第31話「崩壊の胎動」
戦場の喧噪から離れ、二人は裏路地を進んでいた、崩れた石壁の影、瓦礫の山、かつて人々が暮らしていた街の残滓が、今はただの廃墟として沈黙している。
遠くからは爆ぜる魔術の音と、炎が木々を焼く轟きが響いていたが、この路地は静かだった。
「見つかったら捜索できんからな」
先を行くガンゼオルクが低く言う、背は大きく、影が路地を覆う。
「よし、俺たちが目指すのは──教会だ」
「教会?」
「あぁ。この街が生きていたころ、教会が名を馳せるほどには神聖だった。過去に勇者がここで生まれ、栄えある街だったと言われている。勇者に関連する遺物も多い」
「それが、奴らの狙い?」
ガンゼオルクは首を横に振る。
「いや、違う。喪失獣の襲撃でこの街が破棄される直前──無限なる真英雄と呼ばれる大英雄の遺物の1つが、この地に運ばれてきた。神聖力の回復を目的に、全世界の教会を巡っていたが……最後にこの街に訪れ、そして消失した。十中八九、奴らの狙いはその“真英雄の遺物”だ」
フィナは頷き、納得したように短く答える。
「なるほど」
ガンゼオルクは足を止め、周囲を伺う、視線は鋭く、だがフィナの方を見ずに言葉を続けた。
「教会はこの街の頂上にある。ここから真っすぐ進んだ先、長い階段を登ったところだ」
フィナは裏路地の先を見据え、呟く。
「ん……強敵いそう」
ガンゼオルクは笑い、肩を揺らす。
「いるだろうな。これだけ大規模な作戦だ、指揮官が一人だと思う方が間違いだ」
フィナはふと気になり、問いかける。
「さっきのが、教会じゃなくて街を調べてた理由は?」
ガンゼオルクは少し考え、唸るように答えた。
「ただの無能か……あるいは別の狙いがあるのか。まあ、どちらにせよ、まずは明確になっている奴らの目標を奪うぞ」
フィナは銀灰に手を置き、短く言う。
「異議なし」
二人は裏路地を抜け、開けた場所に出た、そこには崩れた石畳の広場があり、その先に長大な階段がそびえていた。
かつては参拝者で賑わったであろう石段は、今は苔むし、瓦礫が散らばり、ところどころ崩れている。
だが、その先に聳える教会の影は、なおも威容を保っていた。
「この先は戦闘になる。手加減はいらんぞ、だが、念のため教会内部での破壊行動は抑えろ。俺も抑える!」
「ん!」
二人は階段を駆け上がる、足音が石段に響き、息が白く散る。
途中、崩れた石像や折れた柱が無数に転がっていた、勇者を讃える像も、今は首を失い、無惨に横たわっている。
階段を登り切った瞬間、敵の姿が見えた、数人の魔術師が警戒して立っていたのだ。
「敵ッ!」
報せを上げようとしたその声より早く、ガンゼオルクとフィナが動いた。
岩槍が唸りを上げ、銀灰が閃く、敵は声を上げる間もなく倒れ、地に伏した。
二人はそのまま教会へと突入する。
内部は薄暗く、外の炎の光が揺らめいていた、崩れた祭壇、割れた長椅子、散乱する聖具──かつての神聖さは失われ、今はただの廃墟と化していた。
だが、その奥にはなおも荘厳な気配が漂っている。
ガンゼオルクが奥を指差す。
「奥の階段だ。その先に宝物庫があるはずだ。道は一本だ。腹を括れ……いや、もう括ってるか」
フィナは銀灰を握りしめ、短く答える。
「ん!」
二人は宝物庫へと繋がる階段を飛び降りた。
石造りの階段は崩れかけており、足を踏みしめるたびに砂埃が舞う。
──その瞬間、階下から、空間を焼き焦がすような魔術の光弾が飛来した。
赤黒い禍々しい光が、大気を引き裂く唸りを上げながら二人の視界を埋め尽くす。
直後、爆炎が轟音と共に炸裂し、二人の身体を包み込んだ。
その白光の中で、フィナは一瞬だけ“何かが跳ねる音”を聞いた。
金属でも石でもない──もっと湿った、嫌な音。
爆炎が晴れた瞬間、赤いローブの女が床を四つん這いで走っていた。
人間の動きではない、関節の向きが逆で、腕の振りが異様に速い。
フィナは反射的に銀灰を構えた。
女は床を蹴り、まるで蜘蛛のように壁へ張り付く。
焼けただれた手足が石壁にめり込み、そこから爆炎が滲み出す。
「無事か?」
