第29話 智者と愚者たち
コルヌス・フォエミナ=マラカイト=シーヨクという、ウィルムハルトを笑えない仰々しさのそれが、彼女の正しい名前だった。緑色の花、というのはほとんどないため、緑の髪の女が子に伝える名は何かしらの植物の名であることが多いのだが、フォエミナの母は女の子らしい娘に育ってほしいという願いから、極めて稀な緑色の花、山法師の名をつけたのだそうだ。
……正直、母の遺志に応えられている気はまるでしない彼女だったが、それでもフォエミナという名の響きは気に入っていた。
水色熊の撃退――と言うのはフォエミナには少々複雑だったが――から一週間後の安息日、大事な話があると言って、ウィルの精霊術教室の子どもたちに、親を集めてもらった。未成年の子どもがいない大人は、フォエミナが父に命じて集めさせている。なので、家を守る母親を除いた村のほぼ全員が此処に、ウィルの精霊術教室の大樹の前に集まっていることになる。来ていないのは神父くらいだろうか。
「皆さんに集まってもらったのは、危険な野生動物の生態について知ってもらうためです」
普段子どもたちに精霊術の説明をする時と、なんら変わらぬ口調でウィルが言うのに、はっ、と鼻で嗤ったのは、村の北側に住む猟師の男だった。名前は確かこれもジェイドだったか、とフォエミナが記憶を探る間にも、その男は見下し切った様子で言う。
「安息日にわざわざ呼び出して、なんの話かと思えば……くだらん。色づいてすらおらん子どもの遊びに付き合うほど暇ではない」
帰るぞ、と自分を連れて来た息子、アンバーを促す、その眼前に。かっ、とウィルの家の黒馬が蹄を鳴らすのを合図に、胴を二つに割られた水色熊の巨体が出現する。絶影――影を置き去りにして駆けるという名の精獣が持つ、空間転移能力だ。
偉そうな猟師は情けない悲鳴を上げて尻もちをついた。
「先週、オレが殺した」感情を押し殺した声で行ったのは、当然ながらアルで「そいつが、怒りに我を忘れたそいつが、いきなり村を襲っても、一人でどうにかできる自信があるなら帰れば良い。ただし、オレはそんなヤツのために戦うつもりは無ぇからな」
大人たちを含めたとしても、純粋な戦闘力で敵う者などまずいないであろう炎の色の少年にぎろりと睨まれて、反駁できる者など皆無であった。
「というか、貴重な知識を息子が無償で与えてやると言っているんですよ? それで聞く耳を持たないほど愚かなら、どうぞ、勝手に死んでください」
……なんだろう、ウィルの父のこの言葉が、できることならこの手で殺してやりたい、とでも言っているように聞こえたのは、フォエミナの気のせいだろうか。
あと、この親子似過ぎだ、とも彼女は思う。ここまで直接的な表現はしなかったものの、今日の講習会について相談している時、息子の方も似たような内容のことは言っていた。アルと二人で説得して、巧く事を運ぶにはどうすれば良いか考えてもらったのだ。
そう、ここまでのやり取りが予定調和だというのだから、恐れ入る。ウィルのことを頭の良いヤツだ、とはフォエミナも思ってはいたが、それでもまだ見くびっていたのだと思い知らされた。アルやルビアが言うように、智慧だけならばこの村の神父など問題にならないのではないだろうか。
ちなみに水色熊の死体は、一週間フォエミナの父の部屋で保管している。泣きそうな顔をして嫌がっていたが、愚行の罰としては甘すぎるくらいだ。というか、猟師が獣の死体を怖がってどうするというのか。
杭にも似た四本の剣を遺体の周囲に突き立てたシディが、時間経過を斬ったと言った時には驚くのを通り越して呆れたものだが。
「――皆さん話を聴く気はある、と判断して良いですか?」
ぐるりと顔を巡らすウィルに、再度文句をつける愚者はいなかった。
まず最初に、フォエミナと父は先週既に聴いた、水色熊の習性についてをウィルが説明する。そして、フォエミナの父がしでかしたことを。
アル、とウィルが声をかけるのに応じて、アルが自身の侍獣を呼ぶ。
差し出した両掌の上に火が灯り、蠢き、一匹の子犬の姿を取る。先週のあの時は、いろいろなことがありすぎて、そこまで気を回せなかったフォエミナだが、アルがこの年で侍獣を得ていることには驚きと同時に、やはりという納得もあった。何しろ生まれついての赤だ、驚きはあっても、意外とまでは思わない。
侍獣を以って怒れる水色熊を追い立てたこと、そうしていなければ村を横断していたであろうことを告げると、今度は村の西側に住む猟師が口を開いた。皮を剥ぐなら手伝うぞ、と。精霊の色彩を持つ獣の皮は高値で売れるので、当然と言えば当然の発言ではあったが、アルは不快そうに顔を歪めて答えた。
「要らねぇよ」
そしてそのまま、炎の色彩を告銘する。
『紅火』
