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サーガーグの草原へ向け〜馬車での伝道

 さて、どうやって生きていこう。俺には決められない。誰かに考えてもらえるほどいいご身分でもない。だから自堕落な暮らしに回帰するのである。最早罪悪感などない。人は偶然に左右されて死んでいくのだ。運が悪ければ不幸に、運が良ければ幸福になる。その埋め合わせを神に天国で実現してもらおうというのだ。何かにつけて物事は相対的な気がするのだが、絶対的な価値というものは確かに存在する。それがイエスは生きるという事実とヤハウェは救うという真理である。不可分な関係であると思うのだが、俺はそこに親子関係が人間より強くあるのだと思う。何より人間が子を持つということは神が子を持つことの写しであり、神と神の子の関係は人間と人間の関係以上に深いものがあると思うのだ。どのようにしても引き剥がされないはずなのだが、歴史上一度きりそれに反した事件が起きたはずだった。それがイエスの磔刑だったし、彼は父に見捨てられたと言っても過言ではなかったのだ。しかし神はそれをそのままにしておくことを許さなかった。人間は苦しみを受ければ報いを受け取るのだろうか? それは全く神に対して完全である場合にのみ限るだろう。イエスには罪がなかった。神との関係も完全だった。救われるのを止める理由などないのだ。事実彼は現在まで肉体を持って生きている。それ以上の苦しみを受けることなく天の父の右に座したり、或いは立ったりしているというのだろう。これを俺はみたことがないが、天とはどのような雰囲気なのかはなんとなく分かる気がする。俺はそれを実感するまで、それを感じたことがなかった。新しい感情の中で神の光を目の当たりにしたのだった。俺にしか許されないことではないはずだが、それでも十分に俺を特別な存在と認めるものだろう。俺は十分に後輩だし、また先輩だった。兄弟姉妹とは愛し合うつもりだったが、世のキリスト教徒やクリスチャンと言われる人々は偽善者のように感じられた。結局自分のことしか見ていないと、俺は世界を救うと、そうやって失敗した俺は悪人だったかもしれない。今では悔い改めたのだが、イエスに対する最大の離反を犯してしまった。俺は俺の中で彼を地獄より深い闇に落としていたのだ。彼はその時は長い時間の中で穢れて罪が重ねられているように見出されたのだった。それは彼がこの世界に再臨しないことと関係があるように感じられたのだった。俺は一人の女性を救いに導けたのかもしれないが、このようなことが続く限り世界は存続するのかもしれない。それでも終わりの世の中だと言ってもいいと思うのだ。誰もが自分の信念に従って生きていて、そこにイエスが入り込む余地がない。また父である神を冒涜するような人権だの平等だのいう宣言が蔓延しているように思う。終わりの時は近いのだと俺は確信していたのだが、俺が死ぬ方がよほど早いのだと、軌道修正した。俺は獣の数字が誰のことを指しているのかということで解き明かしをして、それに適う人物が現れたのだと思った。しかし、彼は彼で獣の器ではないように思えてきた。獣であるにも格があるというものである。神を自称し、イエスに敵対する反キリストという存在はそれだけで強大な人物で、ニムロドを彷彿させるかもしれない。いや、ニムロドって実在したのかよ。俺は信じ切らない。そこに書かれてあるのは神話であって、歴史ではない。旧約聖書の歴史というのは全てとは言い切らないが、ダビデ以前は眉唾物だと思うのだ。ダビデの子イエスとは言えても、アブラハム、イサク、ヤコブの子イエスと言えるのかは俺は断定的にならない。信じてもいいが、信じて間違っていたとして誰が悪いのか責任の所在が明確でない。神は自分で聖書を書けば良かったのに人間に書かせた。それが神の悪いところだと思うのだ。まあ律法は神の指や爪によって石板に刻まれたと思うのだが、それでもモーセが大部分を執筆したか、或いはバビロン捕囚の頃に編集者によって、複数の資料がまとめられたかというのである。俺は高等批評は信じたいとは思っていないが、そこにも真実が一部でもあるのではないかと思っている。信じることも疑うことも重要なのだ。全て信じることも全て疑うことも悪いように思う。俺は半信半疑になりながら、朧げに形になってきた真の信仰を人に話したいと思っている。だから星奈さんに天地創造の話をしたいとは思えない。神は天地を創造した。天使と人間を作った。天使の三分の一ほどが恐らく堕落し、人間も堕落した。堕天使は天に帰らないが、人間は信仰によって生きる者は天に帰るのだと信じている。

