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「最果の物語」  作者: 灰那
第1章・中央大陸編「この理想を、世界が許すまで」

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1/18

第1話 「フィナ」

初めまして。灰那はいなと申します。


カクヨムで連載していた作品を、こちらでも投稿させていただくことにしました。

本日は第11話まで一気に投稿します。


ゆっくり読んでいただければ嬉しいです。

 ──月光が、瓦礫の隙間を縫うように差し込み、少女の頬を優しく撫でていた。

 時の流れすら拒んだかのような、白く塗り潰された世界には、ただ静寂だけが満ちていた。

 

 廃墟の教会。崩れ落ちた天蓋。ひび割れた色とりどりの壁画。

 朽ちた祭壇の装飾は床へと崩れ落ち、枯れた花びらだけが風に攫われていた。

 天井の大穴から注ぐ月光だけが、この死にかけた世界に色を与えていた。


 そこに──少女が、ひとり。

 静かに、まるで世界の一部のように横たわっていた。

 水たまりの上で、髪は広がり、静かに眠っていた。


 月光が彼女の頬を撫でたとき、微かに瞼が震えた。

 雑音混じりの、どこか遠い場所から響く声が、彼女の意識を揺らした。


『君……の……物語……』


 その声に、導かれるように。

 少女の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。


「……ここは……」

 

「わたしは……」


 吐き出された声は、擦れ、虚ろで冷えた空気に溶けていった。

 指先が震えていた、寒さのせいじゃない。

 

 ──何もない、自分の中に、何ひとつ──ない。


(……空っぽ)

 

 ──記憶は一片も残っていなかった。いや、そもそも最初から存在しなかったのかもしれない。


(……分からない)

 

 けれど。


 

「……フィナ」



 その名だけが、自然と口をついて出た。

 誰かに教えられたわけでもない、ただ、確かにそれが自分だとわかる。

 

 フィナ──その音が、自分の存在に辛うじて輪郭を、そして意味を与えた。


 少女──フィナは、ゆっくりと起き上がり、辺りを見渡す。


 そこは、信仰と終末が共存するような空間だった。


 砕かれた椅子列。壁画の破片に、かすかに残された聖画の色彩。

 祈るように両手を差し伸べたまま、首だけを失った女神像。


 その背後、ぽっかりと空いた天井の穴から──月が、無言で全てを見下ろしていた。


 異質だった。


 けれど、どこか……美しい。


 視線を落とすと。

 足元、床の水たまりに、光が反射する。


 フィナは静かにその水面を覗き込んだ。

 そこに映っていたのは、少女。


 銀色の髪は、月光を帯びて青白く輝き、水面の揺らぎに合わせて揺れていた。

 

 瞳は淡い紫に、微かに青を混ぜている。

 星空を閉じ込めたような深い光。


 白い衣に身を包み、まるで、生まれてきたばかりの様。


 そして、水面に映るその瞳と目が合った瞬間。

 フィナは気づいた。


 ──これが、私……?


