ACT13 背負い
トライアルを襲うヴァリアントにグラムは一人で立ち向かう。
Chapter 1
ソルジャーの首を捩切り、胴を貫き、ナイトの腕を折り、膝を砕き、叩き潰す。
踊るように。流れるように。
ヴァリアントとの熾烈な戦闘。まるでビデオゲームを見ているような、一方的な破壊。
EPCにグラビティーナックル。グラビティードライバーによる、常識を超えた高機動戦闘。
彼はまるで、その戦場に溶け込むかのように闘い続ける。
前方から強烈な閃光。ソルジャーの長射程砲による遠距離砲撃。
彼は、着弾するビーム全てを回避し、EPCを連射。ソルジャーの戦列を蹴散らし、破壊する。
フラッシュ。
敵部隊最奥部に、通常とは異なる高エネルギー反応を感知。
質量、大。
上級機種、[ヴァリアント・ガーズマン]を確認。
戦闘能力、極めて高。
当機[リセッツクロウ]との戦闘能力を比較、検証。
結論。
危険は有るものの、戦闘に支障なし。
要因。
パイロットの特異な戦闘能力、グラビティードライバー、EPC、及び最新鋭戦闘ソフトウェア。
「大佐」
「何だ」
「敵部隊最奥部に、ガーズマンを捕捉しました」
「何か問題でも?」
「いえ、何も問題はありません。ただ…」
「ただ…?」
「…いえ…何でもありません」
エステルは心の中で呟いた。
「(あなた本当は泣いているんですね…心の中で泣きながら、必死に涙を堪えて…)」
機体は更に、ヴァリアントの群れの奥へ。
すかさず、5機のソルジャーが高速で接近してくる。
「敵機接近」
「邪魔だッ!」
交差する機体。
ソルジャーが一瞬で鉄屑に変えられる。
部隊最奥部へ突入するリセッツクロウ。
機体は更に奥深く。
部隊最奥部、ガーズマンのもとへ。
************
水蘭からヘルメットを通じて彼の網膜に映し出される風景。
焼けた地面。
依然、群を成す敵。
単機、刀一つと己の技量だけで敵に立ち向かう彼に、仲間からの援護など存在しない。
独立無援の恐怖。
極度のストレス。
金切り声を上げる神経を、大きな深呼吸で黙らせ、押さえ付ける。
それでも軽減できない、生体と精神にのしかかる重圧は、次第に彼の身体機能を蝕んでいく。
上昇する血圧と心拍数。
急性過呼吸症。
民間人…
それもほんの少年で、訓練も何も受けていない普通の人間なら、当たり前の事。
傷だらけの機体。
白兵戦闘のみの水蘭に対し、ミサイルやビームカノン等、満身創痍の機体に加えるには過剰とも言える程の、各種重火器による応報。
その攻撃の中でも彼は、数十機のソルジャーと、一機のナイトをたった一人で破壊してきた。
しかし、それもここまでだろう。
「…限界…か…」
膝を突く水蘭。
視界に混じるノイズ。
オーバーヒート寸前のアクチュエーター。
左腕は砕け、装甲の切れ目からあちこちで火花が散っている。
「ダメです、若様!」
彼女の叫ぶ声。
春雪の声が遠のく。
薄れゆく意識。
敵機が接近してくる。
もはや恐怖は感じない。
「ごめん、春雪…所詮…僕の修行不足さ」
一斉に打ち掛かるソルジャー。
温かい液体にたゆたうように、彼はゆっくり目を閉じる。
あれ…?
おかしいな…
なんでこんなに静かなんだろう…
それに…
なんで…
何で僕…
まだ生きているんだろう…?
彼の目に映ったのは、水蘭の目の前に立ち塞がる一機のHMA。
赤銅色の装甲に身を包み、左腕に内蔵型の重火器を。そして右腕には、巨大なパイルバンカーを装備した、HMA‐h2カスタムメイド機。
「…! あッ…ああッ!?」
HMAのパイロットが叫ぶ。
「マッスルバスター一番星! シェーファー02・ロンギマヌス! 一足遅れて登ッ場ォ!」
水蘭の前に立ち、大見えを切るビンセントのロンギマヌス。
その周囲には、ソルジャーの残骸が散らばっていた。
「サン…ヘドリン!?でもこの機体は…」
ロンギマヌスから水蘭へ、回線接続。
「おい民間機、乗っているのは誰だ!?」
「え!? ああっ! はい、僕はこの機体のテストパイロット、菊地一刃です」
「んげぇ! 若旦那!?」
「その声はやっぱりビンセントさん!?」
ビンセントがコクピットの中でのけ反る。
「確かあなたは死んだって…!」
「そっ! それには深~い訳が…」
「ビ、ビンセントさん!後ろ!」
「ぬっ!?」
ロンギマヌスへ襲い掛かるソルジャー。
その時、一条のビームがソルジャーを貫き、爆ぜた。
「遅えぞ!レイズ!」
ビームランチャーを構え、全身に大量の武器と弾薬を装備した、レイズのラッシュハードロング。
レイズがぼやく。
「ビンセントさん…何で僕にだけこんなに武器持たせるんですかぁ?」
ビンセントは彼に答える。
「俺はスマートなのがいいの!」
「まったく…勝手な事ばっかり言わないで下さい…よっ!」
レイズは、ビームランチャーを100mmガトリングに持ち変えると、それをソルジャーの群れの中に斉射した。
爆炎が飛び散り、噴煙が巻き上がる。
「緊急指令で、すっ飛んで来てみりゃあ、もうこんな状態になってやがる…まぁその為の“俺達”なんだけどよ…」
ビンセントはそう言って、マシンカノンのマガジンを換えた。
「若旦那、これからは“俺達”の仕事だ! 若旦那には悪いが、後は任せてもらうぜ!」
スラスターを吹かし、ロンギマヌスが地面から浮く。
「ビンセントさん!」
一刃がビンセントを呼び止める。
「ん?」
「御武運を!」
ロンギマヌスが、水蘭に向かって親指を立て、ホバー走行へ移った。
ラッシュハードロングの横に立つロンギマヌス。
彼はメインスラスターのノズルを絞り、パワーを溜め込む。
レイズがビンセントに問う。
「お知り合いだったんですか?」
彼が答える。
「仕事でちょっとな」
無線をサンヘドリン本部へ。
「本部、情報にあった試験機を保護した。これより敵部隊の殲滅に入る!」
ビンセントが咆る。
「行くぜぇ! レイズ!」
「了解!」
メインスラスターが、莫大な推力を開放し、ロンギマヌスを凄まじい速度で押し出す。
機体はソルジャーの群れの中へ、真っ直ぐ向かって行った。
Chapter 2
部隊最奥部のガーズマンに近付くにつれて、更に熾烈を極めていく敵の攻撃。
グラムは、今起きている戦闘に全神経を集中させている。それ以外に、注意を割く余裕も必要も無い。
突然彼は、自分が敵の射線上にいる事を感じ、機体を大きく機動させる。
「1時方向から高エネルギー反応」
巨大なビームが、機体を擦過する。
重力壁を擦過面の一点へ。
巨大なビームパルスから機体を守る。
並の機体ならば、側を通過しただけで装甲が焼け焦げるほどの大出力ビーム。
ガーズマンが放った、ポジトロンビームカノン。
光条が通過し、遥か後方で巨大な火球が咲く。
彼は機体を大きくライドさせ、EPCを連射。
突然、ナイトやソルジャー達が、ガーズマンの前に踊り出て盾になる。
