第七話『野外学習にて』①
ぼんやりと過ごしているうちに夏休みも終わってしまって、始業式の日は少し早めに登校した。
夏休みだろうと関係なく部活があったので、ほぼ毎日顔を見てきた生徒よもいるが、会ってない生徒とは約一ヶ月ぶりになる。会ってない生徒というのは、夏休み終了間近の出校日に学校に来なかった生徒たちのこと。それ以外の子とは約一週間ぶりだ。
白石先生とともに早めに教室に向かって、休み明けだというのに疲れた顔の生徒たちに挨拶をする。おそらく課題をためてたのだろう。直前になって必死に課題を解き始めた様子が容易に想像できる。
おはよう、と声をかけていると、いきなりバシッと肩を叩かれた。力加減をしてないところから、誰が叩いてきたかはだいたい予想がついた。
「坂本先生! おはよう!」
振り返る前に声が聞こえた。夏休み前と変わらない、元気で無邪気な笑い声。
「山内さん、おはようございます」
夏休み前と比べるとだいぶ焼けていて、夏休みは相当遊んでいたことが分かる。その笑顔からも、楽しかったことがうかがえる。
夏休みという長い休暇を休めるのはいいことだ。その点私は、わけのわからない世界、一応過去ではあるがそれでも見知らぬといってもいい世界で行く場所も思いつかず、お盆も家でのんびりとしていた。空いたその時間は、今後どうして行くかなどを考えたりもした。
だけどやはりあまり長く暇なため、何度も元の世界に帰りたいと思った。そうしたら、会いたい人は何人かいる。こっちの世界に来てみて考えると、あの人に会いたい、あの人にも会いたいと、会いたい人が浮かんでくる。
……まあ、こんな長いことこちらにいるから、そろそろ私が死んでる可能性のが高い。それは理解してるのだけど。それなら、こっちにいるほうがマシなのかなと、そう思ってしまうのが悲しかった。
通りがかった夏子が、凛月のほうを見てニコニコと笑う。
「凛月ちゃん、焼けたね〜」
そういう夏子もだいぶ日に焼けているようだった。凛月もそれに気付いていて、「夏子ちゃんこそー」と頬を膨らます。
とりあえず荷物が邪魔なのか、凛月たちはわいわいと話しながら席に戻っていった。
それと入れ替わりで、のぞみが私の元へと来た。
「おはよう、坂本先生」
ひらひらと手を振るのぞみ。
「おはようございます」
笑いかけると、のぞみもふわりと笑みを浮かべた。
なんだかんだ、のぞみも焼けていた。中二の夏休みもそんな外に遊びに行った記憶はなかったけど、日焼け止めを厚塗りしたりしなかったから焼けたのかな。私はそんなに焼けてないと思ったけど、傍から見ると焼けてるものなんだ。
思わずくすっと笑うと、のぞみがムッとした。
「なに笑ってるの」
「いえ、坂月さん、焼けましたね」
くすくすと笑いながらそう言うと、のぞみはパチっと自分の頬を軽く叩いた。それから私を見上げ嫌そうな表情をする。
「焼けた? そんな遊んでないのに?」
納得いかない顔で訴えかけるのぞみに、ますます頬が緩む。
「だろうと思いました。ちょっとしたお出かけにも日焼け止めを塗りましたか?」
私が問いかけると、ああそういえば、とのぞみは肩を落とした。
「安物の日焼け止めで、面倒なときは塗ってなかったかも」
そういうことか、と納得しつつもやっぱりムッとしたまま、のぞみは軽くため息をつく。いつの間にか表情豊かになっているのぞみに、私はホッと安心した。
夏休みをはさんだら距離感を忘れられてまた距離があくのではと心配していたが、逆に距離感を忘れて近くなった気がする。
そんなのぞみに笑みを浮かべていると、教室に入ってくる人の気配を感じてそちらを見た。それに合わせてのぞみも扉の方を見る。
「あ、」
私を見て、小さく驚く恵美。それからすぐ視線をそらして気まずそうにする。イジメの現場を目撃して以来、こんな感じで恵美に避けられている。
「六木さん、おはようございます」
声をかけると、小さな声で「おはようございます」と答えてさっさとその場を去ろうとする。そのあとを、のぞみが追いかけて声をかけている。
のぞみに対しては、私のときとは違って少しだけ明るい顔をしていて。軽く会話を交えたあとにそれぞれ席に戻っていく。
「先生、おはようございます」
サラッと挨拶をしていった碧に挨拶をし返すと、荷物をおいてきた凛月がトントンと肩を叩く。
そちらを振り向けば、むにっと頬を人差し指でつかれて、凛月は「引っかかった〜」なんて言って笑っている。ちょっと長い爪が少しだけ痛かったけれど、楽しそうな笑顔に、思わず私も微笑んだ。
凛月のことは嫌いだったけど、今こうしていても苦手だけど、でもどうしても憎めないのは、恵美の死を深く受け止め下を向いてしまった凛月と、こんなふうに無邪気な凛月を知ってしまったから。イジメをするような最低なやつだと、後ろ指さしていた私のほうが、よっぽど最低な気がしてしまったから。
成人式の日、それを知った。
「山内さん、人にそれをやるなら爪は切ってくださいね」
凛月は、教えたら素直に従う子だ。ここに来て、それを知った。実際、凛月は自分の爪を見て、わっと小さく驚いている。
「ほんとだ、爪が長い。今度はちゃんと切ってからやるね!」
「またやるつもりですか」
でも、謝罪の言葉を知らないのか、謝りたくないのか、真意は分からないけど、凛月はいつも明るく笑うだけ。相手に悪いことしたからと、ごめんなさいの言葉を言うところを聞いたことがなかった。
