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VARIANTAS  作者: 機動電介
15/22

ACT14 この娘凶暴につき

サンヘドリンに不穏な空気が迫る。 一刃の参戦、ビンセントの決意。 その全てが、一つの戦いへと集結する。

[Chapter 1]

 試射場に太い咆哮が響き、人の形を模したシューティングターゲットが貫かれる。

 少女は拳銃のシリンダーをスライドさせ、空になった薬莢を地面に捨てた。

 スレンダーな少女には、あまりにも不釣り合いな大型の拳銃。

 スタームルガー・スーパーレッドホーク454カスールバージョンスペシャルカスタムモデル。

「OK、ちゃんと直ってる」

 彼女は防音用の耳当てを外し、後ろにいる老婆にそう言った。

「本当に行くのかい? 偽のIDまで手に入れて…」

「偽じゃないよ。ルートは非合法だけど、中身は本物だよ」

 老婆がため息をつく。

「それにあんた…なんだって今でも、そんな古い銃を使ってんだい?200年以上昔の骨董品だよ?」

 彼女は答える。

「私はでかい銃が好きなんだ。いつの時代も変わらないさ…電磁銃だか光学兵器だか知らないけど、撃たれて身体に穴が空けば死ぬ。それだけだよ」

 少女はシリンダーに6発の弾を込めた。

「それに…この銃は特別なんだ」

「特別ねぇ…」

 老婆は、懐から一丁のオートマチック拳銃を取り出し、シューティングレンジのターゲットに向けて引き金を引いた。

 高い破裂音と共にターゲットが四散する。

「今のは?」

「近接信管式爆裂弾。そんでこれが高速徹甲弾」

 シューティングターゲット横に置かれたベトンの塊が砕ける。

「口径5.56mm小口径高初速。大型サイボーグでも3・4発撃ち込めばひっくり返るよ。スライドはクローム削りだしの一品物でコンペイセイター付き。フルオートも可能。今なら格安でご奉仕するがねぇ…」

 少女は老婆を睨み付けた。

「なんだかんだ言って、あんたは商いがしたいだけだろ? あたしは“これ”だけで十分だよ!」

 ガンホルダーに銃をしまい、スリングベストを肩から掛ける。

「礼は言うよ。けど、これだけは口を出さないで欲しいんだ」

「ユリア」

「あん?」

「一つ忠告しとくよ。でかいチャカ振り回すだけじゃ、運は回らないよ。覚えておくんだねぇ」

 彼女は答えて言った。

「運なんて信じちゃいないよ。最後まで頼りになるのは自分とコイツだけさ」

 試射場から出ていくユリアを見送り、老婆が吐き捨てるように呟く。

「まったく。誰に似たんだかねぇ…あの口利きは…」

 老婆はそう言って、もう一度ため息をついた。





************





 拝啓、お母様。

 ご存知かも知れませんが、僕はサンヘドリンに入る事に決めました。

 もちろん最初は、御祖父様も義姉様もみんな反対しましたが、最後は許してくれました。

 ミラーズ大佐は、優しい人です。

 大佐は僕に推薦状を書いてくれたけど、一体誰に見せればいいのか分かりません。

 御祖父様は僕に、「男なら迷うな」と言いましたが、僕は早速迷ってます。

 正直迷子な訳で…

 案外みんな冷たいです…



 彼は不安そうな表情で溜息をついた。

 右も左もわからない状態で、サンヘドリン本部のターミナルフロアで一人、自分だけ。

 春雪ともはぐれてしまった。

 先程から姿も見えない。

「どこ行っちゃったんだろ…春雪…早く大佐の所に行かなきゃ…」

 ロビーのベンチに座り、彼はもう一度大きなため息をついてから、再び筆を進めた。


 情けないです…

 彼女が居なきゃ、何も出来ません…

 もちろん春雪には感謝してるし、彼女の事は大好きだけど、女の子に頼りっぱなしなのは如何な物かと思っ…


 突然、彼の膝の上に、大きなボストンバッグが置かれた。

 下敷きになるペンと手帳。

 彼は心の中で呟く。

「(…これは一体どういう事でしょうか…?)」

 一刃は怪訝な表情で、ゆっくり顔を上げた。





************





 デスクの上に散らばった書類を日付順にまとめあげ、束ねる。

 それを何度も繰り返し、出来上がったいくつものファイルを、彼は机の隅に順序よく並べていく。

 最後に、カエルの首ふり人形も置けば、出来上がり。

 あっという間に、仕事場の完成だ。

「ふう…」

 レイズが大きく息をつく。

 軍人と言っても、戦闘と訓練の時以外はサラリーマンみたいな物で、報告書と武器弾薬の出納帳の整理が中心。

 デスクは必須だ。

「これで全部だっけ?」

 彼が、側でチェックするサラに問う。

 彼女は答える。

「あとは日勤記録の整理だけですね」

「よし」

 この時代でも、個人レベルの書類は未だに“紙”で、レイズはその整理に追われている。

 ただ、このデスクは彼の部屋にある物ではない。

 グラムが、シェーファーの為に用意した部隊室だ。

「ごめんよ、サラ…休日なのに手伝わせちゃって…終わったらケーキ食べに行こうね!」

 サラが嬉しそうに微笑む。

「朝からよくケーキなど食べられるな…」

 後ろからグラムの声が聞こえた。

「あ、おはようございます!」

 レイズがグラムに敬礼する。

「整理はおわったか?」

「もう少しで終わります」

「そうか」

「あの、大佐…?」

「なんだ?」

「なんで今になってから部隊室を?」

「隊員も増えてきたからな。隊の統率を保つ為には毎日顔を合わせたほうがいい。それに今日は新しい仲間が増えるしな…」

 レイズは、グラムの顔が少し嬉しそうに見えた。

「そう言えば、エステルさんは…?」

「彼らを迎えに行った」

「彼らと言うと…?」

 レイズの言葉半ば、エステルが部隊室に入ってくる。

「遅くなりました。大佐」

「ご苦労。それで、彼らは…?」

 部屋に入ってきたのは、エステル一人だけ。

 不思議に思うグラムに、エステルが困った表情で答えた。

「あれをご覧いただければ…」

 彼女の指差す先。

 外の廊下には、顔面蒼白で壁に寄り掛かる少女が一人。

 彼女は、焦点の合わない眼差しで空気を見つめながら、ぶつぶつと小さな声で呟いている。

「若…様…何処に…行ったでございますですか? 若様…若様…」

 怪訝な表情のグラム。

「なんだ?あれは…?」

 エステルは眉間を押さえながら、グラムに答えた。

「どうも、彼とはぐれてしまった様で…」

 サラが、エステルに問う。

「お姉さま、あの子…誰ですか?」

「そうね。紹介がまだだったわね…」

 エステルは疲れた表情を振り払い、サラに優しい顔で答えた。

「あの子は“春雪”。私達の新しい姉妹よ」

「あの…エステルさん?」

 レイズが廊下を指差す。

「倒れてますよ? あの子…」

「え…?」

 春雪が、廊下で仰向けに倒れている。

「春雪!」

 珍しく慌てるエステル。

 彼女は急いで春雪を抱き抱える。

 眉間を押さえるグラム。

 レイズはサラに尋ねた。

「君もそうだったけど、イクサミコも倒れるんだね…」

 サラは彼に答えた。

「あれはいわゆる…フリーズですね」

「フリーズかぁ」



 …フリーズ!?





