第31話 理不尽に挑む子どもたち
10歳のマーガレットが、紅蓮に触れて火傷を負った。アルには……アルにも、どうしてそうなったのかがわからなかった。ほとんどの者が驚きに包まれていたが、ハルが普通に抱き上げてるところを見ているアルは余計に、だろう。
例外は二人。
「ジェイド=ヴィオラ=テミさん、流水で彼女の手を冷やしてください。それと誰か、神父様を呼んできてもらえますか? アルは紅蓮を森に」
冷静に指示を出すハルと、
「どうして精獣に触れようだなんて思ったんですか……それも無断で」
呆れ果てた、と言わんばかりのルビアだ。
紅蓮を不入の森へと運んでいたアルは後で聞かされることになるのだが、火の精獣というのは火そのものも同然であり、不用意に触れるなどあり得ない、というのがハルとルビアにとっては常識だった。勿論、精獣として意思を持っているので、本人(?)が許せば触れることもできるのだという。
アルが普通に触れるのは契約しているからでもあるし、アルならばそれこそ火そのものに触れても火傷したりはしない、とハルに言われた時はアル本人が大いに驚いたものだ。火を扱えることは知っていても、普通は燃えている火に手を突っ込んだりはしないだろう。
ハルが普通に触れたのは、彼の特殊な色彩のせいで、だから彼はアルと二人の時以外は紅蓮に触れていない……というのは、言われるまでアルは気付けなかった。
「まさかこの程度のこともわかっていなかったとは」と、ハルは後にため息混じりに語る。精霊術を魔法などと呼んでいた時点で気付くべきだった、とも。
それとアルが居ない間に、ハルが神父に厳しく弾劾されていたとアルが知るのは、もっとずっと後になってからだ。ハルはそれを当然のことと受け入れていたようで何も言わず、憤慨したルビアから知らされることになる。
そして今。糾弾されているのは、アル……ではなく、アルの姉のヴィオラだった。マーガレットの母が彼らの家に怒鳴り込んで来たのだ。あまりに理不尽な言いように反論しようとしたアルは、姉に席を外すよう命令された。自分の部屋の扉越しに、いやにはっきりと聞こえて来るヒステリックな金切り声は、しかし言葉として認識できるものはごくごく僅かだ。娘、怪我、あの子の所為……それぐらいはかろうじて聞き取れるものの、そういうイキモノの鳴き声だと言われてしまえば、あっさり信じてしまえそうだというのが正直なところだ。
微かに漏れ聞こえる、姉が平身低頭して謝罪する声が、アルの胸を締め付けた。
血が出る程に強く、アルは唇を噛みしめる。
何一つ、悪いことなどしていない。自分が暴力をふるってケガをさせた、とでもいうのなら、当たり前のこととして素直に謝っただろう。けれど今回のことは、相手が勝手にケガをしたのだ、謝るようなことは何も無いではないか。
「――なんで……」
掠れた声が漏れる。大声で叫んで暴れたくなる。いや、いっそキイキイと甲高い声で鳴くあの言葉の通じない獣を焼き尽くしてしまえたら、どれほどすっとするだろうか。
そんなことをすれば姉にもっと迷惑がかかるから、実行はしないが。いやそもそも、あんなのでも、仮にも、まぁ一応は同族なわけで、さすがに殺すことはアルにもためらわれたというのもある。
護りたかった姉に、また護られてしまっている。
アルに出来たのは、ただ歯を食いしばって耐えることだけだった。
――精霊術教室の閉鎖を聞かされるのは、その翌日のことである。
「ふざけんな!」
聞かされた、アルの第一声がそれだ。
子どもたちが全員集まるのを待って、ウィルの精霊術教室を閉鎖すると告げた神父は、しかしアルの怒声にも揺るがない。
「ふざけてなどいない。教育の場で怪我人が出た以上、何の対処もせずに継続させるわけにはいかない。閉鎖はまだ確定したわけではないが、大人の話し合いが済むまでの休止は決定事項だ。おとなしく従いなさい」
「誰がっ……!」
食って掛かろうとしたアルを止めたのは、なんとルビアだった。それが意外で、アルは勢いを失う。なんとなく、ルビアは同調してくれるものだと思っていた。
「今、此処で、何を言っても意味は無いです」アルを押し止めるように上げていた手を下ろし、くるりと反転したルビアは、子どもたち全員を見渡して言う「それよりも、せっかく集まったのにこのまま解散というのもなんですし、川に魚でも獲りに行きませんか?」
神父には背を向けた状態で。にっ、と含みのある笑みを浮かべて。正直、いつもの取り澄ました表情よりも、この何か悪だくみをしているような表情の方が、アルにはずっと魅力的に思えた。
「そうだね、このまま帰るってのもね」
肩を竦めたフォエミナが、真っ先に「乗った」と表明する。集まった子どもたちも次々にそれに続き、アルが視線を向けると、ハルですら肩を竦めて同意を示す。なんと驚いたことに、誰一人欠けることはなかった。
