閑話『夏休み』
今回のお話は箸休めみたいなものです。
ですがぜひ読んでくださいな。
少し動いただけでも汗がふきだして、体が重くて仕方がない。パタパタとうちわであおぎながら、ため息混じりに学校へ行く支度を整える。
夏休みが、始まった。
が、部活をもっている先生にはそんなの関係ないらしく、平日は結構な頻度で学校へ行かなければならない。これでも生徒の希望もあって、練習試合をところどころ挟んで、ちょくちょく休みを入れている。そのおかげで毎日部活に行く必要もないのだが、よその部活では毎日行く人もいるらしい。
向こうについて着替えるのもめんどうくさいので、部活用のジャージを着て行く。先生には許可をもらってるし、まあ大丈夫だろう。
予定表を確認して、また一つため息をついた。
「ブラック企業だ……」
ちょくちょく休みはあるけれど、今はちょうど引退試合のシーズン。七月が終わるまでは練習に試合と、ほとんど休みがない。日曜日まで駆り出される生徒も大変だろうが、剣道経験がなくとりあえず部活を担当しろということで剣道部顧問になった私も辛い。
そして、本日がその日曜日、試合のある日である。
会場は今私が勤めている学校で、朝早くから準備をしなきゃいけない。夏だから感覚が狂っているけど、準備を整えて家を出たのはまだ六時半。七時には生徒が来るから、七時前には学校に行きたかった。
……こういうことが積み重なると、部活は持ちたくないと思う。まあ、生徒と関わるきっかけになるから、完璧に悪いことじゃないのも分かるんだけど。大変というか、いやほんとに大変。
車で学校まで向かって、試合のための準備をし始める。もうすでに何名か生徒が来ていて、早く来られるのもまた困るな、なんて思った。
水月先生も私が来たすぐあと来たくらいに来て、もうすでに来ている生徒に「早いぞー」なんて言っている。
その朝早い生徒の中にはこの間の大橋さんや碧がいた。
「あ、坂本先生、言い忘れてたんですけど、この間はありがとうございました! おかげで進路がはっきり決まりましたー」
ニコニコと優しい笑みを浮かべている大橋さんにつられて、こちらまで笑顔になる。
「そんな、大したことはしてませんけど」
「そんなことないです! 参考になりましたから」
ふわりと笑って私をおだてる大橋さん。三年生だからか、クラスの子と比べて少し大人っぽくて、話し方も落ち着いている。大橋さんの性格もあると思うけど。
「えー、なになに、なんの話ですか?」
ひょいと碧が口を挟む。大橋さんはくすっと笑った。
「この間、坂本先生に相談にのってもらって、改めてそのお礼をしてたの」
「あー、なるほど、そういうことですか」
納得したように何度かうなずいた碧。
碧はなんだかんだ先輩に可愛がられてるみたいで、部活ではよく先輩と絡んでいた。といっても、私が顔を出したときによく話していたから、そういう印象があるだけかも。下級生にも優しいから、後輩とも仲はいいらしい。
剣道部は上にいる人がおおらかだからか、あまり目立った衝突もなく、いつも平和な感じだ。
「さあ、試合の準備をしましょう」
二人の肩をトンっと叩いて声をかけると、まだ話したかったのか二人ともムッとして私を見た。私がそれにふふっと笑みを浮かべると、二人も笑みを浮かべてから、それぞれ準備をしに行った。
*
パラパラと、試合の途中にはさまる拍手と、声と、竹刀のぶつかる音。
審判はできないし、正直準備が終わればほぼ役立たず状態の私だが、副顧問という理由で、試合中は観客とともに試合を見つめていた。
団体戦だから、勝ってるのか負けてるのか個人戦より頭がごちゃごちゃするけど、今はそんなことはいい。ひとまず、汗水垂らしながら一生懸命に剣道に励む生徒たちを見て、自分の青春時代を思い起こす。
……剣道には関わりがなかったから、あんま、思い出すこともないけど。ただ、部活見学で覗きに行ったことはあったかな。結局、どこの部活にも入らなかったんだけど。
目の前で繰り広げられる試合。本で勉強したけれど、全然わけわかんない。
竹刀の音が体育館内に響く。
「あ、碧……」
ポツリとつぶやいた声にハッとして手で口を覆った。軽くあたりを見渡すけど、声が小さかったのと、周りがみんな試合に集中してたのもあって、誰にも聞こえていなかったらしい。
面を被っているから顔は見えないけど、名前を腰から下げているから分かった。あと、雰囲気とか。
ジッと、彼が攻めていくのを見つめていた。目があったかどうかはわからないけど、一瞬私のほうを見た碧が、一本を取りに行く。
すごい、という言葉しか出てこないくらいに、なんだろう、なんか、すごいや。
試合を見つめて立っている間、中学生の頃に戻ったような気持ちでずっと見つめていた。