ガーズマンがミサイルを放った。
「ミサイル接近、数20。シグネチャホーミングです」
20基の誘導弾が、尾を曳きながら高速で機動する。
即座に回避運動へ移るリセッツクロウ。
後退と前進、スラスターを駆使したサイドステップを繰り返し、ミサイルの射線を回避。
機体は鋭角な軌道を描きながら、EPCでミサイルを撃ち落としていく。
爆炎が散り、炎が空気を焦がす。
次の瞬間、数発のミサイルが、EPCの目の前で炸裂。
彼は咄嗟に銃口を引き戻し、左前腕に展開した重力壁で防御する。
「EPCを狙ってきたか…!」
エステルが、彼の脳波に異変を感じ取る。
冷静だが、脳の深層域が活発に活動している。
宇宙が…
因果律が、彼の脳に流れ込んでいる。
熱く…激しく…
こんな事はあの時以来…
そう…
セカンドムーブの時以来…
「大佐?」
「行くぞ。エステル」
リセッツクロウが、高速で機動する。
双方、全力を賭けた最後の衝突。
グラムは機体の左手を強く握り締め、腕を引く。
襲い掛かるソルジャーの群れ。
ソルジャーが、一斉にビームカノンを放つ。
刹那、リセッツクロウ周囲の空間が陽炎のように歪み、次の瞬間、背後の地面が陥没。
同時に、リセッツクロウは100メートル近くを一瞬で移動。
ビームカノンの光条は霧散し、ソルジャーが跡形もなく蒸発する。
彼は右腕に持ったEPCを、ガーズマンに向けた。
ガーズマン。
それはヴァリアンタスの近衛兵だ。
その姿は大躯であり、躯体は堅固。
右手に持つポジトロンガンブレードは、一薙ぎで機動装甲数機を打ち砕き、艦を沈め落とす。
その前に立ちながらも、彼の指はトリガーに掛けられたまま、引かれていない。
ガーズマンからの攻撃も無い。
完全に見合っている。
声が聞こえる。
聞き覚えのある、威圧的な声。
生き残った機体のセンサー全てと、彼自身へ送られる圧縮通信情報。
それが今、声となって、彼らに届いている。
「久しいな、我が兄弟」
「貴様か…」
「私の指揮する部隊を破り、ガーズマンの前に立った…よくそこまで戦えるものだ。敵ながら感服する」
「戦っているのは私だけじゃない。それに、私を“兄弟”と呼ぶのはやめてもらおう」
笑い声。
「何を言うのかと思えば滑稽な…私とお前は“兄弟”…いや…私はお前、お前は私だ」
「貴様こそ何を言っている。私とお前に何の関わりが有ると言うのだ」
「貴様は知らないだろう。作られた記憶、人生。偽物の生を生きるお前には、理解できないだろう」
「黙れ。早くこの機体から出ろ」
「私はお前を知っている。そしてお前も、私を知っている筈だ。目を開いて見ろ。真理を聞け。真実を知れ」
グラムは強く答える。
「私はお前など知らない!」
彼は構えていたEPCのトリガーを引いた。
ガーズマンは、その攻撃を軽やかに回避する。
「来い、戦い方を教えてやる」
挑発する“声”。
ガーズマンが、その手に持つ巨大なガンブレードから陽電子砲を放つ。
それを回避するグラム。
彼はEPCを撃った。
ガーズマンは、再びその攻撃を回避する。
「どうした、我が兄弟。的は大きいぞ。コアを撃ち抜け。捕まえてみろ。その手でこの身を引き裂いてみせろ」
「心配するな。今そうしてやる」
彼はEPCを連射しながら、ガーズマンへ接近した。
ガーズマンが、腕部に内蔵されたビームカノンを撃つ。
機体を掠めるビーム。
グラムは、EPCをガーズマンに突き付けた。
「終わりだ」
「まだだ。まだ終わらん」
トリガーが引かれる寸前、ガーズマンのミサイルが二機の間で爆ぜる。
弾き飛ばされるリセッツクロウ。
次の瞬間、ガーズマンのガンブレードが煌めいた。
両断されるEPC。
リセッツクロウのそれと比べて、倍以上はあるガーズマンの巨大な拳が、コクピットへ迫った。
彼は両手を重ね、重力壁を掌に展開して、それをガードする。
大きな衝突音。
突き飛ばされるリセッツクロウ。
機体の脚が、地面を刔る。
「この動きは…機甲体術!」
グラムの表情が凍り付く。
ヴァリアントが、機甲体術を使っている。
何故?
そう思うもつかの間、ガーズマンがビームカノンを連射した。
GRASを全力で展開する。
着弾するビーム。
爆炎が、リセッツクロウを覆い隠す。
グラムは、胸のビームカノンを撃ち返した。
ビームが、ガーズマンに命中する。
連射されるビームカノン。
その光条は全て、ガーズマンの装甲表面で霧散した。
「…空間圧縮による空間断層…!」
エステルが答える。
「EPCでなければ貫通出来ません!」
声が彼に言う。
「武器を失った今、お前は私に勝つ事はできない。お前は物理的にも、精神的にも弱い」
「くっ!」
ガーズマンはガンブレードをグラムに向けた。
「貴様は、この戦いから身を退くべきだ。貴様に、人類を護る事など出来ん!」
「黙れぇ!」
彼はグラビティナックルで、ガーズマンのブレードを砕いた。
「まだ抗うか…」
「幾らでも!」
グラムは、グラビティドライバーによって拳速を高めた右上段突きを繰り出した。
しかしガーズマンは、いとも簡単に、その拳を受け流し右腕を掴む。
「なに…!?」
「踏み込みが甘い」
「くっ!」
グラムが、ガーズマンから離れた。
一方ガーズマンは、離れたリセッツクロウから距離が開かないように、素早く歩み寄る。
両手を構えるグラム。
対するガーズマンは、リセッツクロウの左腕を上方に打ち払い、右腕を掴んで引きながら、肘打ちを打ち込んだ。
「くそ…!何故だ!なぜ貴様が機甲体術を使える!」
よろけるリセッツクロウ。
ガーズマンの目がリセッツクロウを見下ろす。
「(流石は我が兄弟…直撃している様に見えていても、しっかりと重力壁でガードしている…長引けば、こちらが不利だ…!)」
ガーズマンが両手を胸の前に構えた。
「私が、お前を開放してやろう!」
ガーズマンの右脚が、地面を捕らえ踏み込む。
「機甲体術奥義…!」
スラスターを噴射。
巨大な二枚の掌は、ガーズマンの全質量を受け、前に打ち出される。
「ツヴァイス・カノーネ(二連掌砲)!!」
二枚の掌はリセッツクロウの胴体を捉え、大きく弾き飛ばた。
機体が、弓なりに跳ねる。
グラムは心の中で呟いた。
弱い…
全く…全く彼の言う通りだ…
私は誰も護れなかった…
目の前に居る…
手の届く人間さえ護れなかった…
そしてその“心”さえも…
私は何の為に戦ってきたのだろう…
一体誰の為に…
『そして樹は、物質としての束縛を少しずつ断ちきり、自らの姿を自由に変えていく…』
博士…
私は…
『希望はいいものだよ…ミラーズ君…多分最高の物だ…良い物は決して滅びない…』
グラムの脳裏に浮かぶ顔。
グレンの笑顔…
エステルの微笑み…
皆の姿…
そうだ…
私が背負い護っている物…
それは何とはかなく、尊いのだろう…!
