神学談義〜雨降るシゾアレド
神様は本当に俺のことを愛しているだろうか。俺には自信がない。いや、そうでなければ俺のような罪人が悔い改めるということはない。俺が神を愛したから救われたのではなく、神が俺を愛しているから救われたのだ。そう認識し、イエスが神であると確信したのは、夜通し「イエス・キリスト地獄に落ちろ」と彼を呪い続けた時のことだった。あの時俺に何があったか分からない。しかし確かに言えることは俺はイエスが嫌いだった。しかしイエスはそれでも俺を受け入れるのだと信じた瞬間、彼は俺の個人的な神となった。ヤハウェは元々神として信じていたし、神の霊、或いは聖霊という存在にも親しみを覚えていた。時々呪ったこともあったが、それでも神は好きになっていたのだ。イエスはそれでも偽善者だと思っていた。それが一夜にして変わったのだった。俺は神の奇跡に誑かされているような気がするし、自分の気持ちの問題に過ぎないような気もする。本当のところは分からないのだ。俺は自分が信じている一人の人が神が、一人ではなかったのかと疑問に思わないことはないのだが、確かに父と子は一つだし、聖霊も一つである。それを分割することはできないから、言葉の及ばない真理なのだと思う。星奈さんはどれほどの理解を神に対して得ているのか謎だったが、少なくともイエスは主人だと言った。それは俺にとっても変わらない。彼は王の王。主の主。かつていて、今いて、やがて来られる方。永遠に永遠なる方。彼のために生きていく。その覚悟なのだ。しかし俺は満足に自分の人生を歩むことができない。それはそれで仕方のないことなのだと諦めようとしている。主に失望することはあり得ないのだが、それでも俺は自分に絶望している。どうすることもできない監獄の中にいる。それは今まで続く俺への呪いだったのか。或いは誰の身にも起きる日常茶飯事なのか。俺には決められることではないが、俺より苦しみを負う人は確かにいる。俺より楽に生きる人も確かにいる。彼らはそのいずれも神からの祝福に預かろうとしないと思うのだ。世間の人はイエスと自分の人生は何ら関係がないように考えていると思う。
「大山さん、突然すみません。イエスは私たちの罪のために死なれました。神が人となって死んだんです。死んで蘇ったんです。それは彼自身の従順による決定的な結果だったんです」
「私の中にも何か罪があるのかと考えていました。でもよく分かりませんでした。でも神様は私を天国へ導こうとしたんだと思います。イエスを信じると決めてからそう思うようにしました。その人のことは良く分かりませんが、東さんが良く知っています。色々と教えてくださいね」
「勿論です」
俺は噴水の方に視線を向けながら彼女に返事をした。俺の声は小さくも大きくもないと思うが、低い方ではあると思うから伝わり辛いのだ。まあ高い気もするが、それは俺の思い込みで本当は篭りやすいコミュニケーション障害を助長しているというのだ。だから俺は人と話す時は何度か同じ言葉を繰り返すことがある。時にはそれが適切であろうが美しくないと感じることもある。人と話す時には礼儀作法というものがあると思うのだが、そんなことよりは情熱が通じていれば十分なのだ。俺流のイングリッシュは果たして外国人の耳に聞くに堪えないと思うし、実際何も伝わらないだろう。だが身振り手振りでも生きていく手段は見出そうとするべきなのである。星奈さんはどれほどの言語センスがあるのかは分からないが、少なくとも俺よりはあるだろう。俺は最低クラスの人間なのだ。テストで赤点は取ったことがなかったが、それは攻略法のあるゲームだからであって、実地では違うのだ。俺は彼女には通訳はいらないかなとか、或いは俺がイエスとの間の仲介役になってやろうかと考えていた。本当に必要なのは彼女の命を救う全ての言葉なのであって、それは福音そのものだった。福音はどこから始まったというのか、確かに現代まで生きている。この世界でも確かに立っている。神の言葉がなかった時も世界にはあるかもしれないが、俺は現に神の言葉だし、星奈さんもそうなのだ。神の言葉を担う神々の一人なのだ、と、少し自尊心を強めようとした。しかし本当に必要なのは神に対する謙遜であって、彼から来た救いをありがたがる姿勢である。俺はというと彼女を救えた気がしながら、信仰の失格者にならないように導いていかなければならなかった。俺は神に失望したことが確かにあるはずなのだが、それから先は全て希望だった。真っ黒に塗り潰されたところに光を置けば、それ以来真っ白に輝いていくというようなものだった。その意味がまだ俺の脳内に浸透しない間に星奈さんは聖なる時を過ごしていた。本当は神と二人きりになるべきなのだが、そこに俺がいても二人かもしれない。というのも俺はもう神の側だと思うのだ。神の人という言葉があるかもしれない。俺は彼女と神を繋ぐ仲介者だというのだ。イエス・キリストとは結婚したも同然だったので、彼とは一つだった。すると彼女もまたキリストの内にあるのか、と、となれば俺とキリストと星奈さんとの三位一体も成立するかなとか奇妙なことを思っていた。神の側に来た人でなければ天国で祝福を受けるのは難しいと思う。どんな人が報いられるのかは俺にも分からない。それが分かれば全ての人が神を信じるようになるはずだし、現に俺は神を信じているのだが、それは神の正しさを信じているのだった。神はご自身の独り子を遣わして、彼が打ち殺された時、そのままにしなかった。それがこの世の真理であり、神の子つまりイエス・キリストは死んでも蘇るのである。その人だけが初めに永遠に生きて父の家を支配するのだと思う。その言い方には語弊があるが、ご主人様として永遠に仕える価値があるのはイエスただ一人なのだ。それは神の子であり人の子なのだ。ダビデの王位を継承し、永遠にその座に就く方である。
