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色彩の無い怪物は  作者: 深山 希
第一章 元色と熾紅
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第20話 予期せぬ訪問者

 サルビア=アメシスト=バラスンは朝に弱い。起きられないわけではないのだが、完全に目が覚めていない半覚醒状態――身もふたもない言い方をすれば、寝ぼけている状態が両親よりもずっと長く続く。

 だからその日、母に来客を告げられた時も、はっきりしない頭のままでふらふらと部屋を出て……


「おはようございます、サルビアさん」


 ――一瞬で目が覚めた。


 目は覚めた、ものの、今度は思考がパンクして頭が働かない。髪は起きたままで、編み込みを作るどころか梳かしてもいないし、服は寝間着パジャマのままだし、顔だって洗っても……よだれの跡なんて、無いよね?

 と、そこまで考えたところで、ようやく部屋に逃げ込むことに思い至る。


「な、なな、なんで居るんですか!?」

 ドア越しに、悲鳴じみた声を投げる。初恋の相手、であろう人物に。家に来てくれたのは嬉しいが、あまりに不意打ちが過ぎる。

「あぁ、いえ。予定にない本を借りてしまったので、返却は早い方が良いかと思いまして。睡眠の邪魔をしてしまったようで、すみません」


 謝罪の言葉を聞いて、先の自分の言葉が責めるようなものであったとようやく気付く。

「いいえ! 起きては、起きてはいたんです! ただその、なんというか……まだちょっと、ぼんやりしていて、何の準備もできていなかっただけで……」

 口元を撫でて、よだれの跡だけは無かったことに一応の安堵を覚えた。


「いえ、私も来るのが早すぎたようですし、本だけお返しして帰りますね」

「そっ、」


 そんな……という言葉が口を突きそうになるが、準備が整うまで待っていて欲しい、とも言えずに口ごもる。女の子の朝の支度はなにかと時間がかかるのだ。

 せっかく彼が来てくれたのに、としゅんとしていると、扉の向こうから父の声が聞こえた。


「確かウィル君、だったね」

「はい。ウィルムハルト=オブシディアン=エキザカム=ブラウニングです。以前、自己紹介だけはしたんでしたか、アイオライト=クロッカス=バラスンさん」

「……良く覚えているね。まぁ、それはいい。君に一つだけ言っておかなくてはならないことがある」


 なんの話だろう? ようやくまともに働き始めた頭をひねっていると、


「娘はやらんぞ!」


 とんでもないことを言ってくれた。

 一撃でルビアの頭は真っ白になる。が、


「はい? いえ、別に、」

 返されかけたウィルの言葉で即座に再覚醒、遮るように、ばん、と大きな音を立てて部屋の扉をあけ放ち、今度こそ悲鳴そのものの声を上げる。

「父様!」


 ――別に。それに続く言葉はだいたい予想がつく。別に、要りませんけれど。

 初恋を自覚した翌日に、想い人にそんなことを言われてしまっては立ち直れない。なんとも思われていないのはわかっているが、自覚しているだけと本人の口から直接聞かされるのとでは全く違う。

 このような事態を招いた元凶である父の、自分のそれと比べると僅かに赤みがかった菫色の目を、ルビアは涙目で睨んだ。

 本気の怒りが籠められた娘の瞳に、アイオライトは随分とうろたえた様子だったが、それもそのはずで、ルビアがこれほどまでの怒気を父に向けるのは、これが初めてのことだった。


 息を荒げて、威嚇する猫のようになっている娘と、愛娘に敵意とすら呼べる感情を向けられて、どう対応すれば良いのか量りかねている父と。そんな気まずい空気に直面しても、ウィルはどこまでも冷静だった。


