3-5.列車爆発③
列車の屋根へ到達したとき、後方車両で再び爆発が起きた。
激しい横揺れに、身体が振り払われそうになる。必死に車体に掴まるブランカの身体を、ヴォルフが横から腕を回して固定する。
「あんまりグズグズしてられないな……」
未だ大きく揺れる後方車両から、真っ黒な煙が立ち上る。既に上がっていた火は、今の爆発でより勢いを増し、急速に前方の方へと移動しつつある。おまけに先程二号車の爆発で上がった炎も後方の方へ流れてきている。もはや足場として使えるのは、特別車両の三台分くらいだろう。
迫る火の熱さに思わず口を開けば、一気に肺に煙が流れ込んできた。
「げほっけほっ!」
「口を閉じてろ! 煙を吸うな!」
頷きながら噎せるブランカの背中をさすりながら、ヴォルフは列車の下を覗いた。
窓から何人ものオプシルナーヤ兵が飛び降りるのが見えた。ただでさえ、スピードのある列車からの脱出で助かる見込みも少ないというのに、先に地面に転がった兵士の上に、次から次へと同士が重なっていく。その様子は恐ろしく醜く、まさに死の淵を見せられている感覚だ。もはや車内では誰もが必死に足掻いているのだろう。
ヴォルフ達も、いち早くこの列車から離れなければならない。
これだけの爆発が起きていながら、列車は未だに止まる気配を見せない。二号車から立ち上る炎は先頭車両にまで及んでいるはずだというのに、エンジンは尚も動き続けている。この状態だとブレーキは既に死んでいる。せめて後方車両が脱線して進みを止めてくれればいいのだが、しばらく直線が続いているせいか車両は引き摺られるままに走っていた。
このままでは、線路に仕掛けられた起爆剤を確実に踏むだろう。非常にまずい状況だ。
その時、ヴォルフの目の前を、鋭い風が横切った。
飛んできた先を、ヴォルフは睨み付けた。
ヴォルフ達がいる車両より二つ後ろに、こちらに銃口を向けて立っている男がいた。先程ヴォルフを見咎めた将校兵だった。
「<その娘をこちらに寄越せ>」
「くそ! こんなときに……!」
ヴォルフは自分の身体にブランカを隠すと、男に向かって銃を撃った。同時に数発こちらに向かって飛んでくる。
思わずブランカが身を竦ませていると、ぐっとヴォルフの腕に力が入り、より一層ブランカは彼に引き寄せられた。
すると突然、車体が大きく振動した。後方車両の車輪が壊れて、後ろが大きく左右に振れた。
ヴォルフに覆われる状態で、二人して必死に車体にしがみつく。
その瞬間、発砲音が鳴り響いた。
「――ぐっ!」
ヴォルフの呻きと共に、頬に何か生温かいものが降りかかった。ブランカは震え上がった。
撃たれた、ヴォルフが!
耳元で聞こえる呼吸が、苦痛なものに変わっていた。
しかし、それでもヴォルフはもう一発相手の男に撃ち込み、彼の手から銃を撥ねた。男は衝撃と共に、後ろに薙ぎ払われていく。
そうして間もなく後方車両の車体が崩れ落ちた。後ろの方から車体が左に倒れていく。ブランカ達がいる車両も、つられて傾き始めた。
ブランカは先頭車両を振り返った。
直線続きだった線路が、あと数百メートル先のところで右へと大きくカーブしている。
カーブで起爆剤。
ブランカを逃した将校がそう言っていた。横転し始めたとは言え、この距離ではもう爆発は免れない。
絶望的な状況に息を飲むと、突然腕を引っ張られた。ヴォルフが後ろの方へと走り出した。
「列車の傾きに乗って飛び降りるぞ!」
「飛び降りるって! でも!!」
ブランカは地面を見た。ここからかなり距離がある。これしか方法がないのは分かるが、流石にこれは無事で済まされないどころの話ではない。
震えるブランカに構わず、ヴォルフは腕を絡ませブランカの手を強く握った。
「俺が合図を掛けたら飛び降りるぞ。絶対俺から離れるな!」
真っ黒な煙とうだる熱気に包まれ、沢山の灰が舞い上がる絶望の瞬間。
けれども、こちらに向けられた薄鳶色の瞳には、まっすぐに生に向かう確固たる光が映し出されていた。
ブランカはぎゅっとヴォルフの手を握り返した。
列車の左側に足を向けるようにして、車体にしがみつく。既に傾き掛けていた車体は、勢いを増して倒れ始めた。
先頭車両はカーブ部分に差し掛かろうとしていた。
「行くぞ!」
ヴォルフの合図が掛かるのと同じタイミングで、先頭車両が大きく爆発した。
爆風に押されるようにして、二人は車体から離れた。
お互いに手を固く繋いだまま――。
***
左に横転し黒々と炎上する列車の中から、ヴァルツハーゲン駐屯オプシルナーヤ兵達によって、何人もの兵士が連れ出されてくる。
未だ息のあるものもいれば、大した傷もないのに息絶えている者、見るも無惨な姿に変わり果てている者など、容態は様々だ。
しかし、この男の生命力は侮れなかった。
車内から真っ黒に煤けて出て来た男に向かって、ヘルデンズ中東局の局長は何とも言えない苦渋の表情で敬礼をした。
「アメルハウザー大佐、この度は誠に遺憾な事態になりまして――」
「御託はいい。何故こうなった? 原因を知っているなら言え」
