第70話:川越の建国スカウト
川越城本丸御殿。
由緒ある川越市の観光地である。
本丸御殿とは、簡単に言えば藩主や殿様の居住であり、政治や儀式を行っていた場所だ。
天守閣が城の象徴と防御を担ったのに対し、本丸御殿は城主の暮らしと政務の中心だった。
現存する日本大陸の御殿建築としても、貴重な歴史的遺産である。
その中、畳敷きの広間にひとり座って時を待つ男。
川越市を統べる大名・川越。
厳かな雰囲気を醸し出している。
彼の瞳には野心が燃え盛っていた。
一地方の大名から、新国家の元首へ。
小江戸から『大江戸』へと躍進を果たす為に。
指定した時刻。
密かに呼び出した近隣市町村の大名たちが次々と広間に集まって来た。
坂戸、鶴ヶ島、毛呂山、越生。
事前に呼び出しの理由は一切知らせていない。
ただ川越は使者を送り、“他言無用、重大な密議である”と告げさせていた。
時が来るまで一切の情報を外部に漏らさない、という厳重な誓約に署名させての招集。
用意された座布団の配置。
奥の上座に川越、手前の下座に四大名。
それを見た坂戸は、内心で舌打ちする。
川越は埼力・人口の格差をまざまざと見せつけてきた。
埼力・人口の公式数値。
川越 :35万
坂戸 :10万
鶴ヶ島: 7万
毛呂山: 3万
越生 : 1万
である。
坂戸はもう一度、心の中で舌打ちした。
数字だけを見れば、圧倒的な差があった。
しかし優位というものは、表向きの数字だけで測れるものではない。
真の実力は、目に見えないその土地の総合力で決まる。
四大名がそれぞれの座布団に腰を下ろしたところで、川越がやおら口を開いた。
「急な招集、まずは詫びよう。だが諸将には、どうしても直接伝えたいことがあった」
川越には狙いがある。
自らが打ち立てる予定の新国家『大江戸』。
その枠組みの中に、坂戸、鶴ヶ島、毛呂山、越生の四市町村を組み込みたい。
出来れば所沢のやり方と同じく。
未来の同胞となる彼らを無駄に傷つけたくはなかった。
だからこそ大名たちが兵を動かすこともなく、約束通り単身でこの密議の場に応じてくれたことには感謝していた。
川越は四人の顔を順に見回した。
少しピリついた面持ち。
雰囲気を和らげようと、川越は柔らかな口調で切り出した。
「まずは何だ、甘い物でも口に入れるか? 名物の『いも恋』や、揚げたての『芋チップス』を用意させてある。遠慮なく食べてくれ」
鶴ヶ島の眉間にしわが寄った。
「こちらは重大な話があると聞いて馳せ参じた。用件を早く伝えて述べてくれるか?」
鶴ヶ島だけじゃない。
見れば、隣に座る毛呂山も越生も、険しい顔をしている。
川越は彼らの態度に察しがついていたが、あえてこちらからは触れない。
越生がわずかに身を乗り出した。
鶴ヶ島と毛呂山の顔を窺うと、ふたりは無言で越生に向かって頷く。
三者の考えていることは、どうやら一緒のようだ。
越生が代表して物申すべく、口を開いた。
「実は私たちも、川越殿に直接言いたいことがあったのです。この際ですから、先にはっきりと言わせてもらいます!」
「ほう、それはいかに?」
川越は落ち着いた姿勢を崩さないまま、先を促す。
「奥武蔵国が、隣接する鶴ヶ島市、毛呂山町、そして私の越生町に攻めて来ました!」
「それはそれは……穏やかではないな」
川越は意外そうな顔をしてみせたが、内心では織り込み済みだった。
所沢は入間、飯能、日高、奥武蔵の連中たちを懐柔し、うまく話をつけたらしい。
川越を利する為に一芝居打たせている。
策は順調に進行しているようだ。
「川越殿。奥武蔵は、まだ侵攻に本腰を入れているわけではないようです。ですが、我々は自領を守る為に兵を動員し、市民も不安を募らせています!」