「私が立ち入るべき話では無さそうなので、これで帰りますね」


 こんな時でも笑顔を崩さず、借りた本を差し出す彼は、冷淡と言ってしまっても良いのかもしれない。穏やかな物腰のせいで、多くの者はそれに気づきはしないのだろうが。


 ルビアの母はしかし、それをすぐに受け取ろうとはせずに、先に睨み合う父娘をとりなす。

「イオン、今のは貴方が悪いですよ。ルビアにきちんと謝りなさい。

 ルビア、貴女はいつまでもそんなだらしない恰好でいないで、着替えていらっしゃい。ウィル君には待っていてもらいますから」

 言って娘にウインク一つ。


「いやあの、」確定事項のように言われたウィルは戸惑い気味だ。

「つまらない父娘喧嘩に巻き込んでしまったお詫びに、一緒に朝食はいかが? これ以上バカな喧嘩は私がさせませんから」

 さりげなく立ち位置を変え、支度ができていないルビアの姿をウィルの視界から隠した母に、ルビアは頼もしい安心感を覚えて部屋に引っ込む。


「いえ、朝食はもう済ませましたので結構ですよ。一応、サルビアさんにはちょっとした用もありましたし、お邪魔でないのなら、普通に待たせてもらいます」

「あら。随分と早いのですね。ではお茶をお出ししましょう。お詫びですもの、一番良い茶葉を用意しますよ?」

「なっ……! レン!?」

 慌てて口を挟むイオンだが、レンはそんなことでは止まらない。

「お黙りなさい。元はと言えば貴方の所為ではありませんか。これ以上娘に嫌われたいのですか?」

「きっ……! 嫌われ、たのかい? 僕は……」

 はぁ、とため息ひとつつき、言うのは「詳しくは後で説明して差し上げます。ので、これ以上ウィル君に絡まないこと。良いですね?」

「――はい。」

 しゅん、としおれている姿が目に浮かぶような声に、ルビアは少し笑ってしまった。と、気が緩んだためか、思いついたことがある。


「母様母様」扉を僅かに開けて母を呼ぶ。

「なんですか、ルビア。お客様をお待たせしてしているのですから……」

 ため息をつき、苦言を呈しながらも近くまで来てくれた母に、ルビアは小声で耳打ちした。

「ウィル君は木苺のパンが気に入ったようなので、お茶請けにも木苺を使うことはできませんか?」

「あぁ。アレを常備するようになったのは、そういうことですか」

 自分は酸っぱくて苦手だったのに、と同じく声を潜めて言った母は悪戯っぽく笑い、タルトでも焼きましょうか、と言って了承してくれた。




 ルビアが支度を終えて部屋を出ると、食卓にはウィルとアイオライトが着いていた。ウィルが座っているのは、父の斜向かいとなる普段ルビアが座っている席で、これは父の正面にならないよう母が気を利かせたのだろうと思われた。

 誕生日の時があるので、ウィルが此処に来たのは初めてではないのだが、こういう日常の光景に彼が居るというのは、嬉しいような、恥ずかしいような、なんともむずむずする感じだ。


「お、お待たせしました……」


 ウィルの隣、いつもは使われていない席にルビアは座る。両親は隣り合って座るから、必然的にルビアの席はそこになる。のだが。

 自分の家なのに妙に緊張しているルビアは、他人の家なのに不自然なくらい自然体のウィルに、なんとも釈然としないものを感じていた。


「――それは父様の?」ウィルの手元にあるものに目を止めて問うと、

「あぁ、彼は精霊文字が読めるということだから、退屈しのぎに、とね」

 ウィルではなく父が答えた。アイオライトが刻印を施した魔石で間違いないようだ。露骨なご機嫌うかがいをする父のことはさらりと無視して、ルビアはウィルに問いを重ねる。


「旅をしていたのなら、それくらいの魔石は見慣れているのではないですか?」

 彼が興味深そうに手に取っているのは、初歩的な火の精霊術を発動させる魔石で、旅人の護身用として最もポピュラーなものだった。


「いえ、そうでもないんですよ。私はご覧の通りの色彩いろですし、父は自分の色彩いろに特化しているので、こういうのを見るのは初めてなんですよ。理論だけは知っていましたが、魔石の色彩に合わせて精霊文字を刻むというのは、なかなかに興味深い」

