2-3.母②
「おや、今日も可愛くしてもらったね。君はすっかり叔母さんのお気に入りだ」
ブランカがロゼに来て二週間が経ったある日の昼。
ランチに向かう道中でフィルマンを拾いに行くと、彼は後部座席に座るブランカを見てにこやかに言った。
ブランカは曖昧に微笑んだ。
先日、カミーユの実家に行ってからというもの、カミーユの母はブランカを着飾らせるのにすっかり夢中になってしまったらしい。しかも息子や甥にうるさく強請るものだから、その日から午前中はカミーユの実家で過ごすことになった。
「しかし、どうして白金の髪を隠すかな? そのままでもいいのに」
フィルマンは不満そうにブランカの頭に乗った帽子に触れた。ベージュのクロッシュハットは、ブランカのくすんだ白っぽいおかっぱ頭をすっぽり隠している。
「でも……お陰で目立たなくなりましたから……」
ブランカは伏し目がちに、帽子の影に顔を隠した。
先日カミーユの母にもらったこの帽子は、ブランカにとって好都合なアイテムだった。西区ワーズ街の様子を探れるからだ。
毎朝、ブランカはオーベルの散歩を口実に、ワーズ街を歩いた。カミーユも一緒ではあったものの、流石に最初はデモ隊に自分の存在を気付かれるのではないかと、冷や冷やした。しかし、ブランカに気を留める人は一人もいなかった。
自分を目立たなくさせてくれるこの帽子が、今は必需品だった。
「しかし、叔母さんの化粧の腕は素晴らしいね」
「ええ、私も毎朝見るたび驚かされます。これなら火傷の痕も目立ちませんしね」
意見の一致した二人は満足げに頷いた。
カミーユの母は、右頬の火傷の赤みを薄め、反対側にも同じ色をのせて、ブランカの顔を均した。最初は火傷を完全に隠そうとしたが、出来上がりが母に似すぎてしまい、ブランカは慌てて路線を変更してもらった。
「うん、私はこの方が好きだな。まるで恋している女の子のほっぺたみたいで、可愛らしい」
フィルマンは満足そうにブランカのほんのり赤く染まった左頬を触った。
馴染みのない単語と行為に、ブランカは俯いた。
フィルマンは楽しそうに笑った。「おやおや! 可愛らしい反応をするねえ! さては誰か恋人か、好きな人でもいるのかな?」
「いえ……そんなことは……」言い淀んで、ブランカはまた帽子の影に隠れた。
好きな人……。
好きな人かどうか分からないけれど、頭に浮かぶのは彼しかいない。
ヴォルフ。
当たり前のようにブランカに接し、火傷も髪も気にしなかった人。
ヘルデンズ人であることより、その孤独に寄り添い、ブローチを探してくれた。
彼の言葉は、まっすぐだった。
ブランカは胸元の感触を確かめる。
――救われるわけがない。
だってわたしはクラウディア・ダールベルクで、あんな作文を書いて、祖父マクシミリアン・ダールベルクの所業を応援していた。ヴォルフは、その犠牲者だ。
彼に会わせる顔もない。
無言でいると、カミーユが話題を変えた。
「そうそう、忘れていました。今日はアルトロワ広場でレティヤン祭りが開催されているのでした。ランチが終わったら回ってみるのもいいですね」
ちょうど車がアルトロワ広場の前で停止した。
ロゼ一番の中心とも言えるこの広場は、屋台やマーケットが沢山広がっていて、既に人で賑わっていた。
「そうだね、是非そうしよう。せっかくブランカを可愛くしてもらったのだから、室内にばかりいずに、太陽の下も歩かないとね」
フィルマンはくすりと笑ってブランカを流し見た。
ブランカは気後れして、窓の外に目を向けた。
するとアルトロワ広場の人混みの中に、見知った人が見えた気がした。
あれ、ヴォルフ……?
背の高い鳶色の髪は、見間違うはずがない。
彼は、ダムブルクで見たラフな私服とは違って、黒いスーツに身を包んでいた。
どうしてこんなところに?
