2-4.発砲事件後
その日、ロゼ中央駅は物々しい空気に包まれていた。
どのホームにも、列車の扉ごとに二人のフラウジュペイ兵や警察が立ち並び、改札も待合室も厳重に警察が配置されていた。
列車から降りたばかりのレオナは、思わず隣に立つロマンの服を掴んだ。
ロマンは軽く笑った。「大丈夫だよ、彼らは何もしない」
「わ、分かってるわよ。ただ、こういう光景見るのが戦争以来だったから、ちょっと驚いただけ」
レオナは顔を赤くしてロマンの服をぱっと離す。
しかしやっぱりレオナは不安だった。いつもの強気はどこにもない。
ロマンはやれやれとため息を吐いた。
「まったく、だから言っただろう? 君はダムブルクで待ってくれていたらいいって」
まるで子供相手に言うような口ぶり。
レオナは彼を睨み付ける。
今朝になって突然ロマンがロゼに行くと言い出したのだ。どういう話の流れでそうなったのか分からなかったけれど、ブランカを心配してのことだということは分かる。連絡が繋がらない状況は、今も変わっていない。
ダムブルクにいるのも憂鬱だったし、ブランカが心配なのはレオナも同じだ。
そういうわけで、無理やりロマンについてロゼまでやって来た。
駅構内は、想像以上に人が多い。おまけに田舎育ちのレオナは、都会の雰囲気に気後れしていた。
すると、ロマンがレオナの手を取った。
レオナは目を丸くしてロマンを見上げる。
「人が、多いからね」
ロマンは何でもないようにさらりと言って、レオナの前を歩く。
レオナは、呆けたような顔をして、その背中を見つめた。柄にもなく頬が熱くなる。
何をあたしったら……。
レオナは、突然浮上した妙な気持ちを振り払うかのように頭を横に振った。
そして本来の目的を、改めて見つめ直す。
「ブランカ……会えるといいわね」
ロマンは頷いた。
ちょうど、そんなときだった。
アルトロワ広場で発砲事件が起きたのは――。
「少佐の命令だ! そいつらは先にフラウジュペイ軍本部へ送れ!」
ヴォルフの叫び声に、隊員は拘束していた戦犯たちをワゴン車に押し込んだ。
アルトロワ広場は完全に混沌していた。
ステージ上で見せ物にされていた戦犯たちとショーに参加していたダンサーたちを拘束しようと駆け巡る軍人。発砲犯を追い掛ける警察。尚も何処かから飛んでくる流れ弾に、人々はあちらこちらへと逃げまどっていた。出ていた露店も、人の波にもみくちゃにされて、もはや祭りどころではなかった。
そんな混沌の中で、ヴォルフはブラッドロー兵に指示を出していた。
「ヴォルフ、彼らをどうする?」
後ろからデーニッツが尋ねてきた。彼は他の兵士と共に担架に乗った人物を運んでいた。彼らの後ろには、同様の担架の列が三、四続いている。いずれも銃弾を受けた戦犯たちと、ジルヴィアが横たわっている。
ヴォルフは頭から血を流すジルヴィアの顔を、苛立たしげに眺めた。
「……とりあえず、そいつらもフラウジュペイ軍本部へ連れて行け。死人とは言え、大事な情報源だ」
兵士たちはアルトロワ広場に乗り入れていたワゴン車に、彼らを次から次へと押し込む。ステージでは、フラウジュペイ軍が残りの戦犯たちとショーの参加者たちを、これから運ぼうとしているところだった。
ヴォルフは戦犯たちの番をしている隊員に先に出発するよう指示を出すと、アルトロワ広場を見回った。
いつの間にか銃弾が飛んでこなくなった。警察が捕まえたのだろう。
苦い気持ちが湧き起こる。
クソッ。余計なことをしやがる。
同じことを、ブロンソン少佐も思うだろう。今回の事件はいろいろな問題が起きていた。
そもそもあのステージショーは、レティヤン祭りの元々のスケジュールにはなかった。つまり、完全にゲリラだった。
しかし、ヘルデンズ軍元幹部がレティヤン祭りで見せ物にされるという情報を、ヴォルフは前日から掴んでいた。『ダール狩り』グループに潜入していた隊員が、いち早くその情報を拾ってきたのだ。
ヴォルフはすぐにブロンソン少佐に報告し、彼に伴われ、フラウジュペイ軍へ情報を持ち込んだ。同盟国とは言え、他国で率先してブラッドロー軍が動くわけにはいかないからだ。
だが――フラウジュペイ軍の幹部は、その報告をまともに取り合わなかった。
応対に出てきた男は、ヴォルフの顔を見るなり露骨に眉をひそめ、やがて彼の拙いフラウジュペイ語を鼻で笑った。ブロンソン少佐が横にいなければ、話すら聞かなかっただろう。
