ある日あるときの章 ― 『とある喫茶店での回答』
第一回目の更新です。
プロローグ的なものだと思ってください。
それは、何気ない一言でした。
「お前は、今、一体、何を、求める」
読点の無駄に多い質問だった。
それは誕生日プレゼントのリクエストを聞いているのか、はたまた喫茶店では一体何を頼むのか聞いているのか。この場合はどっちのことを指すのか。おそらく、そのどちらでもない。目の前の相手が言っていること、そのままの意味。
質問は、極めて単純明解なものだった。
だからぼくは敢えてこう答えてやった。
「いや、別に、何も、ほしくない、です」
こちらも無駄に読点を多く嘘の答えを吐きました。
質問の意味を理解している上で、ぼくはそう答えたのだった。
《答え=真実とは限らない》という偉大な言葉を一体誰が言ったのだろうか。もしも誰もいなかったら、一番初めに発言したのはこのぼくということになる。
そんなぼくの戯言を聞いて、怪しげに微笑む相手。絶対に嘘だって分かっている。
『そんなわけねーだろうが』と言いたげな怖い怖い笑みをぼくに向けながら、相手は真っ黒な液体の入ったデミタスを手に取った。湯気立った飲み物を軽く一口飲むとテーブルに戻す。対するぼくはと言いますと、今にも冷や汗をかきそうな状態でした。この人の逆らうもんじゃないよな、絶対に内心怒っているよ。急いで自分のカップを取ると紅茶を一口含ませた。
ふぅ。
やっぱり落ち着くなぁ、暖かい飲み物を飲むと。
気持ちは一旦落ち着いた。
彼曰く、
欲の無い人間は、いない
らしい。
なんか前にも同じことを聞かされたような気がする。そのときは断言していたな。
そもそもまったく欲の無い人間など存在しないのだ、と。とにかく熱心に語っていた覚えがある。それだけで一冊の文庫本が書けそうなくらい語っていた。ぼくは黙って、軽く頷くだけの返事をし続けた。
他には、出家した僧でも簡単に欲を捨てることはできない、とか。
それに、人間という生き物は、生まれてすぐに親を求めるようにできているらしい。人間が生まれてすぐに泣く理由も、生まれたことへの喜びだと云われている。だとしたら、人間という生き物は生まれながらにして欲深い。
最初の言葉を逆に言うと、欲の無い人間は生きていないのと等しい、とも言える。それも、そんな摩訶不思議な存在がこの世にいるという前提の上で成り立つ話なのだけど、実際にいたのだから、生きていないという意味が分からなくもない。例外は存在する。
生きていないけど、死んでもいない人間。
彼女は、今でもそうなのだろうか。
今度、聞いてみようか。
とあるお洒落な喫茶店《小さな進化論》の店内には、ぼくと相手以外、寡黙なマスターしかいなかった。こんな奇妙奇天烈な会話を毎回ぼく達が繰り広げていたとしても、マスターはもう慣れてしまったし特に怪しまれないというわけだ。普通の人がいきなり欲望について語りだすことはそうそうないだろうから。
そんな空間で世間話に花咲かせながら寛ぎの時間を過ごしていると、相手は突然ふと気付いたようにぼくに言った。
「おめーが今一番求めている欲って何なのだろうなー。結構前から気になってはいたんだ」
ふと気付いたときに言うような質問じゃないことは確かだ。さっきから言うタイミングを見計らっていたに違いない。この人はそういう人だ。
普段からどんなことを考えているのかさっぱり分からないな、この人は。
「さあ、考えたくもないですね」
素っ気無く聞こえる回答をした。事実なのだけど。
そもそも今まで考えたこともないようなことを突然質問してくるからいけないんだ。
そんなこと、意識するようなことじゃないだろう。
いちいち深く考えること必要も無いようなこと。だけど改めて聞かれると、自分は何を求めているのだろうと考えてしまいそうだな。考えたくないんだけどさ。
だから、考えてまで質問に答えるつもりはありません。
「ちなみに俺という人間は興味心の塊と言えるだろうな、うん。つまりは知りたいという気持ちが一番強いんだろうな、たぶん。知識欲って奴か?」
「知ったこちゃありません。別にあなたのことは聞いてないです」
「だからよ、お前にも少なからず欲ってもんがあるんじゃねーかなー、とまあたった今考えてたところなんだ」
肘をテーブルに突きながら、ぼくにそんなことを言ってくる。自分の話を突き通して、全然人の話を聞いていない。ぼく目線からだと、相手は大して興味も無さそうに見える体勢をしている。