ちゃんと確認しようと観察するが、間もなく車が発車したのでそれは叶えられなかった。
アルトロワ広場近くのホテルで昼食を済ますと、三人は徒歩でレティヤン祭りへ向かった。
「ここはね、戦争で敵軍を破り、革命で権力者が断頭台にかけられた場所なんだ。昔からそういう場所でね」
フィルマンは周囲の建物を指しながら言った。
教科書で何度も見た名前だと、ブランカはぼんやり思う。フラウジュペイの歴史は、いつもこの広場を通っていた。
「そうそう」カミーユが口を挟む。「先の大陸戦争でも、ここでフラウジュペイ政府がヘルデンズ軍に降伏文書を受諾させましたね」
その言葉に、ブランカの顔が凍り付いた。
その報告を、ブランカは当時、ロゼの南西隣の疎開先でリアルタイムに聞いていた。フラウジュペイからヘルデンズ兵がいなくなったらどうなるのかと、母と朝まで抱き合っていた。
「よそう。流石にその話はここではやめた方がいいだろう。変な輩を呼びかねない」
フィルマンが厳しい口調で注意すると、カミーユは「すみませんでした」と頭を下げた。
ブランカはふと思った。
この二人はフィンベリー大陸戦争で誰か大切な人を亡くしたりしていないのだろうか。フラウジュペイの首都ロゼは戦場にはならなかったが、誰が無事でいられたかは分からないはずだ。
ブランカはその思考をすぐにやめた。小さくため息を吐いて、レティヤン祭りのマーケットを練り歩く人々に視線を移した。
市街地のあちこちで起こっているデモの物々しさとは一転して、ここはとても穏やかだった。勿論祭りの騒々しさはあるが、みんなにこやかでとても平和だ。
その中で、ブランカは三人組の家族を見つけた。
母と子供、それに老人。
三人とも、とても幸せそうに露店をあちらこちらと見て回っている。
ブランカはきゅっとワンピースの裾を掴む。
お母さん……。
カミーユの実家に行ってから毎朝ブランカは西地区ワーズ街を探ってはいるのだが、母のような人は遂に見つからず、デモ隊の話を盗み聞いても新たな情報は得られなかった。
一体どこにいるのだろうか。どこかで無事でいてくれるならそれが一番だ。
だけど、出来るなら自分が見つけ出したい。母に会って、抱きつきたい。抱きしめてもらいたい。
そして――そのときだった。
『ピンポンパンポン――紳士淑女の皆さん、本日はレティヤン祭りにお集まり頂き誠にありがとうございます。さて、本日はお集まりの皆さまに更に楽しんでいただこうかと、中央ステージにてスペシャルサプライズなショーをご用意しました! 間もなく始まります! 皆さま是非、中央ステージにお集まり下さい!』
陽気なアナウンスが、アルトロワ広場全体に響き渡る。祭りに来ていた人達は一体何が行われるのかと、興味津々で中央ステージへと流れていく。
「何だか面白そうだね。私たちも行ってみよう」
フィルマンはブランカの腕を引いて、中央ステージの方へ向かった。
三人はするすると人の間を抜けて、一番前に辿りついた。後ろを振り向くと、アナウンスからそれほど時間が経っていないのに、中央ステージの周りは人で埋め尽くされていた。
間もなくスピーカーから音楽が流れ、ステージ上に沢山の人が現れた。
「はーい、皆さま、お待ちかね! いよいよショーの始まりです! まずはこれをご覧あれ!!」
煌びやかな衣装と濃い化粧の司会者が現れ、合図とともにダンサーたちが一斉に踊り出した。派手な動きでステージを駆け回り、やがて大きな拍手の中で踊りは終わった。
司会が、ステージの真ん中に立った。
「さて、これから皆さまにお見せするのは、とても利口だけどちょっぴりおかしな動物たちです! さあこちらへ!」
先ほどのダンサーたちが、鎖に繋がれたサルや小熊、キジやクジャクなどを壇上に連れてきた。合図に合わせて動物たちは器用に芸を披露し、観客は歓声と拍手を送り、コインを投げ入れた。
司会は恭しくお辞儀をした。
「さあて! いよいよこれからが本番です! 今日お集まり下さった皆さまはとても運がいい! 今日この日この場所で! 新たな歴史の一ページが見られるのですから!!」
司会が大きく手を振りかぶる。
壇上に上がっていた動物たちが舞台裏にはけ――そして、人が出てきた。
「な……っだっ誰だあれは……っ」
周りにいた人たちが、一気に騒然とした。
ブランカも動揺した。
ステージに上がってきた人たちは、みんな囚人服を着せられ、両手首には枷が嵌められていた。
「皆さま、この者達をご存知でしょうか! この者達は十一年前に我らがフラウジュペイに土足で入り込み、数々の悪逆非道を尽くした蛮族のリーダー共です!!」
そんな……!
ブランカは瞬間的に後ずさった。
しかし後ろに立っていたカミーユにすぐにぶつかった。カミーユは「危ないですよ」と言って、ブランカの肩を支えた。そこからは動けなくなった。どのみち、ステージを囲う人の壁を押しのけることは出来なかっただろう。
それまで和気藹々としていた観客の顔から、笑みが消えていた。殺気や怒気を露わにする者も少なくない。
ここにいてはいけない……。
そう思ってフィルマンにお願いしようすると、司会の声に遮られた。
「そしてそして! とっておきのサプライズが、こちらです!!」
舞台の裏から、新たに人が現れた。
その人を見て、ブランカは心臓が凍り付く。
まさか……。
後ろに垂れ流した清らかなプラチナブロンド、虚ろに伏せた萌葱色の瞳。
首を鎖で繋がれ、太股までしかないシュミーズ姿でステージに登らされたその人は――。
「我々は遂に見つけたのです! この『悪魔の女』、ジルヴィア・ダールベルクを!!」
忘れるはずがない。
見間違うはずがない。五年前と変わらない。
ブランカは思わず、両手で口を押さえた。




