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色彩の無い怪物は  作者: 深山 希
第一章 元色と熾紅
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第27話 ひととして

 侍獣じじゅうを得てから一週間、アルマンディン=グレンはなんとも落ち着かない時を過ごしていた。傍近く侍る獣、と書いて侍獣と読む――これはハルの受け売りだが――のだから、アルは当然家に連れ帰って姉に自慢できるものだと考えていた。

 それに待ったをかけたのがハルである。紅蓮は不入いらずの森に満ちる赤の精霊、そのかなりの量が集束して生まれた存在であるため、今すぐにここを連れ出すと、森の色彩の調和が崩れるので、暫く……少なくとも数か月間、冬くらいまでは森に留めておくべきだ、と。

 アルが待機を命じると、紅蓮は素直に一声吠えて、尻尾をぱたぱた振りながら森から去る主人を見送ってくれたのだが……


「なんだか、アルの方が子犬みたいですね」

 何度も心配げに振り返る様子をハルには笑われ、


「アル君、最近なんかそわそわしてませんか?」

 何日目かの授業が終わった後、いつの間にかハルを含めた三人で居ることが多くなっているルビアには小首を傾げられ、


「ここんとこ挙動が子犬アンバーっぽいよ?」

 たまに声をかけてくるフォエミナには呆れられた。


 そう言われても、子犬……というか、赤ん坊サイズの犬を放置して、気にするなというのが無理な話である。一応毎日一人で――髪染めの都合でハルは来られない――不入の森まで様子を見に来てはいたものの、本当にエサをやってすぐ帰るくらいの時間しかとれなかった。

 ちなみにエサはアルが精霊術で作った火である。霊力をそのまま渡しても良いが、精霊術という形にした方が喜ぶのだと、家に侍獣が居るハルに教わったのでそうしていた。

 そしてようやく一週間経って安息日を迎える。


「……アル。こんな見た目でも紅蓮は精獣なんですよ? 普通の獣では傷すら負わせられませんし、魔霊にだって勝てますよ。そもそもそのどちらも、この森には居ませんし」


 ハルは抱き上げた紅蓮をアルの目の前に持って来る。ぼう、と同意するように紅蓮が鳴いた。


「あ……」思わず、といった様子で声が漏れ、

「本気で気付いてなかったんですか……」ハルが呆れたため息をついた。


「あー、いや、えっと……」

 すっと目を逸らしたアルの顔を、子犬の小さな前足がぺちりと叩いた。侮られたことを怒っているのか、慰めようとしているのか、微妙なラインだ。単にじゃれついているだけ、という可能性も……いや、それが一番ありそうだ。


 肉球まで再現されている足をむにむにしていると、唐突に紅蓮が村の方に顔を向けた。いや、村の方角からは少し東にずれているだろうか。なんだろう、とアルもそちらに目を遣るが、特に変わったものは見当たらない。

 首をひねりつつ視線を戻せば、ハルもまた、紅蓮と同じ方向をじっと注視していた。アルのように紅蓮がそちらを見たから、という感じではなく、紅蓮もまた、先週のようにハルの真似をして、という雰囲気ではない。そこには子犬の無邪気さは無く、緊迫感を持って一点を見据えるその様子に、小さくても侍獣だというハルの言葉を、アルは今更ながら実感する。


「なんかあったのか?」と、訊いたアルに、まずため息が返された。

「アルは少し、を鍛えた方が良いですね」

「目?」

「精霊を視る眼です。侍獣に頼り切るのは問題ですよ?」


 言われたアルがそちらの眼に意識を切り替えると、そちらの方角、まだだいぶ遠い距離に『何か』が居るのは感じ取れた。


「……オマエら、よくこの森でこんなの視えたな」

 不入いらずの森は精霊にあふれている。たとえるなら、昼日中、そこかしこで大きな火が燃えているような状態で、遠くにあるロウソクの火を見つけろと言っているようなものだ。


「まぁ、そのあたりのコツについてはまたの機会にしましょう。あれは大型の獣? とても怒って――いえ、怒りが全ての感情を塗りつぶしている。向かう先にあるのは……この村、ですね」


 アルの右手が腰の剣を握った。

「今日確かシディさんは……」

「はい。月一の商談の日で、遠出しています」

 戦う手段など持たないであろうハルは、しかし随分落ち着いた様子だ。旅暮らしで慣れているのもあるのだろうが、それにしても、とアルが首をひねっていると、ハルは続けて言った。

「普通の状態の野生動物なら、私が追い払えるんですが……あれでは難しいでしょうね」


「……え。何その特殊技能」思わずツッコミを入れるアル。

無彩色このいろを忌避するのは、人間だけじゃないみたいですよ?」

 その回答に、訊かなければ良かったと後悔したが。自嘲や皮肉であればまだ救いがある。けれどハルは、当然の事実としてこういうことを言うのだ。不必要に綺麗なその顔に、笑みすら浮かべて。


