第20話 暑苦しい
「さぁ足掻きなさい。見苦しい程に」
天空神が静かに弓を引き絞った瞬間、空気が凍りついた。
その一矢はただの攻撃ではない。
世界そのものを律する“天”の理を帯びた一撃だ。弦が震え、放たれた光は一直線に堕天使へと向かう。
次の瞬間――天が割れた。
斬撃とも、衝撃波とも、あるいは灼熱の奔流ともつかぬ暴威が横合いから空間を裂き、天空神を呑み込む。空が悲鳴を上げたかのように歪み、雲が吹き飛び、衝撃が大地へと叩きつけられる。
何者かが侵入してきた。
神域に、無断で。
天空神の銀色の髪が激しく揺れ、蒼い瞳が細められる。彼女は空中で体勢を立て直しながら、気配の正体を探る。その直後、乱入者はすでに堕天使の背後に立っていた。
「遅い!」
低く、腹の底から響く声と同時に放たれた蹴撃は、まるで大地そのものが跳ね上がったかのような重さを持っていた。
背骨を抉る勢いで叩き込まれた一撃に、堕天使の身体が宙へと舞い上がる。
――ドガァァァンッ!!
次の瞬間、地面が陥没した。
衝突の衝撃は半径数十メートルにわたり波及し、石畳は粉砕され、建造物は悲鳴のような軋みをあげながら崩れ落ちる。砂煙が立ち込め、視界が灰色に染まった。
天空神は眉間に皺を寄せた。
今、一番会いたくない人物が目の前にいる。
赤い髪を逆立て、無駄に発達した筋肉を誇示するかのような巨体。全身から立ち上る熱気はまるで灼熱の季節を背負っているかのようだ。
――大地神。
堕天使が怒りに満ちた叫びと共に無数の黒翼を広げる。翼は形を変え、鋭利な槍となって大地神へと降り注いだ。
闇を凝縮したような槍が、容赦なくその肉体を貫いていく。
天空神は瞬時に後退し、回避する。だが大地神は避けない。
槍が腕を、脚を、胴を穿つ。さらに堕天使の拳が振り抜かれ、衝撃が骨を砕くはずの威力で打ち込まれる。
その目に浮かぶのは勝ち誇った笑み。
――しかし。
よく見てほしい。
大地神は、刺さっている。確かに刺さっている。黒翼の槍が何本も身体を貫通している。それなのに、血は流れず、肉は裂けず、傷一つついていない。
「おかしいだろ!」
堕天使の叫びはもっともだ。
大地を愛し、大地に愛された男。それが大地神。
この星の森という森、草原という草原、土という土。そのすべてから常軌を逸した加護を受けている存在。彼が立つ場所は大地の中心であり、大地そのものが彼を守る盾となる。
実力もある。だがそれ以上に、絶対に怪我をしないという理不尽さを備えている。
はっきり言えば、森タラシだ。
本人は割と良い奴だが、とにかく暑苦しい。
彼がいる場所が夏で、いない場所が冬と言われるほどに、存在そのものが熱い。
「お前ばっかりずるいぞ!天空神!俺も堕天使と戦いたい!」
その声は無駄に朗々と響き渡る。
遠隔で視界を共有していた創造神は、神殿の中で頭を抱えていた。
――なんで今なの。
堕天使は明らかに顔色を変えていた。天空神という圧倒的存在に加え、意味不明な耐久力を持つ暑苦しい神まで現れたのだ。
状況は最悪だ。
天空神は冷静だった。
蒼穹のような瞳で戦況を一瞥し、堕天使と大地神、双方の位置関係を瞬時に把握する。砂煙の中で彼女の金髪だけが光を帯びて揺れていた。
大地神は目を輝かせていた。
目の前で繰り広げられる神と堕天使の戦闘。熱と衝撃、速度と破壊。圧倒的な差で優勢に立つ天空神の姿。
彼の思考は単純だった。
――俺もやりたい。
天空神はその視線に気づき、ほんの一瞬だけため息をついた。そして大地神の耳元へと静かに近づく。
周囲では堕天使が再び翼を展開し、闇を凝縮させている。だが天空神は落ち着いていた。
「じゃあこの堕天使を足止めしててよ」
淡々とした声音。
大地神の顔がぱあっと明るくなる。
「任せろ!」
堕天使からすれば、何が何だかわからない。だが、嫌な予感しかしない。
大地神がゆっくりと一歩前へ出る。
踏み出しただけで地面が隆起し、周囲の瓦礫が震える。
「さぁ俺と戦おう」
その背後で、天空神はすでに空へと舞い上がっていた。
歪な軌跡を残しながら、彼女は颯爽と他の神々の元へ向かう。
堕天使たちは理解する。
――自分たちは、置いていかれたのだと。
目の前には、異常なほどに傷つかない男。
空には、圧倒的な支配者。
戦場の温度は、さらに上がっていく。