 誰にも向けられていない問いだった。

 けれど、その姿だけが、世界が示す唯一の“答え“だった。


 そして──再び、響く。


 頭の奥から。


 あるいは、この空間のどこかから。


『……私の……物語を……』


 それは、声というより──世界そのもの。

 ──世界に宿る何かが語りかけてくるような感覚だった。


 柔らかく、それでいて、絶対に抗えない重みを持つ“呼びかけ”。


 フィナは、目を閉じることなく、ただ静かに呟いた。


「……フィナ。それが、私」


 誰に告げるでもなく。何かを求めるでもなく。

 ただ、確かに──物語が始まった。


 フィナはゆっくりと身体を起こし、ひとつ、深く息を吸った。

 土と石の匂い。その奥に混じる、焦げた鉄のような匂い。

 空気が肌にざらついて、肺の奥まで重く沈んでくる。


 静まり返った教会。

 そこに響くのは、自分の呼吸だけ。


 異常なほど、はっきりと。


「……行こう」


 ぼそりと呟いた声は、壁に吸い込まれて消えた。

 震える手で自分の頬を叩いた。

 乾いた音がして、皮膚にわずかな痛みが走る。


 それでいい。

 痛みは、ここが紛れもなく現実であることの証明だ。


「……ここにいても、何も変わらない」


 立ち上がり、教会の内部を一度見渡す。

 そして──視界に入った“痕跡”に、静かに眉をひそめた。


 祭壇の脇。柱の根元。崩れた壁面。

 あちこちに走る、不自然な裂け目。


 まるで、巨大な刃か爪で抉られたような。

 しかも、それは新しく、この廃墟と同じ時を過ごした傷ではなかった。


 フィナの視線が、女神像へと導かれる。


 ──首を失った像。

 その断面は、精密に切り落とされ、冷たく鋭く整っていた。


 風化ではない。偶然でもない。

 確実に、何かの意志がそこにあった。


「……」


 小さく──息が溢れる。

 胸の奥が不安でざわつく、喉が渇き呼吸が浅くなる。

 心臓が、静かに素早く鼓動を打つ。


「離れる……べきか」


 その一言が、彼女の意思だった。

 それは怯えでも逃避でもない──生きるための選択だった。


(外に出て、人を探そう)

 

 教会の扉は崩れ、外から伸びた蔦が床に絡んでいた。

 フィナは崩れた扉をそっと押し、外の光景を見据えた。


 そこに広がっていたのは、滅びた街。


 建物は崩れ、原型を留めたものなどほとんどない。

 石畳の割れ目から生えた蔦や苔が、街そのものを飲み込んでいた。

 歩道は土に覆われ、建物はまるで廃墟の森のように連なっている。


「……これが、街……?」


 そのとき。

 視界の隅で、何かが動いた気がした。

 だが振り返っても、そこには何もいない。


 静寂。


 そして──その空気を割って、静かに、しかしとても現実的な音が流れ込んできた。


 ──……ぐぅ〜〜〜……。


 フィナの腹が、切実に鳴った。


「……ん」


 一瞬だけ、空気がやわらぐ。


「まずは、食料……」


 足元の小石を踏みしめて、一歩を踏み出す。

 それでも、心の奥には、静かな迷いがあった。


(……街を出るべきか)

 

(痕跡を残した存在がまだいるかもしれない)

 

(でも……街に人がいる可能性もある)


 答えは、見つからない。

 けれど選ばなければならない。

 この先、自分の足で進むしかない。


「……行く」


 名も知らない廃墟の街。

 誰もいない──けれど、何かが確かに潜む場所。


 瓦礫と蔦に覆われた街の中を、何かが潜んでいるような気配を感じながらフィナは無言で進んでいた。


 空気は湿っていて重い。遠くで水滴が石に落ちる音が、一粒ずつ刻むように響く。

 所々から伸びた草が、静かに生命の存在を主張していた。


「……植物、だけは……元気」


 囁くような声が、空気の中に溶けた。

 誰もいないはずなのに、ほんの小さな音すら立てるのが嫌だった、音は異物を呼ぶようで気が気でなかった。


 恐怖とわずかな希望、フィナはそれらの間を振り子のように揺れながら歩いていた。

 

 ──視界の先、廃墟を裂くように緑が広がった。


(周りを巻き込んでる……)

 

 そこは、さらに濃く緑に覆われた一画だった。

 建物は完全に蔦に飲まれ、地面は苔で厚く覆われている。

 その中央に、大木が聳え立っている。


 幹は広く、根は深く地面に食い込み、枝先に赤い果実がいくつも実っていた。

 まるで、この世界が終わったあとにも、静かに幾つもの時代を生き抜いてきたかのように。

 

「……食べられる……?」


 赤い果実を見つめ、瞳がかすかに揺れる。

 腹の奥が、小さく鳴った。


 もう無視できなかった。

 フィナは、木に近づき、太く張り出した根に足をかけ、静かに登っていった。

 枝や根がいい具合に配置されていて、小柄な彼女の身体には登りやすい。


 赤い果実が、目の前にあった。

 手を伸ばし、指先でつまむが、枝にしがみつくように果実は簡単に外れない。

 手で掴み、力を込める──軽い音と同時に、果実が弾けるように外れた。


 一瞬、身体の重心が崩れる。咄嗟に枝へ手を伸ばすが──届かない。

 

(あっ……)

 

 掴み損ねた枝が、指先をすり抜ける。

 視界が傾き、フィナの身体が、空気を切って落ちる。


 尻もちをついた衝撃が腰に走る。

 その音は、乾いた空気の中に異様に響いた。


 そして──別の音が、混じった。

 