ガンゼオルクの声が響く、岩の障壁が瞬時に展開され、二人を守っていた。
爆炎は障壁を焼き焦がしたが、内部は無傷だった。
「ん」
フィナは短く答え、即座に岩の隙間を潜り抜ける、銀灰を構え、敵へと迫る。
視界に映ったのは、赤いローブを纏う女だった、ローブは焼け焦げ、両手は燃え滾る炎に包まれ、皮膚は焼き爛れていた。
異様な姿に、フィナの背筋を悪寒が走る、一歩下がった瞬間、立っていた床が爆破され、瓦礫が飛び散った。
「……死遠徒か」
ガンゼオルクが低く呟く。
「何それ」
「身に余るほどの魔力を持って産まれる者達だ、それゆえに半異形になり、裏社会に流れやすい」
赤いローブの女は呪詛のような声を吐き出した。
「あぁ……いいなぁ、万全な肉体……欲しいぃなぁ……頂戴よぉお……」
苦しげに全身を血を吐くように呻かせながら、彼女の両手から放たれた爆炎の波が、再び二人を目がけて津波のように迫り来る。
フィナはその側面へと回り込み、銀灰を鋭く振るう、同時にガンゼオルクも反対側の死角から、突撃を敢行した。
だがその瞬間、女の焼け爛れた狂気の顔面が、フィナの目前へと迫った。
「あぁ……綺麗な瞳ぃ」
爪の剥がれ落ちた剥き出しの指先が、フィナの顔面を強引に掴み取らんと伸びてくる。
フィナは上体を後ろへと反らし、辛うじて爪を回避したが、だが、女は、もう一方の燃え盛る手を、フィナの腹部へと突き出してきた。
「チッ、下がれ!」
直撃の直前、ガンゼオルクがフィナの襟首を強引に掴み取り、一気に後方へと引き剥がした。
「危なかったな。こいつ、強いぞ」
赤いローブの女は、重力に逆らうようにして壁の上で揺らめきながら、再び狂おしげに呟いた。
「綺麗な瞳……お星さまを閉じ込めたような……あぁ、欲しいなぁ……ねぇ、頂戴ぃ」
フィナは銀灰を真っ直ぐに構え直し、冷徹なまでに静かな調子ではっきりと答えた。
「無理」
女はその拒絶の言葉を聞き、一瞬だけ動きを凝固させた。
だが直後、顔中の皮膚を不気味に歪めて狂笑した。
「くれないのぉ……あはは、まあ、いいや! だって、くれないなら──今ここで、力ずくで奪い取ればいいだけだもんねぇえ!」
女が壁を爆発的な力で蹴り飛ばした瞬間、その姿がフィナの視界から消失した。
フィナは反射的に銀灰を襲撃に備えて構えるが、次の瞬間、冷たい息と共に、自身のすぐ耳元で囁き声が響いた。
「……捕まえた」
背後、フィナは即座に身を沈め、銀灰を振り上げる。
だが、女は、自身の両腕の皮膚をその場で爆破させ、その凄まじい推進力の反動を利用して、回転しながら後方へと大きく跳び退いていた。
爆風の余波によって四散した彼女自身の焼け焦げた肉片が、床に不気味な音を立てて散らばる。
フィナは息を呑む。
(……速い。爆破で軌道を変えてる)
女は自らの両腕が欠損し、血が噴き出していることなど意識の外にあるかのように、焼けただれた両肩の肉から、新しい腕を急速に生やし始めていた。
爛れた皮膚が内側から裂け、真っ赤な肉の繊維が芋虫のように蠢き、白い骨が不気味な音を立てて急速に伸長していく。
「……あぁあ……心地いいぃ……治るよぉ……すぐに、治るぅ……!」
ガンゼオルクが舌打ちした。
「再生持ちか……厄介だな!再生できなくなるまで、切り刻むぞ!」
二人は同時に迫る。
捕まれば即死──その緊張が全身を支配する、フィナが銀灰を振るうが、女は小さな動きで避け、逆に掴みかかろうとする。
フィナは銀灰だけでなく、肘や手でその動きをずらし、一撃を入れようとするが、相手は滑るように避ける。
(ん……攻めにくい)
ガンゼオルクは周囲を見渡しながら、女の動きを見ながら爆破の前兆を読み取り。相手の隙を見る。
女の皮膚が波打つ、呼吸が一瞬止まり、瞳孔が開く。
「フィナ、右に飛べ!」
フィナが跳んだ瞬間、さっきまでいた場所が巨大な火柱に飲み込まれた。
(フィナが攻めあぐねてる……相手は爆破を使う能力。本能的な恐怖を植え付けるか……にしても、こいつしかいないな。見張りも先の数人のみ……爆破に巻き込まれないためか?)