「はっ。どうやら一時間ほど前に捕らえた反乱分子の集団が、線路上に爆弾を仕掛けたとかで――」
「だから何だ?」
ギュンターはヘルデンズ中東局局長の胸ぐらを思いっきり掴み上げた。間近に迫る怒りの形相は、所々ある火傷と灰塗れのせいでよりいっそう恐ろしさを増していた。局長は目を大きくして震え上がる。
「何故きちんと確認を行わなかった? この役立たずが!」
「も、申し訳ありません。し……しかし、危険もあるので一時列車を止めるよう、無線でお伝えしたはずですが……」
「言い訳など聞いておらん! 折角ブラッドローから奪った獲物を、やすやすと逃す羽目になったのだぞ!! どう責任を取るのだ!?」
「ひぃぃっ申し訳ありません!」
怒りのままに額に銃口を押し付けられ、ヘルデンズ中東局局長は真っ青になりながら何度も謝罪を口にした。
すると二人の後ろから、もう一人、煤に塗れた人物が近づいてきた。
「まぁまぁ、そんなに彼に詰め寄ったところで過ぎてしまったことは仕方ありませんよ。幸い一番大事なものは、アメルハウザー大佐が自らお守りしていたではないですか」
オプシルナーヤの軍人だらけがはびこる中、だいぶ汚れてしまったとはいえ上質なスーツに身を包みフラウジュペイ語を話す男と言えば他にいない。
フィルマンだ。
周りが緊迫した空気を放っている中で、一人愉快そうに笑う。
ギュンターは顔をしかめつつも、「そうだな」とため息混じりにヘルデンズ中東局局長を放した。
「ランベールの言うとおり、一番欲しかったものはこうして無事に残ったわけだしな……」
ギュンターは、スーツの胸ポケットから薄萌葱色の封筒を取り出した。
焦げ跡の残るそれを、ゆっくりと撫でる。
口元が、僅かに歪んだ。
そのとき、救出に携わっていなかった別のオプシルナーヤ兵士が、ヘルデンズ中東局局長の下へと駆け寄ってきた。
「局長、ヴァルツハーゲン駐屯基地からの連絡なのですが」
「何だ。さっさと言え」
「捕らえていた集団の一人を取り逃がしてしまったそうです。メルジェーク人らしいんですが……」
部下から与えられた報告に、ヘルデンズ中東局局長は更に真っ青な顔になり、ちらりとギュンターの方を盗み見た。
ギュンターは尚も不機嫌な様子を露わにしながら、大きくため息を吐いた。
「中東局は無能揃いか」
「申し訳ありません、大佐」
「言っても仕方がない。とにかくここの収拾と、代わりの足を用意しろ。捕らえたメルジェークの奴らも一人残らず始末しろ。いいな」
「は。承知いたしました」
「それから――」
ギュンターは薄萌葱色の封筒を舐めるように見回すと、ニッと口角を持ち上げた。
「中東局管轄の基地全部に命令せよ。白いおかっぱ頭の娘を生け捕りにしろとな」
言うが否や中東局局長はすぐに通達に向かった。
近くにいた救出兵達から濡れたタオルを受け取りながら、フィルマンはくすりと笑った。
「本当に容赦のないお方だ」
「ふん……君もこのままでは腹の虫が治まらないだろう?」
軽い調子で言いながら、二人は担架に乗って運ばれてきた男を見下ろした。
オレンジと金色の混じった髪はカミーユのものだ。彼は他の兵士と同様に全身を真っ黒に染めながら、目を固く閉じている。僅かに息をする音は聞こえるが、生死を彷徨っていることには違いないだろう。
「まぁ、彼がこのまま目を覚まさなかったら、穏やかではありませんね」
言葉とは裏腹に、フィルマンは相変わらず愉しそうな表情だ。
ギュンターはそれを冷めた目で眺めながら、再び薄萌葱色の封筒に目を落とした。
「お前には私のためにたっぷり働いてもらわねばならないからな。そう簡単に逃がしはしない。地の果てでも、地獄の果てでも必ず追い掛けてやる。必ずな」
娘と同じ深緑色の瞳に狂気を孕ませて言うギュンターに、フィルマンは隣でひゅうと口笛を吹いた。
二人から少し離れた場所で、男はギュンター・アメルハウザーを眺めていた。
そのすぐそばに、別の男が足を引きずって寄ってきた。狡猾そうな将校だ。
「君は無事だったのか……」
男は将校へ何とも言えない顔を向けた。
将校は心底不機嫌そうにその場に座り込んだ。
「ああ、本当に最悪だ。誰かがアジェンダの捕虜を逃さなければ、こんな目に遭わずに済んだのに」
彼は忌々しげに拳を地面に叩き付けた。その拳からは、どす黒い血が流れていた。
男はそれを横目で流し見た。
「君はあの爆発の最中、そのアジェンダを追っていたのか。災難だったな。それで、結局そのアジェンダはどうなった?」
「俺が知るものか。一発仕留めたのは確実だがな」将校は吐き捨てた。
男は「そうか」と返しながら、ギュンター・アメルハウザーへと視線を戻した。彼はフラウジュペイから連れてきた男と話をしている。
男が呆然とそれを眺めていると、将校が「そういえば」と声を上げた。
「あのアジェンダ野郎、大佐の娘を連れていたな。果たして無事かどうか知らんがな」
男はオリーブ色の目を、未だ炎上している列車に向けた。
薄く夜空が明けてきたせいで、その悲惨さがはっきりと見えるようになってきた。