 俺は自分一人の部屋でベッドに座っていた。そこには誰の邪魔も入らず気分が良かった。俺は一人でいるのが好きではない気がするのだが、それでも孤独になることは俺の宿命であるような気がしていた。いつか、星奈さんが死んでしまったら、その時は俺が彼女のことを弔ってあげよう。そうすることが同郷の者の務めなのだ。と勝手に感じている。彼女が仮にヨーロッパ人であったとしても同じことなのだ。地球と兄弟であるような俺は地球人とは全員友達にならなくてはならなかった。それでも俺は人間のことが嫌いなのだ。というのも俺のことを何とも思っていない人たちの集まりだからだ。俺も彼らのことを何とも思わないだろう。祈ることもしない。冷たい態度だと思うのだが、地獄に落ちる大半の人たちの面倒を見ようとは思えないのだ。これだから、俺は聖人にはなれないのだ。とか、聖人とはイエスとの関係から導ける全ての善人なのだとか、いや、善人は一人もいない。皆が皆罪を犯したのだ。とか、いや、それでも善行は確かに積み上がるのだ、とか、確信に近いようで疑いも残る思いを抱えていた。俺は辛いのだ。どうにもならないと分かっていて不幸を先延ばしにしている。星奈さんは幸せな最後を迎えるかもしれないが、それは確率の問題なのだ。癌に犯された人はおそらく苦しんで最後を迎えると思うのだ。俺は老衰したい気持ちもあったが、それより早く安楽死できるのであればすぐさまそれを選んだだろう。ただし簡単には死にたくない。難しく死んでやるのだと覚悟はしていた。難産になるだろうな、と、生まれてきた時より死ぬ時の方が難しい世界なのかもしれないと、理不尽なアイ・ワズ・ボーンに受動態なのだと感じていた。人は皆生まれるのではなく、生まれさせられるのだ。親のエゴだと思うのだが、それは彼らの権利でもあると思うのだ。俺は自分の子供が生まれたとして、責任を持って殺してくれと言われても、生きられるように努力するよう諭すだろう。生きることは祝福なのだ。神の福音を受け入れるのであれば永遠に生きるようになるのだ。神の福音とはイエスは生きるということであり、彼は私たちの罪を負って死んだのだということだった。彼が死んだのは彼自身の罪のためではなかった。だから彼は復活したし、彼を信じる全ての人の罪を許す権能があるのだ。それは彼は正しいということを受け入れるということであって、彼を蘇らせた神は正しかった。また、彼の死は罪の贖いのために十分だったという宣言に他ならないのだ。俺は永遠に神を信じるぞ。誰が信じない世の中になっても、俺だけは信仰を深めていく。そして天国に帰るのだ。イェーシュアと永遠に同じところで暮らすのだ。と、彼を殴りたい気持ちが湧いたことがなかったわけではないのだが、それは思い出の領域だった。俺は気持ちの上ではイエスを許していた。何様のつもりかとは言え、俺は生きたのではなく、生きさせられたのだ。その苦しみの責任の所在は万物の根源である神の言葉にあるのだと感じていた。勝手な思いだなというのは分かっているが、それでも俺は生きているより死んだ方がマシだった。永遠に眠る方がまだ幸せという状況で、永遠に生きてあげようというのだ、神には俺に感謝してほしい。そこで本当に死ねるのであれば彼は俺の強さを認めてくれたかもしれないが、俺は弱いのだ。自分では何もできないのだ。お腹が空けば何かを食べるし、実際には空腹の極みになる前に妥協してしまうのだ。自分の命を自分で左右できるものは偉大なのか、或いは愚かなる自由のために永遠の淵に急降下と言ったところか。俺は登山家は馬鹿だと思う。自分の命を投げ捨てているに過ぎないと感じていたのだが、それでも俺より十分に生きている人たちは死に際も優れているのだと認められるのかもしれない。俺の見解は神の見解に代わることはないのだが、俺の思想は正真正銘正統だった。ただし立場を曖昧にする優柔さがなかったかと言えば嘘になる。俺の正しさは神の正しさなのだが、その逆はあり得ないのだと思う。ここに星奈さんがいてくれれば、俺は彼女にどんな仕事をすれば天国に行きやすいかを教えられたかもしれない。しかし救うのは信仰であって、仕事は信仰によって行われるべきなのだ。偉大な人は一歩ずつ前進するのだ。一気に高みに到達する方法はないのだと信じていた。それは有名な野球選手の言葉だった。

