5-1.追われる理由②
「お前が予想しているとおり、俺たちブラッドローも、オプシルナーヤも、アロイスら反オプシルナーヤグループも、みんな同じ目的でお前を求めている。お前が、マクシミリアン・ダールベルクから重大な機密情報を預かっていると見なされているんだ」
「機密情報?」
何となくそういう話は察していた。しかし改めて真正面から告げられても、ブランカにはピンと来ない。
ヴォルフは片眉を上げつつも、先へ続けた。
「ブルーノ・ホフマン――って知ってるか? ダール政権時代の兵器の設計士だった男」
「ブルーノ・ホフマン? 知ってます。祖父とも親しくて、その、実際に会ったこともあるので……」
丸メガネを掛けた小太りの男が、脳裏に浮かぶ。
いつも祖父のそばにいた彼は、プライベートな会食などにも招待されるほどダールベルク家とも親しかった。正直クラウディアとしては、気難しそうな雰囲気の彼をあまり得意ではなかった。
しかし、間違いなく祖父が信頼を置いていた一人だった。
「だけど彼は先月、戦犯で……」
「あぁ、処刑された」
それはちょうど先月、ニュースになったばかりだ。
ブルーノ・ホフマンは、非常に天才的な兵器の設計士として有名だった。
彼の生み出すものは、時代の最先端を走ると言われるほどに秀逸なものばかり。戦中使われていた戦車も軍艦も、彼が描いたものが広く使われていた。おそらく、西側連合軍やオプシルナーヤが生かしておきたかったほどの逸材だ。
しかし彼は、マクシミリアン・ダールベルクへ深く心酔しすぎていた。
「そのホフマンが、フィンベリー大陸戦争の後半、おそらく六年前に生み出したものがある」
ヴォルフは声量を低くして話を進めた。
「とんでもない代物だったらしいが、マクシミリアン・ダールベルクはそれを使わず、情報ごと隠した。戦後どこを探しても見つからず、昔の関係者をあたっても出てこない」
言いながらヴォルフは射抜くような目線をブランカに向けた。瞬間ブランカは話の続きを察したが、同時に嫌な予感が頭をよぎった。
「その……ホフマンさんが生み出したものって……」言いながら、喉がひっかかった。
ヴォルフは一瞬躊躇しながらも極めて低い声で答えた。
「――爆弾だ。……街を丸ごと破壊する程の威力を持つとも言われる爆弾」
言葉の意味が、すぐに掴めなかった。
嘘でしょ……?
ブランカは思わずベッドの上で後退った。
何を言われるのか、分かってしまった気がした。
ブランカがその爆弾に関する情報を持っていると言うことなのだろう。
身体が勝手に震え出した。
すかさず彼女の手を握るヴォルフへ、ブランカは必死になって首を横に振る。
「薄々そんな気はしていたんだが、やっぱりお前は知らなかったんだな。だがどういうことだ……?」
「そんなの私が聞きたい……! 一体どこからそんな話が……」
「ホフマンだ。判決の後、弁護人に明かしたらしい。
“ダール最大の発見は、総統に最も忠誠を誓い、総統が最も愛した者に預けた”と」
ヴォルフはそこで一度言葉を切った。
「明言こそしていないが、それがホフマンの爆弾で、
クラウディア・ダールベルクが握っている――というのが軍部の見解だ」
ブランカの反応を見るように、薄鳶色の視線が揺れた。
「“せいぜい死人を探すといい”とまで言っていたそうだから、お前が持っていることは間違い無さそうなんだが……」
震えるブランカを宥めつつも、ヴォルフは眉を寄せた。
ブランカは首を振り続けた。今の今まで知らなかったのに、そんな恐ろしい情報を持ち合わせているはずがない。
けれどもヴォルフは重ねて聞いてきた。
「……例えば昔、マクシミリアン・ダールベルクから何か渡されたとか、それか何か秘密の場所を教えられたとか覚えていないか? もしくはホフマンからか」
まるで彼女を疑っているような聞き方に、ブランカは喉を引きつらせた。
ヴォルフは慌てて言葉を付け足した。
「ホフマンのそれに関する情報やその隠し場所について、知らず聞いたり何か受け取ったりしている可能性もある」
「でも……兵器に関するものなんて何も」
「それ以外は? 何でもいい。覚えていたら話して欲しい」
ヴォルフは努めて穏やかな口調で言う。それでも、距離が近い。逃がさないという意志だけが、はっきりと伝わってくる。
何もまとまらない。 ただ、早く身の潔白を証明しなければという焦りだけがあった。
するとヴォルフがハッと声を上げた。
「そういえばあの手紙……」
「手紙……?」
一瞬何を言われているのか分からず彼の言葉を反復する。
ヴォルフは弾けるようにブランカの肩を掴んだ。