リセッツクロウが立ち上がる。
両足でしっかりと地面を捕らえて。
「なるほど…機体前面に集中させた重力壁で、大地の反発力を中和したか。しかしそれで機体とイクサミコは護れても、パイロットは相当なダメージを喰らうはずだ」
グラムが血を吐いた。
「グラム!!」
エステルが叫ぶ。
それでも彼は、逃げようとはしなかった。
「確かに私は弱いかも知れない…人類など護れないかもしれない…でももしそうなら…私は幾らでも強くなってみせる! 強くなって護ってみせる!私はまだ生きている!人は生きている限り、負けではないッ!」
グラムはもう一度両手を構えた。
右手を強く握り締め腰まで引き、左掌を突き出す。
「(構えが変わった…!?)」
「来い!!」
「ハッタリは効かん!」
ガーズマンはスラスターを吹かし、リセッツクロウへ肉薄した。
「行くぞ! 機甲体術奥義…ファウスト・ゲベイア(正拳砲打)!!」
ガーズマンから打ち出された正拳が、空気の壁を突き破ってリセッツクロウに迫る。
「(この打法は全身の捻りとインバースキネマティクスを駆使した亜音速拳!決まった!)」
しかしグラムはその瞬間、リセッツクロウの左掌をそっと横に傾けた。
そしてその掌に沿って右腕を滑らせる。
その時突然、拳は凄まじいスピードで打ち出され、ガーズマンの拳を粉々に打ち砕いた。
「な、なに!?」
ガーズマンが、砕けた右腕の破片を撒き散らしながら大きく弾き飛ばされる。
着地するガーズマン。
脚が地面を刔る。
「貴様、その技は…」
グラムが口を開いた。
「ただ、フレズベルグの真似をしてみただけだ」
「右腕と左掌との間に重力場を展開させたか。なるほど、双方の重力場は互いに反発しあい、右腕を凄まじいトルクとスピードで打ち出す即席のグラビティレールガンと化す。名を付けるとすれば“アルティメット・ピアッサー(絶対貫通徹甲打)”といったところか…。だが!」
ガーズマンが、残った左腕で殴り掛かる。
「技の一つ増えたところで!」
迫る正拳。
しかしグラムはそれをいとも簡単に回避。
右手でガーズマンの指先を掴み、左手を肘に当てて捻り上げる。
「踏み込みが甘い」
ガーズマンの間接が軋みだす。
「いかに圧縮空間による空間断層があろうとも、関節構造を硬質化出来る訳じゃない!」
グラムは、リセッツクロウ全身のスラスターを吹かし、機体ごとガーズマンの腕を回転させた。
「ぐおっ!」
ガーズマンの腕が捩切れる。
リセッツクロウはそのままガーズマンにドロップキック。
ガーズマンがよろける。
「貴様ぁ…」
「たとえお前が私の事を知っているとしても、私はお前の事を知らない。そして今の私は、お前の知っているグラム=ミラーズではないッ!!」
グラムはリセッツクロウをガーズマンへ突撃させた。
ミサイルを放つガーズマン。
グラムはそれを、胸のビームカノンで撃ち落とした。
「私は貴様らが奪っていった物をすべて取り戻す! そして貴様だけは、この手で必ず倒すッ!」
リセッツクロウの左掌底が、ガーズマンの胴に直撃する。
「(くっ!圧縮空間に膨大な重力波を注ぎ込んでいる! 重力崩壊を起こす気か!)」
グラムはリセッツクロウの右腕を振り上げた。
「消えろ!! 原子の藻屑と成り果てて!!」」
振り上げた右腕はそのまま左手の甲を叩いた。
右手から打ち込まれた重力波は左手を砕き、そして、先に打ち込まれた重力を一気に崩壊させる。
崩壊した重力場は、周囲に飛び散り、拡散するが、圧縮空間の内壁に当たり反射。
反射した重力場は発生地点で互いにぶつかり合い再び反射し、周囲の空間を吹き飛ばす。
そう、重力崩壊とは、超新星爆発と同義なのだ。
************
間近で見る、よく訓練された兵士の戦いとはなんと力強く、なんと精練されていることか。
自分にとってはあまりにも強大だった敵戦力が、電光石火の如く勢いで、さくりさくりと削られていく。
剣に勤しんだ自分の半生。
その全てを否定されているような、空虚感。
それはあまりにも大きく、広い空洞。
ソルジャーの最後の一機が、ロンギマヌスのパイルバンカーに貫かれた。
「こちら02、敵殲滅完了」
「こちら01、敵性反応無し。殲滅完了確認」
「よっしゃ。終わったぜ?若旦那」
ロンギマヌスが、水蘭に振り向く。
すると水蘭は、ゆっくりと立ち上がった。
「春雪…セルフチェックは終わったね?」
「はい。ビーム兵器に当てられていたセンサー類の回復、及び駆動系の再調整も完了しました」
「よし…」
水蘭はロンギマヌスに背を向けた。
「おい、どこへ行く?」
「大佐は一人で戦っています!大佐を助けに行かなきゃ!」
一刃はそう言うと、水蘭を駆り出した。
「おい、若旦那!…レイズ!あと頼む!」
「ちょっと、ビンセントさん!?」
ビンセントは水蘭の後を追う。
一刃は心の中で叫び続ける。
「(大佐!大佐!大佐!あなたは僕の理想だった!僕の目標だった!あなたのようになりたかった!でもそれは出来ない…!出来ないけど、出来る限り近付こうとした!それなのに…それなのに…もしあなたが死んでしまったら、僕は一体…!)」
一刃は機体を止めた。
立ち込める黒煙。
あちこちで燃え上がる炎。
彼の周囲には、ヴァリアントの残骸が散らばっていた。
その中心には、巨大なクレーター。
水蘭の後ろにロンギマヌスが立った。
「わかっただろ?若旦那」
「ビンセントさん…これは一体…?」
ビンセントが大きく息を吐く。
「『奴が戦場に降り立てば、そこには炎が降り注ぐ。天の火に非ず。それ全て、地獄の炎』…」
「地獄の炎…」
「だから奴は…グラムはこう呼ばれるようになった…ヘルファイヤー・グラム(業火のグラム)とね…」
一刃は思わず息を飲んだ。
これが大佐の力…
地獄の炎を身に纏い、近付く物全てを焼き尽くす、憤怒の業火…
何かが近付いてくる…
恐ろしい程の殺気に満ちた、黒い機動装甲。
「大…佐…?」
水蘭の目の前に、リセッツクロウが立った。
その右手には、ガーズマンの頭部があった。
リセッツクロウが、水蘭の横を通り過ぎる。
「大佐、あの…敵部隊は…?」
リセッツクロウが立ち止まる。
グラムは答えた。
「皆殺しにした」
一刃の背中に寒気が走る。
違う…!
