第7章 塔の心臓に触れる影
※作者より
物語には、ここから分岐した、もうひとつの流れがある。
それは、“もしもあの日、彼の手が届かなかったら。”“もしも違う運命が、回り出したなら。”という、別の風が吹いた世界。
私はこれを、『透明の心臓【外典】』 として紡ぐ。
(これより前のお話は、「透明の心臓」ⅠからⅣ-6までをお読みください。)
塔は、夜の闇に沈みながら――まるで巨大な心臓のように、脈動していた。
ノヴァの小さな足が石段を駆け上がるたび、その脈は強まり、風が塔の周囲を巻き込み、古い瓦礫が震えた。
「……やだ……でも……いかなきゃ……」
ノヴァの声は震えている。涙で視界が滲んでいる。
それでも足は止まらない。
胸の奥で鳴り続ける声があった。
“戻れ。壊せ。混ざれ。帰ってこい。”
声が重なり、揺れ、ささやき、叫ぶ。ノヴァには意味がわからない。でも──
その声が 慧吾の痛みと同じ“場所”から来ていることだけは、直感でわかっていた。
だからこそ、逃げられなかった。
塔の入口に辿りついた瞬間。
ノヴァの膝ががくんと落ちた。
「……いたっ……」
胸が激しく痛んだ。慧吾と同じ場所。同じように光り、同じリズムで脈を乱す。
“ひとつの心臓が、ふたつの身体に分かれたように。”
ノヴァは苦しさに涙を落としながら、震える声で呟いた。
「けいご……すごく……いたい…… ぼくも……おんなじ……いたい……」
塔の扉は静かに、音もなく開いた。
中は暗闇。冷たい石の匂い。そして、底から響く脈動の音――
ドン……ドン……ドン……
ノヴァの光と完全に同期していた。その中心へ――ノヴァが足を踏み入れようとしていた。
塔は、夜の中でも浮かび上がるほどに白く、その真下に近づくほど、胸の光が痛んだ。ノヴァが足を踏み入れると、塔がぐにゃりと揺れ、まるでノヴァを歓迎しているかのようだった。
(けいご……ごめんなさい……ぼく……ぜんぶ、こわした……)
ノヴァは涙をぬぐった。その顔は幼くても、決意の影があった。
慧吾は夜道をふらつきながらも走っていた。痛みはもはや波ではない。胸の光が、悲鳴そのものだった。
「ノヴァ……待て……!!」
ジャックが後ろから叫ぶ。
「慧吾!速度落とせ!!肺が破れるぞ!!」
慧吾は振り向かず、絞るように答えた。
「……“呼んでる”んだ……ノヴァが……!」
ジャックは舌打ちした。
「……あのガキ……自分のせいだと思ってやがる……!」
慧吾の心臓が一瞬で凍るような痛みを走らせた。
ノヴァが“自分が悪い”と感じている──それが慧吾の一番の恐怖だった。
慧吾は歯を食いしばり、胸を押さえながら走り続けた。
塔の根元に、ノヴァの小さな影が見えた。
慧吾は息が切れ、地面に倒れ込みそうになりながらも叫ぶ。
「ノヴァ!! 戻れ!!そこは危ない!!」
ノヴァは振り返った。涙で濡れた目。でも──笑った。
「……けいご……」
その声は震えていた。
「ぼくね……すっごく……こわかったの……こわい声がして……壊せって言って……まちがゆれて……それで……けいごが……すごく痛くて……ぼくが……全部……!!」
慧吾は首を振る。
「違う!!それはお前のせいじゃない!!共振は俺の──」
ノヴァは叫ぶようにかぶせた。
「だって!!……けいご……ぼくが呼んだら……痛がった……!!」
その瞬間、慧吾の呼吸が止まった。
(──あの日の俺と同じだ)
自分のせいで誰かが傷つく。だから自分はいない方がいい。その思考の落とし穴を、慧吾は痛いほど知っている。
「ノヴァ……聞け……お前は──」
そこまで言ったとき。
塔が鳴いた。
ゴォォ……ッ!
塔の奥底から、白と黒の渦が唸り声をあげる。ノヴァを呼ぶように。
ノヴァの髪が逆立ち、胸の光が共鳴して脈打つ。
「……呼んでる……ぼくの……なかの……“これ”が……また……暴れちゃう前に……ぼくが連れていかないと……!」
慧吾の叫びが夜に裂けた。
「ノヴァ!!お前がいなくなったら意味がない!!俺は──“お前に生きてほしい”んだ!!」
ノヴァの目が大きく揺れた。
涙がポロポロと、こぼれる。
「……ぼく……いきてて……いいの……?」
慧吾は駆け寄ろうとした。だが胸の痛みで足が折れるように崩れた。
「……ああっ……!!」
ジャックが叫ぶ。
「おい慧吾!!お前も限界だ!」
慧吾は地面に手をつきながら、叫びに近い声を絞り出した。
「ノヴァ……生きろ……お前がいない世界なんて……俺は望まない……!!!」
ノヴァは震えた。
けれど──笑った。
大粒の涙を湛え、悲しい、優しい、子どもらしい笑い方で。
「……ありがとう……けいご。だいすきだよ……」
そして──塔へと駆け上がる。細い細い、天へと続く尖塔へ。黒い渦の待つ、その先へ。
塔が、息をするように揺れる。その幼い姿を隠したまま、入口が大きな音を立てて崩れた。
慧吾は手を伸ばす。
「……ノヴァぁぁぁあッ!!」
その指先は、届かなかった。




