終盤 ― 『人二人双一人』
六
月曜日、火曜日の前日。
決戦前日の朝。
ある意味運命の日といえよう。
ぼくは再びあの通りに来ていた。
そこには、初めて来たときと同じく、一人の少女がしゃがんでいた。
この前とは少し違う白いワンピースを着た白髪、白眼、白い肌の少女。
前と同じような光景を見た。
初めてと同じ衝撃を受ける。西洋の町並みにただ一人、朝日に照らされている浮世離れした少女。それは本当に美しい以外の言葉が出てこない。ぼくはもしかしたら、その光景から、あのとき彼女に興味を持ったのかもしれない。
ぼくは彼女に近付いた。
そして話し掛ける。
なるべくフレンドリーに、
「どうしたの、そんなに地面ばかり見て」
あのときと同じ台詞を言う。
「地面を見てた」
あのときとは違い、すぐに言葉を返してくれた。
知り合いになったから?
「また蟻でも見ていたのか」
「ううん、今日は何もいない。なにも、いない」
地面は、石畳の歩行者道路。
初めから、何もいない。
ただ、見ているだけ。
面白くない。
「楽しいのか?」
「《楽しい》が分からない」
ああ、そうだったな。
「それは、君が楽しいことを求めていないからだよ」
実に適当なことを言ってみる。そんなことをぼくは知らない。
「だって、欲しくないんだもの」
一切顔を合わせずに会話は続く。
欲しくない。求めない。
無欲な少女は、表情を変えない。
「じゃあ、今こうしているのも意味はないな」
「うん。意味なんてない」
少女は立ち上がった。
そして、ぼくの方を向いて、ぼくの顔を見る。
相変わらずの無表情。
変わらない少女。
首を傾げながら言う。
「なんで、又ここに来たの?」
彼女からそんな質問が来るとは、予想もしてなかった。
「それはね、可愛くてキュートなむよくちゃんに、また会いたくなったからさ」
ジョーク混じりな口調。本当のことだけどね。
確かにそれも理由の一つなのだが、それだけではない。
「だって、研究には協力しないんでしょう?」
「ああ、それには変わりないよ。ぼくはあの研究や実験に肩入れするつもりも、協力する気もないんだ」
そのときのぼくには、結論がついていた。
これから、どうすべきなのか。
ただ今ここにいるのはそれとは違う、私事で来ている。
ぼくがしたいから、こうしている。それだけだった。
「ぼくは、むしろ研究を終わらせようとしている。崩壊させて、無くしてしまおうと思っているんだ」
「……そうですか」
少しの間が入り、むよくちゃんは返事する。濁ったような返事だった。
居場所が無くなるかもしれないということに、不安を感じているのだろうか。
なわけがないか、無欲な彼女がそんなことを考えるはずがない。
「研究が終わってしまうのは、君にとって困ることなのかい?」
「別に、私も兄の研究には興味ないですよ。無関心を突き通していきます。兄に生きろと言われているから、生きようとしています。ただ、それだけです」
「じゃあ、折紙に『死ね』と言われたら、君は死ぬのかい?」
「……死にますよ。生きたいとも思っていないので」
生きてもいなければ、死んでもいない少女は物静かな世界で言う。
清純と言えるのかな、無欲な少女は。
なら、ぼくは黒に汚れているな。真っ黒だよ。
何故なら、ぼくは今からこんなに白い少女に嘘をつくのだから。塗りつぶそうとしているのだから。
手品師のように。
ペテン師のように。
道化師のように。
詐欺師のように。
騙す。
「君は、人間になりたいと思うかい?」
その一言は嘘塗れ。
彼女は紛れもない人間だ。
だけどぼくの中では、人間とは言えなかった。
人と人の間と書いて、人間。
無欲な彼女は、顔に感情を映し出さない。だから、彼女は人間としては欠陥だ。欠陥品。欲のある人を、今では人間と言うのだ。欲塗れであればこそ、人間らしい。
生きたいと思えない彼女は、プログラムにより折紙の言うことを聞かなくてはいけない。
生きるために、人間となる。それは折紙の命令を果たすには、最善の策だ。欲を持てば、生きたいと思えるようになる。そうすれば、彼女は生きた人間になれる。
そう思う。そう思いたい。
彼女が無欲でなくなれば、実験体としての価値が下がる。
実験体にならなくて済むのだ。
だから、ぼくは折紙のプログラムを利用して、彼女を人間にしようする。
ぼくの自分勝手な行動。
嫌になってくるな、自分のことが。
ぼくの提案に対して、彼女はしばらく無言だった。
彼女も深く考えているのだろう。《イエス》と《ノー》。どちらが自分にとって、有益になるのかを。有益な選択。だけど、それもプログラムがあればの話だ。無かったら、どっちを選んだのだろう。
だけど、今回は答えが決まっているようなものだった。
やがて、彼女は軽く頷いた。
了承した。
彼女は、人間になることを選んだ。望んだ。自分から提案しておいてどうかと思うけど反応に困る。言葉詰まった。なんと返事を返すべきなのだろうか。
考えた挙句、そうか、と安直な返答をした。
彼女から手を差し伸べられ、ぼくは手を繋いで、通路から出た。連れられていく。客観的に見ると、幼い子どもを青年が手を繋いでいるように見えるはずだ。実は同い年だというのに。通報されないだろうか。とても心配だ。
アパートに着いたのはお昼ごろ。
その数時間後、彼女は中途半端に人間となった。半分にも満たさない欲を持つ存在。
ぼくの部屋のカプセルの中で目を覚ましたお姫様は、突然起き上がると、部屋の隅に逃げていく。怖がっているのか、恥ずかしいのか、ぼくには分からない。いきなり頭にいろんなものが入ってきて、喧嘩し合って、混乱しているのだろう。ぼくが《学習装置》を使って折紙のプログラムを消した後に、一つの欲だけを植えつけただけだというのに。
彼女は人間に近付いた。
生きたいと思えるようになった彼女。
だけど完全に人間と言えない。
これにより、ぼくは堕落した。
非人道的なことをした。ぼくが人間ではなくなりました、まる。
昔みたいな日常の世界に足を踏み入れた。だけど、このまま完全にあっちの世界に戻るつもりはない。今まで通りにこのアパートに住んで、大学に行って、普通の生活を送るつもりだ。それに、これからもむよくちゃんのために、強い欲を集めなくてはいけない。彼女を完全な人間にするために。
日常と非日常が混じりあう世界。
その日は夜遅くまで、また日が昇るまで、むよくちゃんと語り合った。
組織で彼女が話しかけてくれたように、今度はぼくがむよくちゃんを。
欲を持った彼女は、ぼくに話す。今までのむよくちゃんでは、考えられないような会話。記憶が無くなったわけではない。今まで辛いと思えなかったことが辛く感じられて、今まで嬉しいと思えなかったことが嬉しく思えて。時には涙を流し、時には笑う。少しは人間らしいところが増えたような。ぼくは、そんな彼女を見て嬉しく思った。
そして、次の日。
ぼくとむよくちゃんは再びあの通りへと向かう。
ぼくに付いて行くか、折紙に付いて行くか。
それは、時計屋の中で彼女自身に選んでもらおう。それでいい。どちら選んだとしても、ぼくは彼女の意思を尊重しよう。不器用な感情を持った彼女は、それを選ぶことができるようになったのだから。
今、むよくちゃんの手はぼくの手を強く握っている。あの夜に繋いだときよりも、力強く。
彼女とぼくは、人間ではない。
二人は、未熟な人間。
二人で、一人。