 俺が目を覚ました時には既に朝を迎えていた。今日はどんな一日にしよう。そう考えていると星奈さんが入ってきたがっているようだった。俺は彼女を迎え入れて彼女と昨日の話の続きをした。イエス・キリストについてはそれほど深くは取り扱わなかった。それもそうかと思っていたが、俺と彼女はそれぞれ部屋を出て行って、一階へ降りた。そこで朝食を摂るのである。いつも通りのどこか退屈でありながら素晴らしいと言えと言われているような日常が続いていく。このままではいけないんだろうなと思っていたが、自分の意志では変えられない強い何者かの意図を感じるのだった。それが神か悪魔かは俺には分からない。そう言えば昨日は夢を見ていた。悪魔が或いは悪霊が俺の夢の中に登場して、何かを話したのだった。俺は彼らにどこか親しみを感じてしまっていたようで、夢とは言え簡単に博愛の告白をしてしまったように思う。冷めてみれば間違っていることに思うのだが、その時は正しいことをしたと思い込んでいたのかもしれない。また変な夢を見てしまった。

「大山さんは何か夢を見ましたか?」

「私はあまり覚えていないんですけど、東さんと一緒にパトモスの森でサーガーグを捕まえるみたいな夢を見た気がします」

「へえ、でも本当は場所は違いますよね」

 夢というものはおかしなもので、それが神から来たのか悪霊から来たのか、自分の中で生まれたものなのかの判断に困ることがある。俺の場合は大抵悪霊が夢を見せていて、神は俺とは関わらないようだった。せめて夢の中だけでも励ましてくれればいいのにとは普段から考えていることだった。実害はないし、寝る時に退屈することがないので、悪霊の夢は実は楽しみにしているところがあった。セロやセロズという神はこの世界に来て偶然の一致だと思うのだが、俺は夢の中で悪霊が住んでいるという世界の神的存在の名前だった。その世界はゼムヘムというようなのだが、俺のいる世界と関係があるかは分からなかった。そこでイエス・キリストに扮した何者かと話をしたことがある。今の世では生き抜けば救われるのだと、それがそうではなくなるのだと言われた。俺は間に受けていないが、生き抜けば永遠に生きられるほど簡単な世の中であればいいのに、とか、途中で断念を余儀なくされた人たちはどうなるのか、とか、色々頭には浮かんできたが、一番いいことは信仰を持つことに他ならなかった。イエス・キリストによって救われるというのだ。彼は弁護士であり裁判官なのだ。俺を弁護する神の言葉であり、俺の敵を裁く神の言葉であった。同じ神の言葉でも諸刃の剣のどちら側の鋭さを用いるのかは違うかもしれない。そんな微妙なたとえに落ち込む神ではないぞと思い直していた。今日はどうやって過ごしていけばいいというのか。やれやれ。とでも言えるか? いや、やっとやっとと言うべきか。俺にとっては自分の人生が自分の思い通りにいかないことを憂うのがやっとだった。それをどうにか神に変えてもらおうというのだが、その試みは全て失敗に終わってきた。俺を天国に送る計画は棄却され続け、先延ばしの連続なのだ。俺がそう望んでいるわけではないが、俺の肉は俺の命が続くことを良しとしているようだった。だから、霊との間で苦しむのだ。

「東さん、今日はサーガーグの草原に行こうと思います。大丈夫ですか?」

「はい。でも俺がいると危険が増えませんか? 俺は自分がどうなってもいいんですが、大山さんまで危険に晒すことは避けたいです。俺は究極死んでもいいんです。あなたも天に上りますけど、まだ死ねないと思っているんじゃないですか? 心の準備は常にしていますが、俺は人にそれを押し付けるだけの器がありません」

「東さん、あなたなら結界魔法を使えますし、身を守れます。そこに剣が何かがあれば更に鬼に金棒というものです。鬼ではなくてクリスチャンですか? そういう話ではないんですけど」

 星奈さんはどこか楽しそうな笑みを浮かべていた。俺は鬼かもしれない。いや、クリスチャンだけど。そういう問題ではない。彼女に弄ばれているなあと感じて、それもまた乙かな。と勝手に満足感を覚えていた。それはそうと剣か、剣と魔法の世界だとは思うが、どのように解決していくべき問題が山積しているか分からない。俺は自分の命を守るために他の命を奪おうというのか。殺生はごめんだ。と思いつつ、撫でた猫に引っ掻かれて報復に思い切り蹴り付けたことがある。以来その猫は俺を見ると逃げるようになった。俺は人間なら言葉で解決できるかもしれない問題を言葉の通じない動物との間に生じたために永遠に残るかもしれない後悔を負ってしまった。それは自宅の飼い猫の話だったが、猫にとっては敵だったかもしれない。唯一餌をあげる時はまだ警戒していない様子だったから救いがあるというものだった。