************






「あのう…すみませんか…?」

 彼は恐る恐る、自分の斜め前方にいる女に声を発する。

 無言。

 無視される。

 思わず不機嫌な表情になる一刃。

 黒いシャツに、どこのかは解らないが軍閥のコートを着て、黒い髪を伸ばし、鋭い目付きで眉間にうっすらとシワを寄せた、細身な少女。

 彼はもう一度声を上げる。

 今度は少し大きな声で。

「すみません!」

 少女の肩がびくりと跳ね、まるで、『私が何をした?』と言いたいかのような丸くした目で彼を見る。

「…へ?」

「あの…鞄退かしてもらっても良いですか?」

 引き攣った笑顔で、精一杯丁寧な受け答えをする一刃。

 彼の座るベンチ近くには、銃を持ったセキュリティが3人。

 彼女は周りを見回してからバッグを退かした。

「悪い悪い!気が付かなかったよ」

 彼女は彼の横に座り、重そうなバッグを大事に抱えながら、もう一度周囲を見る。

「あの…誰か探しているんですか?」

「まあね」

「よかった!僕も人を探しているんです!」

「“僕”?」

 彼女は怪訝な表情で彼を見つめた。

「あんた、男には見えないけど?」

「え?」

「は? あんた女じゃなかったのかい? あたしはてっきり…」

 一刃は急にベンチから立ち上がった。

「し、失礼な! 僕は女の子じゃなくて、れっきとした男ですっ!」

 セキュリティが彼を睨み付ける。

 彼女は慌てた様子で彼の服を引っ張り、椅子に座らせた。

「わかったわかった! 悪かったよ! 謝るから騒ぐなよ!」

 眉間を押さえる彼女。

 彼女は一刃に言った。

「で、あんたの探してる人って?」

「僕の友達です。黒髪に赤い髪留めを付けた女の子。見ませんでしたか?」

「うーん…幾つ位の歳だい?その娘」

「え〜っと、今年で大体3歳くらいかな…?」

 彼女は思わず吹き出した。

「ささ、3歳!? あはははは! 3歳児が友達? お前ロリコンか!?」

「笑わないで下さいよ! 彼女はイクサミコなんですから!」

 さっきまで腹を抱えて笑っていた彼女が、ぴたりと笑い止んだ。

「あんた…軍人なのかい?」

 一刃は彼女に答えた。

「そう見えますか?」

「いや」

 彼は彼女に言った。

「軍人になる所です。ほら、推薦状貰ったんですよ?」

 推薦状を得意げに見せる一刃。

 それを見た彼女は、頭の中に何かが閃いた。

「(グラム=ミラーズのサイン…!こいつを使えばもしかしたら…!)」

「…ところであなたの探してる人って…」

 彼女は彼に言った。

「あんたの探してる人、一緒に探してやるよ!」

「え?」

「お互い人探してるしさ、一緒に探したほうがいいって!」

「いいんですか!?」

「もちろんさ!」

「ありがとうございます!僕は菊地一刃。あなたは?」

「私はユリア。よろしくな!」

 笑顔の一刃。

 そんな彼を見て、ユリアは心の中で呟く。

「(くくっ…簡単な奴…)」

 彼女は自分のバッグを持ち、ベンチから立った。





************





 よく焙煎されたコーヒー豆をミルでひき、サイフォンに入れ、オイルランプに火を点す。

 あとは水がお湯となり、湯と豆が交わり、ポットに溜まるのを待つ。


『出来ることなら、君のコーヒーを毎日毎晩飲みながら、静かに暮らしたいよ…』


 いつの日だったか、ガルスが彼女に言った言葉。

 彼女にとってはとても嬉しかったその言葉…

 ただでさえも神経を擦り減らす管理職。

 それも、人類の命運を賭した戦いとなれば、そのストレスは尚更。

 でも彼女は知っている。

 自分の入れたコーヒーを飲んでいる時だけは、とても柔らかな表情をしていることを。

 思い上がりかもしれない。

 それでも、ただひと時だけでも安らぎを感じてくれるなら、それでいい…

 気付けば、ポットの中には出来立てのコーヒーがたっぷりと溜まっていた。

 彼女はマグカップを手にとり、その中へコーヒーを注ぐ。

 いつもと同じ香ばしい香り。

 毎朝必ず、彼の鼻をくすぐる香り。

 その香りは、給湯室から全ての部屋に満ち溢れる。

 今日は一段とよい香り。

 ガルスは身仕度を整えながら、そう感じていた。

 ロッカールームから出てすぐ、彼はデスクの椅子に腰掛けた。

 それと共に、目の前に置かれるコーヒー。

 毎朝の、こんな何気ない事柄が、無性に幸せだ。

「おはようございます。ガルス司令…」

「おはよう。レイラ君」

 毎朝交わす言葉。

 いつの間にか、それは合言葉のように。

 レイラが微笑む。

「今日は良い日になりそうですね」

「なんだ? 何か良い事でもあったかね?」

「いえ…ただ、司令も今朝はご機嫌がよろしいようなので」

「なんだね…レイラ君。それでは私が毎朝不機嫌のようじゃないか…」

 ガルスはコーヒーを一口飲んだ。

「朝くらいは、清々しい気持ちでいさせてもらっているよ…君のお陰でね」

 笑顔のレイラ。

「レイラ君。今日の予定を」

「はい」

 彼女がスケジュールを読み上げる。

 それを聞きながら、ガルスは心の中で呟いた。

「(確かに今日は良い日になるかもな…)」

 ため息一つ。

「(ただ…こう言う日に限って、厄介事が起きるんだがね…)」





************





「本当にご迷惑を…」

 倒れた後、部隊室の一画に設けられた仮眠室に担ぎ込まれた春雪は、上半身を起こし、頭の上に乗せた濡れタオルを手で押さえながら、エステルに頭を下げた。

「私、旧型だから…すぐ頭に血が昇っちゃって…」

 涙ぐむ春雪。

「まったく…あなたの主人はどこに行ったの?」

 エステルが春雪の横に座り、彼女の肩を優しく抱きながらそう尋ねると、彼女は再び青ざめた顔で呟き始めた。

「若様は…私ガ目を離した隙に…人込みに飲まれてしまい…ますた…」

「春雪…?」

 “ますた”…?

「若様は女の子みたいだから…たまに痴漢に遭うことが…」

 もはや心配の度を超した春雪の頭の中に、良からぬ場景が浮かぶ。


『へっへっへっ…大人しくしやがれ!』

 やらしい手つきで迫る男。

 叫ぶ一刃。

『いやぁーーー!』


 春雪も叫ぶ。

「いやーーー!」

「ちょっと…!春雪?」

「若様が! 若様がぁ!! ふぅ…」

 再び意識を失う春雪。

 エステルは眉間を押さえながら、大きくため息をついた。



「ダメですね…手掛かりは無いです」

 エステルは、仮眠室の外で待っていたグラムにそう言って答えた。

 サラが、心配した様子でエステルに尋ねる。

「お姉様、春雪さんの具合は…?」

「大丈夫よ…心配いらないわ。優しい子ね、サラ…」

 サラの髪を撫でるエステル。サラは嬉しそうな顔で微笑んでいる。

「お姉様…嬉しい…」

 二人を遠目で眺めるグラムとレイズ。

 二人は『我関せず』と言った面持ちで動きを止めている。

「コーヒーでも入れますか…」

「うむ…」

 その時、グラムがゆっくり口を開いた。

「一人増えた」

「え…?今なんと?」

 突然の言葉にレイズは思わず聞き返す。

「ここに来る人間がもう一人増えた」

「増えたって…」

「厄介事にならなければ良いが…」





************





『私の宝物どこ?』

 闇の中から声が聞こえる。

 俺を呼ぶ声…?