赤いローブの女がガンゼオルクを見据え、歪んだ笑みを浮かべる。
「なんでぇ……私一人ってぇ顔してる……理由は、教えないぃ」
瞬間、周囲が爆散し、瓦礫が飛び散り、炎が渦を巻く。
フィナは咄嗟に岩の障壁を生成し、ガンゼオルクも同じように障壁を展開し、爆炎を受け止めた。
炎の中で、赤いローブの女の笑い声が響く。
「もっと……もっと燃やしてぇ……奪わせてぇ……」
赤いローブの女は、正面から切り付けても避け、直撃を確信した攻撃すら自らを爆破させて無理やり防ぐ。
爆破のたびにその身体は傷つき、焼け爛れ、苦痛に呻いていた。
フィナの刃が女の肩口を浅く裂いた瞬間、女は甲高い声で笑いながら、裂けた肩を内側から爆破させ、爆炎が逆流し、フィナの視界が一瞬白く染まる。
その白光の中で、女の影が“二つ”に揺れた。
(速い……)
フィナが銀灰を構え直すより早く、女の片腕がフィナの喉元へ伸びていた。
「もらうぅねぇ……!」
フィナは銀灰を内で回転させ、その腕を切り落とすが、女は腕を落とされた瞬間に“自分の腕を爆破”させ、爆風でフィナの体勢を崩した。
「うぐぅ!」
その生じた一瞬の決定的な隙を狙い澄まし、四つん這いの女が凄まじい脚力で石の床を力強く蹴り上げた。
爪の剥がれた足裏が硬い石床に深くめり込み、その亀裂から大量の爆炎が激しく噴き上がる、無防備になったフィナの首元へと一直線に突撃する。
「フィナ、伏せろ!!」
ガンゼオルクの怒号が飛ぶ。
フィナは反射的に身を沈め、女の腕が頭上を掠めた、その腕は通過した壁を爆破し、石片が雨のように降り注ぐ。
ガンゼオルクはその石片を岩槍で弾き飛ばしながら吠えた。
「こいつ……攻撃のたびに自分を爆破して加速してやがる!」
女は壁に張り付き、逆さまの姿勢で笑った。
「そうだよぉ……壊れるほど、体内に残る、熱が、爆炎が私を強くするの……!」
女の背中が波打ち、皮膚の下で何かが蠢く。
次の瞬間、背中が内側から破裂し、爆炎とともに肉片が飛び散った、その爆風を利用し、女は天井へ跳び移る。
天井の梁に指を突き立て、そこからまた爆炎が滲む。
(……天井を落とす気)
フィナは瞬時に理解した。
「ガンゼオルク」
「分かってる!」
ガンゼオルクが槍を振り上げた瞬間、女は天井を爆破し、巨大な石塊が二人へ落下した。
フィナは銀灰を振り抜き、石塊の軌道をずらす、ガンゼオルクはその隙に槍を突き上げ、石塊を粉砕した。
粉砕された石片が雨のように降り注ぐ中、女は爆破で加速しながら二人の間へ滑り込む。
「どっちから……奪おうかなぁ……!」
フィナとガンゼオルクは同時に構えた。
傷なんてものはお構いなしに、彼女はなおもフィナたちへ迫ってくる。
ガンゼオルクの声が轟く。
「相手は人間だ!あいつが耐えられるなら、俺たちも耐えられる!攻めて攻めて、暴れろ!」
岩の槍が唸りを上げ、満遍なく振り回される、周囲に巨大な傷が入り、赤いローブの女もろとも、周囲が吹き飛ばされ、壁に衝突した。
だが、ガンゼオルクは止まらない、そのまま壁ごと破壊しようと突き進む。
「ハハハァ!物を壊すのはぁ、私ィ!」
女は口から大量の鮮血を撒き散らしながらも、狂気じみた悲鳴を上げ、自身が衝突した壁面をさらに爆破させた。
瓦礫が飛び散り、連続で爆破が起こる、赤いローブの女は瓦礫を次々とフィナたちへ投げつける、投げるたび、女は自分の腕を爆破させて加速させていた。
骨が砕け、肉が裂け、腕が千切れかけても、女は笑いながらそれを拾い上げ、また投げる。
瓦礫は弾丸のように飛び、壁を貫き、床を抉り、天井を砕く。
フィナは銀灰で弾き、ガンゼオルクは岩壁で受け止める。
だが、女は止まらない、自分の指を爆破して弾丸のように飛ばす。
「もっと……もっと壊れるの……見せてぇ……!」
フィナは呟いた。
「隙」
爆破の瞬間に踏み込み、銀灰を滑り込ませた。
