでいるエリスの姿。こいつ、結局部屋の前で待っていたのか。
「あ、来た来た。行こうシオン君。私、お腹空いちゃった」
「……へいへい」
機嫌良く立ち上がりシオンの側に寄るエリスに、肩を竦めて返事をするシオンだった。
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シオン達の下宿先の宿の一階は食堂も兼ねている。そこで軽く朝食を済ませた二人は、昨日の話通り買い出しに向かう事にした。買い出しを早く終わらせられれば、今日のうちに簡単な依頼を引き受ける事ができるかもしれない。というかできないと所持金的に困る。結構切実に。
「こっちの世界のお料理も悪くはないんですけど、ん〜、なんて言うか、ちょっと物足りないんですよね。調味料が足りないんだと思います」
「そういうのは舌の肥えた金持ちの道楽だ。お前のとこじゃ普通だったのかよ」
「はい。とりあえず「料理のさしすせそ」は必須ですね。えーっと、砂糖醤油に、醤油に、酢醤油、せうゆ、そしてソイ・ソース!」
「ふぅん、その「ショウユ」って調味料、お前の世界だとそんなに重要なのか」
「……つっこまれなかったか〜」
エリスと下らない会話をしながら、商店街に向かう。ひとまず必要なものは、一般的な聖術師の……聖術師自体はそんなに一般的ではないが、とにかく聖術師の装備として法衣からか。
聖術師に必要な装備関連については、昨日ギルドで登録を終えた後、たまたま居合わせた数少ない冒険者をしている聖術師に会えたので色々聞いておいたのだ。寡黙で表情をあまり表に出さない人だったが、冒険者を志す聖術師はやはり珍しいらしく、後輩ができた事に喜んでいる様子で、快く話を聞かせてくれた。
なんでも、神の使徒としての衣装を羽織る事で信仰魔術の精度が上がるのだとか。エリスの魔術は厳密には信仰魔術ではないのだが、それ以上に自分が聖術師である、という事を周囲に知らしめる目的が強いか。少なくとも今のエリスのよくわからない衣装よりはよほどいい。
「あ、そうだシオン君! 私、法衣以外にも私服が欲しいです! 女の子が私服一着だけとかあってはなりません! というかこれセーラー服だし。私服って言えないし」
「セーラー服って言うのかその変な服……そこは自分で稼いでどうにかしてくれ。オレの予算じゃ冒険者としての備品で精一杯だ」
「むぅ……仕方ないですね」
不満がないわけではなさそうな顔をしたが、シオンの資金から予算を賄って貰っている立場上、強くは言えないらしくそれ以上我儘は言わないエリスだった。予算が余れば一、二着くらい買ってやるか。彼女に対して甘いと自覚しながらも、そう考えてしまうシオンだった。
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「ファンタジー! いいわねいいわね! なんだか私、やっとそれっぽくなったと思いませんか!?」
購入した法衣を身に纏ったエリスが、ひらひらとその姿を御披露目している。クリーム色の生地の、簡素な法衣だ。値段は最安価な物を選んだが、それでもエリスは満足のいく買い物だったらしい。元々着ていたセーラー服とかいう服は、一緒に買ったバッグに詰め込んでいる。
「まあ、悪くないんじゃないか? 少なくともセーラー服とかいうやつよりは自然だと思うぜ」
「セーラー服はJKの標準装備なんです! まあ、もうこっちじゃ着る事ないかもですけど。さ、次に行きましょ次〜」
あれがあいつの標準装備だったのか。相変わらずよくわからない単語があるのはもう気にしない。元気よく急かすエリスに、はいはいと溜息混じりに応え後を追うシオンだった。
