女神と、悪意。
「本国からの本陣は七日後か……チッ、すっトロい連中だぜクソが」
国境砦内の応接間にて、黒フードに身を包んだ猫背の男が入室してきた兵の報告を聞き、悪態をついた。
男の声の質からして、三十代は超えているだろうか。目深に被ったフードの所為でその表情は確認できないが、機嫌の悪さは滲み出ている。
「なァ中隊長さんよォ? そっちの国の兵がここに来るにゃ、どんくらいかかりそうだ?」
そしてその男は、同じ室内に居る男、元はこの国境砦の指揮を任されていた中隊長、ラゴズに問いかけた。
「本国の隊であれば同じ程かかる。だが最寄りの街から兵と冒険者の混成隊を向かわせる可能性が高い。そうなれば早ければ二日後には攻め入られるだろう」
本来敵対する立場であるはずのラゴズは、黒フードの男の質問に丁寧に答えた。それを聞き再び舌打ちをする男。
「籠城戦は避けられねェな。その混成隊はこっちの兵でどうにかなると思うか?」
「それは俺にもわからん。リインド街の領主の私兵程度であれば大した事はないが、冒険者がどれ程の実力者が集まるかが予測できん」
「チッ、メンドくせェなァホント。最初から本隊も引き連れて来るんだったか。ここまで上手い事運べて足踏みしなきゃアなんてよォ」
「何も問題はないわ、トバリ」
苛立ちを隠しもしない男、トバリを窘めたのは、ラゴズ達国境砦の兵達を虜にした少女。
「私がいるんだもの。心配事なんてこれっぽっちもないわ」
自信たっぷりに語り笑みを浮かべる少女に、その場に居る兵達の誰もが見惚れる。トバリを除いて。
「しかしよォ女神様、懸念材料は最小限にせにゃァだろ? 帝国の兵を無駄に消耗するわけにゃいかねェしよ」
「また増やせばいいわ。その混成隊の方々も、私の下僕になればいいだけの話だもの」
「他国の人間は帝国にゃ持って帰れねェぜ?」
「それこそ要らない心配だわ。アーヴァタウタ大国はもうすぐ私の……いえ、帝国の物になるんだもの。そうなればもう他国の人間ではないわ」
自分の発言に含み笑いをしながら答える少女。
「そもそも、本来なら争いを起こす必要もないと思うのだけれど。私が大国の王様に会いに行って、帝国に従えとお願いすれば終わりなのに、ね?」
「そいつァ悪手だ。理由のない隷属は他国に警戒されちまう。あくまでも戦争の結果、帝国に乗っ取られたって体で進めねェと後々面倒なんだよ」
「あら、理由はそれだけではないでしょう?」
トバリの反論に、薄笑みを浮かべ語る少女。
「そんな事をしたら、アーヴァタウタ大国は帝国でなく私のモノになってしまう。帝国の思い通りになるかどうかは私次第。そんな事態になってしまったら困りものだもの、ねぇ?」
クスクスクス、と、自分の発言が心底可笑しいように笑う。
トバリは少女の反論に、沈黙で返す。否定する言葉はない。
「信用しろというのが無理な話でしょうけど、私は帝国の不利になるような事はしないわ。これでも感謝してるんだもの。だからあなたの策に従うし、協力も惜しまないわ……フフッ、既に答が解りきっている質問をするのは意地悪だったわね。ごめんなさい。でも、ね?」
語り続けていた少女は、そこで一旦言葉を区切り、表情から笑みを消し、
「あなたにはそれだけだとは思えない『意志』を感じる。争いを引き起こしたいと願う意志が……」
それまでの巫山戯た態度は鳴りを潜め、少女は聡明な眼をトバリに向ける。
「そもそも、何故帝国は他国を侵略しようとしているの? 資源に問題はなく国土は広大。財政も良好。宗教的な理由もない。私には他国を支配しようとする動機がわからない……ねぇ、トバリ? それもあなたの意志なの?」
真っ直ぐにトバリを射抜く少女の真紅の瞳は、驚く程強く。言葉の端々に見て取れる知性は、十にも満たないような外見とはかけ離れたものを感じる程。
暫く互いに黙り見詰め合う二人……だが、不意に少女は目を伏せ、再びその顔に笑みを作り。
「……でも、その疑問も呑み込んで、従ってあげる。私が咎める理由もないし。せいぜい愉快に踊ってね、道化さん?」
クスクスクスクス。少女の笑い声は、黙し続けるトバリを嘲りながら部屋に響いた。