刃が女の脇腹を裂く。
だが──。
「いいねぇ……!」
女は自分の脇腹を爆破させ、フィナの刃を弾き飛ばした。
爆風がフィナの頬を切り裂く。
「ッ……!」
血が流れるが、フィナは怯まない。
銀灰は弾き飛ばされ、フィナは魔術に集中し調整する、瓦礫の軌道をずらし、ガンゼオルクの進路を切り開いた。
ガンゼオルクは岩槍を構え直し、床を踏み砕く勢いで突進した、槍が振り下ろされ、床が割れ、壁が震え、天井の石片が降り注ぐ。
女は爆破で逃げようとするが、ガンゼオルクの槍はもう女に届いていた。
「おせぇよ!!」
槍の穂先が、女の左肩を貫き、そのまま彼女の身体を背後の巨大な石壁へと縫い付けるようにして叩きつけた。
女は口から大量の黒い血を吐き出しながらも、なおもその顔を狂おしげに歪めて不気味に笑う。
「……いい、よぉ……もっと……!」
ガンゼオルクはそのまま槍を四方八方に振り回す
ただ暴れるだけではない、ガンゼオルクの槍が赤いローブの女の頭に迫る。
女は執念で自らの“歯”を剥き出しにし、正面からその凄まじい威力の槍の側面を噛み砕くようにして受け止めた。
「……化け物め……だがな」
女が顎の力で自らの槍の動きを一時的に止めたその瞬間、ガンゼオルクの口元に、獰猛な勝利の笑みが浮かび上がった。
「顎の力で大地の突歩を止めるとは……思わぬことだな!」
岩の槍が振り抜かれる、しかし、赤いローブの女は力を抜き、致命傷を避けた。
だが、その顎は爛れ外れ、言葉を発することができなくなっていた。
瞬間、女の耳飾りが割れた、明らかにガンゼオルクによるものではない。
次の瞬間、赤いローブの女の身体が、凍りついたかのように突如として静止した。
爆破の前兆とは違う、もっと深い、もっと嫌な静寂。
女の胸の奥で、何かが脈打った、女の瞳孔が開き、口から黒煙が漏れた。
顎が外れ、生気の一切を失った不気味な顔を晒した女は、もはや言葉ともつかない、ただの肉の軋みのような音をその喉の奥から絞り出した。
「──ズィ、カン……ギ……ネィ……」
その言葉にガンゼオルクが一瞬固まり、思考を高速で回す。
(なんて言った?……時間切れ?)
「フィナぁ!!!」
地底から響くようなガンゼオルクの決死の叫び声を、突如として発生した破壊の轟音が無慈悲に引き裂いた。
次の瞬間、二人がいた教会が、そして彼らが足を踏み締めていた下の街の全域が、同時に大爆発を起こした。
爆風が一瞬にして頑強な教会の石壁を粉々に粉砕し、瓦礫の群れを、全方位へと吹き飛ばしていく。
四散した石片が空間でさらに爆発を起こし、飛び散る鉄片の雨があらゆる物質を容赦なく粉砕していく。
燃え盛る炎はただ周囲を焼くに留まらず、その燃え滾る炎そのものが、さらなる大爆破を何度も何度も引き起こしていく。
目も眩むような純白の破壊の光が爆発的に広がり、地下聖堂にいた二人を呑み込んだ。
二人の視界は熱量によって焼き潰され、耳の鼓膜は連続する爆裂音によって押し殺され、衝撃が、骨を砕かんばかりの勢いで叩きつけてくる。
肺の腑が吸い込んだ爆炎によって満たされ、耳の奥では不快な爆音が鳴り響き、熱量が自らの皮膚を焼き滾らせていく。
フィナは銀灰を握りしめ、必死に岩の障壁を展開しようとする。
だが、光と爆炎はそれすらも粉砕した、ガンゼオルクの咆哮も爆風に呑まれ、声は届かない。
歴史ある教会の建物は一瞬にしてただの塵芥へと化し、強固な大地の岩盤は深く裂け、亀裂からは、大地を流れる血の如き溶岩が激しく流れ込んでいく。
かつてそこに確かに存在していた、人々が生きていたあらゆる生活の痕跡は吹き飛ばされ、あとに残されたのは、ただ黒く焼け焦げた絶望の光景のみ。
そして、その崩壊を告げる爆風は、決して止まることを知らない。
次の瞬間にはさらにその破壊の規模を何倍にも膨張させながら、すべてを、根底から押し潰さんと広がっていく。




