第25話 これからのこと、やれること
友達になれるかも。そう思っていた相手が、自分の所為で死ぬところだった。それはメアリーにとって、恐怖というよりも絶望に近かった。護られるばかりで、何もできない聖女など、それこそ厄のタネにしかならない。
色彩的には何でもできるはずなのに、治療も満足にできない。藍玉のメアリーゴールドは、あまりに未熟だ。
もう、一緒に旅はできないだろう。そう考えた時に感じた胸の痛みで、メアリーはようやく気付く。『なれるかも』ではなく『なりたい』と思っていたことに。
気付いたところでもうどうしようもない。自分の事情に巻き込んでしまったことを詫びて、別れるはずだったのだが。
「では、今後の話を――商談を始めましょう」
何故かそういう話になったていた。
「……商談?」オウム返しにメアリーが問うが、
「あぁ、それよりもまずは移動ですかね。今から出れば日暮れまでに次の街に着けるでしょうから。詳しい話は夕食時にしましょう。アル君もそれまでには起きるでしょうし……と、言っても、彼は商談に関しては私に丸投げでしょうけれど」
ルビアはさっさと話を進めてしまった。
馬車では椅子の片側にアルを寝かせ、メアリーとルビアがもう一方に並んで座る。スピネルはいつも通り御者台だ。
「さて。アル君はともかく、スピネル君は商談に参加したいでしょうから、此処では他人に聞かせられない話――メアリーの事情について確認しておきましょう。
メアリーゴールドは最近得た花名で、聖女認定された貴女は刻銘式を受けるために精都へと向かっている……ここまであってますか?」
「……ルビアは本当にスゴイね。だいたいあってるけど……名前だけは違うかな。私は最初からずっとこの名前よ?」
いつもなら誇らしげに笑うところだが、今ばかりはメアリーの笑みは弱々しい。驚きに目を丸くする、というルビアにしては珍しい反応には、いつも通りの笑みがこぼれたが。
「……それはまた、ご両親も随分と思い切った名前をつけたものですね」
ずっとその名前だったメアリーは最近まで知らなかったのだが、メアリーゴールドというのは聖者専用の名前で、普通は親が子につける名前ではないそうだ。
「私の髪を見た母様が、それ以外にあり得ない、って言い張ったそうよ。さすがに公用はできなかったから、基本的にはメアリーだけで通してたけどね」
実はごく最近までただの愛称だと思っていたメアリーだが。花の方の名前は、通常母の髪色から取るのだということも知らなかった。
「なるほど。お母様は視る眼があった、ということですね」
「あ……そっか、そういうことよね」
ルビアに言われるまで気付けなかったが、彼女の言う通りだ。メアリーは改めて、自身の母を誇らしく思った。
「ではもうひとつだけ。貴女を狙う者に心当たりは?」
真剣な顔で、まっすぐに目を見て――などということはなく、まるで世間話の口調でルビアは言った。答えを期待していない……というわけではなく、彼女自身、予想がついているのだろう。ここで訊いたのは、単に他人に聞かせられない内容だからというだけで。
メアリーは肩を竦めて応じた。
「有り過ぎてどれかわからない、ってスピネルは言ってたわ」
「でしょうね。貴女の生家があまり裕福でないのなら、家柄だけは上の貴族連中は嫉妬するでしょうし、教会の実力者が貴女を聖女として立てたのでしょうから、その後見人の政敵という線もありますね。或いは金メッキだとしたら、翠玉の君の関係者かもしれないですし」
最後のひとつはスピネルですら思い至らなかったものだった。
金メッキ、とは容赦の無い言いようだが、言い得て妙でもあった。作られた金無垢であれば、これ以上にふさわしい言葉もない。
ルビアの質問が一通り終わると、途端に会話は無くなった。昨日までは気にも留めなかった沈黙がやけに気になる。刑の執行を待つ咎人というのは、或いはこんな気分なのだろうかと、そんな益体も無いことをメアリーは思った。
特にやるべきこともないので、いつも通り眼の鍛練を始めるが、当然と言うべきか、まるで集中できずに時間ばかりを浪費していく。
そんな気づまりな時間がどれくらい過ぎた頃だろうか、視ていたアルの色彩に変化があった……ように、思えた。
目を開いて、メアリーはアルが目覚めたのだと知る。
「……馬車?」
目を瞬いたアルが、周囲を見回して呟いた。
「おはようございます、アル君。今は次の街に向けて移動中です」
「ルビア……具合はどうだ?」アルはいつになく深刻な様子だ。
「右手がうまく動かない以外はなんとも。さすがアル君ですね」
ルビアは綺麗に微笑んで言うが、アルは苦いものでも呑み込んだような顔だ。
「さすが、ってのはルビアの方だろ。悪いな、オレがためらったせいで」
「んー、少なくとも私は、それでこそ、って思いますよ?」
眉根を寄せたアルの視線に促され、ルビアは続けた。