あれは大佐じゃない!
あれは正しく…
地獄の炎―!!
立ち去っていくグラム。
誰も彼を、呼び止める事は出来なかった。
Chapter 3
[ジェネシック・インダストリー本社、特別室室長室]
深い暗闇がある。
全てを覆い隠すような深い暗闇が。
闇の中に一つの光がある。
その光の中に佇んでいる彼は、大きな背もたれのある豪華な革張りの椅子に深く腰掛け、脚を組みながら静かな様子で待っている。
静かに、待ち焦がれるように。
突然、部屋の扉が開いた。
「失礼します。チーフ」
彼の秘書、エヴァが部屋へ踏み入る。
「チーフ、駐屯地にヴァリアントが出現しました」
口元にうっすらと笑みを浮かべるロイ。
「それで?」
彼女は答える。
「我が社のトライアル用機体、リセッツクロウにグラム=ミラーズ大佐が搭乗。これと交戦・殲滅した模様…ただ…」
「ただ?」
「その際、開発一課主任・ミハエル=セルベトゥス博士がヴァリアントによる攻撃で死亡しました」
ロイが、口の端を持ち上げてゆっくり微笑んだ。
「やはり…天は我々の味方だ…我々が手を下すまでもなく、運命は自然と流れる…」
不安そうな面持ちで彼を見つめるエヴァに、ロイは答える。
「そうだな…エヴァ…君にもそろそろ知っておいてもらおう…」
彼は、真剣な眼差しで彼女の顔を見つめると、ゆっくり口を開いた。
「この世界は腐っている。古い体制、古い民、軍、経済、思想、宗教…その全てが、腐敗した油膜となって世界を押さえ付けている。だが今、世界は私の手で変わろうとしている。古い外皮を脱ぎ捨て、新たな段階…新たな階層へとシフトしようとしている。私は、その障害を取り除いているだけだ」
「障害を…取り除く…?」
「そう…成長には痛みを伴う。もちろん流血もね…」
「あなたは一体…何をなさるおつもりなのですか?」
「言っただろう? 障害を取り除くとね…」
彼女の表情が凍った。
「チーフ…あなたはまさか…!」
クーデター。
彼女の脳裏にはこの言葉が浮かんだ。
「危険過ぎます! いかにあなたがお持ちの私設兵団が精鋭部隊でも、統合体と戦うには戦力が…」
「戦力…?」
ロイが、低い笑い声を漏らした。
「戦力…か…確かに今の統合体…それも中央軍に戦いを挑むなど自殺行為だ…」
「……?」
「…強いて言うなら、神の力…真の義と平和と安全の守護神…」
…ディカイオス!!
「ディカイオスの力は、神に等しい。地上の…それも薄っぺらな協定で成り立っている軍など無力…あえて言おう…カスであるとね…」
「しかし…ディカイオス一機では戦略的に無理があります…!それに、ディカイオスを略奪するなど、不可能では?」
彼は答える。
「あるだろう? それを可能にする神の力が…」
「まさか…!」
「“機動兵器端末群超広域戦闘指揮・支援同時遂行用虚数因果律総括通信回路網機構”…ディカイオス・システムが…!」
「そんな…まさか…! ディカイオス・システムはヴァリアントからの教訓で、ディカイオス‐エイレーネには組み込まれなかった筈では!?」
ロイが、笑いながら彼女に言う。
「父は私に、偉大な遺産を遺してくれた。この手には余る遺産をね…そう…組み込まれていたのだよ…システムは…ヴァリアンタスと同じ、機動端末兵器システムがね。元を正せば当然な事…ディカイオスもヴァリアントも、作った人間は同じ…つまり、ヴァリアントとディカイオスは生き写しの双子なのだから…そして今日…その事実を知る最後の一人が死んだ。これで真実は闇の中…端末機も無事…しかし…ヴァリアントは革命の邪魔…つまりはこれからも、サンヘドリン…そしてミラーズ大佐には戦い続けてもらわねばならない…それまでには、こちらの準備が全て調う…システムを我が手に納める手筈もね…時が来れば、略奪などする必要も無い…」
彼は大きく息を吐いた。
「運命は自分の手で開くもの…しかし、宿命は…いや…宿命さえも、我らの味方…こっちへおいでエヴァ…」
エヴァが、彼の側へ歩み寄る。
ロイは彼女の腰に手を回し、彼女の身体を引き寄せる。
彼が、彼女の耳元で囁く。
「僕の好きな言葉を知っているかい…?エヴァ…」
彼女は答える。
「新しい葡萄酒は…新しい革袋に…」
「覚えていてくれたんだね…」
ロイはそう言うと、彼女と唇を重ねた。
彼は心の中で呟く。
神は言われた…
“光在れ”と…
ならば私はもう一度光を創る…
この手で…
もう一度…!
