1ー12.ロゼへ
町の一角に、ガヤガヤ人だかりが出来ている。
ヴォルフとロマンは、そちらに近寄った。
輪の中心で、男たちが何やら揉めていた。
「――だから、うちのせがれがそんなことするわけないでしょう」
「その思い込みが良くない。ことは実際に起きたのだから」
揉めている男の一人は、今日の車の男性だ。向かいにはエプロンを付けた男と、その後ろに昨日見た不良の一人。
更に見渡すと、車の男性の足元に、丸まった白いおかっぱ頭が見えた。
また何かあったのか?
彼女は、男物のスーツを羽織って、俯いている。
ヴォルフの脳裏に、最悪のシナリオが浮かんだ。
「すみません」ロマンが割って入った、「何があったか知りませんが、彼女を連れて帰ってもいいですか?」
車の男性は、ロマンを振り返った。
「君は彼女の保護者かな?」
その口振りは、威圧的に響いた。昼間の雰囲気と、どこか違って見えた。
ロマンは男性をまっすぐ見た。「保護者みたいなものです」
「なるほど」男性は、ロマンを値踏みするように眺めた。「ならば話が早い。彼女は私が引き取る」
ヴォルフとロマンは同時に息を飲んだ。周りにいた町の人たちも。
何でそんな話になるんだ?
車の男性はブランカの前に立ち、町の人に向けて言う。
「この町は彼女に不当すぎる。現に彼女が町角で襲われても、何もしようとしない」
「だからうちのせがれが、そんなただれた子を――」
「ほらこれだ。現実を見ようともしない」
だとしても、わざわざこんなところでする話か?
ヴォルフは車の男の足元にうずくまる小さい背中を見た。こんな状況で顔を上げられるわけがない。
「待ってください」ロマンが声を上げた。「勝手に決めないで下さい。彼女にも彼女の意志がある」
「意志」車の男は鼻で笑った。「果たしてそんなものを君たちが尊重していたとは思えないな」
「なぁ」見ていられなくて、ヴォルフも混ざった。「そんな話は後にして、先にその子を休ませろよ」
車の男は鋭い目でヴォルフを見た。
瞬間、ヴォルフは戦慄した。
「はいはいはいはい!」
快活な声が、更に混じった。
レオナが、ブランカに駆け寄る。「ブランカ、立てる?」
ブランカは俯いたまま頷いた。レオナに引っ張られて立ち上がる。
「君」車の男がブランカを呼び止めた。「今の話どうする?」
この期に及んでまだ続けるのか?
ヴォルフが踏み出すと、男はブランカに歩み寄った。
「私なら彼女に相応しい教育と暮らしを与えられる」
そう言って、ブランカの顎を持ち上げた。
胸の奥が、ざらついた。
ブランカは、虚ろな目をこちらに向けた。
底の知れない森のように掴みどころのない深緑色の瞳。
今日はまったくそんな目をしていなかったのに。
やがて、ブランカは車の男性に視線を戻すと、小さく頷いた。
***
わたしは最低だ。
あの場にいたくなくて、逃げてきてしまった。
ブランカは、後部座席の窓に寄りかかった。
「今日は大変だったね。ゆっくり寝るといい」男性が運転席から愛想良く声をかけた。
「……ありがとうございます」
ブランカは目を閉じた。
脳裏に、ヴォルフの顔が浮かんだ。最後に見た顔は、心配そうに眉間に皺を寄せていた。
そんな必要ないのに。
ブランカは膝に視線を落とした。
そこには、返しそびれて握ったままの白いハンカチ。
Wの刺繍に、涙が落ちた。
あんな作文がなければ……。
「かわいそうに。相当ショックだったんだね」男性はため息混じりに言う。「気分が良くなるラジオでもかけようか」
男性は車のオーディオを付ける。
ラジオは、また別のニュースを流した。
ブランカはそのニュースを聞いて顔を上げた。
うそ……。
***
「ヴォルフさん、また来てね」
「アニキ、俺色々機械いじってみるよ」
「次来るときはヒコーキ持ってきてね!」
ダムブルクの駅の前には、子供から大人まで、町のほとんどの人が、ヴォルフの見送りに集まっていた。
二日前に来たときは、色んな色眼鏡で見られて居心地悪かったが、こうして見るといい町だと思う。
ただ一点を除いて。
「ブランカのこと、ロゼで見かけたら声かけてあげて」
レオナが、両手を合わせてヴォルフに言った。
昨日の男は、ブランカをフラウジュペイの首都ロゼに連れて行った。ヴォルフがこれから戻るところだ。
ヴォルフは頷いて、レオナの隣にいるロマンを見た。
ロマンは、昨夜から渋い顔をしている。
目の下の黒いクマを見て、ヴォルフは昨夜ロマンに詰め寄ったことを反省した。
「なぁあんまり気に病むなよ。連絡先もらったんだろ」ヴォルフは旧友の落とした肩を叩く。
ロマンは力無く頷いた。
「難しい年頃だし……色々あったからさ。ちょっと居づらくなっただけだろ、きっと」根拠もなくヴォルフは言った。
「そうだね。様子見て連絡してみるよ」
ヴォルフは頷いた。
まもなく汽車が汽笛を鳴らしながらホームに滑り込んできた。ヴォルフはトランクを持って、列車に乗り込んだ。
席に着くと、窓から身を乗り出し手を振った。
「じゃあな、元気でな」
汽車は駅を出発した。
線路の両側に広がる麦畑を眺めながら、昨夜のことを思い浮かべる。
最後に見た、人形のような虚ろな顔。
せっかく彼女の色んな面を知れ始めたのに、昨夜は拒まれたように感じて、引っかかっていた。
もう、これで会えないのか……。
ヴォルフはため息をつきながら、列車に乗る前に購入した新聞を広げた。
そこに走る大きな見出しに、彼は目を見開いた。
『ジルヴィア・ダールベルク、ロゼに潜伏か』
それはマクシミリアン・ダールベルクの娘のこと――つまり、ブランカの実の母のことだった。
見出しの下には、件の人物の目撃情報がつらつらと書き綴られていた。
この衝撃的な報道を受けて、この日フラウジュペイの首都ロゼでは、最初のダール狩りが始まった。




