序幕
黒く燃えたぎる炎のようなたてがみを持った獅子が、巨大な体躯でもって街路を塞いでいた。
月の加護は群雲に断ち切られ僅かな星明りしかなく、『常闇』と呼ばれる闇に巣くう魔物達は獅子の周囲で倒れ伏した騎士達の魂を啜っている。
(どうして、こんな……)
聖騎士ジュリアは倒れた仲間達の姿に唇を噛むものの、すでに彼女自身もまともに立ち上がれる状態ではなかった。
白銀の鎧を纏った体は横倒しになり、編んでいた赤毛はほつれて血と一緒に石畳に広がっている。
それでも白亜の巨大な角のような聖槍の握り手から手を離さず、数歩先にいるもうひとりの聖騎士ローベルの後ろ姿を榛の瞳で捕らえる。
月の光を溶かしたような柔らかな彼の髪は仲間の返り血で汚れているが、まだ獅子の前に立ち塞がっていた。
肩は上下しつつ、銀の大振りな聖剣はしっかりと両の手で握っている。ただ、目の前にいる獅子、『常闇の王』はあまりにも強大すぎる。
(私達、これで終わりなの?)
十七になったばかりのジュリアは、幼馴染みである二つ年上のローベルと婚約していて、昼には二月後に挙げる結婚式の打ち合わせをしていた。
今夜もいつも通り聖女の進言に従い見廻りに出ただけだった。
しかし運悪く百年姿を現わしていなかった常闇の王の奇襲を受け、配下の騎士達は全滅に近い。まだ息がある者はいないかもしれない。
常闇の王の黄金色をした瞳はローベルにだけ向けている。
月神の加護を受けた忌まわしき聖騎士をどういたぶるか、吟味しているのだろうか。
どこが傷むかも分からないほどに全身を支配する痛覚に、うめき声すら出せないジュリアは最後の力を振り絞る。
聖槍が闇に溶け姿を消す。
ジュリアの右の掌に刻まれた、月神の加護を示す聖刻が淡い熱を持ちそれと同じ文様が常闇の王の背後に現れる。
一夜に一度だけしか使えない御業。
これにかけるしかない。
刻印から聖槍の先が現れる。それはまっすぐに常闇の王の後ろ頭から右目を貫く。
声なき絶叫が上がり、硫黄の匂いがあたりを満たす。だがそれしきのことで死ぬ常闇の王ではない。
ローベルの聖剣が銀の光を帯びる。彼もまた、御業でもって常闇の王の首を引き裂く。
石化していく獅子の首にジュリアは安堵から意識を手放そうとする。
瞳を閉じる寸前に見たのは、まだかろうじて動く前脚のかぎ爪で首元を引き裂かれるローベルの姿だった。




