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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第四章 変わらぬ故郷の街
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4-9.アロイスの説教

 それからヴォルフは無言のまま、スクーターを走らせていた。

 気持ちが落ち着いてくると、だんだん気まずくなる。

 ヘルネーに来て彼が目を覚ましてから、ブランカはまともに彼と会話していない。ヴォルフもずっと怒ってばかりだった。それなのに、こうして彼の腕に収まっているのが、不思議で仕方がない。落ち着かない。

 これも『任務』だから……?

 それ以外に、彼が自分のために動く理由はない。消えたと思って駆けつけ、そのまま逃げないよう閉じ込めている――そう考えるのが妥当だ。ヘルネーを去るつもりだったことも、既に察しているのかもしれない。

 けれど、単に『任務』というだけにしては、彼から伝わってくるものに妙に温度を感じる。

――心臓が止まるかと思った。

 深々と紡がれた言葉に、大きな鼓動。スクーターを発車させる前にそっとブランカに触れた指先は、冷たいのに何故か熱を感じた。

 今も、触れた背中がとても熱い――。

 ブランカはきゅっと身を縮こませた。すると僅かに出来た隙間を埋めるように、ヴォルフがやや前に身体を詰めてきた。

 アロイスの家に到着すると、もう歩けるのにヴォルフは再びブランカを横抱きにし、リビングのソファにゆっくり下ろした。彼は相変わらず何も喋らないまま、台所へと消えていく。

 そこへアロイスとヤーツェクが帰ってきた。どうやら二人もブランカを探しに出ていたらしい。

「あの、すみません。嘘吐いて、ご迷惑お掛けしてしまって……」

「そんなことよりあんた! その顔どうしたんだ!?」ヤーツェクが間近でブランカを覗き込む。

「えらい強い力で殴られたみたいやな。それに……」

 アロイスは彼女の姿をまじまじと観察した。少し大きいヴォルフの上着を着ている様子から、何かを察したのだろう。アロイスは青灰色の瞳を細めて、ブランカから視線を逸らした。

「とにかくブランカちゃんの頬冷やしたらな。ヤーツェク、氷を――」

 アロイスがそう言いかけたとき、ヴォルフがリビングに戻ってきた。手には器が抱えられている。

 ヴォルフはブランカの傍らに膝をつき氷を包んだ布を二つ用意すると、両手でそれらをそっとブランカの頬に押し当てた。

 射抜くような真っ直ぐな薄鳶色の瞳が、ブランカを捉える。逸らしたくても、何故か逸らせなかった。自分を挟んでいる氷へと両手を伸ばす。

 触れた指先が、やっぱり熱く感じた。

 十秒に満たさないくらいの短い間。

 ヴォルフはブランカの手にしっかり氷を持たせると、「後は頼んだ」とヤーツェクに短く言って離れていった。

「お、おい! あんたはどこに行くんだよ?」ヤーツェクが少し困惑気味にヴォルフに声を掛けた。

「……スクーターを返してくる」

 ヴォルフは低い声で答えて、リビングを出て行った。

 彼が消えた先を見ながら、アロイスがやれやれと肩を竦めた。

「ヤーツェク。車のガソリン減ってきたから入れてきて」

「はあ? 何で今なんだよ」

「ブランカちゃん一人にさした罰や」

「え……っそれはヤーツェクさんのせいではなくて、私が――」

「はいはい、分かりましたよ、行きゃあいいんだろ?」

「頼んだで。あ、くれぐれも事故は起こさんようにな」

「これだもんよ。とりあえず行ってくる」

 ヤーツェクはぶつぶつ文句を垂れながらも、言われたとおり家を飛び出し車を走らせていった。彼に濡れ衣を被せてしまったようで、ブランカは申し訳なくなる。

 小さく肩を落としていると、アロイスがふぅと壁にもたれ掛かりながら、ブランカに顔を向けた。

「それで、先に帰るなんて嘘吐いてどっか行ってたのは兄さんのためか?」

 ブランカは小さく頷いた。「アロイスさんが言っていたものが何なのか分からなくて……勝手な行動をしてしまいました」

「それって兄さんを西へ逃がしてやってくれってやつの話やんな? 自分は消えるから後頼みたいって言う」

「そうです」

「はぁ……」

 アロイスは額に手を当てため息を吐いた。眉間に皺を寄せ、苦悩しているような表情を浮かべる。

 普段は陽気な彼が頭を悩ませるほどの愚かな行為だった。その上、全く無意味だった。その罰があの強姦だったのなら、ブランカは文句を言えない。

 自然と視線が足元に向き、ブランカは項垂れる。

 二人の間に沈黙が流れる。

 ほどなくしてアロイスが話し始めた。

「言いたいことは色々あるんやけど、まず兄さんを西へ逃すってあの話、あれもう無しな」

「えっ……!」

 ブランカは弾けるようにアロイスを見た。

 彼は構わず続けた。

「まぁ僕も中途半端な言い方したからあかんだんやけど、どうやら自分はほんまに知らんようやし、そのためにまたこういうことになってもあかんから、あれは無し無し」

「そんな……」

 手を払う仕草まで見せるアロイスに、ブランカは一気に青ざめる。

 なんてことだろう。

 確かに迷惑をかけたのは自分だ。機嫌を損ねるのも当然だろう。だが、あの話まで無かったことにされてしまったら、自分はどうすればいいのか。ヴォルフは、この町の人たちは――。