頬をおさえて引っかかりませんよ、と付け足せば、絶対引っかかると自信満々に言う凛月。
凛月を知れば知るほど、凛月が分からなくなっていく気がする。どうして、凛月はイジメなんてしたのだろう。
もうすぐ、野外学習がある。のぞみが少しでも恵美に寄り添ってくれることを願いながら、私は私で、せっかく凛月と恵美が違う班になったのだから、凛月がどうか、野外学習中にも嫌な思い出を増やさないように。私にできることを、やらないと。
*
野外学習の日が来た。いよいよ、という感じで、なんだか感慨深い気持ちになった。
だけど準備も大変でとにかく忙しかったし、野外学習中も気を抜いて休める時間はない。なにせ、知らない土地に来ているのだから。知らない土地で気分の上がっている生徒たちを守ってあげなければならないのだから。
そうそう施設を抜け出す生徒なんていないらしいけど、やはり昔はあったみたいで。だから教員の休む時間もなくなったわけなんだけど。
まあ、話を聞く限り、昼間はみんなでわいわいできて楽しいみたいだし、大変なのは夜だけ。そう考えれば少しは楽だ。少しは楽、なんだけど。気がかりなことはあるから、やはり昼間も気が抜けないだろう。
たとえばそう。
「坂本センセー! おっはよー!」
元気いっぱいに挨拶してきた、凛月のこととか。
「おはようございます、山内さん」
長袖長ズボンのルールの中、よくここまでオシャレができるな、と尊敬する。自分の身丈にあったジーパンに、洒落たデザインの長袖の服、裾についたフリルと飾り。見逃されるラインギリギリで、あまり派手すぎなくて。
そういえば、そういうとこは尊敬する、なんて考えたこともあったっけ。
隣にいる夏子も、それなりにおしゃれな格好をしている。凛月が可愛くあどけない服装で、夏子がどちらかというと大人っぽい服。多少身長差があるために、姉妹にも見えなくもない。
「先生、おしゃれですね〜」
夏子がふわっと笑って褒めると、凛月も大きく頷いている。
おしゃれ、と言われたけれど、そんなことはない、ただのジーパンとシンプルなシャツと、カーディガン。淡い緑色のカーディガンが、少しだけおしゃれに見せているだけで。
「ありがとうございます」
笑いかけて、整列するように促すと、凛月たちはさっさと列に並びに行った。その後ろで友人と駄弁っているのぞみが目に入って、なんだか噴き出しそうになった。
周りみんなおしゃれして、私だけ浮いている、なんて、あの時はそんなことを思っていた。野外学習でおしゃれなんて、どうせ服は汚れちゃうだろうに意味がないと、そう思って適当な服を選んできたつもりだったのに。
改めて見ると、なかなかに意識した服装をしている。適当に選んだ服じゃなくて、ちゃんと考えて決めた服だ。口先ではなんだかんだ言いつつ、あの頃の私も少しは周りのおしゃれに馴染みたかった。
恵美もそこそこおしゃれだったけど、気を遣ったわけじゃない自然なおしゃれだった。
生徒が整列し、出発式なるものをする。
長い校長先生の話に寝そうになっている生徒を横目に、私は真剣に先生の話を聞いていた。
私も昔はほとんど話を聞いてなかった気がするけど、改めて聞いてみるとどこか聞き覚えがある。ああそういえばこんな話してたっけって。本当にかすかに覚えててそんなことを思ってるのか、覚えてる気になってるだけかは分からないけれど。
校長先生のありがたい話をたっぷり聞いたあとは、クラスごとにバスに乗り込む。
バスではのぞみと、あとは確か桜子や光と考えたバスレクを行った。クイズをみんなで考えてたんだよな、と思い出しながらクイズに参加した。残念ながら問題を聞くたびになんとなく答えを思い出してしまっているから、積極的に参加することはないけれど。
途中、サービスエリアによって、後半もクイズを再開した。
一瞬、まだあるのかと驚いたけど、よく考えれば多めに準備しておいたんだった、みんながたくさん楽しめるようにと。
後半はバス酔いしたという碧を隣に乗せて、クイズで盛り上がるクラスの声を聞いている。
バス酔いした子がいたのはなんとなく覚えにあった。誰かまではさすがに覚えてなかったけど。まあ、あのときはバスレクに夢中だったから。
それにあのときは、ときおり視界に映る恵美のことが気になって仕方なかったな。凛月とのことを知った上で何もできなかった罪悪感に苛まれていて。
今の私は、どうなんだろう。罪悪感という罪悪感は感じていないのか、それともまた別の責任を感じていたりするのだろうか。
「先生」
コソッと耳打ちされる。隣に座っている碧が、小さな声でボソッと囁く。
「野外学習、楽しみですね」
先生は初めてでしょ?と笑っている碧に、私は少しだけ考える。
「確かに、教師になってからは初めてだから楽しみですけど……。それより長谷川くん、バス酔いの方は大丈夫ですか?」
「あー、うん、だいぶマシになりました。酔い止め飲んできたんですけどね。はあ、また大翔に笑われる……」
「ほんとに仲が良いですね」
「んー、まあ、悪くはないですけど」
ちょっと不機嫌そうな顔をした碧は、そのまま窓にもたれかかる。
バスが止まるまで、それ以上あれこれ会話をすることはなかったけど、ゆったりとした時間がなんだか心地よかった。