 俺は答えない。

『どこにあるの?』

 また声が聞こえる。

『見つけた!』

 何故…俺は走っている?

 どこに向かっている?


 遠くに小さな小屋。


 やめろ…やめるんだ!


 屋根には一人の少女。やがて少女は、足を滑らせ屋根から落ちた。


 ああぁッ!うああぁッ!

 少女の身体が地面に落ち、たたき付けられる音。

 骨の砕ける音。

 いくら走っても、腕を延ばしても、手が届かない。

 喉の奥から押し出される、声にならない叫び声。

 彼の足元から、まるで生きているかのように湧き上がる焔。

 焔は彼の身体を包み込み、肉を焼き、骨を焼き、そして…



「…ビンセント!」

 イオがビンセントの肩を揺らす。

「うぅぁ…」

「起きてください! ビンセント!」

「お前…生きて…」

 ビンセントは、イオの顔を見るやいきなり、イオの身体を強く抱きしめ自分の胸へ引き寄せた。

「きゃっ! 何するんです!?」

「んー…よしよし…」

「ふやぁ!?」

 イオの頭を撫で回すビンセント。

 次の瞬間、部屋の中に渇いた破裂音が響いた。

「えひゃい!!」

 意味不明な叫びを上げながら、ビンセントがベッドから落ちる。

「い、い、い、いきなり何をするんですか! こちらにも心の準備と言う物が…」

 イオは自分の服の襟を直しながら、ベッドの横でひっくり返っているビンセントを睨み付けた。

「OK、イオ…一発で目が醒めたぜ」

 彼は起き上がって、頭を左右に振る。

「うなされてましたよ」

「あ?」

 心配そうなイオ。

「悪い夢でも見られましたか?」

「ああ、ちょっとな…」

 手の平で、額の汗を拭う。

「ところでよ、イオ?」

「はい?」

「今何時?」

「11:30です」

「げぇ!」

 彼はクローゼットからズボンと上着を急いで引っ張り出した。

「なんでもっと早く言わねぇんだ!」

「私は何度も起こしました!それなのにビンセントが…」

「昨日は飲み過ぎたんだよ!」

 突然、上着のボタンが取れた。

「畜生! こんな時に!」

 クローゼットを閉める。

 クローゼットの扉が外れて倒れ、頭にぶつかった。

「はぎっ!!」

「ビンセント!」

 頭を摩る。

「建て付けが悪いぞ! コンチクショウ!」

 立ち上がってブーツを履く。

 靴紐を締めている途中、靴紐が切れた。

「ぬおー! やってらんねぇ!」

「落ち着いて下さい! ビンセント! 不運が続く事もたまにはありますって!」

「不運過ぎるだろうがぁ!」

 ビンセントは心の中で叫ぶ。

「(俺今日死ぬかもしんない!)」

 その時、クローゼット上段に設けられた天袋から、鉄のダンベルが転がり落ちて、彼の頭を直撃した。

「ぱびゅあ!!」

 再び意味不明な叫び声を上げてのびるビンセント。

「きゃあああ! ビンセント! しっかりして下さい!」

 半ベソをかきながら叫ぶイオ。

 普通死ぬ。





************





「ダメだ、ユリアさん…。見つからないよ…」

 ベンチに座り、彼は思わず疲れ切った声と共にため息を漏らしていた。

 横にいる軍服の女…と言うより少女は、合わせた手の平を唇の前に置き、彼の言葉を聞いてか聞かずか、静かに物思いに耽っている。

「(まずいな…これじゃぁいつになっても埒があかない…。こいつは一向に相手を見つけられないし、かと言って保安部に行かれても困る…。もっと直接的な方法で入り込まないと…)」

「ユリアさん」

「あ?」

「やっぱり保安部の人に捜してもらった方が…」

「ちょっ!、ちょっと待て待て!」

 慌てるユリア。

 彼女は決心を決めるように大きく息を吐いた。

「一刃…、実は隠していた事が有るんだよ…」

「え?」

「あたし、本当は軍人じゃないんだ…実はあたし…」

「実は…?」

「実は…」

「実はっ…!?」

「治安局の秘密エージェントなんだ!」

 一刃の全身に衝撃が走る。

「な、な、何ですってー!?」

「黙っていてすまない…本当はある極秘任務の為、ミラーズ大佐に会いに来たんだ。君の協力がいる。その為に、君の春雪君には先に行ってもらっていたんだ」

「そ、そうだったんですか…」

 ユリアは心の中でほくそ笑む。

「(こいつ信じてるよ…!)」

 一刃は彼女に言った。

「それじゃあ春雪は大佐の所にいるんですね?」

「ああ!」

「それじゃあ早く行きましょう!あなたも任務があるのでしょう?僕は何をすれば?」

「そ、そうだな…。大佐の所まで案内してくれ。なるべく内密にな」

「分かりました!任せて下さい!」

 心の中で、腹を抱えるユリア。

「(も、もう駄目…転げ回りたい!)」

 声を出して笑いたい衝動を押さえ込み、ユリアは彼に言った。

「少しここで待っていてくれ。この格好では目立つからな」

「わかりました!」

 素直に返事を返す一刃を尻目に、ユリアは女子トイレの中に入り、個室に篭った。

 軍服を脱ぎ、バッグの中から新しい洋服を取り出す。

 目立たない地味な色のミニスカートに、Yシャツを合わせ、その上からガンスリングを掛ける。

 大きく息をつく。

 バッグの底板、中が空洞になった特殊な擬装用収納箱から、金属の部品を取り出す。

 彼女はそれを、あっという間に組み立て、再び銃としての形を取り戻し、弾を装填する。

「行くよ」

 彼女はそう言って、ホルスターの中に自分の愛銃をしまい、ジャケットを羽織った。

「すまん、待たせたな」

 トイレから出て来たユリアを見て、開口一番で一刃が言った。

「あれ?」

 ユリアが聞き返す。

「な、なんだ?」

「以前にどこかでお会いしませんでしたっけ?」

「いや…?」

「ですよね…」

 彼女は怪訝な表情で、彼を見つめた。

「(頼むよ…?あんたが頼りなんだから…)」





************






 風が吹き、緑の草を撫でる。

 空には月と太陽が一緒に廻り、雲が泳いでいる。

「春雪…」

「エステルさん…」

 青いそよ風。

「ここは…?」

「ここは基底現実ではないわ…。勝手に入ってごめんなさい。私は今、あなたの最深層領域にいるの」

「そうでした。私また倒れたんですね…」

「あなたの中を見て解ったわ…。あなたと一刃さんは、イクサミコとユーザーと言うより、家族に近いのね…」

「家族…」

「姉と弟…兄と妹…。そして、夫と妻…。強いて言うなら、そんな感じかしら」

「エステルさん…私はいつまで彼と共に出来るのでしょうか…」

 春雪の頬を、涼しい風が撫でる。

「何故…そんな事考えるの…?」

「彼は人間の男性です。自尊心と自立心があります。いつかは人間の女性に恋をして、家庭を築き、自分の人生を歩みたいと思っている筈です。私は彼の身の回りの事を全て行って来ました。本当は兵器の部品だと言うのに…。それが嬉しくて…楽しくて…。私はいつまで彼と一緒にいれるのでしょうか?」

