第51話 星の景色
「翔、天界に行けるかも」
天空神が、ぱっと何かを思いついたように顔を上げ、そのまま少し興奮を含んだ声音で二人に向かって言った。その表情はどこか確信めいていて、普段の気まぐれとは違う“引っかかり”を見つけた時のそれだった。
もともと天空神は、人間である翔が天界へ行くことは不可能に近いと考えていた。神でも神見習いでもない存在が、あの境界を越えることなどあり得ない。それが、この世界の常識だったからだ。
だが――
「翔は、人間の中でも特別な素質を持ってる」
まっすぐに翔を見る。その瞳には冗談は一切ない。
「だから、もしかしたら……行けるかもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、翔は何も言わずに視線を落とした。驚いた様子はない。ただ、ゆっくりと考え込むように沈黙する。
(俺が特別……?)
胸の奥に、小さな違和感が広がる。
(そんなわけ……あるのか?)
自分は神の加護を受けていない。少なくとも、そう認識している。
だが――
思い返せば、自分の生まれは普通ではなかった。
神を祀る家系、「天ノ家」。
その中でも母親は直系の血を引く存在だった。にもかかわらず、神から加護を“与えられなかった”のではなく、“拒まれた”。
あの時の空気は今でも覚えている。重く、冷たく、どうしようもなく閉ざされた空間。
(俺は別に、それで良かったけどな)
内心で吐き捨てるように思う。あんな古臭いしきたりに縛られた家に、未練などない。
だが、ひとつだけ引っかかる。
加護を拒まれたのは、母親だけだった。
なら――
(俺は……どうなんだ?)
自分には、天界へ行く“資格”があるのか。
翔は知らない。
天ノ家において、神の力が覚醒するには“ある条件”があるということを。
そして、それがすでに満たされ始めているということも。
「行ってみよう!ダメなら、その時は待ってるからさ」
空気を切り替えるように、翔が顔を上げて言った。その表情はいつも通りで、深く考えすぎることをやめたような軽さがあったが、その奥にはわずかな期待が混じっていた。
「うん!」
天空神は勢いよく頷き、ぱっと表情を明るくする。その無邪気な反応は、張り詰めかけた空気を一気に和らげた。
三人は顔を見合わせ、小さく頷き合うと、そのまま船へと乗り込んだ。
「れっつごー」
軽い掛け声と共に、船はゆっくりと浮かび上がる。
最初はふわりと、まるで重力から解放されたかのように静かに浮き上がり、やがて加速するように空へと昇っていく。
風が強くなる。視界の端で海が遠ざかり、島が小さくなっていく。
やがて船は雲の層へと突入した。
白く濃い霧のような雲が視界を覆い、一瞬何も見えなくなるが、それを突き抜けた瞬間――
世界が開けた。
どこまでも続く青。
深く、透き通るような蒼が広がり、地上とはまるで違う静寂がそこにあった。
「キレーだね……」
天空神が思わず呟く。その声はいつもよりもずっと静かで、どこか感嘆を押し殺したような響きだった。瞳は大きく開かれ、初めて見る景色をそのまま焼き付けるように見つめている。
「私さ、天界から浮世へ繋ぐ道って鏡しかなくてさ……正直、大気圏なんてまともに見たことなかったの」
ゆっくりと息を吐く。
「こんなに素敵な世界だったんだね」
その横顔は、どこか無防備で、純粋に“綺麗だと思っている”感情がそのまま表に出ていた。
だが、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
船がさらに上昇すると、空の色が少しずつ変わり始める。
青は薄れ、どこか不安定な色合いへと変化していく。
そして――
亜空間へと、足を踏み入れた。
空気が変わる。
重さが消え、代わりに“何か”がまとわりつくような違和感が身体に広がる。
息がしづらい。普通の人間であれば、この時点で意識を失ってもおかしくない環境だった。
だが――
「へぇー……」
場違いなほど呑気な声が響く。
「俺が前いたとこと、ここも同じなんだなー」
翔は周囲を見回しながら、まるで珍しい観光地にでも来たかのような顔をしている。顔色は変わらず、呼吸も乱れていない。それどころか、興味深そうに辺りを観察していた。
「なんか荷物いっぱいあるな……これ資料か?」
空間のあちこちに浮かぶ、形の定まらない“何か”を指差しながら、軽い調子で言う。
天空神はその様子を見て、言葉を失った。
(……ありえない)
本来なら立っていることすら困難な場所で、翔は平然としている。
それはつまり――
確実に“何か”を持っているということだった。
(こりゃ……帰ったらちゃんと聞かないとなぁ……)
軽く息を吐きながら、天空神は苦笑する。しかしその内心には、はっきりとした確信が芽生えていた。
この少年は、ただの人間ではない。
そう思いながら――
船はそのまま亜空間を突き抜け、さらに上へと進んでいった。