それはそうだろう。
奥武蔵の埼力・人口の公式数値。
入間 :14万
飯能 : 8万
日高 : 5万
である。
鶴ヶ島、毛呂山、越生は、奥武蔵の連中に及ばない。
あくまで一つの参考指針の数値だが……。
あとは、川越の導き方次第。
所沢との事前の密談では、互いの建国のタイミングを調整することにした。
当初の予定では西武連合国が先に立ち、その後に大江戸が続くはずだったが。
こちら側も坂戸、鶴ヶ島、毛呂山、越生を『大江戸』の枠組みへ組み込む準備を整えた上で、同時期に独立国宣言を行う手はずになっていた。
その方が、帝都さいたま市や周囲の独立国に対する牽制と圧力を生み出せるからだ。
「川越殿! 私の話、聞いておられますか!?」
越生が声を荒げる。
「ああ、すまない。少し考え事をな……で、何だ?」
「貴殿は所沢と共に、帝都から王命を受けて奥武蔵の討伐にあたっているはず!」
「いかにも」
「ならば、早く奥武蔵を討伐してくれませんか? 貴殿たちが前線で敵を引きつけていないせいで奥武蔵に余力が生まれ、その矛先が私たちに向いているではありませんか!」
「……すまんな、奥武蔵の連中は存外強くてな。我が川越軍は日高市へ進軍中だが、高麗川駅が落とせぬ」
その言葉に、隣の毛呂山もたまらず割り込んだ。
「ちょっと待って下さい。川越さんと所沢さんが手を結べば、埼力の合計値は60万を余裕で越えます。入間、飯能、日高の三市を合わせても、埼力はその半分にすら満たない。なのに何故、モタモタしているのです?」
さらに鶴ヶ島が、冷ややかな視線を向けてきた。
「川越・所沢は手を抜いている。貴様らが本気を出せば、すぐに倒せるはずだが」
三人の大名からの詰問。
川越は慌てずに目を閉じ、しばし沈黙の時間を作る。
そして、静かに目を見開いた。
「我らは今、埼玉国の大名として帝都さいたま市に仕えている。領地の統治も、税の徴収も、軍の動かし方さえも、最後に決定を下すのは、あのダ・サイタマ王の気まぐれひとつだ。
どれほど市民の為に働こうとも、きゃつの都合で全てが白紙に戻される。
まったくもって馬鹿馬鹿しい話だ」
「……」
誰もその言葉を否定しない。
言うまでもない、分かりきった事だ。
それを何を今更。
「川越殿! 話を逸らさないで頂きたい!」
越生が咎める。
即座に川越は鋭い眼つきで越生を睨みつけた。
たった一瞥。
それだけで、越生の背筋に悪寒が走る。
小さく身を縮こまらせて、越生は沈黙した。
これぞ、埼力差の暴力。
パワハラならぬ、埼ハラだ。
いかんいかんと、川越は表情を緩める。
所沢のように、相手を穏便に丸め込められたらきっと良いのだろう。
だが生憎と、川越の性分は真っ直ぐなのだ。
川越は胸の内で苦笑すると、懐から一枚の地図を取り出して広間の畳に広げた。
そこには川越市を首都として、周辺の坂戸市、鶴ヶ島市、毛呂山町、越生町へと伸びる統合ラインが描かれていた。
「帝都の言いなりになるのはもう終わりだ! 我らの手で国を興し、ここに独立を宣言する!」
川越は地図上の川越市を、力強く指で叩いた。
「国号は『大江戸』! これより諸将らは我が新国の加盟市町村となる。共に手を携え、この乱世を乗り越えようぞ!」
鶴ヶ島、毛呂山、越生の三人は気圧されて、金縛りのようにその場で固まった。
ただ一人。
坂戸だけは腕を組み、先ほどから無言のまま一部始終を見守っている。
やがて毛呂山が沈黙を破った。
まるでうわ言のように呟く。
「大江戸を建国……? 独立って……冗談ですか?」
続いて越生が慌てた様子で異議を唱える。
「あのっ! 江戸といえば『東京国』のことではないのですかっ!?」