「あぅ……ッ!?」


 地を叩き割るような重い足音。

 何かが、確実にこちらへ向かっている。


 フィナは反射的に、近くの茂みに身を滑り込ませた。

 蔦や枝が衣服に絡むが構っている暇などない。息を止め、出来るだけ気配を消す。


 ぬめるような鈍く重い湿った音。


 建物の影から、何かが現れた。


 腕が3本、脚が5本。どれも不規則な位置から生え、形も長さも揃っていない。

 黒い粘膜のような皮膚が、ぬらりと月光を弾く。

 中央に1つだけある眼は、真紅。

 その下、裂けた口には何重もの鋭い歯。

 涎が糸のように垂れ、地面に滴るたび、じゅっという音がした。


「ヒュッ」

 

 喉がひゅっと鳴った。痰が絡み、濁った音が漏れそうになるのを必死に押し殺す。

 声を出さない、息も最小限に抑える、動けば殺される、それだけは直感でわかった。


 異形は、地面をかぎ回るように歩いた。

 爪が石畳を裂く音が、脳に突き刺さる。

 フィナの全身が、冷え、小さく震えていた。


 それでも、動かない。

 

 時間の感覚が消えていた。

 息を止めていることすら忘れそうなほど、身体が強張っていた。


 やがて、足音が、遠くへ、異形の気配が遠ざかっていく。


 ──生きている。


 崩れるように、フィナはその場に座り込んだ。

 張りつめたものが、急に切れ、呼吸が戻る。


「……ッ……」


 額に汗がびっしり張り付き、喉がひりつき、声が塞がれる。

 胸に手を当て、うるさい鼓動を必死に抑え込もうとする。


 気づけば、涙が勝手に滲み、止めどなく溢れていた。


 けれど、声に出すことはなかった。


(……まだ……生きてる──なんで?私は……何故、誰の為に、生きようとしてる?)


 それが、今のすべてだった。

 

 フィナはすぐにその場から離れた、素早く、しかし、足音を殺すように歩いていた。


 布に包んだ赤い果実を胸に押し当てる。

 震える手で、落とさぬよう必死に握りしめた。


 あの異形が現れた場所を遠ざかって、どれだけ時間が経ったのか。分からない。

 けれど空気の冷たさと、沈黙の底に滲む緊張は、まだフィナを支配していた。


 一歩ずつ。慎重に。

 やがて彼女は、ようやく廃墟の教会へと辿り着く。


 扉に手をかけ軋む音に、息が止まりかけたが。

 そのまま、すぐ奥へ移動する、朽ちた祭壇の裏──瓦礫の陰に身を潜める。


「……戻れた」


 呟きと同時に、力が抜けた。

 布の中の果実は、自分の体温が移ったのか、わずかに温かかった。

 

 フィナは果実を取り出す。

 赤く、小さい。淡く光を反射している。


(……食べられる、はず)


 毒かもしれない、だが、もう体力が尽きる。


「……食べるしかない」


 短く言って、果実に口をつけた。


 甘い。


 やさしい甘さが舌を満たす。

 果肉は柔らかく、果汁が喉を潤した。

 もう一口。喉が、自然に鳴る。


(……異常なし。今のところ)


 身を伏せたまま、身体の芯からじんわりと温かさが広がっていく。

 しばらくして──恐怖で意識の底に沈んでいた記憶が、浮かび上がる。


 あの赤い目、黒い皮膚、鋭い歯と爪。


 (……まだ、いるかもしれない)


 あれが一体ではない可能性。

 この街に、人の気配がない理由。

 次に見つかったら、終わる。


「……外へ」


 ぽつりと、一言。

 それだけだった。


 留まる意味は、もうない。


(人がいるかもしれない。いなくても、進むしかない)


 星空が割れた天井の向こうに広がっていた。

 その奥。東の空が、わずかに白み始めている。


 ──やがて夜明けがやってくる。


 フィナはゆっくりと立ち上がった。

 目を閉じて、静かに口を開いた。


「……明かりが出たら、行く」


 それは、選択ではなく、決定。


 光へ向かって進むため、生き延びるため。

 そして、まだ見ぬ誰かに出会うため。


 息を殺すように身を潜め、やがて空は淡く染まり、光が廃墟の街を静かに照らし始めた。

 それは、ほんのわずかな救いのようで、フィナの精神を落ち着かせた。


 動きを妨げないよう、長い髪を後ろでまとめる。


 太陽が沈む前に、この街を抜けなければ。


 一歩、また一歩。

 足元を確かめるように、フィナは歩き出す。


 朝の光に照らされても、街は静まり返っていた。

 風に揺れる草花が、むしろこの静寂を深めていた。


 今思えば、自然は全てを隠していた、その奥底の悪意を。

 いや、悪意が自然を利用し隠れていたかも知れない。


(……出なきゃ)