ルビア、フォエミナ、アルと、良くも悪くも子どもたちの中心人物と言えるメンツが主体となっているから、というのも勿論あるだろう。けれど、そこには確かに、精霊術教室が無くなって欲しくないという想いもまた在るのだと、そうであってほしいと、アルは願った。
「――あ、あの……わたしも、行っても、良い……かな?」
最後の一人、火傷した右手に包帯を巻いたマーガレットがそう言って、本当に全員参加となる。
「待ちなさい。怪我人を川遊びに、」神父の反論を、
「良いですけど、見るだけですよ?」皆まで言わせずハルが許可して「フォエミナさん、見ていてもらって良いですか?」保護者役をつけるダメ押しも忘れない。
「アンタらにはでっかい借りができたとこだからね。それくらいお安い御用さ」
打てば響くような即答が返り、二の句が継げず忌々しそうに口を噤んだ神父の姿が、アルには少しだけ小気味良かった。
「それでは、作戦会議を始めましょう」
ぱん、と手を打って。ルビアが皆に言ったのは、よほど気が急いていたのだろう、森に入ってすぐのことだった。誰一人疑問を差し挟まないのは、全員がそのつもりだったからか。
「方向性としては、ウィル君の知識の有用性を訴えるのが一番だと思います」率先して一案を示したルビアが、フォエミナにちらりと視線を向ける。
「あぁ、そうだね。こないだウチの親父がやらかして、智慧を借りたところだしね。常識的に考えて、精霊術教室の閉鎖は百害あって一利なしだろうね」
あの時の話は、此処に居る子どもたちも聞いている。村の猟師たちよりも野生動物の習性に詳しく、大人相手に堂々と教えを説いていた様子は記憶に新しいことだろう。納得、とばかりに皆が頷いたが……なんだろう、アルは自分でもよくわからない違和感を感じていた。
「それはあまり巧くないでしょうね」
――反論は、意外な人物から上がった。
「――ウィル君……どうして、ですか?」
「まさに今、フォエミナさんが言った通りの理由ですよ。つい先日、あれだけのことがあったにも拘らず、精霊術教室を閉鎖するなんて話になるということは、理性的な判断ができていない証拠です」
ハルの発言を聞いて、アルは違和感の正体を理解した。それは昨日の金切り声だ。なるほど、あれは理詰めで説得できる相手だとは思えない。
「剣で戦うつもりの相手を、弓を持ち出して倒したところで、倒された方は負けを認めたりはしないでしょう。むしろ火に油を注ぐ結果になりかねませんよ」
こんな時でも。ウィルムハルト=ブラウニングは穏やかな笑顔で。
「だったらどうしたら……」教えを乞う生徒に、
「どうにかする必要、あるんですか?」教師は無慈悲に答えた。
絶句したのは、アルとルビアだけではなかっただろう。
「ウィル君は……あの場所が無くなっても良いんですか?」
ルビアの口調は、珍しく責めるような響きを帯びていた。
「仕方ないのではないですか? 私が先生、というのには、最初から無理がありましたから」肩を竦めるハルに、
「ウィル君以上の適任なんていませんよ!」食いつくようにルビアが叫ぶ。
「私は、知識の話ではなく、色彩の話をしているんですよ」
これには言い返せず、俯いたルビアが悔しそうに奥歯を噛みしめるのが見えた。
目を逸らしたのは、ハルの色彩をバカにしていた連中か。アル自身も、ハルに取っていた態度だけ見れば、そいつらと似たようなものだったかもしれない。
――それでも。それでもこいつらは、この場に集まってくれたんだ。
自分が変わったように、何かが変わったのだと、アルは信じたかった。
「……私は……私は、精霊術教室が無くなって欲しくないです」絞り出すように言ったルビアが、潤んだ目を向けて問う「アル君は、どう思いますか?」
「そりゃ、オレだってこんな終わり方はヤだけどさ……」
それでも、ハルがもううんざりだと言うのなら。アルが何かを言うことなど、
「ウィル君? 貴方の友達は、こう言っていますよ?」
もう言っていた、と示されて、「――ちょっ!」慌てて遮ろうとするのだが。
「なるほど。なら、しょうがないですね」
そう言って笑うハルの表情が、いつもよりも楽し気に見えたので、アルはこれで良かったのだと思っておくことにした。
そして、ハルは示す。剣に剣で挑む方法を。
語り終え、ハルはとても良い笑顔で言った。
「さて。では今から、説得に向かうとしましょうか」
「今から、ですか?」ルビアの驚く声に、ハルはクスリと笑った。
「一番効果的な場面で、一番効果的な言葉を。言葉での殴り合いの極意ですよ?」
最近不穏な引きが多いと言われたので、なる早でお届け。どうも作者です。でも前の話、
『――精霊術教室の閉鎖を聞かされるのは、その翌日のことである。』
ってとこで引くのも候補の一つだったんですよ。ほら、アレのがまだマシでしょう?
次は我らが人斬り脳、ハルパパ視点で大人サイドから入って解決編……さすがにたどり着くと思います。膨らみようが無い……はずですし。
予告詐欺多発で予防線を張るのに余念がない作者でした。
ご新規の皆さま(ブックマークが増えていたのでいるはず)よろしくお願いします。