「まぁ、極端に空腹だったり、怒ってたりすると構わず襲ってきますけどね。今回のは後者のようですが……アル、ちょっと紅蓮で見てきてもらって良いですか?」


「――は?」思わず間抜けな声が出る。


「……あー、侍獣に関しては、まだあまり知りませんか。視覚の同調は最も基本的な能力で、色彩に依らず使用可能です。目を閉じて、意識を紅蓮に集中してみてください」


 言われた通りにしてみると、いとも簡単に繋がった。視界内、というかど真ん中に目を閉じた自分の顔があって、アルは驚き目を開く。すると同調もあっさりと切れる。

 今度は自前の視界のど真ん中に、もこもこの赤い毛玉がある。


「……なぁ、ハル」視線は子犬に固定したままで、問うのは。「――こいつ、育ってね?」


 まだ子犬と呼べるサイズではあったが、赤ん坊サイズから二回りは大きくなっている。精獣とはそういうものなのだろうか、と視線をハルに転じれば、


「あぁ、一時的なものですよ。アルが臨戦態勢に入ったので、それを補助できる大きさになったんです。戦闘形態、とでも思ってもらえればいいです」


 精獣とはそういうものなのか、と納得したアルは、ハルに言われた通り紅蓮『で』様子を見に行く。行先は紅蓮任せだ。森の中、という悪路を考慮すれば、アルが走るよりも早い速度で紅蓮は駆ける。

 不入の森から出ることになるのは短い時間なので問題ないが、紅蓮に戦わせるのはやめた方が良いとハルは言う。紅蓮は未だ不入の森の一部も同然なので、精霊の力は消費するべきではない、と。

 勿論、アルに異論はない。自分自身が戦えば良いだけの話なのだから。紅蓮には獲物をここまで追い立てる猟犬の役割をこなしてもらう予定だ。


 以前ルビアやシディと共に湖まで行った時に通った道を越えて、更に北へ。子どもの遊び場になっているあたりからは少し外れているとはいえ、このままではさほど離れていない場所を通ってしまう。怒り狂った大型獣と子どもを遭わせるのは危険だろうから、少し大回りに追い立ててもらうことにする。と、自分も普通に『子ども』と呼ばれる年齢であることを棚に上げてアルは考える。

 まぁ、こと戦闘能力、という点においてはアルは大人とタメが張れる……どころの騒ぎではなく、シディ以外であれば軽く片手でひねれるレベルではあるのだが。


「そろそろ見えてくるはずです」

 という、ハルの言葉に合わせたようなタイミングで、その獣の姿がアルの――紅蓮の視界に入る。並の大人よりも大きく、そして遥かに分厚い四足獣……熊だ。青みがかった体毛は、水の精霊の影響を強く受けた証で……と、そこまで考えてアルは眉根を寄せた。

 水色熊、とあまりにそのままな名前で呼ばれるその動物は、比較的穏やかで、知能も高く、それこそよほど飢えてでもいなければ、人間を襲ったりはしないはずだ、というのがアルの認識である。何か間違っていただろうか、とハルに問うため目を開ける。まだ慣れないので、視覚同調しながらの会話は気持ち悪くなるからだ。紅蓮には、予定通りここまで追い立てるように指示を出しておく。


「なぁハル、水色熊ってさ、」

 問いかけの言葉は、「あぁ……」と、吐息にも似たハルの声に遮られる。

 いや、遮ると言うほどに強くは無かったが、なぜかアルに口を噤ませた。


「なるほど。そういうことですか。」


 ――ゾッとした。


 声色、という言葉があるように、声に色があるとするならば、その声の色は、完全なる無彩色だろう。一切の感情が抜け落ちた声、だというのに、表情はいつもと少しも変わらないのだ。それは綺麗な、あまりに綺麗過ぎる笑顔で。淡々と、事実を述べていく。


「水は知恵の色であり、情の色。賢い水色熊は、人を襲えば集団で報復を受けると知っているから、命に係わるほど飢えていない限り、人間には手出ししない。それほどの獣が、怒りにのみ支配されて、この村に向かっているということは……誰かが、殺したのでしょうね、子どもを。

 報復で自身が殺されることをいとわず、ただかたきを討つことだけを望んでいる……」


 さて、とハルの視線がアルに向けられる。


「西のはずれに住んでいる猟師が随分と怯えている様子です。小熊を殺し……いえ、違いますね。致命傷を負わせたところに親が出て来て慌てて逃げた、というところでしょうか。瀕死の子どもに付き添っていたのでなければ、逃げ切れたわけがありませんから。

 ――それで、アルはどうしますか?」


 いつもそうするように、首を傾げるでもなく、ただまっすぐに視線を向けられて、アルは渋面になった。その選択は、少々重い。少なくとも、事情――ハルの予測だが、大きく間違っているとも思えない――を知る前のように、害獣を狩るだけだ、などと気楽に考えることはできない。


「……なんで、オレに訊くんだ?」


「水色熊をどうにかできるのは、私ではなくアルですから。私が指示を出すのはちょっと違うでしょう。殺せとも、殺すなとも、言えませんよ。そんな資格は私には無いです。

 それでも。あえて言うのならば、私は敵を討たせてあげたいと思っています」


 資格が無いと言ったうえで、自身の意思を告げたのは、信頼の表れだろう。自分の友人は、自らの意思で結論を出せるはずだという、あまりに重い信頼の。


 同じ村に住む人間どうぞくよりも――そこに道理さえあれば――ハルは野生動物の報復を是とするのだと言う。

 ……いや、そもそも自身を『無彩色の怪物』と呼ぶこの少年は、同じ村に住んでいるだけの人間を、同族とみなしているのかどうか。


 ひとの命を守って、理のある獣を殺すのか。


 道理を通すため、一人の人間を見殺しにするのか。


 ひととして。アルが選択するのは……

バトルまでたどり着かなかった件について。

予想外に重い展開になって、癒しを求めた結果、わんこのわんこわんこしてるシーンが長くなったからです、きっと。

次はちょっと趣向を変えて。「とある獣の最期」です。

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