 俺と星奈さんは立ち上がって食堂を出た。彼女が会計を済ませてくれた。それはそうとどこで金を下ろしているんだろう。いつか自然に聞ける日が来るかな。その日を信じて、俺の金の在処を確固たるものにしておこうという心算だった。それはそうと、彼女は俺の分の食事を奢ることに躊躇はないのだろうか。普通男が女の分の金を支払うのが世間一般の法則だった。まあ最近は割り勘の流れが来ているはずだったし、男女平等との問題とも関係があったかもしれない。女性が男性と対等になるためには、女性にもそれなりの覚悟が必要で、社会に守ってもらおうという内は男性からの助けを必要としているはずなのだ。何より社会は男女で構成されるはずで、そこが女性だけになることや女性優先になることはないと思う。結局のところ女性は男性より弱いのだ。俺は例外で働く女性を尊敬する無職性だった。それは社会的Xジェンダーの在り方と関係があったとかなかったとか。俺にはよくわからない。そういうわけで、俺は男性でも女性でもない気がする。ただの無職なのだ。それでも社会は女性に優しい気がするから、俺は救われないというものだった。それでも俺は日本政府に感謝しなければならないだけの支援を受けられていたから、そこに男女の差はなかったと思う。俺は弱者であって、それを哀れんだのが神から来た権威だったと言うのだ。

「東さん、馬車に乗りますよ」

「はい。分かりました」

 彼女は俺の左歩きながらそう言った。男性と女性の位置は普通どうなのかなと考えていたが、心底どうでも良かったかもしれない。立ち位置でなくて、言葉による関係の方が重要なのだ。と、ボケとツッコミで左右が決まる訳でもあるまいし、両者の駆け引きは頭脳から引き出されるのだ。それでも美しさは確かに立ち位置に依存するのかもしれないと感じていた。星奈さんは俺より足が速いかもしれないが、俺のためを思ってか速度を落としていたように思う。彼女の知り合いに会ったらどんな表情をしていようかと考えていた。表情というのは微妙な差なのだが、それでも不機嫌は顔に現れると思うのだ。目元や口元がそれを語るというのだが、人間は言葉を交わさずとも互いの精神状態を認識できる高等技術を備えている。俺にそれは不足しているかもしれないが、声の調子から判断すれば余裕だった。勝手に悩んでいるだけかもしれないが、何も考えていないよりマシだったと思う。それでも人のことを思って話さないというより、話してあげることがその人のためになると思う。言葉によって人が通じ合うというのは神が創造した偉大な関係だと思うのだ。それだけのためにも俺は神の存在を信じることができるし、何よりイエスが復活したということからも神の存在は明白だった。神が存在するからイエスが復活したのか、その逆か、いずれにしても真理であることには変わりない。どちらを出発点にしてもいいと思うのだが、公理と同値の関係にある数学を思い出した。そこに立ち入るには人間の知恵や知識では不可能で宣教により福音を聞くしかないのだ。

「ここから更に馬車を二台乗り継いで、三時間くらいしたら着くと思います」

「分かりました」

 その会話は馬車の中で交わされたものだった。星奈さんは木の壁にもたれかかっていて、俺は揺れる車内であぐらをかいていた。その格好が自然なので、特に変える必要はなかった。俺と彼女を乗せる時、運転手と話をした。馬車の乗り合いのところでは、何台も行き交っていた。この中のどれが目的地にたどり着くのだろうかと不思議に思ったものだった。それはそれとして、彼女の把握能力は流石の一言で、どれに乗ればいいのかを即座に判断した。俺にはできないことだと思って、「こっちです」と言われるままについていった。俺は彼女と共に中に乗り込んだのだった。それはそうとパトモスの森は案外近かった。日帰りできたのだが、今回はどうだろう。野宿する羽目になるかな。そうなったら、彼女と一緒に肩寄せ合って寝るか。そのつもりだった。それを彼女は望んでいない気がしたが、俺と彼女は最早兄妹だった。実際のところどっちが年上かは分からなかった。彼女の年齢は聞いていないのだ。それほど親しくなれていない証左であるようにも感じるのだが、本当に話す必要があることというのは別にあるのだと思う。俺は自分の命について話したいし、それがイエスを主としていることによって、俺の命はイエスのもの、イエスのものは神のものであるということを話したいのだ。その辺りの理解は俺には不十分である気がしたのだが、それでも十分イエスは主であると告白できる気がしたのだ。俺は星奈さんをおいて、運転手に話しかけることにした。