「大山さん、神様は初めの時から王でした。そしてその子は王の子でした。王の子は普通幾らかいますが相応しい者が王になります。神の子らは天使という被造物ですが、神の子である神の言葉は永遠の昔に生まれた神なのです。神の子は神です。王の子としても王になるのです。そして世界を支配して再臨の時を待っているんです。その時は父である神しか知りません」
「東さん。父である神とイエスの関係が私には良く分かりませんが、彼らはどちらも神なんですよね。だとしとら二人の神が別々に存在するかのように感じることもあると思いますが、キリスト教では神は一人なんですよね」
「人間が人間を子供に持つように、神も神を子供に持つんです。人間は色んな子や孫がいますが、神の子は本当には一人です。私たちも神の子どもなんです。また人間が物を持つように神は聖霊を持つんです。人間は色んな物を持ちますが、神の聖霊は本当に一人なんです。私たちも神の聖霊を持つんです。神の目には夫婦は一人の人間であるし、私たちの目には神は一人の神なんです。矛盾しているようですが、そこに調和があるんです」
「もうちょっと良く考えたいです」
そんなことをしなくても信じれば良いのだ。と言って盲目な信仰に落ち込むのは良くないかもしれない。俺は理解していることには「はい」と、そうでないことには「いいえ」ということにしているのだ。三位一体は正確には「いいえ」なのだが、それでも十分に近似的な理論だとは思っている。神は聖なる三名によって成っているのである。俺はそこに新たなる名を加えることはできないが、天使たちは神の子らだったし、信者は神の子どもだった。日本語で微妙なニュアンスの違いがあるのかは定かではなかったが、俺は神は確かに一人であるし、大勢であった。神々の神がヤハウェであり、神々には天使や人々が該当するのだ。そこに俺が入り込む余地があるのかは分からなかったが、俺は俺の命を神に捧げるつもりだった。すぐにでもその中に入りたかったのだが、俺の願いが届かない寂しい世界だった。どれだけ自分を痛めつけようと、その痛みの分しか神には近づけないし、傷んだところで神はその傷みを癒すとは限らないのだ。本当に必要な哀れみを神は施すはずなのだ。しかし、社会に哀れまれている人は既に報いを受けていると言える。その時点で神を必要とはしないのかもしれない。だから、何者でもないし弱者の中の強者や強者の中の弱者を神は取り上げるのかもしれない。そこには人に顧みられない叫びがあるのだろう。音のない慟哭を突きつけてこの世を後にしようというのだ。俺はその時の感情を再現することはできないし、自分が生きたいようにしか生きていけない。それでも本当に生きたいようには生きていけないのだ。霊が望むところと肉が望むところは対立する。俺の肉は安寧を求めているし、俺の霊はある意味では激烈を求めている。それでも日々の暮らしの中で、昨日と同じ一日を送るだけで十分である気がして元に戻っていくのだ。それは情けない響きとなって聞こえてくるように思う。俺の一日というのは何もしないことの連続であるし、何かをしようものなら昨日との違いやこの先の百年の辛さを想像して手が止まるのだ。
自分で始めておきながら自分で全て止めているのが俺だった。どうすれば日々の暮らし向きが良くなるかに必死になっていても神に祝福はされない。この世の命は露のようなのだ。滴れば終わる命なのだ。それなのに俺はそれを捨てられずにいる。生きる限り生きる気がしている。それでも死ぬ定めにあるのだ。俺は前の世界をどのように別れを告げてきたのか分からない。もしかするとただ夢を見ているだけかもしれない。これほど長い夢を見たことはないし、現実味のある夢もなかった。タイムリープする時はこんな感じだって、前動画で見た気がする。俺は異世界まで来てしまっていたが、世界に何か変革をもたらしただろうか。それとも世界の変化に飲まれるのは俺自身なのか。星奈さんとの命の繋ぎ方を模索していく中で、彼女は間違いなく年老いていく。そうでなければ魔女かもしれないし、そうであってくれた方が都合が良い。俺は魔人か。なんてことを思いたかった東の魔法使いだったが、なぜ東なのかを考えたこともなかった。簡単に言えば俺の小説の主人公が咄嗟に出した自称なのだ。意味があると言えばあるし、ないと言えばないのだ。