「ほぅ。子どもたちに精霊術を教えていると聞いてはいたが、なかなかどうして、博識じゃないか」

 アイオライトが面白そうに言って、ルビアは少々げんなりする。これは長くなるやつだ。蘊蓄でウィルをうんざりさせてしまうのでは、と不安に思ったのは、ルビアの杞憂だった。というか、ウィルの知識がルビアの予想を遥かに超えていた。

 父が取って来た未加工の魔石を視て、刻むべき精霊文字について二人で討論し始めたのだ。この純度であれば、用いる文字は『火』よりも『炎』が妥当だとか、赤と紅と緋の使い分けだとか、ルビアには専門的過ぎてわからないレベルの話を、専門家の父と対等に語り合っている。


「長くなりそうだから、私たちは食事を済ませてしまいましょう」

 朝食を運んできた母が、若干の呆れをにじませてそう言った。


 当然、ルビアに異論のあろうはずがなかった。


 食事を終え、お茶の準備が整っても、二人の精霊文字談義は続いていた。


「イオン、それくらいにしておきなさい。ルビアのお客様ですよ」

 さすがに母が止めて、自慢のお茶をふるまう。父はまだ語り足りない感じではあったが、同時に対等の会話ができて満足げでもあった。「今度は僕を訪ねて来ると良い」などと言っている。


「それでウィル君、私に用というのは?」

 父から彼を取り返すためにルビアが言うと、父はとりあえず満足したのだろうか、家族二人に遅れて食事を始めた。


「あぁ、これです」

 言ってウィルが差し出したのは、びっしりと文字が彫られた薄い木の板だった。


「――脚本? 木に彫るなんて、大変だったんじゃないですか?」

「いいえ? 父さんの色彩いろは、あらゆるものを抵抗なく斬れますから。高価な紙やインクを買わずに済んで助かっています」


 ……それはなんというか、ものすごく贅沢な精霊術の使い方ではないだろうか。確かにコストはかからないのかもしれないが……

「ちょっと待って、今の話詳しく」

 父がまた食いついた。ウィルはルビアに脚本に目を通すように言って、再度父と魔石の刻印に関する話に戻る。確かに何でも斬れる剣があれば、魔石の加工も容易だ。ウィルの父に副業が増えるかもしれない。


 ウィルが編纂した物語は、(ちゃんとキスシーンもあったし)とても良くまとまっていた。魔龍を退治するのではなく、力を認めさせて追い払うというくだりが、良く知られている物語とは違っていて興味深かった。そんなルビアの感想に、

「まぁ、十翼というのは魔王の暗喩ですからね。ヒトにどうこうできるものではないでしょう」とんでもない言葉が返された。


「えっ……」ルビアは言葉を失うが、ウィルはなんでもないことのように続けた。

「九、というのが七彩教会以前の聖数でして。虹の七彩に白と黒、即ち明暗二色を加えた九色に、魔の色である無彩色を更に加えて十、これが十翼の由来です。実際に十枚羽があったわけではなく、十の力を操る、という意味ですね」


「……それって、スピネルとかハーリーの話以上に不穏当なのでは……?」

 若干笑顔を引きつらせるルビアに、

「大丈夫、黙ってればわかりませんよ」

 ウィルはとても良い笑顔を浮かべるのだった。




 娘はやらん、などと言って当初暴走していた父が、母にそのことでがっつり叱られた上、娘には冷めた目で「貴方は私の敵ですか?」とまで訊かれて涙目で謝ることになるのだが……それはまた、別の話。


二人目の親バカ登場。アイオライトでイオンなのは語源からです。作者の語学は相当に残念なので、読み方がまるで違うかもしれませんが。というか、たぶんアイオンって読むんでしょうね、アレ。

そして魔剣の無駄遣い。

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