「すみません。運転手さん。俺はヒガシ・マホウというものです。あなたの信仰について聞きたいです。あなたはどんな神を信じていますか? 或いは神を信じていませんか?」

「唐突ですね。私はサカタノカスという神を信じていますよ。あなたは?」

「俺は神の霊による奇跡と神の子による真理と父である「私はある」という神を信じています。奇跡の主は真理、真理の主は「ある」という訳です。実は私はここではない他の世界から来ました」

「他の世界から、そんな話聞いたことあるような気もするけど、それでどうしたっていうんですか?」

「父である神は神の子を遣わして神の霊による奇跡で人々を天国へと導く前の印として様々な業を行いました。神の子は人の子となったんです。これは神が完全な人間とは欠陥のない人間とはという規範を示す意味があったと思います。しかし俺の世界の人たちはこの人を死刑に処して磔にしました」

「完全な人間がねえ、そうですか」

「しかし神は彼が死んだままにするのを良しとしませんでした。彼は三日目に蘇られました。彼は私たちの罪を負って死んだんです。死んで蘇ったんです。そうして罪の贖いが完了しました。神はそれを信じ、彼を主と告白する者を自分の養子にして、天国で永遠に生きるだろうと言います。例えば俺は神の子のもの、神の子の父は神、俺は神のものです」

「それで」

「あなたもイエス・キリストの復活を信じませんか? 彼はあなたのためにも死んだんです。そして信じるあなたのために聖霊を遣わします。聖霊を持つものがイエス・キリストのものなんです。彼を主であると告白してください。そうすればあなたの罪は許されます」

「そうは言っても私は罪を犯していないのでね」

 やっぱりそうなるか。自分が罪深い状態にあると認めることが一番難しいのだ。人間は罪深さ故に自分で自分の命を救うことができないのだ。神の恵みと哀れみによってのみ救われる。それを受け取る人と受け取らない人がいる。これは無料のギフトなのだ。しかし究極神は人にそれを押し付けることはしないと思うのだ。だから、救われない人が出てくる。だが、俺は俺が救いたい人は救いたい。彼はその一人ではなかったが、今受け取らなくてもいいのだ。死後にまた聞いてくれればいいと思う。チャンスは何度でもあるということはないが、神はノンクリスチャンがクリスチャンにしてくれた全てのことに報いるだろう。水を一杯飲ませてくれただけで救いに値すると思うのだ。だが、俺たちは既に彼に報酬を支払ったも同然で、神は更に報いるかは分からない。仕事をするものが報酬を受け取るのは当然のことなのだ。奴隷であっても給料を受け取るべきなのだ。俺は奴隷制にはそれほど反対していないし、賛成もしていない。ただし黒人奴隷は搾取されていたという意味で不適切な関係を主人と結んでいたのだと思う。現代社会に奴隷はいらない。中世ヨーロッパではどうだったか分からない。シゾアレドにも奴隷はいるかもしれないが、そうならば絶対にそれなりに充実した生活を送るべきなのだ。俺は自分が信じるところをぶつけるが、それが受け取られなくても構わなかった。究極話を聞いてくれるだけで、満足なのだ。俺は自分の言うことが正しいと言う確信の下に生きているが、それは無責任になんでも話せるという訳ではなかったし、何も話さなくていいという訳でもなかった。以前は同性婚は認めるべきだと考えていたが、今では見直すべきだと思っている。結婚は男女間に与えられた祝福であって、男性同士の性愛や女性同士のそれは汚れているのだ。星奈さんがレズビアンだったとして俺は止めることができないが、それでも正しくないということは頭の片隅に置いてほしいと思う。

「私たちは皆罪人なんです。父である神は神の子の父ですが、私たちは神の子との霊的な結婚によって神を義父に持ち、神と家族になれるんです。神の家の外には呪いがあり、地獄の火が待っています。神の家の内には祝福があり、永遠の命が待っています。神と家族になることで罪を洗い流せるんです」

