2-1.ダール狩り②
その週末。ダムブルクでは朝から雨が降り続いていた。
厚い灰色の雲が空を覆い、真昼だというのに外は暗い。昨日までの気持ちのいい晴天が嘘のようだ。
役場の中にも、その陰鬱さがそのまま流れ込んでいた。
「あぁ間に合わない……! 明日までに県に出さないといけないのに!」
「なぁそっちの書類、まだか? そろそろ郵便局行かなきゃならねぇんだよ」
「無茶言うなよ。さっき回してきたばっかりじゃん」
職員たちの殺伐とした声を横目に、レオナは角のデスクに向かった。
「お疲れ様」
差し入れのカゴをデスクに置くと、ロマンが書類から顔を上げた。
彼は疲れの滲んだ目を、和らげた。「ありがとう」
「なんだか大変そうね」
レオナは職員たちに視線を向けた。
まったく慌ただしい。
「多分、これが本来の姿なんだと思う」ロマンは眉間を揉み込みながら言った。
職員たちは言い争いを始めた。
「遅いなぁ。ブランカなら一時間で仕上げてたぜ」
「あの子が異常だったんだって。まったく、なんでよそ行くかな」
レオナはロマンと目を見合わせ、二人してため息をついた。
「まったく、あの子がこなしていた仕事量を聞くと、ここを出て行くのも無理はないよ」
ロマンは自嘲気味に言った。どこか卑屈さも滲んでいる。
先週からずっとこんな調子だ。先週、あの男性に言われたことが尾を引いているみたい。
「自分を責めないでよ」レオナはそっとロマンの肩を撫でた。「ロマンはブランカを守ろうとしてたじゃない」
ロマンは目を閉じて首を横に振った。
気持ちは分からなくもない。あの晩、レオナ自身ももう少し何か出来たのではと思ってしまう。
最後に見た虚ろな表情を思い出すと、悔しくてたまらない。あの日のブランカは、あんなに良い顔をしていたのに。
「ブランカ、元気かな」
レオナは空いてる椅子に座った。
ロマンは眉を顰めたまま、首を横に振った。
「連絡がつかないんだ」
「どういうこと?」レオナは首を傾げた。「あの人から連絡先もらってたじゃない」
レオナも、その場にいた。
あの男性は、名刺にもうひとつ電話番号を走り書きしてロマンに渡していた。
「何度か掛けてるんだけど、繋がらないんだ。電話交換手にも頼んだけど、回線が混んでるって言われてね」
「でも、もう一週間よ」
「そうだよね。元気かどうか聞きたいだけなんだけど」
ロマンは懐から名刺を出した。
首を捻って考え込むロマンを見ながら、レオナは町の不良から聞いた話を思い出した。
あいつがいなければ、こんなことにならなかったのに。そう思ってあの不良に殴り込みに行ったのだ。あの晩の件で仲間からも浮いていた彼は、面倒くさそうに言っていた。
あいつにはめられたんだよ、と。
彼の言う「あいつ」が誰か分からなかったし、レオナはまともに捉えてなかったけれど、もしかして――。
「ねぇ聞いた?」近くにいた婦人の話し声が、フロアの奥の方で響いた。「隣町の所長さん。ダールを匿ってたらしいわよ」
「人は見かけによらないわね、所長さん、良い人だったのに」話を聞いていた女性が顔を歪めた。「それでどうなったの、所長さん」
「ダールの方は警察に連れて行かれたらしいけどね」婦人は待ってましたと言わんばかりに大きい身振りで話す。「所長さんの方は村八分よ。そりゃあ当然よね」
わざわざそんな大きい声で話さなくても良いじゃない。レオナは呆れたため息を吐いた。
ロゼで始まった『ダール狩り』は、瞬く間にフラウジュペイ全国に広がった。ヘルデンズに広く占領されていたこの国では、やはりダールベルクとヘルデンズへの怨恨は根強い。元幹部だろうが一般人だろうが関係なく、フラウジュペイではヘルデンズ人を排斥する動きが活発化していた。
こんな地方の田舎も例外ではない。