 恐怖を胸の底に沈め、フィナは進む。

 何が現れるかわからない。目を見開き、耳を澄ませる。汗が首筋を伝った。


 ──そして、目の先にいた。

 

 2体、朽ちた門の陰から、ぬらりと2つの異形の影が現れた。


 3本の腕、単眼、最初に見たあれのそれとは異なる。

 より巨大で、皮膚すらなく骨が露出していた、無音で地を這うように動いていた。


 フィナは、咄嗟に物陰へと滑り込む。

 喉が、ごくりと鳴る、鼓動がうるさい。呼吸が浅くなる。


 けれど──止まれない。


(……進もう)


 じり、じりと、音を殺し、気配と沈黙を探る、まるで時間が凍ったかのような沈黙の中、ただ一歩ずつ。


 どれほど歩いたか。わからない。

 けれど、生きたいという意思が、フィナの背を押していた。


 ──その瞬間だった。


「キャッ!」


 前方の瓦礫の隙間から、何かが飛び出した。

 反射で飛び退く、心臓が跳ね上がる。


 だが──小さな動物だった。

 ふわふわとした毛並み。尖った長い耳とひげ、大きな瞳。

 フィナをじっと見上げている、今まで見た異形とは異なる。


「……無害?」

 

 安堵、その緩みに、鋭い牙が食い込んだ。


 小動物の口が──裂けた。


 縦にも横にも、4つの方向へと開く異様な顎が露わになる。

 並ぶ鋭い歯。滴る涎。

 ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。


 反射的に身体を動かし、化け物の横を、走り抜けた。


 その直後。


「ア”ァァア”ア”ア”アア”ッ!!」


 耳を裂くような、悲鳴のような叫び声。

 いや──それは、悲鳴ではなく警報だった。

 化け物に知らせる声が、空気を震わせ、街全土に響く。


 地面が震える。

 無数の足音が、迫ってくる。


 ──逃げろ、本能が動いた。

 

(やばい……やばいやばいやばい!)


 フィナは振り返らない。

 振り返れば、止まるからだ。


(走れ、振り返るな──!)


 息が苦しい。目が霞み、涙が滲む。酸素が足りない。

 それでも、ただ前を向いて走った。


 瓦礫の隙間に、何かが光った。


(……剣?)


 走りながら、フィナはそれを拾い上げた。

 錆びつき、刃は欠けていたが──それでも“武器”だった。


 重い、腕に、肩に、ずしりと伝わる質量。

 だが、気にしている余裕はない。


 ──その刹那。


 小さい体で長い耳のような姿の化け物が、フィナの目の前に跳びかかる。


「……らぁッ!」


 フィナは、剣を反射的に振り抜いた。

 風を裂き、刃が唸る。


 化け物は吹き飛んだ。

 しかし、傷一つなかった。


 それでも構わなかった。

 フィナはそのまま、剣を持ったまま走り続けた。


(止まるな、迷うな、生きろ)


 そして──街の果てを超え。

 ついに、フィナは街の外へたどり着く。


 ……そう思った。だが、違った。


「……っ」


 ──壁が行く手を防いでいた。

 

 信じられないほど高く、表面に指をかける隙間すらなかった。

 到底フィナでは登り切れない。


「……そ……んな……っ」


 膝が崩れた。

 力なく垂れる手が、震える。


 背後──足音が迫る。

 異形の影が、続々と姿を現す。


 数十、いや数百。


 異なる形。異なる大きさ。

 だが、その全てがフィナ一人を追っている。


 ゆっくりと、空を見上げる。

 フィナのことなど知る由もなく、青い空は、ただ穏やかでに広がっていた。


「……誰か……助けて……」


 その声は、か細く、消え入りそうだった。


 その声を聴いてなお、化け物たちは止まらない、その進行は早まるばかり。


 絶望の色だけが、色も音も失った世界を覆い尽くし、濃密な闇を広げていた。


 足が震え、心の奥が、冷たい手で締め付けられるように軋み、冷えていく。

 