ただ東側の都市から西側の都市に向かったからそうなのであって、日本人だからということは反映されていない。なお俺の小説というのも異世界に転移するものであったから、現状と何か関係があるかもしれない。彼は魔法の災厄として描かれていて、思い通りに魔法を扱おうものなら、世界を崩壊させかねない実力があった。教育役の同じ日本人の女性の命を危険に晒して救ってを繰り返したのだ。そんな中で彼女に彼への愛が生じて、ある時それを彼が彼女を黙らせるためにした行為によって、二人の愛が形になり、数日の隔絶を経て真の安住に至るのである。自分で思い出しているだけで、あれはあれで良かったと思う。そう活動報告に書いた。思ったより評価されていたとも書いたが、全然そんなことはなかった。俺は俺の作品が日間ランキングを駆け上がって人気作の仲間入りを果たしていると思い込んでいたから、本当の評価を知った時に泣いたのだった。ブックマーク十一件と今となっては多かったのかもしれないが、全く誰の心にも届いていないように感じられた。あの時どうすれば俺は俺の小説に生かされたというだろうか。しかし俺はこれによって、落ち込んでいた頃に救われたのだった。本当に良い物を書いたという確信がある中での現象に、俺は神は俺の仕事に報いたのだと思った。この小説を書いて三週間後くらいに別の小説を書いて賞金三百万のラノベ新人賞に応募したが一次審査も合格できなかった。その時にも泣いた。俺の作品は箸にも棒にも掛からなかったのだ。まあ万人受けする内容ではないと知っていたが、それでも本当に良い物を書いたという確信に満ちていたから辛いことには変わりない。今となっては失われた書物となってしまった。それは二年後のことだった。惜しいことをしてしまったと思う。今となっては後悔の残る結果となってしまった。だって天使が天国に引き上げてくれると信じていたんだもん。今ではそんな能力が彼らにあるとは思えない。だから神が蘇らせてくれるのを淡々と待つしかないのだ。それが俺の次の世の中での希望だった。全ての人が俺の小説を経験するであろう。そうでなければ天国には行けないというくらいになってほしいのだ。まあ読まれなくてもいいんだけどね。俺が読めればそれでいい。
星奈さんとどうやって過ごしていけば良いか考えていたら、時間が過ぎていく。俺はそれを取り戻すことができないで、空中を掴むような真似をするに過ぎないのだ。そんな馬鹿みたいなことはしてこなかったのだが、彼女に不思議に思われる振る舞いはこれまでもしてきた。一晩中帰らないことくらい許してもらっても良かろうと、ここは俺が住む世界ではないのだぞ。と、前の世界で自分の家をしっかり持てる人は偉大だなとも思っていた。それでも俺は仮初の命だったから、親から相続する以外で家を持とうという気は起こらなかった。ただ日々の暮らしを同じ空間の中で繰り返していくのである。働けないことは常に悪いことだと思う。どれくらいかは分からない。子供が生まれない夫婦くらいだろうか? それは別に悪くない。悪いのは何もしないことなのだ。人間は何かをしていなくてはならないのだと思う。その行為として食事があるか、或いは映画鑑賞があるのかは定かではない。何かをするというのはお金を稼ぐことで意味が生まれていくのだぞ。と説教しても俺は牧師でも宣教師でもなかった。そうなれれば幸せだっただろうが、俺は自分の頭に聖書をインストールできるほど優秀な人間ではない。天地創造の六日間も正確に記憶できないのだ。究極興味のあることや偶然目に入ったことが脳に引っ掛かり続けるなんてことはあるのだが、集中しても右から入ったものが左へ抜けていくのだ。これほど情けないこともないかもしれない。それでも俺は十分な知識を持っているはずだったし、そもそも聖書はイエス・キリストを信じるようになるまでは必要だったが、信じた後には必要とは言い切れなかった。俺は聖書を読もうと決めたのが十七歳の頃だったが、それはあくまでも教養のつもりだった。インターネット上に転がっている旧約聖書の章句を流し読んでいたが頭には入っていなかった。正確には僅かに記憶に残っていることもあるが、勉強としては無意味に等しかった。次に聖書周りを勉強しようとしたのは二十歳の頃で、この頃にようやく信じたのだった。俺にとって教養であったものが真理に変わったのだ。それほど素晴らしい経験はないと思う。しかし、最も素晴らしい経験をしたのは例の小説を書いている時で、感情移入していた女性ヒロインが男性主人公を好きになった時だった。あれ以来錦戸咲良さんは俺の中で永遠に生きている。俺は主人公である西野雄太でもあれば、ある意味でヒロインである錦戸咲良でもあるのだ。これを明かしたところで何になるわけでもないが、俺は本当に人類史上最高傑作だと信じているので、誰に評価されなかったところで俺が小説家の頂点にあるのだ。これは天国に行っても喧騒するつもりだったし、この作品を保存しなかったであろう天使を責めるつもりだった。結局自分が悪いわけだし、神様は何というか分からない。俺の胸の中に大切に閉まっておくくらいが丁度良いのかもしれない。