世界はそれを待っている。
************
[3月15日、サンヘドリン本部特別軍事査問委員会]
「もう一度聞く、ミラーズ大佐。ヴァリアントは貴官が殲滅したのだな?」
彼は、並み居る委員会の将官達に答えた。
「はい。ヴァリアントは私が殲滅しました」
将官の一人が彼に言う。
「いいかね?ミラーズ大佐。問題なのは、中央軍の駐屯地にヴァリアンタスの侵攻を許した事だ」
「これでは中央軍のお偉方に顔が立たん!」
「しかもこの戦闘には、民間人まで参加したと聞いている」
「やはり対ヴァ戦力を集中させるのは…」
ぼんやりと遠くを見つめるグラムの瞳。
ガルスは心の中で呟いた。
「(何があった…グラム…何があったと言うのだ…今のお前の、まるで世界で自分だけが取り残されているような目…お前の目は、また昔のそれに戻ってしまった…暗く、哀しい、何かを恐れた目に…)」
彼女はただ呆然と、その前に立っていた。
彼の名が刻まれた真新しい墓石。ミハエル=セルベトゥスの眠る霊廟の前で。
「なんで…こうなっちゃうのかなぁ…」
グレンがぽつりと呟いた。
「博士は何も悪くないのに…天に誓って何も恥ずべき事の無い人だったのに…先生の知識も、もっと教えて欲しかった…お母さんの事も、先生自身の事も…もっと知りたかったのに…!ねぇ、エステル!どうして?どうしてこうなってしまったの!?教えて…エステル…」
彼女は側に付き添っていたエステルに縋り付き、そう叫んだ。
エステルは彼女に答える。
「私にも…分かりません…ただ…大事な人を失う気持ちは、私にも分かりますよ…」
グレンが声を張り上げた。
「…エステルに…私の気持ちの何がわかるって言うのよ! あなたには大佐が居るけど、私には何も無いの! 何も無いのよ…」
「グレン、私は…!」
「それでも私は大佐を信じてた…信じてたのに…! こんなに辛い想いをするなら…最初から信じなければよかった!」
突然、曇った空の下に、乾いた音が響いた。
エステルが、グレンの頬を叩いた。
「…私はあなたではありませんから…あなたの気持ちはわからないかも知れません…でも…人を信じる気持ちが無ければ、人間は生きて行けないんです…!」
グレンは自分の頬を摩りながら、顔を俯かせる。
「痛い…痛いよ…エステル…」
エステルがグレンの肩を抱きしめた。
「私も痛い…でも大佐はもっと痛いんです…。気付いていますか? グレン…、私が今抱いているあなたの身体…そして私たちの足元に広がって、続いている無限の大地…これが、彼の背負っているものなんです…彼はただ一人で、こんなにも重いくびきを背負っているんです…彼は今まで、幾つもの命をその手で受け止めようとしました…でもその度にその命は、彼の指を摺り抜けてしまう…その命こそが、ここに眠る英霊たちなんです…」
グレンは静かな様子でエステルに言った。
「わかってる…わかってるの…エステル…でも…頭でわかっていても、私の心は理解できない…! このままじゃ私…私…大佐に酷い事を言ってしまう!」
彼女はエステルの腕を振りほどいた。
「だから私…もう大佐やエステルとは一緒にいれない…」
彼女がそう言ったその時、空から雨が降り出した。
降りしきる雨の中、二人は傘もささずに立っている。
「グレン、大佐は…」
躊躇うエステル。
髪を解いたグレンの姿が別人のように見えて、エステルは思わず言葉を飲み込んだ。
「さようなら…」
グレンはただそう言い残し、その場を去って行った。
強くなる雨足。
エステルは何も出来ずにただ、彼女の背中を見つめた。
************
無言と思考の停止。これしか無かった。
降りしきる雨の中、中央広場のベンチにただ座るだけの彼には。
考えてもしょうがない事だった。
今まで何度も考えた事だったが、その度に答えは見つからなかったからだ。
「大佐…」
声が聞こえる。
彼を呼ぶエステルの声が。
彼は振り向かない。
ただ黙ったまま俯いている。
二人の肩を打つ大きな雨粒が、服を伝いながら染み込んでいく。
返す言葉など無い。
言葉など…
私はいつの間にか、言葉など信じなくなった。
正確には、『人間らしい“気持ち”』と言う物を…
“気持ち”が無ければ…
感じなければ、傷付く事がないから。
“ヴァリアンタス”と、それを破壊する事を目的に組織された“サンヘドリン”とそのシステム。
その力、“ディカイオス”。
私は“人”ではなく、ディカイオスの部品になる。
“グラム=ミラーズ”と言う名の生体部品に…
それなのに…
なぜ…
彼女はもう一度彼に言う。
「戻りましょう、大佐…」
彼はやっと、その顔を上げた。
「風邪ひきますよ…?」
そう言う彼女の頬には、彼女自身の髪が張り付き、その肩は小刻みに震えている。
私のイクサミコ…
いや…私の半身、エステル…
私はどうしたらいい?
私は一体何をすればいい?
何を想い、何を目指せばいい?
私の背負っている物は、重過ぎる…
どうすれば強くなれる?
心も身体も…
「大佐…?」
「助けてくれ…エステル…」
彼はベンチから立ち上がり、エステルの肩を強く抱きしめた。
痛いほど…
彼の鼓動が直接伝わる程に…
「何回…こんな思いをすればいいのでしょうか…? 私達は…」
エステルはそう言って、グラムの背中に腕を回し、彼の身体を優しく抱いた。
Chapter 4
いつもより空気が冷たく感じる。
白いクロスが貼られた壁に四方を囲まれた寝室。
そこに一人。
昨日の夕方から降っていた雨は、今もまだ降っている。
肌を寄せ合い、傷を舐めあい、慰めあっても、心の隙間は埋まらなかった。
「大佐」
枕元に置かれたインターホンのスピーカーから、時間を知らせるエステルの無色な声が響く。
彼は無言のままベッドを出た。
前だけを見て、足早に歩く。
「…それで?」
グラムは後ろからついて歩くエステルに問う。
「ガルス司令からの御命令です。拘束拘留中のキクチ金属工業試作機パイロット・菊地一刃の取り調べに参加せよとの事で…」
エステルが立ち止まり、彼の背中を視線でなぞる。
彼の首筋から肩口、そして背中へ。
「どうした?」
グラムが横目で振り返る。
「いえ…」
エステルは再び言葉を続ける。
「対象者は黙秘を続けています」
「なぜ」
「不明です。ただ、大佐に会わせろと言い続けているそうで…」
「それで結局妥協したと…?」
取り調べ室の前で止まる。
グラムは大きく息を吐いた。
「しょうがない…給料分は付き合おう」
彼は扉を開けた。
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ふと振り返ると、私と先生が一緒に居た時間なんて、とても短かったのかもしれない。
本当は先生の事なんか何も知らなくて、私が勝手に付き纏っていただけかもしれない。
きっとそれと同じなんだ。
私と“大佐”って…
私は、彼の事を何も知らないし、彼も、私の事を知っている訳が無い。
それでも大佐は、私達の事を護ってくれている。
いや、きっと…
きっと、名も知らない大勢の命をも…
でも…
彼だけは…
先生だけは失いたくなかった…
「おい!お嬢ちゃん!」
突然、術長の声が耳元で響いた。
「わっ!術長さん?」
「さっきから呼んでるのによう。大丈夫かい?」
椅子に座るグレンを、心配そうな表情で見下ろす術長に、彼女は少々驚いた様子で答える。
「え? ええ…大丈夫ですよ?」
術長が彼女に問う。
「電算室、まだ使うかい?」
「あ…」
彼女が操作するコンピューター画面には、入力し途中の数式が映っている。
術長は大きなため息をついてから、彼女に言った。
「無理すんなよ…お嬢ちゃん。しばらく休みな」
「無理なんかしてませんよ? 全然、大丈夫!」
「お嬢ちゃん…」
「だから、大丈夫ですってば!元気元気!」
「ああ!分かった分かった!分かったから泣くな!」
「え…?」
突然、慌てたように言葉を取り繕う術長。
グレンは自分の目元を指でなぞった。
指先に濡れる感触。
「あれ?なんでかな?どうしてだろ…ごめんなさい…ちょっと、失礼しますね…!」
彼女は急いで電算室を飛び出すと、レストルームに駆け込んだ。
洗面台の鏡の前、両手で自分の顔を覆うグレン。
突然、レストルームの中に、綺麗な鼻唄が響いた。
彼女はそっと振り向く。
するとそこには、一人の女医が立っていた。
「エビング…博士…」
「あら?お久しぶりねぇ…グレンちゃん。お邪魔だったかしら…?」
「あ…いえ…」
ハンカチで目元を拭ってから大きく息を吸って、呼吸を整える。
「ごめんなさい…博士…すぐ出て行きます…」
「ちょっと、待って。グレンちゃん!」
グレンがドアノブに手を掛けようとしたその時、エレナは彼女の後を追うように踵を返し、グレンを呼び止めた。
グレンは足を止めて、彼女の方に振り返る。
「は、はい…?」
「お急ぎ?」
「いいえ…特には…」
「ねぇ、久しぶりに会ったんだし…」
指先で自分の唇をなぞるエレナ。
よく見れば、彼女の白い指が、ルージュの上を艶かしく滑っている。
グレンはあの時と同じ寒気を背中に感じた。
「エ、エビング博士…?」
「私…グレンちゃんとシたいな…」
グレンの背中に、最大級の寒気が走った。
「え…? ちょっとそれは…私も博士も女性同士ですし…私にその趣味は…」
狼狽するグレン。
そんな彼女を尻目に、エレナは悪戯な笑みをこぼしてグレンに言う。
「嫌ね、勘違いしちゃって…お茶よ、お茶。少しお話ししない? ちょうど美味しいケーキもあるんだけど…?」
「え? お茶?」
エレナはグレンに優しく微笑んだ。
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「正直、本当に来てくれるとは思っていませんでした」
グラムとの間に金属製の机を挟んで座る彼は、グラムの表情を伺いながらそう言った。
「本来、私が来る必要など無い。言いたい事が有るなら、手短に願おう」
「もう一度、会いたかったと言うのはダメですか?それに、聞きたいのはあなた達の方でしょう…?」
不機嫌なグラムに、一刃の極めて冷静な答えが返って来る。
「元々、こんな取り調べ自体がナンセンスだ。聞く事など何も無い筈なのに」
「おしゃべりは嫌いじゃないです」
この少年は何を言っているんだ?