「躊躇なく人が殺せるアル君なんて、アル君じゃないですよ。そんなアル君だからこそ、ウィル君と友達になれたんじゃないですか?」
私に負い目を感じる必要はないですよ、と微笑むルビアは、自分などよりよほど聖女のようだとメアリーは思った。
「……簡単には呑み込めそうにねぇな」
悪い、と繰り返したアルに、ルビアは頷いて応じた。
「はい。たっぷり後悔して、たっぷり悩んでください。アル君ならきっと、最後には前を向けます」
胡乱な視線を向けられても、ルビアの笑みは崩れない。
「だって、アル君は正しくて優しい、ウィル君のヒーローですから」
しかめっ面で目を逸らすアルは、照れているのだろうか。存外可愛いところがあるのだな、とメアリーは場違いな感慨を抱くのだった。
簡単な昼食――それでもメアリーとスピネルが作ったものよりずっと美味しい――を挟んで、再び馬車を走らせる。
午後からの御者はアルだ。両親が行商をやっているアルは、馬車を操った経験もあるそうで、スピネルはアルと交代で仮眠を取っている。
最初は固辞しようとしたスピネルだが、
「このあと商談なんだろ? 寝不足の頭でウチの商人とやりあえるのか?」
などとアルに脅されてしぶしぶ眠るのを了承した。『ウチの商人』などと呼ばれたルビアは不満顔だったが……メアリーから見ても彼女は商人だ。
陽が傾き始める前には次の街に着いた。予定より随分早いが、アルが馬に無理をさせたわけではないことは見ればわかる。それならどうして……と、首をひねるメアリーに、答えたのはルビアだった。
「色彩の影響でしょうね。火は活力の色でもありますから」
「え。オレなんもしてねーけど?」
「アル君はいろいろと規格外ですからねぇ。有り余る威の影響が、手綱を握ってるだけであったんじゃないですか?」
「昨日使い切ってなかった!?」思わずメアリーは叫ぶが、
「今日起きた時には全快してましたよ?」
ルビアにはことも無げに返されてしまう。なるほど、規格外だ。
夕食には早い時間に着いたので、宿の一室に集まることとなった。
口火を切ったのはルビアだ。
「資金調達が困難になったので、条件の見直しをお願いします」
この言葉にメアリーとスピネルは顔を見合わせて首をひねる。
「……資金調達?」と、問い返したのはメアリーだ。
「はい。利き腕がまともに動かせないのでは、刻印石の加工はままなりません。石や術具の目利きで稼ごうにも、そうそう良い品が見つかるとも限らないので……購入費用、利益共に折半でどうでしょうか」
「ルビア……これからも、一緒に居てくれるの?」
メアリーが潤んだ目を向けると、ルビアは深々とため息をついた。
「何か勘違いしていませんか? 私たちも目的のある旅なので、商売道具が不調になったタイミングで放り出されても困るんです。負い目を感じるのであれば……そうですね、学究都市に暫く滞在したいです。旅程には余裕があるんですよね?」
首肯したのはスピネルだ。
「それは、はい。刻銘式までに精都に着けば良いので」
「なら、数か月は余裕あるかな?」
「そうですね。でも、そんなことで良いんですか?」
「そんなこと、って、最初の契約内容だと、滞在費もそっち持ちですよ?」
「うっ。」スピネルは一瞬言葉につまったものの「ま、まぁ仕方ありません。非はこちらにあるのですから」結局は了承した。
「あと、明日には右手を医者に診てもらわないとね。治療費は勿論こっちで出すわ。一番良い医者を探しましょう」
「それは助かりますけど……お金、大丈夫ですか?」
「ルビアの手が治ったらいくらでも稼げるでしょう? これは投資よ」
メアリーは自信満々で胸を張る。
「調子が戻ってきましたね。でも、さすがに『いくらでも』は言い過ぎでは?」
「前回の取引を見る限り、妥当な評価だと思いますよ」
スピネルが苦笑気味にまとめた。
結局ルビアの手は、ゆっくりと慣らしていけば一月ほどで元通り動くようにはなるそうだ。自分の治療に専門家のお墨付きをもらってメアリーは安堵した。
……の、だが。
「ごめん。ごめんね、ルビア」
メアリーはルビアの右手を両手で包み込んで詫びた。
傷跡が残る、と聞かされて。
「おおげさですよ、メアリー」
「でもルビア、好きなひとに逢いに行くんでしょ?」
言うと、ルビアは力なく苦笑した。
「あー……傷なんて無くても、最初から私なんて問題にならないくらいに美人ですから、ウィル君は」
「……男の人、よね?」
「はい。絶世の美女(男)です。たぶんその気になれば国くらい余裕で傾けますよ、あのひと。戦争の原因になった、って言われても私は驚きません」
「……えっと……が、がんばれ!」
他になんと言えばいいのだろう。
一瞬。右手の傷に目をやって、ルビアが泣きそうな顔をしたことに、メアリーは気付くことができなかった。
もうちょっと先までやる予定でしたが、綺麗に(?)まとまったのでここで切ります。
次はまた無彩色サイドに戻ります。
次回「黒瑪瑙」ひょっとしたら準備回で一話使うかもしれません。