大山星奈さんは錦戸咲良さんにある意味では似ているのだ。彼女たちはどちらも異世界に迷い込んだ日本人を助ける先輩の日本人なのだ。その意味で俺は俺の小説を復活させようと企んでいるのだが、それは失敗しそうだった。何より俺の言葉が続かないし、毎日同じことを繰り返すことができなくなっている。たまには休みたい時があるのだ。それは作者の本音として置いておきたい。本当のことを言えば、俺は何か仕事を探したいのだ。それは俺にできることでという前提だったし、無理難題をこなすつもりはなかった。どんな企業に偶然就職できても、時間差で首だろうと直感していた。俺の直感は当たる時と外れる時があるが、コンビニバイトには面接で落ちていたし、門前払いにされたこともあった。経験者募集とは聞いてないぞ。と文句も言いたかったが、働かなくてよくなったこと、働かなくて良い言い訳を作れたことで逆に安心しているところがある時点で俺は罪人である。罪人は生きるか死ぬかで償いをしなければならないと思う。その意味で生きることも死ぬことも仕事の内である。生きる仕事というのは普通に働くことであって、死ぬ仕事というのは切腹紛いのことだった。俺は自分の死に方は首吊りでいいような、それでは死にたくないような、いや死に方を選べるほど偉くはないのだが、人より苦しんで死にたかったし、苦しまなくてもいいようなら、神に感謝したい気持ちがあった。どうせ大往生できないのだ。死ねるうちに死んだ方が良い。となっても年老いて家族に助けを求められなくなってから、ようやく俺の人生本番というものだった。それまでは父親を利用して生きていく以外に考えられなかった。どうにかして死ねないかと模索しているのだが、死ぬことは難しいのだ。簡単だというならセットアップしてほしい。いや俺はそんな簡単には死なない。人より難しく死んでやるという覚悟だった。そうでなくては神の前に立てなかったし、殉教していった先人たちの思いもあった。陥没事故で亡くなった人は本当に可哀想だった。おそらく亡くなったのであるが、救出される見込みが確かなかった。俺は彼のために何もできなかったのだが、最後神の元へ帰れるように祈りたい。カトリックじゃないから、プロテスタントじゃないから救われないという救われない世の中であってほしくないし、俺は俺で自分の信仰を深めているのである。俺の決定で人をある程度救えるのであれば、人より苦しんで死んだような人は天国で癒されても良いと思うのである。執行猶予ではない。まあ人間勝手な信仰を各々が持っているのである。どのように死んでも自業自得だと言われても神の前には反論の余地が無いことだ。生死は偶然に支配されているし、必然的に生きる人、必然的に死ぬ人がいる。しかし人は究極のところ必然的に死ぬのだ。こればかりは動かしようのない真理なのだ。
「大山さん、人は死ぬが真理なのだとしたら、イエス・キリストは生きるというのは真理の主である『私はある』という父である神の超越真理なんです。この超越真理を信じる人は死ぬという真理を覆して復活して永遠に生きるようになるんです」
「超越真理ですか。それは誰から聞いたんですか?」
「いえ、俺が考えました。イエスは生きることを信じて、彼に仕える者は父である神の子どもなんです。主イエスを通して聖霊が遣わされ、永遠の命を得るんです」
「東さん、賢いんですね。私には難しいかもしれません。でもイエスは今も生きているはずですし、私の主人であると信じています」
「そう思えることが神からの祝福なんだと思います」
俺は彼女に何をしてあげられるというのだろう。命を与えることは俺ではなく神の仕事なのだ。だから俺はその窓口になる神の言葉を伝えるのが使命なのだ。俺の言葉はイエス・キリストから来ているはずだと確信している。俺が考えたものではあるが、そうなるように仕向けている神がいるはずである。星奈さんは難しいというが、全て俺がいうことは簡単なことなのだ。神は一人で、一人の子があり、一人の聖霊を所有して、彼らは一つであり、独り子のために天地を創造し、最後に人間を創造して祝福した。神々は人間を愛していて、人間の罪を贖うために神は人となってこの世に現れ、遣わされた神の子は十字架の上で死んだ。そして蘇った。彼は天地を神である父に返す日まで全てを永遠に支配する。こうしたことの一つ一つの言葉が神の言葉を成すのだと思う。俺は自分のうちに形作られている福音に気持ちが良くなっている。そろそろ何か口にしても良いかな。とか、仕事はまだ始まったばかりだぞ、とか、星奈さんと一緒に信仰を深めていかなくてはいけないのだと真剣になっていた。星奈さんはというとベンチに座ったまま足を地面に付けて、腿の横にそれぞれ両手をベンチについて、少し前のめりになっていた。何を考えているのかは分からないが可愛いなと思っていた。邪な思いなどなかった。俺が次に好きになる女性だなと確信していた。それが今ではないとも知っていた。彼女と過ごす人生の全てに祝福があるように神に祈りたかったが、実際に俺は呪物のようなものなので、俺を背負って生きていく人は業人なのだ。