 大きな雲の塊が、二人の頭上を過ぎる。

「私たちイクサミコは、人間に従うように造られているわ…。でもそれは相対的な意味で。私達はイクサミコとしてこの世に生を受け、ユーザーと出会い、暮らし、その責務を全うする。これは人も同じ筈よ…」

「私達は人間ではありません」

「人でなくても、息をして、鼓動を刻み、温かい肌を持ち、人と触れ合える躯があるなら…まして、自分で考え行動することが出来るなら、私達は…」

 緑の草原が、金色の野原に変わっていく。

「イクサミコは人を愛するようには作られていない…愛は、プログラムでは無いのだから。あなたの生きたいように生きなさい。愛は、人を縛る物ではないわ…」

 太陽が欠けていく。

「そろそろ時間みたい。また会いましょう…春雪…。今度は彼も一緒に…」

「ええ…みんな一緒に…」


 接続切断。

 基底現実に於ける、6000ナノセカンド限定の超高速圧縮双方向通信解除。


 通信終わり。






[Chapter 2]

「えーっとつまり…誰かさんが、サンヘドリンの武器を横流ししていて、それを捜査するためにここに来た…と言う訳ですか?」

 一刃は歩きながらユリアに尋ねた。

「そう…しかも一味はかなりの人数が居る…一人では無理なんだ」

「なるほ…あ…」

 一刃が足を止める。

「どうした…?」

「大佐との待ち合わせ場所…」

「…が、どうした?」

「知っているの春雪なんですよ…」

 ユリアの目が点になる。

「…は?」

「僕は彼女に任せっきりで…最低ですよね…はは…」

 ユリアは髪をくしゃくしゃと掻いて、少し考え込んだ。

「(こいつ…とんだ役立たずだ!でも入り込むにはこいつの持ってる書類が要る…。どうすりゃ…)」

「僕…彼女が居なきゃ何も出来ないんです…」

「ん?」

「彼女が居なきゃ身の回りの事だってろくに出来ない…。機体の操縦だって彼女のサポートが無きゃ…」

 ユリアが一刃に一枚の板ガムを差し出した。

「落ち込んだ時は甘い物。それにそんなの今時普通だろ?」

「ユリアさん…」

「お前家族は?」

「祖父と姉…それと春雪だけです」

「両親は?」

「母はいません…。僕が殺したんです」

 ユリアの表情が凍り付いた。

「昔、僕が小さいとき、僕を庇って…」

「なぁ一刃…あんたに昔何があったかなんてあたしには解らないけどさ、過去ばかりを見ていても、先には進めないよ。前を見て、しっかり自分の足で歩くんだ。そうすりゃ、前に進めるよ」

