閑話 音の無い剣戟
転移前の姿勢のまま、うつぶせで眠る息子の友人を反転させてやる。仰向けの方が少しは楽だろう。当然のごとくついて来ている彼の侍獣が、寄り添うように顔の横で体を丸めた。侍獣というのは主の居るところへならば自在に跳べるので、絶影で運ぶまでも無い。
「それにしても。とんでもないですね、この子は」
自分がどれほどのことを成したのか、この赤髪の少年は気付いているのだろうか。炎の概念を具現化し、ヒトに憑いた病魔だけを燃やし尽くした――それは事実上、あらゆる病を祓う万能薬に等しい。
勿論、それが誰にでも……具体的に言えば姉以外にも使用可能なのか、という問題はある。けれど少なくとも、今後彼の姉が病気で命を落とすことだけは絶対に無くなったと言える。
今はまだ、霊力の扱いにも無駄が多く、一度使うだけで意識すら保てなくなるようだが、霊力自体の扱いに習熟すれば、自身の霊力を根こそぎ使い切るほどではなくなるだろう。まぁ、さすがに一日に何度も使えるものでは無いだろうが。
そして傍に居るだけで霊力の回復を速める侍獣も得ている。今回は完全に空になるまで使い切ったので、この辺りで最も精霊の力が満ちている場所――不入の森に運んだわけだが。
出会う前からそうであったとも言えるが、息子が相応しい銘と知識を与えたことで、いよいよこんな辺境の村に収まる才能ではなくなったように思う。
――本格的に鍛えてみるのも面白いかもしれない。
とまぁ、そんなことを考える程度の時間だけで、息子の友人は目を覚ました。
目の前で丸まっている侍獣と目を合わせ、瞬きを二度、三度。どうでも良いことではあるが、仔犬も全く同じタイミングで瞬きをしていた。
そこで直前のことを思い出したのか、がばっ、と勢いよく起き上がり、見つけた私に摑みかかるように……飛びつこうとして、べちゃりと地面に落ちた。
「アンバー君よりも消耗が激しいんですから、もう少し寝ていた方が良いですよ?」そう言ってから、おとなしくさせるために一番重要な内容が抜け落ちていることに気付く「お姉さんの病魔なら、無事祓えましたから」
腕立ての途中のような体勢で、また無理に体を起こそうとしていたアルが、その一言で力を抜いて、大の字に寝転がる。彼と姉を、自分と息子に置き換えて考えれば、当然の反応だった。大事な家族が命の危険にあったというのに、その安否もわからないままで、おとなしく転がっていられるはずがなかった。
「見事なものでしたよ、熾紅」
心からの称賛を送り、今はおとなしく回復に専念し始めた少年の傍らに腰を下ろす。仔犬が頬にこすりつける鼻先をくすぐったそうにしながら、アルはそれだけが理由ではないと思える笑みを浮かべた。
「シディさんに認められるのはすげー嬉しいけど……あんなの、ハルが居なきゃムリだったって」
自分にできないことを素直に認められるのは、この少年の美徳だろう。
「まぁ、それはその通りなんですが。それでも成し遂げた功績は、息子よりも君の方が上だと、私は思いますよ」
「そうかな……他の皆だって、ハルが居なきゃできなかったことばっかじゃね?」
「あぁ。そっちもウィルの功績として数えれば、成し遂げたことは同等かもしれませんね。でも、息子じゃそもそも、あれだけの人数は集められてませんよ。なのでそっちの分は、いいとこ君と半分こじゃないですか?」
そうかも、とアルはどこか寂し気に笑った。彼も気付いているのだろう、息子と他人の――彼以外の他人との間にある、壁の存在に。
「まぁそれに関しては今後に期待、ですかね。主にルビアさんに」
冗談めかして言うと、息子の友人は声を上げて笑った。
「ところでアル君。以前、私に剣を教えてほしい、と言っていましたが」
「あー、うん。でも同じ戦い方はできないから、ってハルが」
「少し前までは、そうだったんですがね」
そこで一度言葉を切ると、アルが寝転がったままで見上げて来る。
「今はそうとも言い切れないんですよねぇ。いや、正直水色熊の時にもちょっと思ってたんですが、今回のアレを見て確信しました。あれだけの炎を扱えるのなら、私と同じ戦い方ができます」
少年の瞳がキラキラと輝く。こういう男の子らしさは、ウチの息子には欠片もないので、なかなか新鮮な心地よさだ。
「それで、私の色彩については、どこまで知っていますか?」
「――? 切っ先の黒だろ? 刃のついてるものでなら、何でも斬れるって」
「おや? 最果ての黒の方は聞いていませんか?」
地面に指先で字を書けば、妻には「最大限好意的な言葉を選べば個性的と言えなくもない」と言われた文字を、アルは眉根を寄せて暫し睨み付けるように見た。
「……これって、オレに教えていいの?」
一般常識で言えば、彼の危惧は妥当なものなのだが。