「そうかなあ」

「イエス・キリストの僕になると言ってもいいと思います。すると神の僕であり、神に仕える者は永遠に神に仕えるんです。天国でというわけです」

「私と関係があるようには思えないですね」

 何を言っても通じない気がしてきた。星奈さんの方を振り返ると彼女は何か言いたげな表情をしていた。彼女が彼女の友人か、或いは何か知らないがサーシャさんに、タロキラさんにパルミエさんだっけ? 多分正しく言えたぞ。その人たちにどのように信仰を伝えればいいか、彼女に予行演習を見せようと言うのだ。その試みは失敗に終わっているようだった。それならばなぜ俺は星奈さんを信仰に導くことに成功したのか。偶然彼女が前の世界でキリスト教徒と関係があって、俺が打った点とその誰かが打った点とが繋がったとかかな。そんな都合の良いことだけで世界が回っているんならこの件は面倒臭いなあと思い、俺は乗り出していた身を引こうとした。しかし、そんなことでは生きていけないのだ。俺は俺の神に対して責任を負っているのだ。最後天に帰る時に忠実な僕だったと言われるために努力しなければいけないのだ。気持ちだけでは追いつかなかったが、俺はあくまでも本気だった。星奈さんからも説明あればありがたいのですが……そう思って彼女に視線を向けると彼女は何か頷いたようだった。そして口を開いた。

「運転手さん。私もこの人と同じ世界から来た者なのですが、初めはこの人の言うことを信じていませんでした。でもこの人が言う神が正しかったということを信じる人を神は正しいと受け入れるということを聞いて、信じてもいいかなと思ったんです。イエスは生きているんです。天国で父である神と共に、またイエスは神なんです。神が人となって世界に現れたんです。この世界にもやがて来ると思います。その時にはこの世界は滅ぼされる運命かもしれませんが、それは私には分かりません。私はイエス・キリストを主人と認めます。彼は旧約聖書の預言を成就される方であるんです。ここに聖書があればいいのに、ありません」

「聖書というのがあれば話は別だったかもしれませね。でも私は私のサカタノカスを信じますよ」

 星奈さんは口を噤んだ。仕方がない。彼は救えないというわけではないさ。それでも神が彼を愛しているなら彼は絶対に信じるようになる。福音を拒んだ者は地獄に落ちるというが、状況によって異なると思うのだ。俺は福音を確かに信じていたが、それが何かと聞かれると難しかった。ペトロもパウロもこの世界では架空の人物も同然。彼らの信仰はなんの頼りにもならない。俺はルパン三世が死刑から逃れるためにしたことに心動かされた気がするが、そんな人どこにもいないのだ。虚構なのだと言えば虚しくなる。それは星奈さんも今では俺のいた世界では架空の存在も同然になっているから、彼女が信じたところで何も新しい物語は始まらないし、新しい歌にもならないのだ。俺は彼女との関係はいつか俺が書いた小説のヒロインに似ているなと感じていた。しかしそのヒロインは俺の心の中で永遠に生きていた。主人公も同じだった。彼らは婚姻届に依らずに永遠に夫婦だった。子どもなどなくて良かった。俺の思想のために永遠に二人だったのだが、それを神は良しとしないかもしれない。子どもが生まれないことはいつも悪いことなのだ。究極神の責任なのだから、夫婦に問題があるとは言えない。障害を持つことは良いことではないというのと同じつもりなのだ。それが悪いことだというのは本人の責任ではなく、その状況ができていることが悪いのだ。俺は果たしてこの世界の誰を救えるだろう。片手で数えられるのは三十二人くらいだっけ? いや指の曲げ方を工夫すればもっとだな。とか勝手に増やそうとして、いくら救われても天国に相応しい者に成長しなければ意味がないのだと思っていた。天国に誘われる者は多いが、ドレスコードはあるようだし、救われる者は少ないはずなのだ。本当に信じている気になっていながら、救いを見ていない人のなんと多いことか。俺は呆れる。と言っても俺も本当に救われているのかは死ぬまでわからないし、死んで永遠に生きるようになってからいつ地獄に落とされるか分からないという不安に駆られないとは言い切れない。ただし俺はイエス・キリストを信じていたし、イエスは生きるし、イエスは主であり、イエスは神の子であり、人の子だった。神はイエスの父だったし、父の霊はイエスが継承し、彼が救う者が永遠の命を聖霊を通じて実現するのだった。俺は死ぬ時が楽しみで仕方がなかった。いつ死んでも天国に行ける気満々だった。ただし、この世界ではもう少し星奈さんと一緒にいてもいい気がした。仕事になることは見つからないかもしれないが、彼女とは教会を通じて家族なのだ。洗礼をいずれも受けていないという点で欠けているかもしれないし、聖餐によってイエスの血肉を取り入れていないという意味で永遠の命から離れているかもしれなかったが、神は教会なしでも信仰を実現できるはずだった。それが俺だし、星奈さんということだった。