 再び歩みを進める二人。

 しばらく歩き、ふと気付けば、軍施設へ続く進入ゲートが目の前にあった。

「ね?」

 頷く一刃。

 彼は、鞄の中から例の推薦状を取り出した。





************





「いててて…」

 イオがビンセントの頭に包帯を巻く。

「大丈夫ですか…?」

「こんな不運は初めてだぜ…」

「本当に病院へ行かなくてもいいんですか?」

「これくらい屁でもねえよ」

 そういいながら目が泳いでる。

「本当に…?」

「大丈夫!」

 ビンセントはそう言って車のキーを持った。


 宿舎の地下駐車場に行く。

 そこでビンセントは叫び声を上げた。

「なんじゃこりゃああ!」

 車の横腹を走る長い線。

 塗装を削ったような深い傷が刻まれている。

「こいつぁ…10円パンチ!」

「10円パンチ…?」

「大昔に“ニッポン”って国で流行った悪質な悪戯だ…! 21世紀には絶滅したと思ってたが、まさか今でも生き残ってたぁ驚きだぜ…」

「あのビンセント…時間…」

「そうだった!」

 車に乗り込む二人。

 キーを差し込み、イグニッションを回す。

「すまねぇイオ…運転頼むわ…安全運転で」

「了解しました」

 二人を乗せた車は、ゆっくり出庫していった。





************





 二人組の保安員の一人に、一刃は推薦状を手渡した。

「菊地一刃に…イクサミコの春雪…持ち物はこれで全部ですか?」

 バッグ二つ。

「ええ。そうです」

 一刃は固い笑顔で答える。

「それじゃあそちらが春雪さん?」

「は、はい!そうです」

 固い返事。

「そうですか? 春雪さん」

「え、ええ。そうです!ね?ご、ご主人様…」

 明らかに怪しい。

 一人の保安員がユリアに言った。

「それじゃあ春雪さん。バージョンと製造ナンバーを」

「え?」

「ですから、バージョンと製造ナンバーを」

 ユリアの顔面から冷や汗が吹き出た。

「え、えっとですから…」

 もう一人の保安員が応援を呼んだのか、二人の背後にはさらに3人の保安員が近付いてくる。

「バージョンと製造ナンバーを!」

 一人の保安員が、銃に手を掛ける。それを見たユリアが、突然叫んだ。

「い、一味だ!」

 固まる一同。

「え?」

「こいつらも一味だ! 一刃!」

「こいつ!」

 一刃の側にいた保安員が銃を抜いた。

 その瞬間、一刃の表情が変わる。

 彼は後ろにいた保安員の一人から警棒を抜き取り、流れるように素早く、目にも留まらない速さで3人のあごと脇腹を打ち、倒す。

「動くな!」

 銃口を向ける保安員。

 一刃は銃を持つ保安員の拳を正面から左手で掴み、捻る。

 そして右手で保安員の肘付近を掴み、素早く足を払った。

 宙を舞う保安員の身体。

 彼はそのまま保安員を放り投げ、持っていた特殊警棒で腹を打った。

 その間わずか数秒。

「こいつ! 抵抗する…」

 彼は、銃を向けるもう一人の保安員へ素早く接近し、左手で銃を持った両手を逸らす。

 そして左腕の脇から肩の上へ警棒を差し入れ、逸らした両手を一気に引き戻しながら、警棒をテコのように持ち上げた。

 保安員の左肩が、鈍い音と共に脱臼する。

 悲痛な叫び声をあげる保安員。

 一刃はそのまま警棒で保安員の脇腹を叩き、気を失わせる。

 唖然とするユリア。

 思わず呟く。

「バカ強…」

 一刃が叫ぶ。

「ユリアさん!早く!」

「あ、ああ!」

 ユリアがゲートを開ける。

 その時、肩を外された保安員が、力を振り絞って非常ベルを叩いた。

 鳴り響く非常ベル。

「開いた! 行くよ!」

「はい!」

 二人は荷物を持って急いでゲートをくぐった。

「待て! 止まれ!」

 後ろから、急遽駆け付けて来た保安員の制止する声が響く。

 ユリアは急いで振り返り、懐から抜き取った愛銃を連射。

「早く閉めろ!」

 保安員達は、物影に隠れながらユリアに応戦。

 ゲートの目の前には、激しい銃撃戦が展開した。

 閉まる扉。

 保安員が、無線で声を張り上げる。

「緊急事態!軍施設に侵入者あり!所属は不明!侵入者は若い男女二名!一名は銃器を所持!繰り返す!銃器を所持!」

 警報は直ぐさま軍施設全館に鳴り響いた。

 彼らの居る部屋にも、警報は鳴り響いている。

「侵入者…!? まさかこんな時に?」

「やはり、な…」

 ゆっくり呟くグラム。

「大佐」

「放っておけ、エステル。何もするな」

 ため息をつくエステル。

「大佐…騒ぎを楽しまれていませんか?」

「そうかも…な」

 グラムはそう言ってから、少し笑った。



「どうしよう…!大変な事になっちゃいましたよ!?」

「うっさい!今は逃げるのが先!」

 一番保安員を倒しておきながら、うろたえる一刃を一喝しながら、ユリアは銃の弾を入れ換えた。

「そこ右!」

 ユリアの指示に従い、一刃はエレベーターに乗り込んだ。続いてユリアも。

「何階行きます?」

「適当!20階!」

 20階のボタンを押す。

 動き出すエレベーター。

「ねえ…あの人達って本当に一味だったんですか?」

「あ?」

「そうには見えなかったんですけど…?」

「今更何言ってんだよ!」

 怒鳴り付けるユリア。

 内心、背中に冷や汗をかいたのは言うまでもない。

 エレベーターが止まる。

「よし、行くよ!」

 二人はエレベーターを急いで下り、再び走りだした。

「いたぞ!」

 後ろから、ライフルで武装した保安員達が追い掛けてくる。

 するとユリアは、バッグの中から紙製のボールを取り出した。

「何ですか? それ」

「見てな」

 彼女は、ボールから伸びる細い紐にライターで火を点け、後ろに放った。

 青ざめる一刃。

「それってまさか爆…!」

 後方で、爆音が散った。

「いくらなんでもやり過ぎですよ! ユリアさん!」

「あれくらい平気だよ!」

 平気な訳が無い。

「一刃!そこの部屋入れ!」

 右側に、標札の無い部屋が一つ。

 二人は部屋に駆け込む。

「とりあえずここで隠れて…一刃…?」

 固まる一刃。

「大佐…」

 二人が駆け込んだ部屋は、偶然にもシェーファーフントの部隊室だった。

「おはよう。遅かったな」

 固まる空気。

「う、動くな!」

 ユリアが、一刃の頭に銃を突き付ける。

「ユ、ユリアさん…?」

「グラム=ミラーズ!あんたが隠しているのは判っている!ビンセント=キングストンはどこに居る!」

 グラムが彼女に言う。

「知ってどうする?」

 彼女は答える。

「連れ戻す。死んだなんて信じない」

「どう言う事ですか!? ユリアさん!」

「うるせぇ! 黙ってろ!」

 一刃の肩が小刻みに震える。

「嘘だったんですか…?」

「あ?」

「全部嘘だったんですか? 僕に言った言葉も全部!」

「お、お前…!」

「なんて人だ! 許しませんよ! ユリアさん!」

「こいつ!」

 その時、廊下からビンセントの声が聞こえた。

「なんだありゃ? 誰か屁こいた?」

 部屋の扉が開く。

「おっはヨーグルト!」

 やたらに元気の良い挨拶。固まるビンセント。

「…は?」

「え…?」

「若様!」

 見合うユリアとビンセント。

 同時に、一刃の声で目を覚ました春雪が、仮眠室から彼らの居る部屋に駆け込んだ。

「どうなってんだ!」

 叫ぶユリア。

 その時一刃が、彼女の一瞬の隙を突き、銃を逸らした。

 宙を舞うユリア。

 非の打ち所が無い、見事な一本背負い。

 彼女はそのまま、背中をたたき付けられる。

 その瞬間、ビンセントの口からやっと言葉が出た。

「ユ、ユリア!?」

 彼女も遠のく意識の中、搾り出すように呟く。

「兄…貴…」

 気絶するユリア。

 その瞬間、全員の声が重なる。

「「「「「「兄貴!?」」」」」」





************





 昔、あたしが一番大好きだった人が、とても寂しそうな顔でよく言った言葉がある。


『ごめん、仕事行かなきゃなんねぇんだ…』


 そう言うあいつに、あたしは縋り付いて泣きながら駄々をこねてたのを覚えてる。

 その頃あたしは、あいつの仕事の事なんか何も分かってなくて、それでもあいつはいつも優しくて、クールで、かっこよくて、憧れの人だった。

 それが今では、頭に包帯巻いて、ベッドで寝てる怪我人の前で図々しくタバコをくわえている。



「おう。目ぇ覚めたか」

 ビンセントはタバコをくわえ、逆向きに座った椅子の背もたれに寄り掛かりながら、冷めた眼差しで彼女を見下ろした。

 身体を起こすユリア。

「お前、どうやってここまで来たんだ?」

「定期便…で…」

「そう言う事聞いてんじゃねぇ!」

「ひゃっ!」

 ビンセントの怒号にユリアの身体がびくりと引き攣った。

「どうやって潜り込んだんだ?」

「…軍閥から軍属ID買って…」

「そんで?」

「ここに来て、一刃を騙して…」

「このボケバカ娘!」

 ユリアの頭をゲンコツするビンセント。

「いったぁ〜!何すんだよ!」

「いいか? ユリア。俺ぁ今まっかっかにカンカンだ! 俺が怒ってるのはな! いいかよく聞け! ここで454カスールをぶっ放した事でもなく! 保安員を吹っ飛ばした事でもなく! 一刃の若旦那をだまくらかしてここに来た事を怒ってるんだ!」

 ユリアが声を張り上げる。

「何!?兄貴は一刃の味方な訳?」

「味方とかそう言う事じゃねぇだろうが!」

「じゃあどういう事を言ってるんだよ!?」

「お前が気を失っている時、若旦那は俺に何て言ったか分かるか!? 『ごめんなさい、ごめんなさい』って何度も俺に頭下げて、お前の心配をしてたんだぞ!? 分かるか? ユリア! 騙された人間が騙した奴をだ! いいか、ユリア…、世の中には騙していい奴と駄目な奴が居るんだよ!!」

 ユリアがゆっくり呟く。

「ごめんなさい…。でも…!」

「でも?」

「…何でもない…」

 ビンセントは親指で額を掻く。

「荷物まとめろ。今日は俺の部屋に泊めるから、明日帰れ」

「兄貴の部屋に…?」

「文句あっか?」

「う、ううん…」

 ビンセントがユリアのバッグを持つ。

「背中、痛むか?」

「ううん。大丈夫」

「そうか」

 彼は、医務室からユリアを連れ出すと、大きくため息をついた。

「ユリア、ちょっとこの先で待ってろ」

「あ、うん…」

 後ろめたそうに駆けていくユリア。

 彼女が曲がり角に消えていくのを確認すると、ビンセントはゆっくり振り返った。

「エレナっつったっけ? あんた」

 ビンセントはエレナを見分するように睨む。

「覚えてくれていたんだ。うれしいわ…」

「お前グラムの女だろ?」

「元…ね」

 タバコを大きく吸う。

「何の用だよ」

「彼女、本当にあなたの事が大事なのね」

「あ?」

「うわごとであなたの事呼んでたわよ」

「何が言いてぇんだよ」

「あなた何も分かってないわ。あなたは女の事を桟橋の金具ぐらいにしか思ってないんでしょ? よく考えてごらんなさい。あの子はあなたの家族である前に、一人の“女”なのよ…?」