そんな悲しいことを言わないでほしいと神に請われたわけでもなく、俺は自分の命を前進させようとした。彼女とこれから何かを食べようというのだ。或いはサーガーグの草原とやらに行っても良かった。ここにタルマードさんがいなくて良かったとも思う。彼がいると彼女との関係がつまらないものに変わっていくだろう。しかし俺は同時に彼の力も必要なのだ。板挟みになりながら、真理となる言葉を求めていくのだ。魔法語に真理はないと思う。そこにあるのは暴力であり、謀略なのだ。力ある言葉は諸刃の剣のようで、それを神の言葉でないとするのは冒涜なのだ。俺は星奈さんにも魔法を変え習っていたが、ものになりそうなのは結界魔法くらいだった。とにかく魔物の魔法攻撃から身を守る手段を得られたのではないかと思う。
「大山さん、行きませんか。俺は何か食べたいです。大山さんが別にいいというなら止めておきますが……」
「そうですね」
そういうと彼女は立ち上がった。軽く背伸びのような体勢を取って腕を天高く伸ばした。魔法使いであることが美しく主張されていた。美しいは別に感想に過ぎなかったが、まあ普通に様になっているといえばそれまでだった。星奈さんは俺に向き直って手を伸ばした。それを掴めというのか。俺は彼女の手を支えに立ち上がった。そして「行きましょうか」と星奈さんがいうので、彼女について歩き出した。二人で並んで歩き出した。
シゾアレドという都市の大きな通りを歩いて、噴水を背に向けていた。俺と彼女はどんどん歩いて行ったのだが、その間多種多様な人々や人ならざる者たちとすれ違った。彼らはどういう意識をもって生きているのだろうか。俺より必死に生きているだろうし、仕事に報いられている彼らには尊敬の思いが湧いてきた。人間というのはある意味で生きているだけで偉大なのだ。しかしそれは悪に走っていないことを前提としているし、悪のために生きている人は死ななければならないのだ。神が死に渡すのがいつになるかが分からなくてそわそわしているとしても人はいつか必ず死ぬのである。俺もある意味では悪人予備軍だし、半分罪人だった。残りの半分のために正しい人と言われるかが正念場だった。どのような環境に置かれても生きていける人が俺に取っては理想的な人間に思えた。また死ねるというのもそれはそれで良いのだ。死ぬことは必ず悪いとは言えない。確かに悪いのだが、死ななければ永遠に生きていけない。だから俺は神のことを少し嫌いなのだが、そのことは今となっては諦めの境地に近かった。
「食事はここでどうですか?」
「いいんじゃないですか」
星奈さんが店の看板に手を伸ばして俺に提案してきた。断る理由もなかったので、俺は彼女とその店の中に入った。中にはテーブルが十個ほどと、椅子がその四倍ほどあった。俺は彼女が躊躇いをみせずに店の戸を開ける様子に彼女はどこでも生きていけるだろうなと感じた。俺はファストフード店に入るのも一苦労なのだ。今となっては注文する勇気も起きない。誰かと一緒なら話は別だったが、一人で入って迷惑をかけるのを恐れていた。そこまで人のことを考える男ではなかったが、機能不全を引き起こすことを恐れていた。だからコンビニ飯が基本だったし、家にあるものを食べ尽くしていた。褒められた行いではなかったが、それが俺の全てだった。俺を俺のまま受け入れて愛してください。とそう神にお願いしたかった。神は無条件で人を愛するとは思えないのだ。しかし、俺は無条件で俺のことを愛してほしいのだ。そして俺の願いを全て叶えてほしいのだ。自分の命のみならず俺の親しい人の全ての命を救うように願いたい。それは俺が果たせなかった仕事のためだし、神が成せなかった奇跡の続きなのだ。俺一人が信仰に入っても意味がない。神の前ではそう言えないかもしれないが、友達が一人もいない天国など考えたくなかったし、俺はクリスチャンと自称する人が大抵嫌いだった。彼らは自分の力で生きていくことができる。そこは尊敬するのだが、自分が信じるところに頑なだし、信じている自分を誇りにしているところがあるのだ。それは同族嫌悪の一種だったかもしれない。というのも俺も自分のことを誇りに思っているようなものなのだ。俺の仕事に報いてほしいという願いはこの世で金にならなかった分を天で黄金に変えてほしいという企みだった。俺はいつからかその黄金で家族や友人を買い取り、残りをルカにあげると神に宣言していた。当然ルカが天国に行く場合に限るのだが、そこは信じても良い気がした。俺はそこも半信半疑であるし、悪霊によるとこのルカの福音書のルカは天にはいないという。真っ赤な嘘であろうと思うが、ペトロは天にいるのだというから虚実が入り混じっているのだ。これほど厄介なことはない。俺は彼の言うことを間に受けないようにしているが、これを本当に天使から来た言葉だと受け取る人がいるかもしれない。神の声を聞いたという人がいる時、それは悪霊によってもたらされたものかもしれないのだ。全てが全て悪霊の仕業にするのは悪の所業なのだろうが、神というのは人の言葉に心を動かさないものである。俺の言葉を聞いたことがあると俺は信じていたが、それは一度きりのことだった。