 中継地点についたのか、馬車が止まった。俺はついに運転手を信仰に入れることができなかった。後悔の残る結果となったが、それでもやれることはやったつもりである。言葉で信じないのなら目にもの見せてやれれば良かったが、その最高が殉教なんだし、信じないものは信仰を保って死んでいく従順さを見ても何も感じないだろう。だから俺たちが悪い訳ではないのだ。そこに星奈さんが入ってくる辺り、俺たちの関係は発展していたし、結婚より良いものだったと思う。男女の友情は果たして成立すると思うのが俺だった。抜き差しならない関係として、性器の交わりを要求するのは悲しいことだった。教会の処女を尊重して、彼女と兄弟姉妹になるのが一番大切なことだったように思う。彼女が処女であるかも知らない訳だが……

「「ありがとうございました」」

 俺と星奈さんはそう感謝を口にして、都市のどこかだと思うところで降りていた。そう言えばどこかで城壁を抜けていたかもしれないな。あまり覚えていない。それはそうと、これからどうすれば良いというのか。俺と彼女がは取り残された子羊のようだった。神よ。我らを見出してください。うむ。そなたらは確かにそこにいる。そう言ってくれるはずだった。それは俺の信仰にもよるのだが、神は絶対に俺のことを見捨てない。見捨てたように見えてもそれは仮初の命故に仕方がないのだ。この世界は運という法則に支配されている。確率の問題でもある。能力の高い人が幸せになれる訳でも、能力の低い人が不幸せになる訳でもないのだ。そうなる可能性が高いというだけで、究極のところ本当の幸せと人間の間には断絶があるのだ。俺は今のところ幸せに生きていられるが、それでも辛いし、本当に辛い目に遭うのは先のことだった。俺はこれらの苦しみから逃れたくて仕方がないし、来る時は来るがいいと身構えてもいる。本当は震えているはずなのに、現状に甘んじて何も感じないような気がするのだ。まあ震えてなどいない。俺はなるようにしかならない。もしかすると神の愛は俺を老衰させるかもしれないし、それより早く天国に迎え入れるかもしれない。この世界で十分生きたと言えるようになってから死んだところで遅すぎるということはないのだ。