全く意図が掴めない。
グラムは彼に問う。
「何故出撃た?」
「え?」
「死ぬかも知れないと分かっていたのか?」
「それはもちろん分かっていました」
「怖くなかったのか? 死ぬのが…」
彼は一瞬の間を空けてから、グラムに答えた。
「怖かったですよ? 死ぬ程怖かったです」
「なら何故? 軍人でもないのに」
「…何故…でしょう?ただ、我慢が出来なかった」
「我慢?」
「戦う力を持っていながら、それを使わない事が…戦いに出れば、自分は死ぬかも知れません。でも、自分が戦いに出なければ、他の誰かが死ぬ。軍人さんはそう思いながら戦っていると、僕は思っています」
「民間人…」
「ええ。僕はただの民間人です。だから、最後まで戦えなかった。民間人の僕に、戦場で戦う術は持ち合わせていないから…」
「軍人になれば、最後まで戦えると?」
「僕はそう信じています」
「死ぬ目を見るぞ? 死は全てを失う…自分が死ななくても。友も、愛する人間もだ」
「大佐は、失った事がありますか?大切な人を…」
「ああ…多分ある」
「でも僕は戦いたい」
「なんの為に? 人類の為? 正義の為?」
「そんな大層な物じゃありません。僕の力なんてちっぽけな物…ただ僕は、自分の瞳に映る人くらいは、自分で守りたいから…」
グラムは短く息を吸った。
「自分で守る…か…」
彼は一刃の瞳を見つめ、彼に問う。
「軍人なら最後まで戦える。おまえはさっきそう言ったな?」
「はい」
「なら一刃、軍に来い。お前がその気なら、戦い方を教えてやる」
グラムはそう言って席を立った。
「話は終わりか?」
「はい、大佐。ありがとうございました」
背を向けるグラムを一刃が呼び止める。
彼はグラムに言った。
「その人の事、今も覚えていますか?」
足を止めるグラム。
彼は振り返る事無く、部屋を後にした。
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「ごめんなさいね。散らかってて…」
医務室奥にある自分の執務室に、エレナはグレンを招き入れた。
そこは10畳程の広さがある非常にシンプルな部屋で、デスクの上には幾つもの書類が積み重ねられている。
部屋の隅には木製の猫足テーブルと、布製のソファーが置かれていた。
これは彼女の趣味だろう。
「忙しいかったんじゃ…?」
気を使うグレンにエレナが微笑む。
「今お茶入れるから、掛けて待ってて」
「ええ…」
しばらく部屋を見回す。
仕事でしか使わないにしても、あまりにも生活臭のない、ある意味、非常に無機質と言える室内。
奥ではエレナが、給湯室で湯を沸かしている。
ふと彼女は、デスクの上に何かを見つけた。
ガラス板と金属製のプレート二枚で構成されたモダンなデザインの写真立て。
その写真立ては、肝心な写真が見えないように伏せてあった。
好奇心に駆られるグレン。
その写真立てに、彼女はそっと手を伸ばす。
そこに写っていたのは見慣れた男性とエレナの姿だった。
「だめよ、悪戯は…」
突然エレナの横顔が、グレンの後から現れる。
「エ、エビング博士…?」
「エレナ…でいいわよ」
彼女の背中に追い被さるように、エレナは身体を寄せてくる。
「それじゃあ…あの…エレナさん…」
「なぁに?」
グレンの腰を、慣れた手つきで撫でるエレナ。
身体を強張らせるグレンの耳に、彼女の湿った吐息がかかる。
「あ、あの…」
「あなた…その趣味は無いって言ったわよねぇ…」
「え…?ええ…」
「じゃあ私が…その趣味にさせてあげようかしら…」
「え…?」
グレンの心臓が、まるでエンジンのように早くなる。
顔が紅葉し、今にも倒れてしまいそうな彼女に、唇を寄せていくエレナ。
腰をなでる手の小指がスカートの裾に掛かり、するするとめくってゆく。
グレンは心の中で叫んだ。
「(ああ! どうしよう…! うまく抵抗できない! このままじゃ私、エレナさんに…!ごめんなさい、お母さん…私、こっち側の人間になりそうです…)」
覚悟を決めるグレン。
そんな彼女を他所に、エレナは笑いながら身体を離した。
「え…?」
「冗談よ、冗談。お茶、入ったわよ。それとも…続きがシたい?」
「えっ? いえ、結構です!」
グレンが慌ててソファーに座ると、エレナは手際よくティーカップを彼女の前に置いた。
カップ横の皿には、綺麗に切り分けられたロールケーキが乗せられている。
エレナが、ティーポットからカップへ紅茶を注ぐ。
カップから昇る白い湯気。
それと共に、アールグレイの甘い爽やかな香りが部屋いっぱいに広がる。
「お砂糖は?」
「いえ…」
「ミルク入れる?」
「お願いします」
紅茶の中に、白い渦が出来る。
「どうぞ」
「いただきます」
ソーサーをカップの下に持ちながら、彼女は紅茶を一口含む。
グレンに続いてエレナも。
「少し苦かったかしら?」
「いえ、美味しいです」
二人の口元で、カップがゆっくり上下する。
「あの…一つ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「写真の男の人って…」
エレナはソーサーの上にカップを置いた。
「ええ。グラムよ」
グレンの眉が、不安そうに下がる。
「二人は…恋人同士だったんですか?」
「恋人…ね…」
エレナは紅茶を一口含んでから、彼女に答えた。
「私…ここに来る前は、CAMSに居てね、彼とはそこで出会ったの。彼は患者で、私は彼の専任心理カウンセラー。知ってる? 彼の事」