あの頃は、一度も見たことがなかった試合。見てこなかったことをちょっと後悔して、今見れることに感謝していた。
勝敗の基準はまだ分からないけど、迫力があって、厳かで礼儀正しくて、なんか、すごい。これをやってるのが中学生なのかと思うと、ますますそのすごさを言葉にできなくなる。
いつの間にかホイッスルが鳴り響いてドキッとした。あ、終わっちゃったんだ、という突然の虚無感に、私は大きく深呼吸をした。
礼をして、こそこそと体育館のすみのほうに戻ってきた生徒の目に涙が浮かんでいて、それで負けたことを悟った。大橋さんなんかはぼろぼろと泣いていて、他の三年生も悔しそうに泣いていた。
それでも会場の学校のために、あと一試合見て行かなきゃいけない。慰める間もなく一生懸命に泣き止もうとするみんなを、そっと思い出に重ねる。誰かの引退試合のときに、そうやって泣いて悔しがっているのを見たっけ。
竹刀の音、気の入った声。知らぬ間に隣に並んでいた碧にも、目を赤くして明らかに泣いたあとがあった。
多分こっそり泣いてきて、もう大丈夫だとこっちに来たのだろうけど、全然大丈夫じゃなさそうだ。
「負けた」
ボソッと呟いた碧に、私は思わず微笑んだ。そうやって必死になって、その結果悔しくて涙することが、まさに青春って感じでまぶしくて。
なんで笑うんだと訝しげに私を見た碧に、私はまたニコリと笑いかける。
「でも、かっこよかったですよ、長谷川くん」
スッと碧が目をそらした。目だけじゃなくて、かすかに頬も赤くなる。
「今言うのはズルいです……」
褒められたのが嬉しかったらしく、納得いかない表情の碧が、ますます微笑ましく思った。
試合も終わってしまって、片付けをしたあと、体育館のすみに集まって三年生が一人ひとり挨拶をした。試合で負けてしまったため、今日で引退することになるから。
二年半の青春を掲げてきた部活を引退することがよっぽど悲しく寂しいのか、一言ずつ語る過程でそれぞれがまた涙を見せた。泣かないぞと決めた表情の子も、最後にはこらえきれずに涙が頬を伝っていた。みんながみんな、きらきらと輝いていて、勝ったとか負けたとかそんなの関係ないくらいに素敵。悔しさも悲しさもまっすぐ伝わってくるから、私までもらい泣きしそうだ。
全員それぞれの思いを言い終わって、水月先生が前に立つ。三年生たちにまとまりのない伝えたいことを伝えて、よし、と空気を切り替える。
さっきまでしんみりしていた部員たちの雰囲気も、それに合わせてころっと変わる。
「では、最後に、今年の部長を発表するぞ」
このタイミングなんだ、と驚く。
思えば三年生も今後の部活について気になるもので、ここで部長を発表してくれたほうがいいのかもしれない。と、夏休み明けに部長が誰になったのかとそわそわしていた、卓球部だった友人を思い出して、そんなことを考えた。
少しだけこそこそと話し声が聞こえるが、誰なのかだいたい予想がつくらしく静かに発表を待っている。私も部長が誰なのか事前に聞かされたわけでもなく知っているから、新鮮味はないけれど。
「部長は長谷川 碧、副部長は小田原 礼奈」
そういえば、部長と副部長は男子と女子が被らないようにしてるんだっけ。副部長で女子の名前が呼ばれて、そんなことを考えた。
全校生徒はなかなかいるけど、他の部活に奪われて剣道部に入っている人がすごく多いわけじゃない。さすがに練習内容は違うけど、部活自体は男女混合。部長発表の次にはサポートとしてと男女両方から何人か指名されていて、あの子たちがだいたい副部長にあたる役割を担っている。
片付けも終わったからもう帰るだけで、しばらく話し込んだ生徒を見送りながら、体育館の片付け確認をする。
「坂本先生」
声をかけられて振り向くと、帰る準備万端な碧が立っていた。
「長谷川くん、お疲れ様です。部長就任おめでとうございます」
「なんか会社みたいですね」
冗談っぽく言ってみると、碧は突っ込みながらくすくすと笑ってくれて、よかったとホッとした。
何か用があるのでないかと思って碧の顔をまじまじと見ていると、碧はそれだけなんですけど、と呟いた。
「単純に、僕、試合頑張ったから、先生からのお疲れ様が聞きたかっただけなので」
なんかすみません、と謝ったあと、碧はさっさと体育館を出ていく。
昼から運動場ではサッカー部が練習をしていて、サッカー部もそろそろ帰りらしい。外から碧を見つけて声をかける大翔の馬鹿でかい声が耳に届く。それに対してうるさいと突っ込む何人かの騒がしい声が聞こえてきた。
楽しそうに談笑しながら去っていく。微笑ましいその光景に頬を緩ませる。それから、心の中でもう一度お疲れ様と呟いてから、片付けの方を再開した。