「大山さん、この店ではどんなものが食べられるんですか?」
「タイクンの油揚げとかおすすめですよ」
「ではそれでお願いします」
星奈さんは店員を呼んで、例のメニューと彼女の分の野菜を注文した。俺と彼女は向かい合うようにしていて、目を合わせたり反らせたりしていた。二人の関係性とは言え、いつまでもこの調子というのはどうなのか、と思うところはあった。彼女と俺を繋ぎ止めるものが信仰なのだとして、どうすれば彼女を脱落させずに走り抜くように諭せるだろう。俺は自分のレースは既に終えた気でいる。今は余生なのだ。彼女には彼女の人生がまだあるはずだから応援したかった。問題は俺も苦しまないようにするためには、貧困から逃れるためには働かなくてはいけないことだった。古代ギリシャでは必要な労働に従事する人を人間と呼ばないとされていたようだが、パウロは自分の仕事を持つように教えた。これが彼の特別なところなのかもしれないのだが、働くことは悪いことではないのだ。働かなくてはならないとして、働けることはそれだけで素晴らしいことなのだ。俺は自分が働けないことで永遠に悩み続けるだろう。歳を取れば表面上は年金暮らしも無職も変わらないのかもしれないが、それまでの人生の厚みが違う。その意味で俺は水道設備屋の社長をしていた母方の祖父をかつて尊敬できなかったが、祖父が引退して年金を受け取るようになった後、祖父もそうだが、全ての人を尊敬するようになった。俺にはできないことを平然とやってのけて、この世から退場しようというのだ。
料理が運ばれてきた。店員がお盆に乗せて、タイクンの油揚げだとか、野菜だとかをテーブルの上に乗せた。俺はそれを食べるのが楽しみではなかったが、食事を摂るのもある意味では仕事のうちだと考えるように努めようとした。生きていくためには食事が必要なのだ。俺はできれば食事を取らずに生きていきたい。そうすれば最後まで苦しむことなく死ねる可能性が出てくるのだ。いや、死にたくなんてないのだし、永遠に生きたいのだが、この命は仮初故、いつか来る死は俺にとっては救いだった。イエス・キリストが救いに来るのと俺が死ぬのと、俺が死ぬのが早いだろうなという確信がある。それより先に異世界に来てしまったが、また元に戻されるだろう。そんな気がしている。俺はどこの世界に来ても同じ問題を抱えているのだ。苦しまないように死にたいが、どうしても最後は辻褄が合わない。そんな事態に巻き込まれてしまうのである。何かの油揚げとやらを噛み締めながら、目の前の星奈さんを全力でお守りするのは俺ではなく神なのだと無責任な気持ちになっていた。俺と彼女の関係は不思議なものだったというのか、それとも俺の小説では良くあることだったのか。いずれにしても生き抜ける日本人と死にゆく日本人がある。現代社会の歪みの故か、それとも「まだ生きられるぞ」という生温い猶予期間を経てきている故か、賢い者が死を選んで、愚かな者が生き残るある意味では地獄なのか、という状況が出来上がっていた。これはどこでもそうなのかもしれないのだが、愚かな俺は死ぬべきであり、賢い神に人より賢くして貰うべきだった。俺はかつてできていたことができなくなっている。信仰に苦しんでいた時代、数学のセミナーの準備を怠ったため次回は何も手元の資料を見ずに発表するように教授に言われた。俺はそれから数週間頭の中で発表内容を構築し、奇跡的な教授の風邪などもあって延期になって間に合った発表を成功させていた。その時には俺は勝利を見たように思うのだが、今では同じようなことができないという確信がある。あの時は色々と辻褄合わせができていたのだが、今となってはキャパオーバーである。辛い。だが、俺はいずれ数学者になるぞ。と、この世の真理を探究するぞ。という気持ちでいた。それは俺の死後のことだったし、天国での俺の仕事にしたかった。神がそれを望まなければそうするつもりはない。俺は何もしないというのも一つ胸に抱えているのだが、つまり神が俺の望みを叶えない限り天国では何もしないというのだ。それは俺がきつくなって止めるかもしれないが、ただ座っているだけだとか、横になっているだけで、何かを考えたり、何も考えなかったりという時間を過ごすことは俺の得意技だった。同時に何かをしたいという気持ちに駆られて小説にならない小説を書いてみようと試みるのである。今までのところ、その試みは失敗に終わってきた。かつてはあれほどうまくいっていたのにどうしたというのか。神の祝福が止んだというのか。或いは続きは天国で、と神に言われてしまったのに気が付かなかったのか。明らかなことはなかった。俺はというと、本当はもう天国に行きたかった。天国で膨大な知識の渦に飲まれたかった。どんなことがあったのか、本当の歴史を知りたかったし、エドム、モアブ、アンモンの国々の真実を知りたかった。それは付加知識というものだったが、俺はイスラエル以外の国の歴史というものに触れてみたかった。それが聖書に関係があるという意味でなのだが、彼らは確かにイスラエルの兄弟であると思うのだ。