「エステルに聞きました」
「時には主治医、時には友人、時には支え…そうね、恋人だった事もあったわ…」
「二人はどうして…?」
「私が捨てたの」
「何故…?」
エレナは少し考えてから、彼女に答えた。
「『待っていなくてもいい』って、彼が言ったから。それで後から気付いたの。私は彼の笑顔を見た事が無いって…」
この言葉を最後に、二人の間を沈黙が支配した。
長く、湿ったような沈黙。
グレンが思い切って口を開く。
「ごめんなさい…変な事聞いちゃって…」
「いいのよ…」
エレナは笑顔でそう答えると、グレンに問うた。
「あなたはどうなの?」
「え…?」
「好きなんでしょ? 彼の事…」
次の瞬間、楽しげに話していたエレナの表情が固まった。
眉を歪めるグレン。
彼女の目は、不安と迷いの色に塗り潰されていた。
「どうして、そんな事聞くんですか?」
「違う? それとも彼の事嫌い?」
「違います…!嫌いとかそう言うのじゃなくて…好きですよ? 好きですけど…」
急に黙り込むグレン。
エレナは彼女の次の言葉を待った。
「一緒に居たいとか…付き合いたいとか…そう言うのじゃないんです…私はただ…」
「“護って欲しい”?」
急にエレナの表情が険しくなった。
「あなたやっぱりそうよ。逃げてる。目の前の事から逃げてる」
「逃げてる…?」
「本当は傷付くのが恐くて、自分の気持ちから逃げてるだけ。護ってほしいなんて言い訳だわ」
「言い訳なんかじゃありません!」
「じゃあ何?好かれている訳でもない人間を、無条件で護れと言う訳?」
「じゃあ先生はどうして亡くなったんですか!大佐が護って…護ってくれていればこんな事には…!」
彼女は途中で言葉を切った。
「あなたの事は聞いているわ。辛かったわね…でもね、グレン。あなたと同じ事を思っている人がもう一人いるのよ…?あなたは彼に何をしてあげた?どんな言葉をかけてあげた?人はみんな、何かと闘っているわ。でも彼の闘っているものは途方も無く大きいの。そんな彼を、仲間である私達が支えてあげなければいけないのよ。本当はね…グレン…彼ってとても不器用な男なの。気持ちを言葉に出して言えない人。そんな彼を支える事が、私たちの出来る“闘い”じゃないかしら?」
「私にそんな事…できるんでしょうか?」
「出来るわ、グレン。あなたなら出来る」
エレナはそう言うと、グレンにロールケーキを差し出した。
「このケーキね、シティーの“シャトレーゼ”ってお店で買ってきたの。そのお店、今では珍しくパティシエがケーキを作っているのよ?だから、ケーキ一つ一つに作り手の、幸せな気分にしてあげたいという心が込められているの。重要なのは、本当の気持ちよ…」
俯くグレン。
「私…そんな事考えた事もなかった…大佐は私達の為に闘ってくれているのに、私は自分の事ばかり考えてた…」
彼女が顔を上げた。
「私、闘います!自分の出来る戦いを!そうすればきっと、彼の支えになれるから…」
彼女はそう言って、エレナの顔を見つめた。
彼女の腹が鳴る。
「あのぅ…ケーキ食べてもいいですか?」
グレンが恥ずかしそうにそういうと、エレナは微笑みながら答えた。
「どうぞ」
嬉しそうにケーキにぱくつくグレン。
そんな彼女を見て、エレナは心の中で呟いた。
「(この子だけは…不幸にしないでね…グラム…)」
彼女は深く心から願った。
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『その人の事、今も覚えていますか?』
出ていく時、彼は私にそう尋ねた。
純粋で悪意の無い質問。
私は答えずに、取り調べ室を後にした。
頭の中がチリチリする。
こんな事が前にもあった。
昔、CAMSでの再生治療を受けた後、軍医は私に同じ質問をした。私が軍医に、「何故そんな事を聞くのか」と問い質したら軍医は、「記憶の再生の為」と答えた。
その時も今と同じように、脳の奥がチリチリとしていたのを覚えている。
その度に現れる“幻の君”…
君は一体誰なんだ?
無い筈の記憶から形作られる、君は…?
「よう」
ビンセントが、あたかも偶然見掛けたかのようなそぶりで声を掛けてくる。
わざわざ探して来たこと位、一目見れば分かると言うのに。
彼が居るのは、いつもと同じ中央広場の同じベンチ。
何かを考える時。
悩む時。
彼は決まってここに来る。
「何をしに来た」
グラムは、ビンセントの姿を見分するかのように睨み付ける。
「随分とつれねぇなぁ…親友が慰めに来たのによ」
ビンセントは彼の横に座った。
両手には缶ビール。
口には煙草をくわえている。
「ほらよ」
ビンセントがグラムにビールを投げ渡した。
彼は右手で受け止める。
「飲めよ。ぬるくなっちまったけど、空きっ腹には調度いいぜ?」
ビンセントはそう言って、缶ビールを一気に飲み干した。
鳩が地面を突いている。
何の悩みを持たぬかのように、誰かの撒いた餌を啄んでいる。
一匹の白い鳩がいた。
その鳩は、群れから離れた所に立ち、餌にも目をくれず、ただグラムの事をじっと見ている。
「災難だったみてぇだな…」
ビンセントの言葉は、単刀直入に核心へ迫った。
「でも自分を責める事はねぇよ、グラム。それがその人間の択んだ道だ」
グラムの心に火が灯った。
択んだ道?
死ぬ事が?
死を選ぶ事が、避けようの無い選択だったと言うのか!