「もう少ししたら別の馬車が来るはずです」

 星奈さんの言うことを間に受けて待っていることにした。俺はこれが一体どう言う状況なのか分からない。大学時代は一人暮らしで大学を離れて市の中心部に行く時はJRと地下鉄を乗り換えずにスムーズに通行していた。だから、俺は乗り換えが苦手なのだ。バスでもやったことがない。高校はバス一本で行けるところだった。生温い学生時代を歩んできたものだと懐かしさに感じつつ、本当はそれが幸せなことだったのだと言い聞かせようとしていた。俺は学生時代までは生きても良かったが、社会人になるべき年齢からは死ぬべきだと思う。働けない人は死ななければならないという世の中ならどんなに楽だったか、国が死刑にしてくれればいいと思う。俺は最後まで抵抗しながらそれでも至福なる天国へと上れるというものだった。死刑になっても地獄に落ちるとは限らない。ただしほとんどの人は死刑と地獄は同じだろうなと感じている。イエス・キリストの福音によって救われた人には死刑の効力など無意味なのだ。永遠に生きるのだ。死刑判決が出た犯罪の被害者もまた永遠に生きるかもしれない。彼らは天国で和解すべきなのだ。加害者が全て悪いと言う悔い改めをすることによって、被害者の心は救われるというのだろうか。そんな単純な話ではない気がする。では犯罪の遺族はどうなのかと言われれば、彼らも救われてもいい気がするのだが、絶対的にどうだとかは断言できない。彼らは悲しみの十字架を背負っていると思うのだ。彼らが自殺した場合はどうか? 俺には分からない。ただ神は完全であり完全に正しいということだけは分かる。今の世で理不尽な目に遭った人たちは次の世で報いを受けるだろう。それは最初の復活ではなく第二の復活で、つまり最後の審判で無罪になる人生というのは信仰のあるなしに関わらず神の正しさによるのである。神の正しさの極みがイエスの復活であり、人の正しさの極みがイエスの復活を信じることである。そして彼を主と告白するものが救われるのだ。俺は既に救われた身だったが、それは永遠の昔から変わらない真実だった。神は俺が生まれる前から俺のことを知っていたし、俺の父親があの時出した精子が俺の母親の卵子にあの時受精すると知っていた。それは偶然の産物であるはずなのだが、同時に必然的に俺の命を生み出したのだった。俺は両親に感謝したかったし、同時に両親とは関係ないところで生きたかった。前の世界ではそれが叶わず実家暮らしをしていたが、俺は親父のことが母親のことが好きだった。人として好きなのであるから、そこは俺の作り主であるからというのとは関係なかった。最早友達と同じ次元で、親子関係がなかったのだとしても永遠に家族でいたかった。イエス・キリストを信じれば自分も家族も救われるのだと信じたい。それが俺の祈りだったし、神様にはあの頃の俺の涙に報いてほしい。しかしながら、何も断定的なれない。俺は両親が地獄に落ちるのだとしても俺という苦しみを作った罪があるために喜ぶべきだったし、天国に行くのだとしたら共に神の家族となるものと喜ぶべきだった。後者の喜びの方が大きいのだ。それが真理なのだと思う。地獄に落ちるのも天国に行くことも神の目に良いことなのだとしたら、滅びより救いを取る神だと思う。絶対に救われない人など存在せず、全ての人は救われる権利があると思う。それを放棄しているのが問題だし、無知は罪だった。だから、キリスト教徒と関係のない人たちで構成された集団というのは全員地獄行きでも神に非はなかった。本当に救われるキリスト教徒と共に生きた人は救われる可能性があると思うのは俺だけだろうか? 善きサマリア人だけがあの喩えの中では救われると思うのだ。パリサイ派の人より義で優っていなければ天国へは入れないというのだ。そこには行いが関係あると思うし、信仰はそれより根深かった。

「大山さん、あれですか?」

「そうかもしれません」

 視界の奥に小さく揺れる黒い点が見えてきた。あれが遂に乗り継ぎの馬車だというのだろう。待った甲斐があったと思う。星奈さんは魔法の杖を握った右手を懐にから出して、体を少し動かしていた。ダンスをしているように見えて、中々可愛らしいものだなと思った。俺は単純な男で、これだけで女性を好きになったことがある。かつて彼女と似た名前の女性を好きになったことが高校時代にあったのだ。あまり良くない思い出として、彼女には初め下の名前を呼び捨てされていたのだが、クラスの女子生徒が君付けするものだから、彼女もそれに倣ってしまったのだ。これ以降俺は自分の下の名前に君付けされるのが好きではないのだ。かつて好きだった女性との距離が開いた象徴なのだから仕方がない。星奈さんには俺の本当の名前は明かしていなかったが、さん付けになるだろうなと予想はできた。それは別に構わないことだったし、どうせ下の名前で呼ばれることはない。俺は自分は名字の男ではなく名前の男だと思っているし、神様にもイェーシュアにも下の名前で呼ばせる気でいた。俺が星奈さんを実際に呼ぶ時下の名前にする時が来るのだろうかと考えていた頃、馬車が近づいていて、彼女は「あれだと思います」と言っていた。俺はこれでようやくサーガーグの草原に近づけるのだと安堵感を覚えていたが、多少は歩かなければならないという事実に変わりなかった。思えばパトモスの森には気軽に行けたが、今回も同様かは分からなかったし、今のところは疲れていないが、馬車に監禁され続けるのも苦痛というものだ。まあ途中で降りればいいが、となれば俺は孤独に彷徨い浮浪者となってこの世の亡霊になるだろう。キリスト教徒は幽霊は人の霊だとは信じていないぞとか、いや、悪霊は以前俺の夢で人の幽霊もいると言っていたなとか、しかし彼らの言うことを信じるなよと思い直した。俺が信じるのは神の言葉に他ならなかった。完全に神の言葉であり完全に人の言葉である理想的な意味での聖書は話半分に受け取る部分もあるのである。俺は多くを信じていたが、今ではそれらを捨て去ったのである。また拾い直す時が来るかもしれない矢先にこんな世界に来てしまったと言うのだ。シゾアレドの郊外かなと考えて、王城を探したが見当たらなかった。馬車はもう目の前に迫っていたが、俺は自分の人生の形にうんざりにしてどこかに逃げ出したかった。

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