「あぁ、全く問題無いですよ。だって私の色、詳細を知ったところで対策のしようが無いですから」いかんせん、私の色は一般的とは冗談にも言えない「何でも斬れる剣を相手に有効な手段なんて、飛び道具を用意するくらいで、それは得物が剣だという時点で当然の対応です。『当たり前』に対応するのって、すごく簡単なんですよ?」
剣の間合いで勝てないなら、間合いの外から攻撃すれば良い。その常識的な対応に、私ならばこう答える。それなら近づいてしまえばこちらの勝ちだ、と。飛び道具を持ち出されただけで終わる程度なら、不壊の剣などと呼ばれてはいない。
「それが言えるのってシディさんくらい……じゃねーな。アンタら親子ぐらいだと思うぞ」
呆れたような目を向けられた私は、軽く肩を竦めておく。
「ルビアさんも仲間に入れてあげても良いかもしれませんね」
戦うことに関してなら、息子も含めて私に遠く及ばないだろうが、単純に知恵比べならばあの女の子も良い線いくのではないだろうか。というか、戦いに関係しないことだと、私の方が二人に遠く及ばない気もする。
「まぁそんなわけなので、私ができることに関しては、誰に知られてもさして問題はありません。無能な相手は安易に遠距離攻撃に頼りますし、半端に頭が良いのは勝手にありもしない切り札を警戒してくれますから。本当に頭の良い相手には、仕方がないので切り札を出します」
「いや切り札あんのかよ!?」良いツッコミだ。
「聞きたいですか?」
「いやいや、さすがにそりゃマズくね?」
アルは遠慮するが、私はそれを無用と返す。
「――だって、君はウィルの敵にはならないでしょう?」
私にとって重要なのは、それだけなのだから。
「……でも。でもアイツは、ハルは、オレに家族の方を優先しろって言ったんだ……」
悔し気に唇を噛むのは、迷いの証か。
「あぁ。それは実にあの子らしいですね。それで、それが何か?」
「――えっ……?」
「大事なものが複数あれば当然のことですよね? でも常に味方ではいられないとしても、君は決してウィルの敵にはならない。二者択一を迫られても、両方を選び取ろうとするヒトでしょ、君は」
「あ……」
迷いから疑問へと変化していた表情が、更に驚きへと変わり、やがて少年は晴れやかな笑みを浮かべた。迷いが晴れたようでなによりである。
私たちのように、戦うことでしか大切なものを護れない者には、結局それしかないのだ。自身の魂が求めるままに、戦いの場で最善手を選び続けることしかできない。だから難しいことを考えるのは、それができる者に任せてしまえばいい。
だから。私はこの子に戦う術を与えよう。
「少し話が逸れてしまいましたが、君が言ったように、私が手にした剣は何でも斬れます。『切っ先の黒』は形のあるものだけですが『最果ての黒』は文字通り『何でも』です。火でも、水でも、風でも。それこそ病魔でも」
最後の項目にアルが目を見開くが、私はしれっとオチを付け足す。
「まぁ、私の色彩で病魔を斬った場合、人体ごとなので何の意味も無いですが」
アルが向けて来る呆れの眼差しが、息子のそれとダブって見えた。
「君の火も、それと同じ領域に達していますよ? 病魔だけを燃やせたんです、君の火に燃やせないものは無いと考えて良いでしょう。風でも、影でも、光でも、それこそ水だろうと氷だろうと、君の火であれば燃やせるはずです。水色熊に使ったように、剣として用いれば、私の黒と同じような戦い方ができるはずですよ」
そろそろ動けそうなら、軽く手合わせしてみますか? と、問えばアルは悔しそうに答えた。
「剣、こないだので熔けちまったから」
水色熊との戦闘を言っているのだろう、と当たりをつける。まぁ、実体の無いモノですら燃やす炎だ、精霊文字の刻印すらないただの鉄塊などひとたまりもないだろう。術の扱いに慣れていれば、手足同様武器にも熱を伝えないことは可能だが、まだまだ制御の甘いアルにそれは望むべくもない。
けれど。
「いや、君の剣は鉄の塊ではなく火そのものなんですから、何もないところからでも出せるでしょう? 君自身の霊力はまだ回復しきってはいないでしょうが、此処なら精霊が溢れていますし、術は使い放題ですよ」
説明すると、アルは即座に『赤火刃』と呟く。エッジ、という単語は私の色銘からだろうか。
「……安定しませんね」
アルの右手に現れた炎の刃は、剣と言うよりは火そのもののように揺らいでいて、長さも普段彼が使っていたものよりも指の関節一つ分ほど短い。まぁ、火ではあるのだから、このままでも攻撃力自体はそこそこなのだろうが、『そこそこ』程度では私が鍛える意味が無い。
「慣れない内は柄だけでもあった方がイメージし易いかもしれませんね」
息子の友人を鍛えるためなら、剣の一本くらいは安いものだ。家にある予備の剣を一本、絶影に届けてもらって……と、考えていると。
「あ、そっか」と言って、アルが柄だけになった剣を懐から取り出した。