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「……シオン君、こんな所に何の用があるの?」
一通り買い物を済ませた二人は、人気のない空き地に来ていた。住宅地の合間に空いた、さほど広くない土地だ。
「昨日聞いてた攻撃魔法を試させようと思ってな」
「昨日? ……あー、フラムさんが教えてくれたやつ?」
フラムさん、とは件の先輩聖術師だ。装備についてだけでなく、エリスは信仰魔術に攻撃魔法がないかも尋ねていた。その答は、信仰魔術自体に攻撃用の魔法は基本的にはないが、聖術師であれば光属性魔術の適性も併せ持つ者が多く、攻撃用の魔法は光属性魔術を用いる者が多い、という話だった。事実、エリスは光属性魔術の適性も高かった。というかA評価だった。ほんとマジ何なのこいつ。
ともかく、信仰魔術はそれ自体に光の属性が付与されているらしく、信仰魔術と光属性魔術は密接な関係にあるのだとか。そうなると、もしかしたらエリスは光属性魔術も信仰魔術同様、簡単に行使できるかもしれない。
「使える魔法はある程度把握しておきたいからな。特に攻撃魔法が使えるなら、戦術の幅が広がるし」
「なるほどね。えっと、光属性の攻撃魔法は……」
「遠距離用の『聖光矢』と、近距離用の『断罪十字』だったな」
『聖光矢』は光属性の魔力の矢を高速で打ち出す魔術で、『断罪十字』は十字架状の光属性の魔力を近くの相手にぶつける魔術とのことだ。術の難易度は若干『断罪十字』が高いらしい。威力もそちらが高いが、どちらかと言うと遠距離攻撃の『聖光矢』のほうが使う機会が多そうだ。
「それじゃあ早速……えっと、どっち試してみます?」
「本当は『聖光矢』がいいんだが、遠距離用の魔法だと周りに迷惑かかるかもしれないから『断罪十字』だな。てか、それが使えるなら『聖光矢』も使えるはずだし」
「わかりました! むむむ……十字架型……攻撃……お! なんかできそうです!」
少しの間目を瞑って念じていたエリスの右手に、魔力が集まり光が満ちていく。そして誰もいない空間にその手のひらを向け、
「『断罪十字』!!」
エリスが呪文を、と言うかその魔術の名称のみだが、唱えると同時、手のひらに集まっていた魔力が解き放たれた。エリスとほぼ同じ大きさの十字架型の魔力が、衝撃音とともに現れ、強い光を放ち、すぐに消える。どうやら成功したらしい。
「おお〜、なんか凄そうでしたね」
「お前、詠唱の内容もフラムさんから教えて貰ってただろ。当たり前のように詠唱短縮すんのかよ」
「や、なんかできそうだったので。それにタメはできるだけ短いほうが便利でしょ?」
当然のように言ってのけるが、詠唱の短縮がどれほど高等技術なのかわかっているのだろうか。それに短縮には余計に過剰な魔力を必要とするはずだ。まあ、こいつの精神力評価はAだったのだから、もしかしたら些細な問題なのかもしれないが。
「とにかく、攻撃魔法も使えるみたいだな。多分『聖光矢』も問題ないだろ。後は、魔術を使ってて疲労感が出てきたらすぐに言えよ。魔力切れを起こしてからじゃ遅いからな」
「わかりました〜」
魔術の行使はどの系統の魔術であろうと体内の魔力を消耗する。枯渇してしまうと運動をし過ぎた後の疲労のように体が動かなくなってしまう。それ以上に、冒険中にいざという時に魔術が使えないとなると大ごとだ。魔術を専門に扱う冒険者は、常に魔力に余裕をもって行動しなければならない。そのペース配分も覚えて貰わなければならないな。
もう片方の攻撃魔法の『聖光矢』は実戦でも恐らく大丈夫だろう。
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「ノーイさん、こんにちは〜。今日もネコミミがキュートですね〜」
「エリスさん、こんにちは。証明証、できてますよ……あ、できてますにゃ」