 エレナが医務室に戻る。

「話は終わり。彼女が待ってるわ。もう行って」

 まるでビンセントを閉め出すように扉を閉めるエレナ。

 ビンセントは無言のまま、ため息をつきながら額を押さえた。





************





「厄介事だな?」

「はい?」

 ガルスの言葉に、グラムが思わず聞き返した。

「お前が私の前に居るのはいつも、厄介事が起きる前か起きた後だ」

「世の中厄介事ばかりですよ。その度に気をもんでいてはこちらの身が持たない」

 ガルスが一瞬、苦笑を漏らす。

「そうだ…な…」

 グラムはガルスに言った。

「今朝の騒ぎの件ですが、原因はビンセント=キングストン…失礼、キングストン大尉のようです」

「彼が?」

「侵入した例の彼女…名前はユリア=キングストン。ビンセント大尉の“いとこ”でした。どうやら彼を連れ戻しに来たようで」

「たいした娘だな…。それで今は?」

「キングストン大尉が自宅へ連れ帰りました」

「どうする、ミラーズ。これほどの騒ぎになれば、サンヘドリン内部と言えど、治安局が黙っていないぞ」

「ええ。先ほど治安局から捜査官が派遣されてきました。しかし彼らの興味は彼女ではなく、専らIDの方で…」

 グラムの顔を見据えるガルス。

「ご心配なく。彼らには協力的な態度をとっておきました」

 彼がそう言う間に、ガルスは椅子から立ち上がり、窓から外を眺めながら呟いた。

「家族か…」





************






 長い沈黙が続いている。

 それは車に乗ったその時からずっと。

 彼女はじっと、窓の外を流れる街の明かりを眺め、彼は運転だけに集中している。

 ぴりぴりとした突き刺すような空気。

 触れてしまえばすぐにでも簡単に崩れてしまうかのような雰囲気。

 とても会話ができる様子じゃない。

 大きくため息をつくユリア。

 この車に乗ってから、通算50回目のため息。

「(ため息数えるようじゃもうおしまいだなぁ…)」

 心の中で呟く。

「腹減ったか?」

 ビンセントが今の雰囲気を払拭するように、ユリアに話し掛ける。

「え? あ、うん…少し」

 突然の言葉に慌てるユリア。

 ビンセントはそんなユリアを尻目に話し続けた。

「インスタントしかねぇからな。つっても、俺も晩飯まだか…」

 そう言って苦笑いするビンセントの肩口を、ユリアはじっと見つめていた。

「大尉…」

「あ?」

「兄貴、あそこじゃ大尉なんだ…」

 ビンセントの肩口を飾る階級章のワッペン。

 彼はそれを隠すように、自分の肩口を掴んだ。

「階級なんていらねぇ」

「偉いんでしょ?大尉って」

「さぁな。傭兵に階級なんていらねぇ。戦うには武器がありゃいい。階級なんて後から付いてくるお飾りだよ」

 窓の外を、摩天楼の光が細い帯となって流れていく。

「なぁ兄貴…ハリーはどこ?」

「ハリー…?」

 突然、ビンセントの顔が青ざめる。

「ハァリィィー!!」

 叫びを上げ、クルマのアクセルを踏み込むビンセント。

「なっ!どうした?兄貴!」

「黙ってろ、ユリア!舌噛むぞ!」

 さらにスピードを上げる車は、他の車を縫うように走り抜け、彼の住む宿舎の地下駐車場へ吸い込まれていく。

「降りろユリア! 早く!」

 まくし立てるビンセント。

「え?どうしたんだよ?いきなり…」

「いいから早く!」

 渋々車を降りるユリア。

 ビンセントは彼女に、部屋のキーを投げ渡した。

「先に部屋で待ってろ!鍵かけろよ!」

 ユリアを置いて走り去っていくビンセント。

 突然の出来事に目を点にしながら、彼女は手の平の中のキーを見つめた。

 叫ぶユリア。

「兄貴のバカー!!」





************






「ラカンでしたっけ?」

 エステルは彼にそう尋ねた。彼は答える。

「彼は詳しく述べてないし、その事についてフロイト派の考えはあまり適切じゃない」

 部屋の隅に置かれたキングサイズのベッドに、グラムは疲れた表情で腰掛けている。

「あなたの考えは?」

「“愛が有ればいい”…だ…」

 ベッドの上で膝立ちになり、後ろからグラムの首を抱く。

「今の私達みたいに?」

「少し違う…な…」

 彼はエステルの首筋に優しくキスしながら、シーツの上へゆっくり押し倒した。

「顔が疲れてる」

 エステルがぽつりと呟く。

「甘い物は別腹」

 グラムはそう言って、彼女の唇を塞いだ。

 部屋の電話が鳴る。

 彼はそれを無視して、エステルの身体を強く抱き寄せる。

「グラム…電話…」

「聞こえない」

「ちゃんと出てください」

「嫌だ」

 彼はまるで子供のように彼女の言葉をはねつけ、エステルの肌を優しく撫でる。

「グラム」

「一週間ぶりなんだぞ?」

 エステルは彼の顔を両手で押さえ、じっと目を見つめてもう一度言う。

「ちゃんと出て」

 グラムは渋々受話器を取った。

「何だ。…何? 拘置所? それが? …ハリー? 誰だそれは?」






************





「本当に怒ってない…?」

 彼は恐る恐る彼女に尋ねた。

 騒ぎの後、本登録を済ませ、部屋のキーを受け取り、荷物を起き、一息着いた彼の目の前には、しかめっつらした春雪がいた。

「全然怒ってないですよ」

 春雪は彼から目を逸らしたまま答える。

「本当に…?」

「怒ってなんか…いないです…」

 怒ってないのは確か。

 ただ、彼女の声は泣き声だった。

「泣いてるの?春雪…」

「泣いてないです」

 鼻を啜る春雪。

「春雪…」

「無事でよかった…」

「え?」

「若様に何も無くてよかったです…」

「春雪…」

「…若様は私の全てなんです…。もし若様になにか有ったら私は…」

「ごめんね…春雪…。もう二度と、君に心配させないから…」

「若様…」

 一刃は春雪の肩をそっと抱きしめた。






************





[サンヘドリン保安部地下拘置所]


「ええ、お話は大佐から伺っています。ええ、はい。健康状態には問題ありません」

 “には”?

「はい、なんと言いますか、異常が無すぎるんです。精神?いえいえ…彼はまるで聖人のようですよ。どうやら悟りの境地に達したようで…」

 『聖人』!!