「細かい事は気にするな。小江戸と呼ばれてきた俺だ。名を掲げる以上、それに相応しい国を作る」
「いえいえ! 国の名前がどうこうという問題ではありません! なぜ私たちが川越殿の傘下に入らなければならないのですか!?」
その問いに、川越は鼻で笑ってみせた。
「お前たちは今、奥武蔵の連中に攻められているのだろう? 『大江戸』に加わるというなら、俺が本気で奥武蔵から鶴ヶ島市、毛呂山町、越生町を守り抜いてやろうじゃないか。なにせ、これからは全て俺の国の領土になるのだからな」
鶴ヶ島は失笑を漏らした。
「茶番だな……」
川越はあくまで至って大真面目だ。
「鶴ヶ島、毛呂山、越生、それにさっきから黙ったままの坂戸よ。覚悟を決めろ。いつまでも帝都の奴隷であり続けるか。
それとも俺の配下となり、共に埼玉の覇者として輝かしい未来を掴み取るか。答えは一つだ!」
毛呂山は青ざめていた。
「そんな……独立を持ちかけられる事と、独立に従わされる事は違うのに……」
先ほど埼ハラを受けた越生も。
「川越殿、独立の志は結構です。しかし帝都の代わりに川越殿が私たちの上に君臨するなら、私たちにとって何の意味がありましょう?」
この越生の指摘は、川越にとって痛いところ。
ダ・サイタマ王の中央集権を批判するならば、川越も決して同じような独裁の構図を作ってはならない。
鶴ヶ島はまた失笑を漏らす。
「川越よ、我々が独立を宣言した日から、我らは帝都の敵となる。我らのこの広大な領地と市民たちを守り切れるのか? 帝都が大人しく黙っているとは思えぬが」
「黙らせるさ」
川越は説く。
既に埼玉国では、王ダ・サイタマに対する各地の忠誠心が弱くなっている事。
帝都さいたま市の影響力は、日を追うごとに減少しているという事実。
秩父王国、児玉国、奥武蔵、川口自治領など。
見限って独立した市町村が幾つもある。
なにより――
『大江戸』の誕生と共に『西武連合国』が産声を上げる。
両国は軌道に乗るまでの間、互いを守り合う同盟のような関係を維持する密約を交わした。
つまり帝都さいたま市の埼玉国といえども、迂闊には手を出せない規模の勢力となるのだ。
川越は急かすように、諸将を煽る。
「悩んでいる時間はないぞ? 奥武蔵の侵攻は、既に始まっているのだろう?
いくらまだ本腰ではないといえ、連中は着実に鶴ヶ島・毛呂山・越生方面へ軍を進めるだろうな」
その言葉に、越生が耐えかねたように畳を蹴って立ち上がった。
「もう結構です! 奥武蔵討伐を任されたはずの川越殿たちが何とかしてくれないというのなら、私たちは直接帝都に救援を求めるまでです!」
越生は、鶴ヶ島と毛呂山を交互に見る。
ふたりとも力強く頷く。
川越は冷ややかに告げた。
「帝都に救援を求めるのは、得策ではないと俺は思うがな」
「なぜです!? 自分たちが討伐軍として無能だったと帝都に暴露され、罰を受けるのが怖いんですか!?」
「そうじゃない。帝都が奥武蔵への対応を本格化させれば、直ちに周辺の大名に討伐の厳命が下るはずだ。
そうなれば越生、毛呂山、鶴ヶ島。お前たちは正式な討伐軍として奥武蔵との全面戦争へ引きずり込まれることになる」
「な……っ?」
「つまりだ。お前たち自身が奥武蔵討伐の当事者として立たされるわけだ。どのみち戦火から逃れられんな。戦争に巻き込まれ、帝都の命令で領地と市民を犠牲にする」
「く……っ!」
越生は返す言葉を失う。
毛呂山も、鶴ヶ島も、言い返せずに言葉を詰まらせている。
川越は姿勢を正すと、鋭い眼差しで一同を見渡した。
「俺を信じろ! 俺の『大江戸』に入り、この川越に支援を求めろ!
そうすれば、俺がすぐに奥武蔵を黙らせてやる。お前たちの領地と市民を守ってみせる! 後悔はさせん!」