「そうだ、あの手紙! 萌葱色の、マクシミリアン・ダールベルクが書いたあの手紙! お前が川に捨てようとしてたやつ!」
身体を揺すられながら、ブランカはまさかと目を瞠る。
嘘でしょ……だってあの手紙は……。
十一歳の誕生日にブローチと一緒に祖父からもらった薄萌葱色の手紙。
愚かな無念と妄想ばかりが書かれたそれを、ブランカは何度も破り捨てたくて堪らなかった。しかしどれだけ窮地に立たされても、どれだけ祖父を疎ましく思っても、五年間ずっと守り続けてきたそれ。
ブランカにとっては、祖父とのかけがえのない繋がりだった。
まさかそんなものに、祖父はホフマンの恐ろしい兵器の情報を隠していたというのだろうか。
信じたくなくて咄嗟に否定しようとするが、言葉が何も出てこない。ホフマンの言葉が本当ならば、確かにあの手紙が一番それらしく感じられる。
現にそれを証明するようにあの手紙は――。
「ごめんなさい!」ブランカは勢いよく頭を下げた。
ヴォルフが息を飲むのが聞こえてくる。「なくしたのか? そういえばあの手紙を見ないが……」
「列車で父に……取り上げられました」
「なんだと……!?」
瞬間、肩を掴むヴォルフの手に力が込められて、ブランカは一層身を小さくした。同時に車上でのやりとりが思い出される。
親子としてやり直そうとブランカに懇願した父は、祖父への愚痴を吐きつつも、焼け焦げの残るあの薄萌葱色の封筒を自分の懐にしまっていった。何故父があの手紙を取り上げたのか、あのときは分からなかったけれど、今ならもう分かる。
最初から、あれが目的だったの……?
父はついでにブランカも利用するつもりだったのだろう。あのときの父の言葉が本気でないことは分かっていたけれど。
ブランカは胸を押さえた。
「そうか……。いや、そもそもオプシルナーヤにお前を攫わせた時点で俺の失態だが、これはまずいな……」
ブランカを責めまいとするように、ヴォルフは肩を掴んでいた手を背中へと移した。しかし彼は奥歯を噛み締める。絞り出した声には、苦い響きが混ざっていた。
余計にそれがブランカの恐怖を煽った。
「ねえ……その、爆弾の情報を手に入れたら、どうするつもりだったの……?」
ブラッドローとオプシルナーヤは、ヘルデンズの中央で睨み合ったまま、動かない。そんなときに存在が囁かれるようになった、脅威の爆弾――。
ごくりと唾を飲みヴォルフを見上げると、彼は一呼吸置いてからその疑問に答えた。
「噂通りなら、使わなくとも牽制力になる。少なくともブラッドローでは、そのつもりだ。だがオプシルナーヤは……」
ヴォルフは途中で言い淀む。全身を震わし蒼白な顔のブランカを見て、顔を顰めた。
「オプシルナーヤがどうするつもりなのかは定かではない。多分、西側諸国としては、オプシルナーヤの東側支配問題について今ほど口出し出来なくなるだろうな」
「それだけ……? 本当にそれだけで終わるの……?」
東側支配の問題は確かに深刻だ。
けれど――それだけではない気がした。
それに答えたのは別の声だった。
「おそらく次の西ヘルデンズ侵攻の要になるやろうね」
独特の訛りで割り込んできたのはアロイスだ。彼は起き抜けの気だるそうな様子で、部屋に入ってくる。
「お前……さっき寝たばかりじゃなかったのか」
「兄さんこそ。なんや二人で仲睦まじぃやっとるんかと思ったら、えらい大事な話して。まさか兄さん抜け駆けするつもりやったんちゃうよな?」
アロイスは、寝不足気味のやや充血した眼を向けてフッと笑った。ヴォルフは気まずそうに睨み返す。
ブランカはアロイスの発言が気になった。
「西ヘルデンズ侵攻って……?」
アロイスはヴォルフと目を見合わせてから話し始めた。
「元々オプシルナーヤは、西ヘルデンズへの拡大に向けて準備を進めとるんや。その爆弾がなくても、いずれ西に攻め入る可能性が高いと言われとる」
ほんまに起こるか分からんけど。アロイスはそう言って一呼吸置いた。
「そのために領土内体制を整えているところやで。もし、その侵攻が起きたとして――その時、オプシルナーヤがその爆弾を持ってたら?」
どうなる、と言わんばかりに語尾を上げるアロイスの言葉に、ブランカの頭に二つの可能性が思い浮かぶ。
圧倒的な戦力を持つオプシルナーヤを前に、ブラッドローや西フィンベリー諸国は下手な反撃が出来なくなる。
そして戦闘で使用された場合、ヘルデンズは――……。
もし本当にあの薄萌葱色の手紙にホフマンの爆弾の情報が含まれていてちゃんと手元にあったなら。
最悪な事態は防げたのかもしれない。オプシルナーヤの侵攻も、抑えられたかもしれない。
私は――それを、手放してしまったの……?