このまま、答えないまま話を打ち切ってもいいのだが……。
作戦変更、適当に答えてやることにした。
「そりゃありますとも。はい、ありますよ。盛り沢山です。言われてみれば、ありまくりですね。今もこの喫茶店の紅茶代が馬鹿にならないなぁ、なんて思っちゃったりしたところなんです。毎回毎回この喫茶店って、ここ結構高いんですよ。毎日バリバリ働き詰めのあなたとは違って、ぼくのような貧乏大学生の財布には厳しいんです。現金ってどれだけあってもいいもんですよねー」
この店のオーナー兼マスターである人がいるところでこんな話をするのは、お客としてどうかと思うのだけど。言っていることはとても現実的だった。今まで飲んだ紅茶の中で一番美味しいんだけど、やっぱり高いのには変わりない。
ぼくの財布の中身は、その代金だけの現金とキャッシュカードが一枚、普通自動車の運転免許証に、今まで一回しか行ったことがない店のポイントカードが何枚か入っているだけだ。キャッシュカードにはぎりぎりの生活費しか入っていないし、決して裕福とは言えない家庭なんです。
ぼくの財布は、どの季節も寒いのだ。
相手はつまらなそうにテーブルの端に置かれていたビンの中から角砂糖を一つ取り出すと、コーヒーには入れずに大きく口を開けて、その中に放り込んだ。角砂糖ってそうやって食べるもんじゃないだろ。
角砂糖を舐めながら、こんなことを言ってくる。
「だけどそれって人並みだよな。面白みがまったく何もなくて、つまんねーよ。それじゃあ、ただの人間と一緒じゃねーか。そういうことじゃねーだろうが。お前ならすぐに分かると思ってたんだけどなー。分からねーかなー、俺が言いたいことがよー」
ぼくの回答に明らかに苛立っている様子だ。それにぼくを随分と過大評価してくれているようで。こっちとしては光栄なのか微妙なところなんだけど。
「だからさっきから言ってるじゃないですか、分かりたくもないって。ちなみにぼくはあなたが思っている以上にただの人間なんですよ、実は」
「お前って人並みよりも少しだけ頭良いっていう設定なんだからよー。もっといろいろと察してくれないかな。たっく、しょうがねーなー、わざわざ説明してやんよ」
『いえ、結構です遠慮しときます』
そんなぼくの心の叫びに近い声も通じず、相手は話を続ける。
耳栓したいくらい難しいことを語り始めました。
「つまり、お前は特異な欲を持っているかって聞いてんだよ。自分の中で一番深いと思える欲望。人間っていう生き物は、その時々によって一番の欲が違うからな。恋に生きる人間もいれば、名誉を追い求める人間もいれば、周りが見えなくなるほど財をかき集めることに必死になる人間も、少なからずは存在するもんなんだ。なら、今のお前は何なんだ? ということを、俺はさっきから聞いてんだよ。参考程度に聞いているだけから真剣に考えなくてもいいんだけどよ。一応聞いてやってんだ、答えろ」
相手は嫌らしい笑みを浮かべながら、まるで見透かしたような目をしている。何度対面しても、この人がこういう話をする途端話しづらくなるんだよな。威圧感のようなものに押され気味だ。
そんなこと言われなくても困るんですけどね。
ぼくの最初の世界は、とっくの昔に崩壊しました。
どうしようもないくらいに、ぼろぼろに。
ヨーグルトをかき混ぜたように、ぐちゃぐちゃに。
さらさらに、公園の砂場の砂のように。
そんな、ぼくは生きていなかった。死んでもなかった。
今でも、僕は生死の間を彷徨っているのだろう。
手元に残ったのは、苦い思い出と数少ない物と新たな人間関係。今の世界にそれらがある。
やっと慣れ始めてきた今日この頃だというのにそんなぼくにお構いなしに、相手は質問をしてくる。これって一種の虐めだよな。ぼくにとって考えるのも難しい問題だと知っておきながら、追求してくるなんて。
興味心、知識欲というのか。
この質問の中にも、この人の欲が駄々漏れである。
いつの間にか考えている自分がいるのも事実なんだけどな。あー、やだやだ、考える自分も嫌になってくるよ。もう自分なんか大嫌いだね。ハハハハハ。
…………………………………………。
ぼくの新しい世界は、うまく作動しているだろうか。していればいいのだけど。
ぼくがそんな身も蓋も、最早実体さえないようなことを考えている間にも、相手は指を折り曲げながら言葉を投げ掛けてくる。