――とは言え、ダムブルクではそんな人がいない。
レオナにしてみれば、まったく現実味がなかった。
「まったく、明るい話題はないのかしら」
せめて天気が良くなれば良いのに。
そう思いながらロマンに視線を戻すと、彼は思い詰めた表情で、青ざめていた。
「ロマン? 大丈夫?」
ロマンは目を大きく見開くと、額を揉みながら頷いた。
すると向こう側の方が突然騒がしくなった。
首を伸ばして様子を見ようとしたとき、職員の一人がこちらに寄ってきた。
「ロマン、お客さん」
「お客さん?」ロマンは首を傾げた。
「そう、昔の知り合いとか言ってるけど。ヤーツェク・ルトワフスキさんって、たぶん……外国人」
ロマンは目を見開いた。椅子を倒して立ち上がる。
すると向こうから背の高い男性がやって来た。
黒革のつばのついた黒のキャスケットに、無造作に伸ばした黒い髪。理知的に見える目。薄い面長の顔。
彼は嬉しそうにロマンに駆け寄って来た。
「ロマン、探したぜ!」
そう言って、ロマンに抱きついた。
眉根を寄せ瞼をぎゅっと閉じ、口角をいっぱいに持ち上げている。彼からは、ひと言では言い表せない喜びが溢れていた。
「ヤーツェク……びっくりした。久しぶりだね」
ロマンは呆然と言う。まだ驚きから抜けきっていない様子だ。
「久しぶりなんてもんじゃないだろ」ヤーツェクはロマンの肩を掴んで、旧友をまじまじと眺める。「〜〜〜〜」
最後に聞こえて来た言葉は、聞いたことがない言語だった。多分ヘルデンズ語でもない。占領されていたときに散々聞いたから、一応区別はつく。
ロマンは役場のフロア中から注目を浴びていることに気がつくと、ヤーツェクの肩を叩いた。
「外でゆっくり話そう。少し出掛けてきます」
そう言って、二人は役場を出て行った。
役場には、驚きの空気が残っていた。
「ロマンって、外国人の友達多いのね……」誰かがぽつりと言った。
「どこの人なんだろう」
「『ルトワフスキ』って言ってなかった? 東系じゃない?」
職員や雑用婦人たちは、瞬く間に予想し始めた。
本当に、こういう話が好きね。
レオナは呆れ混じりに肩をすくめるが、正直なところレオナも気にならないわけではなかった。先日のヴォルフといい、ロマンの交友範囲がなかなか不思議だ。
すると職員の誰かが言った。
「……あたし前から薄々思ってたんだけどさ、ロマンってフラウジュペイ人じゃないのかもね」
それを聞いて、レオナは馬鹿みたいと思った。
あんなにきれいで流暢にフラウジュペイ語を話す人が、フラウジュペイ人じゃないわけないじゃない。みんな『ダール狩り』に影響されすぎよ。
そう思いつつも、レオナはロマンの後を追った。
二人は、屋根のある役場の裏手のベンチで話していた。
こんなところで話さなくてもいいのに。レオナは純粋にそう思った。
ヤーツェクが、何かまくし立てている。やっぱり聞いたことのない外国語だった。
何を言っているかさっぱり分からない。けれど明らかに口調は急いでいて、必死そうだった。
それに対して、ロマンは落ち着いた低い声で返す。ヤーツェクが話しているのと同じような響きの外国語だ。なんとなくレオナは、そっちの話し方の方が自然に聞こえた。
何を話しているんだろう。
すごく気になる。
ときおり聞こえてくるのは、「オプシルナーヤ」とか「ヘルデンズ」とかそんな国名。それから「クーデター」も聞こえてきた。そっちは聞き間違いかもしれない。
レオナは諦めて、児童施設に向かった。
施設に戻るのも憂鬱だな。
女の子たちはブランカのことがいなくなったことを喜んでる。けれどそれでは飽き足らず、早くも別の子がいじめの対象になった。
あたしもたまには別の町に出かけたい。ブランカに会いに行くのもいいかもね。
どんよりした空の下を、とぼとぼ歩いた。