信仰の面では不完全であっても、ルツがナオミと共にイスラエルに来たように、救いの道はあったと思うのだ。神の扉はいつでも開かれているのかは分からない。かつては開かれていたに違いない。それでも一度閉ざされるともう一度開かれるまでには時間差があるだろう。俺が生きている時代は最早天国が開かれているとは言えないと思うのだ。俺は俺の意志で信じた訳ではなく、神の導きによって、確信が生じたのである。最も理不尽な仕打ちに対する報いが永遠かつ無限の命と神と同等の神の右の座である。というものである。イエスという真理があって、どこにも行かない彼は確かに神と共に支配している。神が延長、延長、再延長の果てに救ってきたのかどうかも分からない中世近現代の人たちの膨大な量を前に彼は完全に彼らを裁き切るはずだった。それだけの能力が確かにあるはずで、また異邦人を裁くのはパウロだった。だから異邦人である俺たちはパウロの教えに従う道しか残されていないのだと思う。女性は教会で祈る時は被り物をするべきだったし、女性は教会では静かにするべきだった。同時に俺は自分が神に召されたと感じているから、パウロとは別の派閥として生きていいような気もした。女性がどう振る舞うかなどはパウロが言わなければ気にもしなかったことである。俺の確信として作られたものではなく、彼がそう言ったからそうなのだろうという程度のものなのだ。だから俺は星奈さんに被り物をするように言うつもりはない。彼女が正しいと思うようにさせるべきだと思う。信仰の自由というのは確かにあって、ムスリムはどうとかいうのは置いておいて、信仰形式には多様性があってもいいと思う。また、それは教会が一つであるという前提の上だった。福音は一つ、真理は一つ、教会は一つ。それを分裂させようとするのは悪魔の計略だった。この意味でカトリック、プロテスタント、正教会の三つに分裂している現代の信仰は悪であるようにも思うし、これを回復しようと働いていない時点で神は世界を見捨てたのだとも思う。同時に俺を救った神は俺だけを救うはずではないから、大勢の人を天国へと導くはずである。俺の名前を神が呼んだことはないが、いやきっとあると思いたいのだが、悪霊には呼ばれたことがある。それは意味のない経験とは思えないが、俺に近いのは悪霊なのであって、神とは断絶がある。俺が神の臨在だと確信していた現象ももしかすると悪霊による仕業であったのではないかと半信半疑になっているところがある。信じる割合が大きいのだが、疑う向きもあるのだ。その時点で完全に疑っているのと変わらないのかもしれない。
星奈さんとは宿に戻っていた。いや、正確には彼女は宿の部屋に入ったはずであるが、俺は一人前来た路地裏の行き止まりにいた。そこで魔法を使う練習をしようというのである。サーガーグの草原に行くのは明日ということになった。しばらく依頼が達成されていないと、キャンセル扱いになるんだとか。それなら急いだ方がいいとも、それは俺の勝手な判断とも分からなかった。神は俺にどれだけ報いてくれるだろう。仕事で得た金をどのように使おうと働き手の自由だと考えることもできるのだが、俺は貯蓄に回したい。来るべき老後に備えたいと思う。何もかも上手くいっている時代というのはとうの昔に過ぎ去ってしまった。俺は自分の命が自分の思い通りにならないことに思い悩んでいた。いっそのこと死刑になったれば気持ちも違っただろう。俺はどうやって死んでも同じところに行くのだ。それが真理なんだと信じていた。俺は最早真理に掛かっている。イエス・キリストを信じる現代の信徒だぞ。とか、これほどの信者は使徒ヨハネが死んで以来現れていないだろうと勝手に考えるのだ。俺は俺の考えが正統だと信じているし、その意味で俺は間違えるが正されるのだ。教皇は無謬かどうかは分からない。神は間違えないようにもできるし、間違えるようにもできる。そこで可能性が高いのは間違えられるが間違えてこなかったというそれまでの姿勢である。だがカトリックは確か予定説を否定していた。俺は予定説に立つのでこの時点で教皇は間違いを犯していた。この世の人は初めから運命が定まっていて、救われる人も救われない人も決まっているのだ。自由意志も同時に存在して、救われるが救われないかを選ぶこともできるが、それはそれより先に神の選択だし、それより後に人の選択なのだ。
「フィーン・フィーネー」
構えた杖から流れ出て文字のようなものが浮かぶ結界空間が形成された。俺はその中で何かを防いでいたのだが、実際には何も俺を脅かすものはなかった。それが神の望みならありがたく受け取っておくべきだった。実際には俺は苦しまなくてはならない。苦しんでない時は不従順である気がするのだ。それでも信仰には苦行は伴わないのだ。信じるだけで救われることを神は望んでいるし、そもそも全ての人が救われるのを望んでいるはずだった。その望みとは別にして滅びに至る人の滅びも喜んでいるはずだった。人が地獄に落ちるのはある意味では良いことだし、天国に昇ることはもっと良いことだった。俺は立場を曖昧にしながら、家族や友人が地獄に落ちてもいいと考えていたし、天国に行くことはもっと良いことだと考えていた。しかし彼らは自分で自分の命を救う誇りとなるような信仰を持っていない。これからもそうだろう。だから俺が救うくらいの意気込みが必要で、それは俺が宣教するという意味ではなく、俺自身の救いの範疇に入れてしまおうという話だった。神様とこの辺の交渉をしに天国に行きたかったが、俺には神の気持ちを変える手立てがない。だから、彼らは初めから救われる運命なのだと、俺が救われた時点で明らかになったのであろうと信じている。