「長年いろんな人を見てきたからよー。どういう人間がどういう欲を持ってるか、分かってるつもりなんだぜー。男性、女性、高齢者、若年者、子ども、大人、富豪、貧民、科学者、芸術家、スポーツ選手、技術屋、情報屋、職人、政治家、警察、犯罪者、天才。最近の中で一番新鮮だったのは、やっぱりあの殺し屋だな。ほら、お前の愛しきあのイカシタ殺し屋ちゃんのことだ。実際対面雑談をしてみると、やっぱ面白れーよな。やっぱり人間って面白。面白過ぎて、まだまだ死ねそうにねーよな、こりゃ」
ぼくはそんな同意を求められてもキャッチできないですよ。
言葉のキャッチボール、大暴投です。
「それぞれいろんな感情、心情、そして欲望を持っていた。あの殺し屋ちゃんなんて、まさに特異だよな。特異中の特異。お前もそう思うだろ? 大分前に『どうして人を殺すことに戸惑わないんだ?』って聞いたことがある。それで、あいつがなんて答えたのか、お前に分かるか? あいつ、俺にこう答えたんだ。『誰でもいいから殺したかったんだよ。それが依頼として発散されるのなら一石二鳥でしょ、キラリーン☆ アッヒャヒャヒャヒャ』てなぁ。相変わらず、イカシテやがる」
声がまるで本人のように聞こえても、反応しないことにする。
「てっきり金目的か、所属している組織のためだとか、普通の人間ならそんな当たり前なところを思い付くだろうさ。確かにそういう奴も殺し屋の中にはいるだろうよ。つーか、大半だなー、おそらく。だけどよ、結局は皆人間を殺したてーんだよ。人を殺しちまった奴は、次に殺さずにはいられない。それは人を殺したという事実への恐怖なのか、それとも殺めるという行為への喜びなのか。結局は、殺人という行為は欲を満たすものとして行われるというのが事実なんだ。その中でも、殺し屋は一番だな。いや、殺人鬼か? まあ、とにかく、良い経験ができた。あんな殺し屋を前にしたっていうのに、今こうして生きてるっていうのが不思議なぐらいだぜ。ハハハハハ。欲は満たしてこその欲なんだってな」
反応し――。
「そろそろ話を戻すとすっか。さて、どんな話をしていたんだっけか。コーヒーと紅茶のどっちを好むか、だっけか」
それだけはツッコんでやる。それは喫茶店に入って最初の話題だ。
ちなみにぼくは紅茶派、目の前の相手はコーヒー派。
「そうだったな。違う、違うよな、思えば全然違うな。確か、おめーの今一番求めている欲が何なのかって話だったよな。そうだそうだ。で、どうなんだ? さっきまでの俺のありがてーお言葉を受けて、何か思いついたかい? 気付いたかい? 無けりゃ無理矢理思いつけ」
回答が見付からない。
見当たらない。
「一九で、まだ大学生一回生か。そりゃ、おめーのじいさんはちょっと特異な存在だったけどよ。おめー自身も一般人と違うだろうけど、今のところ半分は一般人と変わらねーって言い張れるだろうよ。お前の選んだ道ならな。この先、あの子以外の誰かに恋することだってあるんだろうよ。普通のキャンパスライフというものを充実させたいんじゃないのか? 大学の研究に熱心になるのもいいかもしれねーな。俺ならそんなことぜってーしねーけどな。まあ、他ににも考えれば幾らでもできることが見付かるだろうけどよ。てめーの脳みそだったらな。それによ、俺と違ってまだまだ若いんだからよー。もっと他にも生きがいを探せよ。さあ、俺にここまで言わせたんだ。何か思いつきやがれ」
返す言葉は、一つしか思いつかなかった。
ぼくは。ぼくは。
ぼくは――。
「分からないものは、分からないですよ」
今はそう答えるしかなかった。分かりたくもなかった。ぼくのそんな回答が気に食わなかったのか、さらに顔から恐ろしさを醸し出していた。
ぼくは紅茶の最後の一滴まで飲み終える。相手もデミタスの中身を飲み終えた。
二人は立ち上がる。
テーブルに紅茶代分の硬貨を置いた。
「……今のところはそれでいいことにしてやる。そのうち、また機会があったときに聞かせてもらうことにするからな、覚悟しとけよ。そして、そのときは絶対にはぐらかすなよ。ぜってーに忘れんな」
「……分かりました。今回もよろしくお願いします」
いきなりぶん殴られないだけマシなのか。
いつ答えられるか分からない問いだけど、気長に待っていてもらうことにしましょう。
「じゃあまた車内で今回の依頼内容を聞こうか。さあさあ、運んであげましょうかね。てめーの舞台が最高になるようにな」
今日も気儘に世界は進みます。