熊の遺体を包み込んで、火柱が上がる。それはいつぞやの再誕祭の篝火よりも遥かに大きく、高温であった。
「――えっ、ちょっ……」それをやった当人のアルが何故か慌てて、
「紅蓮」第三者のウィルが冷静にアルの侍獣に支持を出す。
紅蓮と名付けられた烈火の侍獣が、先週そうしてくれたように、あたりに飛び火しそうだった業火を喰らい尽くした。
「……なんか、火力上がってませんかね?」
小首を傾げて呑気なことを言うウィルと、
「……実はオレもそう思う」
ぱちくりと瞬きをするアルに、
「なんて勿体ないことを!」
皮を剥ぐのを手伝うと言った猟師が、悲鳴じみた声を上げた。
「黙れ」底冷えのする声で、アルが言う「今の話を聞いて、よくそんなことが言えたな。アイツを殺したのはオレだ。だから、オレの好きにさせてもらう」
シディさん、お願いします、という声に応えて、彼の侍獣である絶影が、再度蹄を鳴らした。
今度は現れるのではなく、三つの姿が掻き消える。シディ、絶影、燃え尽きて骨だけになった水色熊の三つが。
彼らが向かった先が、アルと共に作った小熊の墓であると、フォエミナは知っている。自己満足に過ぎないのだとしても、せめて子どもと一緒に葬ってやりたいと思ったのはアルとフォエミナで、その行為にきちんと意味があるのだと保証してくれたのがウィルだった。
「……これ、一人で墓穴を掘れってことですかね……?」
シディが呆然と呟き、絶影がやれやれとばかりに鼻を鳴らしていることは知る由もなかったが。そこに置いておいたシャベルの切っ先ですら剣扱いして、易々と穴を掘るシディが、妙に楽しそうだったことも、また。
喪われた命を弔う行為は、本来は命に宿っていた精霊が、正しく世界に還るための儀式であったのだという。最期の瞬間に感じた怒りや恨みを核として、魔霊が発生しないようにする、明確な意味のある儀式だったのだ、と。だから教会が人間だけを特別なものとして、他の生き物を弔いの対象から除外するのは……と、そこまで言いかけたところでウィルは口をつぐみ、「今の話は内緒で」人差し指を唇の前で立てたのだった。
確かに、色彩的弱者であるウィルが、教会を批判するような発言は何かと問題があるだろうから、フォエミナは何も言わずに頷いた。
ただ、これからは父が狩りで奪った命をきちんと弔おうと胸に誓って。そしてできるなら、それを村中に広められれば、と考えながら。
「水色熊……というか、水の色彩を持つ獣に行き遭った時の対処法としては、村に近ければ紅蓮に追い払ってもらう。ある程度離れているのなら、簡素なもので良いので、柵を作ること、でしょうか」
まとめとして、ウィルが言う。
「それだと簡単に壊されるんじゃないかい?」
顎に手をやり、言ったのはルビアの父、アイオライトだ。
「そうですね。相手にその気があれば」
笑みを浮かべるウィルに、なるほど、とルビアが頷いた。
「柵はただの目印――野生動物のマーキングと同じ、ということですね。この先は人の領域だと示すためのものであって、物理的に侵攻を防ぐものではない、と」
「さすがはサルビア=アメシスト=バラスンさん。完璧な回答です」
ウィルに褒められたルビアの表情は、なんというか……それを見られないウィルと、見せられないルビアの双方がかわいそうに思えるほどであった。
つまりは、大抵の男は一目で魅了されるであろう幸福な笑顔だ。
それが見えないからか、見えていても同じなのか、説明が続く。
「もし手を出すのであれば、確実に群れごと殲滅できる戦力を揃えること。
……まぁ、アルか父さん、どちらかが居れば戦力的には充分でしょうけれど……この二人、特にアルは正当な理由がなければ動かないでしょうね。なので、発見した時は下手に手を出さず、情報を持ち帰るのが最善と思われます。
あと気を付けるべきは……時期的に『病魔』でしょうか」
病魔――かつては単に比喩表現としてのみ用いられたそれは、現在では憑き物の一種であると解明されている。人に憑りつく魔霊の類であると。ただ、厄介なのは……
「普通の病気との区別がつきにくいにも関わらず、対処法はまるで違います。間違った対処をすると逆効果――最悪、病人を殺してしまうことすらあり得ます。この村に、区別ができる人は居ますか?」
ウィルの問いに、誰かが神父なら、と答えて、それならば安心と、この日は解散となった。
説明会(回)でした。
コルヌス・フォエミナと山法師は厳密には違うものなのですが、山法師の英名はあんまりだったので、これを使うことにしました。まぁ、近似種ではあるので、許してください。
いろいろと不穏なフラグが乱立していますが、アル君はそれに気づいておらず、ハル君にはそれを折る気がありません。そろそろ第一章最初の山場となりますが、その前にもう一話くらい日常回を挟むかもしれません。重めの話が続きましたしね。