「ハリー=マクドガル。面会だ」

 ハリーの居る独房の前に立つビンセント。

 ハリー=マクドガル、23歳独身。彼女いない歴23年。(未だ更新中)

 職業は…

 “大型飛行艇パイロット”

 あの時彼と共にいた、あの男。

「ハリー…お前…」

 ビンセントは思わず、驚嘆の声を漏らしていた。

 香を焚き、薄っぺらなベッドの上で座禅を組むハリー。

 その姿はまさに…

「おい! ハリー!」

 ハリーを呼ぶビンセント。

 しばらくして返事が返ってくる。

「アッサラーム・アライクム」

 続けてこうも。

「アッラー・アクバル」

 吹き出すビンセント。

 膝が笑い、腰が砕ける。

「お、おま、お前…いつからラビになったんだ?」

 ハリーは答える。

「アッラー・アクバル」

 ビンセントは続けて声を掛け続ける。

「ハリー?」

「アッラー・アクバル」

「俺の事覚えてるかー?」

「アッラー・アクバル」

「お前の名前は?」

「アッラー・アクバル」

「誰が何て言おうと?」

「アッラー・アクバル」

「毎日三食?」

「アッラー・アクバル」

 ビンセントの横隔膜がこれでもかと痙攣する。

 すると突然、ハリーの目から涙がこぼれだした。

「旦…那…?」

「ハリー!」

「旦那!」

 ハリーが鉄格子に縋り付く。

「旦那!よくご無事で!」

 ビンセントが優しく微笑む。

「ああ、待たせちまって悪かったな…」

「マジで心配したっす! 俺、まさか忘れられたんじゃないか? って…」

「(ぎくっ!)」

 ビンセントが、わざとらしく目を輝かせる。

「まさか! そんなことあるわけ無いダロ?」

 キラリと輝く白い歯。

「そうっすよね〜!あはは!」

 屈託の無い笑顔を見せるハリー。

 それを見たビンセントは、安心した様子で大きくため息をついた。

「旦那…どうかしたんすか?」

「あ?」

「あ、いや…少し様子が…」

 ビンセントの表情を見て、心配した様子で話しかけてくるハリー。

 ビンセントはまるで観念したかのように、ゆっくり話し始めた。

「実は持って帰って欲しい物があるんだよ」

「何すか?」

「ユリア」

 ハリーの目が点になる。

「…ひょ?」

「いやさ…、今朝うちに殴り込みに来やがってよ。傍に置くわけにはいかねぇから家に帰す」

「あれ? 旦那…。なんか話しのつじつまが…」

「それでお前が帰るついでに乗せてってって事な訳で…」

「いやだから話に矛盾が…」

 ビンセントは大きくため息を着いた。

「いつかはバレるから話しとく。俺は今、サンヘドリンの軍属なんだ」

 ハリーはけらけらと笑った。

「旦那! そんな冗談いくらなんでも通じませんって! だって旦那は…」

 言葉を飲み込むハリー。

 ビンセントの服装はラフながらも、確かにサンヘドリン尉官の物だった。

「旦那…」

「俺、あっちじゃ死んだ事になってんだ。今更戻っても、俺の居場所はもう無ぇ…。それなら俺は、ここに残って、化け物供と戦った方がいい。給料も悪くねぇし…」

「ユリア姐さんは納得してくれるんすか?」

「あ?」

「ユリア姐さんは旦那の事を心から…!」

「お前はどうなんだ?」

「えっ!」

「惚れてんだろ? ユリアに」

「お、俺はそんな…!」

「お前にしか任せられねぇだ…。俺にはもう、お前にしか…」

「旦那…」

 ハリーはビンセントの性格をよく知っている。

 スチャラカで女好きで、本気なのか冗談なのか分からないところも。

 でも今の彼は本当に真剣だったと、ハリーは分かった。

 何年も共に仕事をこなしてきた親友だからこそ…。

「旦那…」

「あ?」

「俺、ユリア姐さんの事を最後まで護るっす! 旦那の思い、俺には分かったっすから…」

「すまねぇ…ハリー」

「ところで旦那…」

「あ?」

「ユリア姐さん、少しは胸大きくなったっすか?」

 ビンセントの右手がハリーの顔面を掴む。

「おっぱい好きの口はどの口だぁ?」

「す、すんません!か、勘弁…!」

「貧乳」

「え?」

「相変わらずの貧弱乳」

「そ、そうっすか…」

 ハリーの顔面を掴んでいたビンセントの手が、ハリーの肩に回った。

「まぁ気落とすなや! 安心しやがれ、ハリー! 世の中の半分は…おっぱいで出来ている!」

「おおっ!」

「さぁ共に歌おうではないか!」

 肩を組みながら、拳を上下に降り、『おっぱいおっぱい』と連呼するビンセントとハリー。

 それを見ていた看守は思わず呟いた。

「馬鹿だ。絶対馬鹿だ、あいつら…」






************





「ひあっ!?」

 ユリアの背中に寒気が走った。

 バスルームで、頭からシャワーをかぶっていると言うのに、物凄く趣味の悪いマーチが聞こえた気がする。

 それと共に、ビンセントの声も。

 彼女は自分の肩を抱いた。

 取り戻したかったものが、今度は自分を拒絶する。

 泣きたい程悲しい筈なのに、涙が出てこない。涙なんてとっくに枯れたらしい。そんな自分を鏡で見れば、ひどくやつれて見えた。

 バスルームの壁に額をつく。

 彼女の肩を、お湯に濡れた黒いストレートヘアーが滑り落ちた。

「クソ兄貴…」

 その時、玄関のドアが開く音が。

「(誰…?)」

シャワーを止め、壁に張り付きながら足音を確かめる。

「(兄貴じゃない!)」

 彼女はバスルームの扉を静かに開け、タオルの下に隠していたスタームルガーを手に持った。

 身体にバスタオルを巻く。そして足音を忍ばせながら、人影に忍び寄る。

「動くな!」

 襟首を掴み地面に引き倒してから胸元を押さえ付け、馬乗りになりながら銃を突き付ける。

「きゃっ!」

 華奢な声を上げる人影。

 胸元を押さえるユリアの手には、柔らかな感触があった。

「や、やめてください…!」

「お、お前は確か!?」

 涙目で抗議するイオ。

 そこにビンセントが帰ってくる。

「ただい…ま…?」

 ほとんど裸の状態でイオに馬乗りになるユリア。床に倒れながら涙目のイオ。イオの胸を掴んでいるユリアの左手。

 この状況はまさに…

「お、お帰り兄貴…」

「た、助けて下さい、ビンセント…!」

「って言うか何でイオがここに!?」

「わ、私は忘れ物を届けに…」

「ご、誤解するなよ?」

 イオが涙目で訴える。

「誤解じゃないもん…いきなり押し倒されて、胸触られたもん…」

「そ、そんな事してない!」

 ユリアが急いでイオから降りる。

 だが時既に遅し。

「ユリア…そうかお前、その趣味が…。失礼しました。どうぞ続きを。ここで見てるから」

「このクソ兄貴! ドスケベエロ大魔王! 変態貴公子!」

 鉄拳一発。



「…グラム、いまボロ雑巾を裂いたような男の悲鳴が…」

「聞こえない」

「…ぁん…」



 ぶつぶつと文句を言いながら服を着るユリア。

 イオの目の前には、のびたビンセントが居る。

「ビ、ビンセント!生きてますか!?」

 心配そうにビンセントの身体を揺するイオ。