――どいつもこいつも面倒なやつが多すぎる。
若い兵士たちはまだ話が通じるが、上にいる人間ほど、無意味な体面や慣習に縛られている。
結局、フラウジュペイ軍の動きは鈍かった。ブラッドロー軍も最低限の戦力は回したが、数には限りがある。
何がアジェンダだ。そんなことを言っている場合か。
あと少し早ければ、ジルヴィアを生きたまま確保できたはずだった。
今回の失敗はそこに尽きる。
何せ彼女は、彼らの目的への最重要な参考人だ。心の底から憎い男の血を引く者とはいえ、決して殺してはいけなかった。デモ隊が彼女を撃たなければ、もしくはその前に軍が動いていれば、一気に目的に近づけたかもしれなかったのだ。
ヴォルフは苛立つ気持ちを抱えながら、アルトロワ広場を歩き回った。
すると、祭りの端の方で固まっている一般人の会話が、彼の耳に飛び込んできた。
「さっき……ダールベルクの娘の子供、いなかった……?」
「あんたもそう思ったのかい? あたしも聞いたんだよ、『お母さん』って叫ぶ声をさ」
「でもさっきはかなり人で混乱していたし、別の人を呼んでいたんじゃないのか?」
ヴォルフは反射的に会話の方を振り返った。
話していたのは三人の中年男女だった。
「今の話、詳しく聞かせてもらえませんか?」
ヴォルフが大股で彼らの方へ近寄りそう言うと、彼らはぎょっとした様子でお互いに顔を見合わせた。そういえば今は軍服じゃなかったと思い出して、ヴォルフは軍手帳を見せた。
「その……さっき私たちは前の方でステージを見ていたんです」一人が話す「で、あのダールベルクの娘が殴られるたびに叫ぶ声が聞こえたんです」
「あたしも撃たれたときに『お母さん』って言っているのを聞きましたよ。若い女の子の声でしたね。あんたも聞いただろう?」中年女性の一人が、男性に同意を求める。
「一応は……。人混みの中で何回か同じ声がそう言っているのは聞こえました」中年男性は、かなり自信なさげに答えた。
「その娘の姿は見ましたか?」
ヴォルフは質問を重ねるが、三人はお互いに顔を見合わせるばかりだ。
「人も多くてよく分からなかったけど……ベージュの帽子を深く被ってたし」
「顔はちらっと見えた気がしましたけどね、あのダールベルクの娘とは似ていなかったような……。頬が赤かったような」
「二人ともよく見ているなあ……。俺はワンピースを着ていたくらいにしか覚えていない」
三人は自信なさげに答えるが、ヴォルフはそれだけの情報でぼんやりとそんな姿の娘を思い浮かべた。この事件の前に、そんな娘を見ていたのだ。
正午過ぎ、レティヤン祭りを見回ろうとアルトロワ広場を歩き回っていたときだった。ちょうど広場の外の道路に停まった車があった。なかなかの高級車だなと彼が何気なく見ていたとき、後ろの席に座る人物に、目が釘付けになった。
ベージュの帽子を深く被り、赤い頬。ワンピース――とは分からないが質のいい洋服。この三人が話しているような娘がそこに乗っていた。
しかし、どこにでもいる特徴だ。
ヴォルフが昼間見た彼女は、ジルヴィア・ダールベルクとは似ていなかった。
というかあれは違う。
あれは多分――……。
「あれ? ヴォルフさんじゃない?」
「本当だ。もしかして仕事中かな」
不意に、彼の思考は止められた。聞き覚えのある声に、ヴォルフは振り返った。
アルトロワ広場の入り口からこちらを見ているのは、ロマンとレオナ。二人は余所行きの格好をして、旅行鞄を手に提げていた。
二人はアルトロワ広場に踏み込み、彼の元へ寄ってこようとする。
ヴォルフがすかさずそれを止めた。「二人とも、ここは危険だから、早くどこかへ移動しろ」
レオナは目を丸くし、ロマンは眉をひそめた。
「……ロゼ中央駅から物々しかったけれど、ここは一段と兵隊が多いね。何かあったのかい?」
「発砲事件だよ、発砲事件。ダールの連中が撃たれたんだ」
答えたのは、ヴォルフが尋問していた三人のうちの一人だ。ロマンもレオナも目を見開き息を呑む。
「とにかく、今日は早くホテルかどこかに閉じ籠もっていた方がいい」ヴォルフはそっけなく言った。「まったく、何でこんな時期にロゼに旅行に来るんだか」
「待って、ヴォルフ」仕事に戻ろうとするヴォルフを、ロマンが呼び止めた。「きっと仕事で忙しいだろうけど、もし見かけたらでいいんだ。ロゼの街中のどこかでブランカを見たら、ここに連絡をして欲しい」