何でそんなものを、と思うのは剣を扱ったことの無い者だけだ。武器として用を成さなくなったとしても、自分の剣というのは棄てがたい。私にも覚えがあるから良くわかる。訓練中に折ってしまった剣――今はそのようなことは起こり得ないが――を、鋳鎔かして投剣に打ち直したものだ。
刃の部分が熔け切った剣の柄を核として、再度アルが作り出した刃は、多少揺らぐことはあるものの、長さは彼が愛用していた剣と同じで、とりあえずは及第点といったところだろうか。
「では私も。幻影刃」
これを使うのも随分久しぶりの気がする。創り出した黒剣は、私が普段使っている剣と、見た目だけなら全く同じものだが、実体の無い、殺傷能力は皆無の訓練用である。アルにそれを説明し、好きに打ちかかってくるように告げる。
自分だけ攻撃力過多な武器を用いることに、躊躇している様子のアルを、私は笑い飛ばした。
「まさかとは思いますが、私に当てられる気でいるんですか? これはまた、随分と舐められたものだ」
あからさまな挑発の意味を正しく理解したのだろう、遠慮を棄て、斬りかかって来るアル。だが、まだ動きが硬い。容易に躱して、幻影の剣が少年の首を……通り抜けるより僅かに早く。
アルの体が沈み込んだ。いや、それはもう、倒れ込む、と言っていいレベルだろう。一撃を躱せても、それでは……
けれどその先は、とどめの一撃を振るった私の、予想の更に上を行っていた。
アルは勢いを殺さないままスライディング、左手をついて立ち上がる隙は、右手の剣を大きく振るうことで牽制して潰す。
「へぇ……正直、今ので一度は殺せると思ってましたよ」
なかなかどうして、私や彼の『剣』の使い方がわかっている。
……と、思ったのだが。
「……いや、なんで今ので追撃を止めたんだ? あんな子どもが棒振り回すみたいな力の乗ってない大振り、牽制になんないだろ?」
――どうやらただの苦し紛れだったらしい。
私は彼の評価を、上げた分だけ再度下げた。
「それが『なる』のが私たちの剣なんですよ。攻撃力は剣自体が振り切ってるんですから、まっとうな剣術の有効打である必要なんて、私たちには無いんです。当たりさえすれば必殺なんですから、力なんて要りません。文字通りの撫で斬りです。
ね? 普通のひとにこれを教えたところで、有害無益でしょう?」
「これって、そんなスゴイもんだったんだ……」
自身の創り出した剣に視線を落とすアルだったが、
「いえ。今はそこまでではないですよ。普通の剣でも数合は打ち合えるでしょうし、刻印された精霊文字によっては、君の武器が圧倒的に有利、ということはなくなるでしょう。今は、まだ。
でも鍛え上げて行けば、いずれ一合でどんな剣でも斬り飛ばせる程度にはなると思いますよ。精霊の扱いはウィルが教えてくれるでしょうから、私は私たちの剣の扱いを教えるとしましょう」
どれだけ鍛えても、私の剣だけは斬れないだろうと、最後に付け加えておいて、訓練を再開する。正直なところ、私は幻影刃だけで容易く殺れると思っていたのだが、どうやら舐めていたのは私の方らしい。
危うい場面は何度もあったものの、それでも少年は私の剣を躱し続けている。彼の剣には何度も当たっているので、実戦であれば剣を切り落とし、そこに生じた僅かばかりの隙で勝負はついているのだが……それは口頭で説明するよりも、体験してもらった方が良い経験になるだろう。
「いやぁ、驚く程強いですねぇ。難易度、もう少し上げますか?」
僅かばかり息を乱していたアルは、太く、好戦的な笑みを浮かべた。
「では。斬影刃」
私はもう一本、左手にも剣を創り出す。
単純に手数を増やしただけ、と思ったであろうアルの赤剣を、私が新しく創った左の黒剣が一合の下に斬り捨てて、驚愕に動きを止めてしまったアルの首を、右の黒剣がすり抜けた。
「はい、一回死亡」
「ちょ……は? えっ?」
目を白黒させているアルに、私はタネ明かしをする。
「音は同じでしたが、右と左は別の術なんですよ。見た目だけの『幻影刃』と、攻撃力のある『斬影刃』――それに加えて、最大攻撃力である実剣も佩いています。どうです、いやらしいでしょう?」
「いや、そこ自慢げにするとこじゃねーからな、絶対!」
何故か不満げなアルを相手に、虚実織り交ぜた訓練は続き……
時間を忘れて日が暮れて。迎えに来た息子に二人そろってお説教されることになるのは、もう少しだけ後のことである。
少し時間が開いてしまいましたが、閑話(ここ最近で最長)をお届けしました!
……どうしてこうなった。サシでからむのが初めて(たぶん)だったせいか、いろいろとこの二人だけでさせたい話が出てきまくったせいでしょう、きっと。予定では魔法剣(この世界的には魔法じゃないですが)の訓練をさせるだけのはずだったんですが。
そんなこんなで、常識はずれの親子にどんどん魔改造されていってるアル君でした。
次は久しぶりに平和な日常回(予定)です。次回「勝ち取ったもの」お楽しみに。