すっかり言葉を失い恐怖と重責に飲み込まれているブランカを、ヴォルフが横から支える。
「……いずれにしても仮定の話だ。ホフマンの爆弾だって本当かも分からないし、オプシルナーヤの西側侵攻も起こると決まったわけではない」
いくらか声を和らげて彼女を落ち着けようするが、アロイスが「ちゃうな」と口を挟んだ。
「少なくともオプシルナーヤの西側侵攻は信憑性を深めてきてる。現にそれに向けて少しずつ計画は動いてきてるで。兄さんも見たんとちゃう? ヘルデンズ人がオプシルナーヤの良いように無関心化してきとるのを」
「それは……」
「同時に失業者が大量にあぶれてるけど、これからもっとあぶれるわ。そしたらどうなると思う?」
アロイスは飄々と細めていた青灰色の瞳を、いつの間にか鋭くしてブランカを見ていた。ブランカはぎゅっとヴォルフの服を掴みながら、頭の中でその問いに答えを出す。
ヘルデンズ人は――いや、その他の東側諸国の人間も合わせて、数年後に起こるかも知れないその西ヘルデンズ侵攻の兵力に使われる。
だからこそ、アロイスはオプシルナーヤ軍をいち早く撤退させたいのだ。そのために彼はブランカにホフマンの爆弾を求めたのだ。
三方向からの矢印の意味が、これでようやく結びついた。
どれを選ぶべきかなんて分からない。
それでも、今の話を聞けば分かる。
あの手紙は、一番渡ってはいけないところへ渡ってしまったのだ。
そう思ったとき、室内に張り詰めた空気をアロイスが破った。
「これはちょうどさっき入った情報やけど、オプシルナーヤ側はまだ手紙の暗号を解けてないらしいわ」
「え……?」
ブランカとヴォルフは同時にアロイスへ顔を向けた。
アロイスはニッと青灰色の瞳を細めて続けた。
「どうやら手紙からは地名が何個か割り出せたらしくてそこを捜索してるらしいけど、一向に爆弾の資料とか関する情報とかが出てこやんらしい。まぁまだ探し足らんだけかもしれやんけど」
大げさに肩を竦めるアロイスに、ブランカはそう言えばと思い出す。彼はヘルデンズにいるオプシルナーヤ軍の動きについて、詳細で確実な情報網を持っている。この話もそこから得たものだろう。
アロイスは笑みを深めて言った。
「列車の爆発からもう十日以上経っとる。それなのにオプシルナーヤ軍の暗号解読部隊が未だにそれらしい地名やキーワードを出せてない。となると、よっぽど難解な暗号が手紙に仕組まれていたか、もしくは爆弾の情報が隠されてるのは手紙以外かもしれやんな」
瞬間、アロイスの瞳が妖しく光り、ブランカは思わず服の裾を掴む。
そのとき――、手に握る硬い感触にハッとした。
同時に、五年前のことが再び蘇る。
いつも自信に溢れた人の、弱々しい顔。僅かに震えた手。
――クラウディア、何があってもお前だけは私の味方であってくれるね?
頭に響く声が、ブランカに切実に訴える。
布越しに伝わるブローチの冷たさが、その存在を主張しているように突然感じられて、ブランカは戦慄した。
でも待って。本当に私が持っているの……?
視線を巡らすと、アロイスの鋭い目と、ヴォルフの射抜くような目が、ブランカに向けられていた。それでもヴォルフはブランカを気遣うように瞳を揺らしてはいるが、二人の関心がブランカのブローチに向けられていることは明らかだ。
ブランカは縋るようにして首を横に振った。
仮にホフマンの爆弾の情報がブローチにあるのだとしたら、まだ事態は悪くないのかも知れない。
でも、ヘルデンズを――あるいは世界を左右しかねない脅威を握らされてどうするべきかなんて、ブランカに決められるはずがない。
それにブランカは信じたくなかった。
手紙にしてもそうだが、このブローチだって複雑な想いをしながらも必死に残してきたブランカの宝物。そんなものに込められたものが脅威の情報だなんて、思いたくない。
だけどそんなときに限って思い出される手紙の文末。
――ヘルデンズの運命は、お前の手に。
まさか祖父はその恐ろしい爆弾でブランカにヘルデンズの未来を託そうとしたのだろうか。
本当に?