 その姿をユリアは、羨ましいそうに見つめていた。

「大丈夫ですか?ビンセント!」

「そんなに兄貴が大事?」

 突然ユリアが、イオにそう尋ねた。

「え…?」

「そんなに兄貴の事が大事かって聞いてんの」

 イオはユリアの瞳を見つめ、しっかりとした口調で答えた。

「大事ですよ? 私はイクサミコで、彼は私の唯一の主人ですもの」

「兄貴ドスケベだよ? それでもいいの?」

「それでも彼は、私のユーザーです。彼の行く所へ私も行きます。Hなのは困りますけど…」

 頭を掻くユリア。

「なあ、あんたイオって言ったっけ?イクサミコってみんなそうなのかい?」

「え?」

「だからさ…、なんか、恋人みたいに…」

 顔を赤らめるユリア。

 イオは答えた。

「恋人と言うより…何でしょう…?うまく説明出来ないです。ユリアさんは?」

「え…?」

 逆に質問仕返してくるイオに、ユリアは思わず困ってしまった。

「うーん…あー…あたしは…恋人…かな?」

「えええっ!?」

「嘘! 嘘! 冗談! 兄貴とあたしは家族なんだ。兄貴はあたしの唯一の肉親…。あたしの唯一の…」

「唯一の…?」

「うんや、なんでもない…」

「ぶるあ!」

 さっきまでのびてたビンセントが、突然起き上がる。

「ビンセント!」

 ビンセントの鼻にティッシュを詰めるイオ。

「大丈夫ですか!?ビンセント!」

「んー…晩飯作らなきゃ」

「え…?」

 鼻にティッシュを詰めたまま急いで立ち上がるビンセント。

 その後を、イオが追う。

「夕食なら私が…」

「大丈夫! 大丈夫!」

「でも…」

「平気だよ。イオ」

 イオを引き止めるユリア。

「ああ見えて兄貴、案外家庭的なんだよ」

 そう言っている間に、ビンセントは手早く3人分の食事を整えていた。

 まず冷凍庫から、冷凍のラザニアを取り出し、包装紙を破いてオーブンの中に入れスイッチオン。

 その間、卵を割ってそれを溶き、食パンを浸す。

 フライパンを温め、油を敷く。

 そしてその上に、先程の溶き卵を染み込ませた食パンを乗せて火を通す。

 油の弾ける音が響き、食パンと卵の焼ける甘くも香ばしい香りが瞬く間に広がってゆく。

 さてその間にもうひと品。

 冷蔵庫から取り出したミックスベジタブルをさっと湯通ししてボウルにあける。

 そしてその中に、少量の無塩バターと塩を混ぜ、パセリを振り掛ける。

 そうする間に、トーストが焼き上がる。

 両面をこんがりきつね色に焼き上げられたトースト。

 それを斜め半分に切り、トレーに盛る。

 付け合わせのミックスベジタブルも添えて。

 オーブンが軽快な音を立てて焼き上がりを知らせる。

 オーブンの扉を開ければ、焼けたチーズとジェノバソースの香りが一気に開放され、あつあつのラザニアが出来上がっていた。

「おーい、出来たぞー」

 まるでシェフのように素早くディナーをこしらえるビンセントの姿を、イオはじっと見ていた。

 見ていたと言うよりは、見とれていたのかも知れない。

「な? 言った通りだろ?」

 ユリアが自慢げに、ビンセントを指差した。


 食卓に調う晩めのディナー。

 それを囲む3人は、どこか嬉しそうな顔をしている。

「それじゃあ…」

 ビンセントがフォークを持った。

 そして…

「いただきマンモス!」

 ユリアも一緒に、

「いただきマンモス!」

「マ、マンモス!?」

 イオが思わず声を上げる。

「どうした?イオ。冷めちまうぜ?」

「いえ、あの、“いただきます”って日本語ですよね? それにマンモスって…」

「は? うちは昔からこれだよ?」

 ユリアが、まるで自分達が当たり前のような顔で言ってくる。

「(もしかして、私が知らないだけ?)」

 そんな馬鹿な。

「まあ、気にすんなよ!」

「はあ…」

 うまく言いくるめられるイオ。

 彼女はフォークを取り、あつあつのラザニアを一口。

「熱っ!」

「気をつけろよ? イオ」

「兄貴タバスコ取って」

 ユリアはタバスコを惜し気もなく振り掛ける。

「美味しい…」

 イオの口から思わず漏れた言葉。

 温かいラザニア、こんがりと焼けたトーストは適度に甘く、ミックスベジタブルは口の中でプチプチと踊りながら野菜そのものの甘みと食感が舌の上に広がる。

「気に入って頂けて恐縮です。お嬢さん」

 おどけるビンセント。

 それを見て笑うユリア。

 3人だけの、慎ましくも温かいディナーは、笑い声と共に遅くまで続いた。



「遅くまでありがとうございました」

 玄関に立つイオを、ビンセントが見送っている。

「気を付けてな。また、遊びに来いよ」

「はい…」

 しばし見つめ合う二人。

「それじゃあ…」

「なぁ、イオ…」

「はい?」

「ありがとな」

 そう言ってイオを送り出すビンセント。

 その様子を、ユリアは影から見ていた。

 玄関からビンセントが戻ってくる。

 ユリアは急いで寝室に入った。

 後を追うようにビンセントも。

「楽しかったね、兄貴!」

 ユリアがビンセントに話し掛ける。

「ああ」

 ビンセントは押し入れから毛布を取り出しながら、素っ気の無い返事を返した。

「まだ…怒ってる?」

 ビンセントが押し入れの扉を強く閉めた。

「もう寝ろ、明日は早いぞ。俺はソファーで寝る」

 枕を強く抱きしめるユリア。

 毛布を持って寝室から出ていこうとするビンセントの背中に、ユリアが抱き着いた。

「ユリア…?」

「何で私達の事を見捨てたの…? 生きてるならどうして帰って来てくれないの…? なんで…」

 彼女の声が、次第に涙声へ変わっていく。

「兄貴は…金とか名誉とかそんなんじゃなくて…いつもあたし達の為に戦ってくれてた…。今でもそうだよね…?そう信じていいんだよね…?」

 彼の背中に縋り付くユリア。

 そんな彼女の姿に、過去の記憶が重なる。


『ごめんな、ユリア…。兄ちゃん仕事に行かなきゃなんねぇんだ』

『やだやだ!兄たん行っちゃやだ!』

『参ったな…』

『ぐすっ…』

『泣くな、ユリア…。幸福の女神様は、泣き虫が嫌いなんだ』


 ビンセントが、ユリアの腕を振りほどく。

「離せよ…ユリア」

「兄貴…?」

「信じていなくてもいい…」

「え…?」

「今の俺は! …自分の為に戦ってんだ…」

 そう言って、ビンセントは寝室を出た。

 酷く身体が重く感じる。

 空気が、まるで深海の水圧のように…

 静寂が、耳を突き刺すかのように…

 全てが重く、痛い。

 ソファーに座り息をついても、度のきついアルコールをいくら飲んでも、何も変わらない。

 空になったグラスとボトル。彼はグラスを壁に投げ付けた。

 グラスが砕け、破片が床に飛び散る。

 ビンセントが、力の無い口調で、静かに呟く。

「許してくれなんて…、言えねぇよなぁ…」




TO BE CONTINUED...

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