雲行きが怪しいと思っていたら雨が降り出した。雨は結界の境界付近に止まって静止した。これは傘代わりにできて優秀だな。と感じたが、考えれば魔力のようなものを消費するのでは効率が悪いような気がする。この世界の人はこの辺のバランスをどのように保って魔法と付き合っていっているのだろう。俺には分からない。現代と遜色ない技術があってもいいと思うのだが、現在のところ見当たらない。ここは都会とは言えない格下都市なのかなとか勝手に見下してみて、シャルル様の王城を見つめた。いつか彼に会いに行きたいと思うし、彼を信仰に引き込みたい。それが俺にできる最大の仕事のような気もしたし、実際に王が救われれば民が救われてもいいような気がした。それは王が恩赦を与える場合に限るので悪人はその限りではないが、悔い改めるものは死刑からでも救われるのだ。それは自覚的回心を見ていなければならないと思うのだが、それが本当にいつ起こるのかは神のみぞ知るところだった。俺は結界の境界付近に溜まった雨粒が僅かに俺に接近しているのを感じて、逃れられない運命を迎えているのだと覚悟していた。大袈裟だったのだが、濡れることくらい厭わないのだ。俺はいくらでも冷たくなれる男なのだ。それは物理的な限界があったが、精神的にはどんな人間でも殺せるのだ。物理的には殺せないのだ。それは上手く噛み合わない俺の性故の仕方なさがあるのだが、死刑のスイッチは三つとも同時に押せる。人を殺すことに躊躇いはないと思う。それと同時に、その人の人生を殺すことには躊躇いがあるのだと思うのだ。どんな人間にも親しい間柄の関係があるというものだった。その人たちの心を殺していいという訳ではない。だから俺は命令には従うが、自発的に殺すことは絶対にないと思う。命令と言っても自分の主人からのものに限定していたから更にあり得ないことだった。
俺は結界魔法を諦めて杖を構えるのを止めた。すると溜まっていた雨粒が一気に俺の上に落ちてきてずぶ濡れになった。俺は濡れた衣服を摘んでみて、「やっちまったな」と呟いた。思えば替えがないと思うのだ。俺がどういう格好をしているかなどは俺が興味のないことだったが、これでは今日星奈さんと一緒に寝られないではないか。まあ初めからそんなつもりはないのだが、とにかく俺は帰ってからどうにかすることにした。帰ると言っても自分の家ではなかったから、不都合を生じるのである。自分の部屋に干せるほど便利な服でも世界でもなかったはずだから、このまま裸になって過ごそうというのである。今日はそれほど寒くない。それでも暑いというほどではなかった。俺は路地裏から歩き出して、シャルルの王城に手を振った。そんなことに意味はなかったのだが、意味のないことに祈りがあるのだと思う。いずれ彼と会う時が来たら、その時から永遠に続く世界の約束があるというものだろう。俺は雨の中を歩いていた。水溜まりが所々に生じていて、それを避けるように飛び越えたり、左右に移動したりを繰り返して、星奈さんのいる宿を目指した。流石に道を忘れるほど愚かではないぞ。いやそれは流石に忘れるようなら病気である。愚かさ故ではない。つまり自己責任ではないと思うのだ。俺が働けないのは自己責任だと思うのだ。故に俺は愚かなのだ。悲しいが変えられない事実がここにある。しかし、神は愚かな者を賢い者に変える力を持っているのだと信じている。だからいつの日か俺という人生はある意味で賢者の幼少期、地上生涯となるべきである。そんなことを考えていたら、ある人影が近づいてきた。
「もう、勝手に外に出ないでください」
「すみません」
星奈さんだった。俺は頭を掻いた。彼女はどこか安心しているようだった。それこそ一晩中で歩いた訳ではない。前科はあるとはいえ、執行猶予中の犯罪ではない。彼女も俺を受け入れてくれるようだった。
「濡れちゃいましたね」
「大山さん、どうにかしますから」
魔法の力で。と言えれば良かったのだが、そんな都合の良い生活魔法などあるのかも知らない。俺が名付けたカテゴリーの魔法がこの世界に本当にあるようなそんな気がしていたが、魔法語に「洗濯」があるとも思えないのだ。俺は彼女が傘を持ってきてくれたのかと思ったが、何も持っていなかった。正確には魔法の杖やらは持っているはずだったが、彼女も天候には太刀打ちできないようだった。それこそ天の恵みを拒むようでは穀倉地帯も砂漠に変わるというものだ。俺は「ちょっと練習を」と彼女に言ったのだが、「戻りますよ」と返されてしまった。そのまま彼女の後ろを歩いて、宿に入っていった。