「道だと?」
心に反して、彼の言葉は自分でも意外な位に落ち着き払っていた。
「お前は間違っている。死を選ぶ事など、正しい訳が無い」
グラムの、余りにも真っ直ぐな答えに、ビンセントは苦笑の色を隠せなかった。
「ぶわはははは! 捻りがねぇなぁ、おい!」
グラムが眉を歪める。
「何が可笑しい!」
ビンセントは煙草を大きく吹かした。
「なぁ、グラムよ…今この瞬間に、何人の傭兵がくたばってるか、お前には分かるか? 10や20なんて数じゃねぇ…未だあちこちで続く小競り合いやら紛争やらで、奴らぁボロ雑巾みてぇに死んでいくんだ…それでも奴らぁ闘いを止めねぇ。奴らぁ戦場の中でしか生きていけねぇ。俺達傭兵はな、どこかが少しおかしいんだ」
夕暮れの風が頬を撫でる。
夕闇の中、徐々に減っていく人影。
植えられた街路樹から散る枯れ葉が、風に吹かれて舞っていく。
「ただ死ぬ為に生きるのか?」
ビンセントは答えて言った。
「ちげぇよ…生きる為に死ぬんだ。俺達は金の為でも、忠義の為でもなく、ただ自分達の志の為に引き金を引く。自分が死んでも、生き残った仲間が必ず成し遂げてくれるって信じてっからだ」
「誇りは命を縮めるぞ?」
「自信過剰もな」
ビンセントがベンチから立った。
「いくら力があったとしても、力はいつか自分を裏切る。力は絶対じゃねぇ。“力”を持つ奴にとっちゃ、逃げられねぇ宿命だ。それでもなぁグラムよ…俺達は託されてんだ。奴らから…将来を託されてんだよ」
グラムは言った。
「将来なんて捨てている」
ビンセントは彼に答えた。
「違う。将来がお前を捨ててんだ。自分を好きになれよ…グラム。長く付き合うんだからな。自分を救えねぇ奴に、他人は護れねぇぞ?」
「お前は、自分を救えたか?」
ビンセントは振り返り、グラムに答えた。
「復興作業中!」
立ち去っていくビンセントの背中は、どこか寂しく見えた。
グラムは、彼から受け取った缶ビールのフタを開け、中味を飲み干した。
飲み慣れている筈のビールの味が、今日は苦く感じる。
人を救う事と自分を救う事…
自分に託されている事…
“護る”と“守る”…
似て異なる二つの言葉…
これを同時に熟すのは難しい。
だが、それが自分の道…
背中に背負っている自分の使命…
散っていった者たちへの、せめてもの償い…
力が自分を裏切るまで…
鳩が飛んでいく。
灰色の鳩達が。
灰色の群れに混じる白い鳩。
彼はその鳩を、見えなくなるまで見つめ続けた。
Chapter 5
私は望む。
護られるだけでなく、闘い護る事を。
私は臨む。
自分の出来る闘いに。
本来、人間一人の始まりなど、二つの細胞が偶然出会う事に過ぎず、発生した人間個体の出会いも又、偶然に過ぎない。
それでも人は、出会ってきた人々を想い、愛して止まない。ただ、偶然に出会っただけの人々と共に歩もうとする。
そんな人間が、私は…
今の彼女は、サンヘドリンの技術者でなく、ジェネシック社の一社員としてそこに立っている。
試験機を危険に晒し、事もあろうに重要な人材を失った社は、自分達の致命的な損失を恐れた。
それを避ける為に彼等は、リセッツクロウと“当事者”を、サンヘドリン本部に一時保管。
処理完了の後に、全てを回収する手筈を整えていた。
全てが完了した今、彼女には帰社命令が出されている。
グレンは首から掛けられたサンヘドリンのIDカードを外し、ガルスの目の前に置いた。
「お世話になりました」
一礼する彼女に、ガルスが聞く。
「グラムに、会っていかなくても…?」
彼女は答える。
「時間が無いみたいです。残念ですけど…。代わりに彼に渡して欲しい者があるんです」
彼女はそう言って、一つの封筒を渡した。
封のされた、何も外側に書かれていない封筒。
「私が出て行った後に、彼に渡して下さい」
彼女は出て行った。
彼女の居ない今、封筒はグラムの手元にある。
彼はそれを開け、中に入っていた手紙を読んだ。
私は望む。
護られるだけでなく、闘い護る事を。
私は臨む。
自分の出来る闘いに。
本来、人間一人の始まりなど、二つの細胞が偶然出会う事に過ぎず、発生した人間個体の出会いも又、偶然に過ぎない。
それでも人は、出会ってきた人々を想い、愛して止まない。ただ、偶然に出会っただけの人々と共に歩もうとする。
そんな人間が、私は愛おしく思う。
大佐…
人には“定められた運命”など無いけど、“宿命”はあります。
だれもがその背中に背負っている大きな使命が…
私は大佐と…、みんなと出会って、その重さを知りました。
でももし、その宿命を、大佐が一人で背負うつもりなら私は、あなたの上に被さってでも、共に背負いたいと思っています。
大佐…、私は戦場に出て闘う事は出来ないけど、大佐には出来ない闘いができます。
私は私の闘いを、大佐は大佐の闘いを戦い抜いて、最後は同じ物を護っていきたいから…
私は民間人で、大佐は偉い軍人さんで、考えの違いは有るかも知れないけど、それもきっと、苦難を乗り越える力になるから…
先生はきっと、自分の闘いを戦い抜いて、最後は大佐に託したんだと思います。大佐はみんなの希望だから…
どうしよう…
書きたい事はいっぱいあるのに、言葉が思い付かないです…
そうそう…
昔誰かが、「タマゴを割らなきゃ、オムレツは作れない」と言っていたのを思い出しました。
だから私、少し考えてきます。
考えて考えて、“一番おいしいオムレツ”を作れるようになって戻ってきます。
多分それが私の使命だから…
この手紙、恥ずかしいから読んだ後は処分しちゃって下さい。
あと、約束通り、私が居なくなった後に読んでくれてありがとう。
みんな大好きです。
彼は中央広場のベンチに座りながら、静かに手紙を閉じた。
頭上には雲一つ無い青空が広がり、耳元では心地良い風のささやきが奏でられている。
彼は昼時の、よく晴れた空を見上げた。
「今日だったんですね…彼女が帰る日…」
聞き慣れた声が聞こえる。
「彼女が手紙をくれた」
「なんと書いてありましたか?」
「『自分の闘いを戦う』…と。私は護っているとばかり思っていた。でも実際は、護られていたんだ…」
エステルが、今にも崩れてしまいそうな表情で彼に言う。
「彼女…帰って来るでしょうか?」
グラムが、澄んだ表情で答えた。
「さあな…ただ一つ確かなのは、今のグレンは、昔の彼女じゃないと言う事だ」
彼の瞳が、エステルの瞳を見つめる。
「彼女は必ず帰ってくる…必ず…その時は、笑顔で迎えよう」
「大佐…」
「なんだ」
「彼女は大佐の事を…」
「エステル」
彼は彼女に言った。
「大昔に、ヘミングウェイという作家が言った。『この世は素晴らしい。戦う価値がある』とね。私もそう思う。ただ、私の世界は小さい。手に届く範囲が私の世界…そしてその世界の中に、君が居る。幸福というものは、一人では決して味わえないものだ、エステル…本当に幸せなのは、目覚めた朝、愛する人間が居る事だ」
彼女は彼の瞳を一心に見つめながらこう言った。
「不思議です。口先だけで『愛してる』と言われても簡単に無視できますけど、態度で示されると…ついほだされてしまいます」
グラムはゆっくり微笑み、エステルの手を取る。
「我々は現在だけを耐え忍べばいい。過去にも未来にも苦しむ必要は無い。過去はもう存在せず…」
「未来はまだ存在していないのだから…」
彼は彼女に言った。
「一つ謝りたい事が有る」
「はい?」
「グレンに…また何も言えなかった。努力は…したのだが…」
エステルの顔に、ゆっくりと笑みが広がる。
「大丈夫よ…グラム…。少しずつで…彼女が帰ってきた時に、『おかえり』って言ってあげれば…」
彼の目の前を、白い鳩が飛んでいく。
彼は言わずにはいれなかった。
エステルに…
そして、グレンに。
「ありがとう」と。
鳩は、雲一つ無い青い空に、羽ばたき消えて行った。
[ACT 13]終
VARIANTAS第一部・『出会いと別れ編』完
はい、これにてVARIANTAS第一部・『出会いと別れ編』完と相成りました。
今まで見てくださった方も、これから見てみようという方も、ありがとううございました。第二部は、すぐに始まると思いますので、第二部も読んでいただけると幸いです。また、評価してくださった方や、お気に入り登録してくださった方々。平に、お礼申し上げます。