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「ケッ、下等種族の分際が意気がりやがって」
退室したトバリは、悪態をつきながら歩く。
「だが、歳は十一だったか……妙に頭のキレるガキだが、所詮はそれだけだ。マヌケじゃねェが、チカラを過信して思考停止してやがる。そのうえ善悪の区別もないときた。扱いやすいったらねェぜ……イヒヒッ」
誰もいない個室を選び入り、闇は嗤う。
「万能感に浸りやがって。せいぜい今のうちに手に入れたチカラに酔ってりゃいい。どっちが駒か、後で気付いても遅いからなァ……イヒヒヒヒッ」
彼の下卑た笑い声を聞く者は居らず。
女神を讃える声に満ちる傍、その影は誰の目にも止まらず、ひたすら暗く一点を塗り潰す。
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リインドの街の領主の館の前に集められた私兵に冒険者達。その数は百余名と言ったところ。
この人数で砦の奪還に向かうのだが、数は敵兵よりも若干少ないらしい。せめて質で優っていれば良いのだが。
そしてその混成隊の中に、シオンとエリスの姿もあった。
「やですよもー。ホントに戦争に駆り出されるなんてー」
エリスは相変わらず、戦場へ赴く事を忌避している。いつもの明るい調子は何処に落としてきたのやら。
「仕方ないだろ。ここで解決できないとまずいんだ。愚痴っててもしょうがないって」
「そんな事言われましてもー。だいたい帝国って! 帝国イコール悪さする国だなんてセオリーまでも再現しなくていいじゃないですか! おのれ帝国ー!」
よくわからない理由で怒りを帝国にぶつけるエリス。実は案外余裕あるのか?
「お二方も……参加なされるのですね」
そんな二人に声をかけてきたのは、先輩聖術師のフラムさんだ。
「あ、フラムさん。こんにちは〜」
「ちわっす。やっぱりフラムさんも来るんすね」
彼女もエリス同様、貴重な聖術師。そのうえ戦闘経験も豊富だ。真っ先に声がかかったであろう事は窺い知れる。
「ええ……少し、領主様方から話をお聴きしたのですが、今回の砦の陥落……妙、らしいです」
フラムさんは、二人にしか聞こえない程度の声色で話し始めた。
「妙? いやまあ、確かにこんな事今までになかったっすけど……」
「砦に勤めていた兵達は……殆どが降伏しているらしいのです」
「降伏……?」
「はい。兵達の生死は不明ですが……私は砦の中隊の指揮を任されていた方と面識があります。ラゴズさんという、大国への忠義の厚い方でしたが、その方までも帝国に降伏したのだとか……彼ならば、使命に殉ずる覚悟で戦い続けていてもおかしくないと思っていたのですが……」
フラムさんの話は確かに妙だ。普通に戦を仕掛けられ、攻め落とされたわけではないのか?
「ん〜、どうして皆さん、降伏しちゃったんですかね? 諦めちゃうような事があったとか……うわ、こんな奴に勝てっこねー! って思っちゃうくらい強い人が帝国にいたとか?」
「だとしても、ラゴズさんまでも抵抗せず降伏するとは思えないのです……何があったのか、不安で……」
行き先に待つ、得体の知れない異常事態。それが何を意味するのか……。
「大丈夫ですよフラムさん! 今回だって私がなんとかしちゃいます! ほら、私ってチートだし? 大抵の事はチカラワザで解決させれますとも! 任せて下さい!」
不安感からか、怯えてすら見えるフラムさんを勇気付けるエリス。でもお前、さっきまで「行きたくない〜」って泣き言ほざいてたよな?
「……そう、ですね。エリスさんなら……失礼しました。見苦しい所を見せてしまいましたね」
「いえいえ。不安な気持ちもわかりますもの。一緒に頑張りましょ?」
「ええ、貴女に話して良かったです」
表情に明るさを取り戻したフラムさんは、礼を告げてその場を離れる。
「……何とかしないとな、チートさん」
「しないと、ですよねぇ……はぁ」
フラムさんの姿が見えなくなってから、重い溜息をついたエリス。変な見栄を張らなきゃいいのに。