 前も後ろも、あるのは行き止まり。

 

 化け物たちが、迫ってくる。


 地を裂く足音、軋む咆哮。

 やがて振り下ろされるだろう、鋭く巨大な爪。


(……ああ、終わる……)


 そう思った。

 だが、動いたのは──本能だった。


 フィナは、拾った剣を両手で構えた。

 震える腕。重すぎる刃。


 けれど、それでも。


「……来るな」


 呟くように言って、彼女は剣を振る。

 惨く、そして、容赦のない現実、刃は空を切っただけ、化け物の一体が、フィナの剣を弾き飛ばした。


 力の差が違いすぎた。

 刃が弾かれ、身体ごと吹き飛ばされる。


「うぐっ……!」


 地面に転がるフィナを、化け物たちが見下ろす。

 一体が喉の奥から、ググ……と湿った音を立て──やがて、嗤うように口を開いた。


「……ア”ア”ア”ア”ア”……ァァァッ!!」


 ──嘲笑。

 彼女の抵抗など、取るに足らないと言わんばかりに。


(こんな、地獄……消えて……)


「なくな……れ」

 

 その小さな呟きは。

 

 ──届いた。


 赤黒い光が地を斬り裂き、抉れた地面から衝撃が走る。

 空気そのものが悲鳴を上げるように震えた。


 何が起きたのか、理解できない。

 恐怖で固まった身体が、逆に軽くなる。心臓が跳ね、呼吸が止まる。

 死の音だと思った物は──違う。違う、これは……。


 衝撃で結んでいた髪が解け視界を遮る。

 その合間に一瞬見えた。

 

 化け物たちを分け断つように、一本の、鍔のない、黒い刀が地面に突き刺さっていた。

 その横に、ひとりの影が静かに立っていた。


「……助けよう」


 声は静かだった。けれど、不思議とよく通る。

 化け物の咆哮すら押し流し、その場の空気を一瞬で支配した。


 その声が届いた瞬間、胸の奥で張り裂けていた何かが、かすかに繋ぎ止められた。

 涙が零れそうになる、まだ、生きられる。

 

 フィナの脳裏に、記憶が蘇る。

 

 ──目覚めの時、耳にしたあの声。


(……この声……知ってる……)


 黒髪の女性が、黒い刀を片手に構える。

 刃から立ち昇る、燃えるような赤色の縁が、日の光を上書きするように揺れていた。


「少し、悪ふざけが過ぎるぞ」


 言葉と同時に切り先が化け物たちの方に向く、空気が変わった、化け物たちが後退する、恐れている、震えている。

 

 黒髪の女性が動く。

 目に留まらぬ速さで、化け物たちの首が飛ぶ、見えない、ただ、黒と赤の残光が、空間を斬り裂いていく。

 黒と赤の閃光が、化け物の群れの中を駆け、そして、血が舞う。

 

 悲鳴も抵抗もなかった。

 触れられた瞬間、全てが終わる。


 一方的だった、蹂躙され、殲滅され、圧倒されていた。


 全てが終わった時、そこには──静寂が残った。


 地面に転がる異形たちの残骸が黒煙のように消えゆく躯。

 その中央に、彼女は立っていた、黒煙の中で、フィナだけを見つめていた。

 

 地面に落ちていた折れた剣を拾いながら、フィナに向かって、ゆっくりと歩いてくる。


 ──美しかった。


 髪は、何もない深い黒。


 美しいのに、どこか冷たく、無機質で壊れているような顔立ち。

 その奥に、微かな悲しみが滲んでいた。


 瞳は炎のような金の光が内側から滲んでいた。

 

「未だ物語を持たない少女──」


 フィナは、言葉を返せなかった。

 ただ、その存在を見上げる。


「今から私と一緒に、お前の物語を綴ろう」


 差し出された手。

 細く、白く、しかし確かな力を感じる手。


「一緒に、世界を。終着点を──その先にある、未だ誰も知らない最果ての物語を目指して」

 

 フィナの目から、やっと涙が溢れ、ひとすじの涙が伝った。

 

 それは、悲しみでも恐怖でもない。

 

 それは、失ったすべてを埋めるような確かさの証だった。


 救いだった。

 

 希望だった。


 ──初めて、信じられる誰かに触れた瞬間だった。





 

 第1部 あなたの理想を見つける旅。

 第1章――この理想を、世界が許すまで。

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