 必死に言葉を探していると、再びアロイスのため息が聞こえてきた。

「というか、そんなに焦って出て行こうとしやんでもいいんとちゃう? 兄さんやって順調に回復してきてるんやし」

「ですが、私がここにいるのは――」

「別に迷惑ちゃうよ。むしろ助かっとるし。それに前にも言うたけど、君みたいな子ども一人のためにえらい目に遭うなんてならんし、僕らのことは気にしやんでもいい」

「でも……」

「それ以外にも居心地の悪さとか不安とかあるんやろうけどね。けど路頭に迷うくらいなら、使えるもんはとことん利用する方をオススメするで――状況が状況なだけにな」

 アロイスは何でもないようにさらりと言ってのけた。

 ブランカは眉をひそめた。

 アロイスが自分の正体を知っているのか、未だに確信を持てていない。けれど今の物言いは、それ以上のことまで把握しているように聞こえた。

 いずれにせよ、その好意を受け止める気にはなれなかった。

 ヘルネーのオプシルナーヤ兵に目立った動きはない。けれどそれがいつまで続くかも分からない。

 父の脅威はどこから来るか分からず、ラジオの作文はじわじわと追い詰めてくる。アロイスが大丈夫だと言っても、その先を思うと恐ろしかった。

 それに――ヘルネーの人たちの親切がつらい。

 理不尽に苦しむ彼らの顔を見るたび、自分はここにいてはいけないと思ってしまう。

 恐怖と罪悪感で、ブランカはいっぱいだった。

「仮にここを出たとして、自分はどうするつもりなん?」

「それは……」

「兄さん置いていくわけやから、西ヘルデンズに向かうわけでもないんやろ――まぁ、行こうとしても現状無理やけど。かと言って他に行くアテもないし、自分が出て行こうとする理由を察するに、どこに行っても結果は同じや。まさか転々と何やらから隠れる生活でも送るつもり?」

 アロイスはやけに断定的に言ってきた。

 ブランカは何も言葉を返せなかった。

 行くところなんて……どこにもない。

 どこに行ったって追われ続け、周りを危険に晒す。誰かと関わらずに生きるにしても、こんな無意味な人生を守り続ける必要があるのだろうか。

 今までだって、ただ流れるまま生きてきたに過ぎないのに――。

「もしかして、どっかで野垂れ死んでも構わんとか思っとらんやろな?」

 考えが顔に出ていたのだろうか。眉がぴくりと動く。

 何度目になるのか分からない呆れ混じりのため息が聞こえてきた。

「あのな、自分。前から思っとったけど、もう少し自分のこと大事にしぃや。見てたらハラハラするわ」

「……すみません」

「謝らんでいい。それにな、自分は周りのことに気を配っとるつもりかもしらんけど、全く見えとらん。確かに状況的に無理もないけど、誰もそんなこと望んどらん」

「でも……それは」

 みんなはブランカの正体を知らないから。知っていたとしても、何らかの思惑があるからに過ぎないのではないか。

 あくまで心の内で思っただけなのに、アロイスは見透かしていた。

「やから見えてないねん。大概自分も立場に囚われ過ぎとる。まぁ、どっかの誰かさんがガミガミうるさいから余計なんかもやけど」

 もはやアロイスは取り繕うこともせず、一際大きなため息を吐いて言葉を続けた。

「やけどさっきの兄さんは、例えば『任務』とかそういうもんのために動いとるようにブランカちゃんには映ったん?」

「それは……」

 分からない。

 ヴォルフが『任務』以外でブランカを気に掛けることなどないと思っていたから、彼のあの様子に未だに困惑している。

 優しい手つきに、深い安堵を得たような温もり。真っ直ぐに向けられた薄鳶色の瞳が何を考えているのか全く分からなかったけれど、あのとき聞いた鼓動の音とぽつりと言った彼の言葉が、純粋にブランカを心配していたかのように感じられた。

 だから尚更信じられないでいる。

「まぁそういうことや。例え自分がどんな立場の人間であっても、周りは自分のことどうでもよくないし、何度も言うようやけど、たかが自分のためにどうにかなるつもりはさらさらない。むしろ必要なだけおってくれて構わんと思っとるくらいやで。胡散臭いかも知れやんけど、それでもどうしても出て行きたいって言うなら、もう少し考え改めるべきやな。その阿呆な考えもな」

 アロイスはぱんと自分の腿を叩き、この話を無理矢理終わらせた。黙り込んだまま俯くブランカに構わず、ほとんど氷の溶けた容器を台所へ持っていく。

 去り際に彼は「あ」と思い出したかのように、もう一つブランカに言い残した。

「これは僕自身の下心の混じった願いでもあるんやけど、もし自分のその投げやり感とか僕らに迷惑掛けたくないってやつが罪悪感とか負い目とかから来とるんやとしたら、僕はそれを別の形に変えて欲しいと思うわ」

「別の形……?」

「そうや。自分のその立場やからこそ、思うことがあるんちゃうかなと期待しとる」

 ニッと普段よく見る悪戯げな笑みを残して、アロイスは今度こそ台所へと消えていった。

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