「おお! これで私も晴れて冒険者の仲間入りですね! やった〜」
冒険者ギルド。シオンとエリスは買い物を終えやどで荷物の整理をした後、昼食を摂ってからここに訪れた。エリスの冒険者証明証を受け取る為と、そのまま冒険に出ようと考えての事だ。二人の服装はすぐに出発できるように準備万端だ。
「はい、こちらになりますにゃ。エリスさん、法衣を新調したのですか? 似合ってますにゃ」
「えへへ、ありがとうございます。ほうほう、これが冒険者証明証……んふふ、どお? シオン君、どお?」
「どおって、何がだよ。良かったじゃないか。これで問題なく冒険に出られるしな」
嬉しそうに証明証を見せてくるエリスを軽く流すシオン。冒険者証明証は勿論身分証としても使えるので、異界人らしい身寄りのないエリスにはそれなりに恩恵があるはずだ。
「あ、お二人とも早速冒険に行かれるのですかにゃ?」
「ああ、そのつもりだ。魔物の討伐の依頼とかあったりしないか?」
「おお、ずっと野草採取ばかりだったあのシオンさんが自ら魔物討伐を申し出るとは……」
「お前だってエリスの能力見てるだろ。てか、パーティーを組んだ以上、実りのある仕事を探さないと意味ないし。二人で分けても美味しい報酬が欲しいぜ」
「それもそうですにゃ。少々お待ちを……ん〜、今残っている依頼はちょっと難易度の高いものばかりですにゃ。一応、見てみますにゃ?」
ノーイはカウンターから出した依頼書の束をこちらに渡した。というかノーイ、オレに対してもその語尾付けて話すのか。
「バジリスク、サラマンダー、クラーケン、クエレブレ……何でこんなキツいのばっかなんだよ」
「そりゃあ、手頃な依頼は我先にと取られちゃいますからにゃ。早い者勝ちですにゃ。一応残っている依頼はどれも急を要するものではないので、無理に勧めはしませんにゃ」
「ここはひとつ、超高難易度な依頼をパパッとこなしちゃってみんなを驚かせちゃったりとか!」
「本気で言ってるのか?」
「ごめんなさい、最初は楽な相手がいいです」
渡された依頼書の内容は、どれもパーティー単位で全員がCランク以上を想定している難易度ばかりだった。それでももしかしたら、身体能力的に考えればエリスならどうにかなりそうな気もするが、戦闘未経験なのにいきなり強敵を相手にするのは危険過ぎる。そもそもシオンの命が危ない。今回は魔物討伐の依頼から仕事を受けるのは無理そうだ。
「仕方ないか……ドロップアイテムのレートを見せてくれ」
「はいですにゃ」
ノーイは予め予想していたのであろう、シオンの質問にすぐに応え、依頼書の束を仕舞いながらそれとは異なる用紙を出し渡した。
倒した魔物から得られる魔石以外のドロップアイテムもギルドで引き取りしている。その金額は現在の相場、需要の変化によって細かに変わってくる。シオンが受け取った用紙は現在、平均的な相場から変化しているドロップアイテムのリストなのだ。
「……魔狼の毛皮が丁度いいか」
シオンはそのリストの中から、手頃な魔物のドロップアイテムに当たりをつけた。
魔狼。その名の通り狼が魔獣化した存在だ。魔獣化した影響で凶暴性が増してはいるが、殆どの場合特殊な能力は持っていない。一匹相手ならシオン一人でもどうにかなる程度の強さの魔獣だが、群れで行動している事が多い為シオンは今まで滅多に相手をした事がなかった。だが、エリスと共に挑む今、そこまで難しい相手ではないだろうという考えだ。勿論、エリスが問題なく戦闘できればの話だが。
「とりあえず目標は魔狼にするか。今日も東の森だな」
「決まりましたか? エリスちゃんの初陣ですね!」
リストをノーイに返すシオンの隣でエリスが意気込みを見せる。さて、その初陣が上手く行くかどうか。