ロマンはジャケットからメモを取り出し、ヴォルフに渡した。そこには彼らが泊まるであろうホテルの連絡先が書かれていた。
ヴォルフはロマンを見た。
ロマンは言った。「実はずっと連絡が取れてなくて。あの晩以来、ずっと」
それからロマンは、ブランカと連絡が取れていない事情を簡単に説明した。
「なんだよそれ。あっちが拒否してんのか?」
「分からないんだけど」ロマンは困ったように眉根を寄せた。「とにかく直接尋ねてみようと思って」
「それなら俺も似たようなヤツを見かけたぞ。西地区のワーズ街で白いおかっぱを見かけた。見間違いかと思っていたが……」
「西地区のワーズ街……そうか、あんなところに……」
ロマンは何か独り言を呟く。
何か心当たりがあるようだ。
すると、レオナが質問を重ねた。
「ヴォルフさんがブランカを見たのはそれだけ?」
「あぁ、そうだな。それ以外にも一回――……」
言いかけて、ヴォルフは言葉を切った。それはヴォルフとしても整理の付いていない事項だった。
ヴォルフは誤魔化すように咳払いした。
「悪いが俺はもう行かないといけない。後で時間が出来たらブランカのことについて電話するよ。じゃあな」
訝しげに見つめる二つ分の視線から逃れるように、ヴォルフはアルトロワ広場の見回りに戻った。
ベージュの帽子。赤い頬。ワンピース。
いや、やっぱりあれは違う。ヴォルフたちブラッドローが追っている目的人物ではない。
あれは――……ブランカだった。
帽子でよく見えなかったが、あの俯きがちな横顔は絶対そうだ。
あいつ、大丈夫なのか?
脳裏に、最後に見た人形のような顔が浮かぶ。今日見た横顔も、やはりどこか沈んで見えた。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
ヴォルフはブラッドロー兵が集まるところに向かった。
すると、途中で見知った警察が、ヴォルフに向かってフラウジュペイ式の敬礼をした。
「お疲れ様です、ノール隊員。今回はお手柄でしたね」
そう言って並んで横を歩くのは、今回の仕事の協力者の警視正ニコラ・マルシャン。オレンジと金色を掛け合わせた色合いの髪を、いつものように後ろに撫で付けている。 ヴォルフは彼の言葉に眉を顰めた。
……嫌味か?
喉から出掛かった苛立ちを、ヴォルフは寸で飲み込んだ。
「今回は明らかに失敗です。せっかくの獲物を死なせてしまいましたからね」
「ですが、あなたが事前に知らせていなければ、我が国の軍も動くのが更に遅れたでしょうし、警察は動けもしなかったでしょう。悔やむなら、上の人間の不始末です」
さらりと自国の軍と警察を批判するマルシャンを、ヴォルフは横目で流し見た。
同じ仕事を共有しているとは言え、他国の人間の前でそんな話をするものだろうか。いちいち言葉尻に反応してしまうのは、おそらくヴォルフが彼を信用していないからだろう。
ヴォルフはふと全く関係のない懸念事項を彼にふっかけてみた。
「――そういえば、マルシャン警視正のご実家って西地区のワーズ街ですか?」
「そうですが……何故?」
「先日あの付近でジルヴィア・ダールベルクを探しているところに『マルシャン』と表札の付いた家を見かけたのです。もしかしてと思いまして」ヴォルフは全く白々しく無関係な話を続けた。
「それでこの前ちらっと見かけたんですが、ご実家に白っぽい金髪の女の子っていませんか? 顔に火傷のある子」
ヴォルフは半ば挑むような視線をマルシャンに送った。彼はちらりとその視線を受け取るが、さぁと肩を竦めた。
「最近実家に帰っていないので。母が近所の子でも連れ込んでいるのかもしれませんね」
彼はそれだけ言うと、集合命令に応じて警察部隊の方へ去っていった。
マルシャンは嘘を吐いていた。
ジルヴィアの目撃報道がなされて以来、ヴォルフは西地区ワーズ街を一日おきに見回っていた。彼はそこでマルシャンを三回以上は見ていた。実家から出てくるところも見ている。
そしてヴォルフの見たブランカは、まさにマルシャンの実家から出てきた。仮に出会したことがなかったとしても、あんなに特徴ある子の話を聞いていないはずがない。
ブランカ、一体どうなっているんだ? 大丈夫なのか?
ヴォルフは去っていくマルシャンの後ろ姿を睨み付けた。




