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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
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Ⅰ.巡りの砂 2

2.



その日。

ティリアは、フィルゼノン城に呼び出されていた。

(予定通りなら、そろそろ着く頃かしら。)

忙しなく流れて行く雲を眺め、遠い空の下を思う。

何度か訪れたことのある部屋の前に立ち、扉を叩いた。

「呼び出して悪かったね、ティリア。」

開いた扉の向こうから顔を出したのは、クルセイトだ。

「いえ、何かあったのですか?」

何度か入ったことのある部屋へと、ティリアは足を進める。

促されるまま、中央のテーブルへと近づき、相手を見上げる。

「『力』を貸して欲しくてな。」

その言葉に、ティリアが目を丸くする。

「クルセイトお兄様に、私が?」

知力体力や魔法の能力において、ティリアはクルスの足元にも及ばない。

誰よりもそれを知っているティリアは訝しむが、兄の表情にからかいの色は見えない。

「ラシャク=ロンハールを探したい。」

小首を傾げた妹に、クルスはテーブルに地図を広げた。

「南部にいるようだが、気配がなかなか掴めないんだ。」

その言葉に、ティリアはあぁ、と呟く。

「ラシャク様の魔力量では、感知が難しいのでしたね。」

魔法の力で探索する“サーチ”は、相手の魔力を捕捉することで発動する。

ラシャクの魔力は低く、通常のサーチでは引っかからないため、相手の『気』を辿ることになるのだ。

「アシュレーがいれば、こういうことが得意な彼に頼むところだが。」

「そういえば……以前、セリナを見つけてくれたのは彼でしたね。」

城から抜け出したセリナを探知したのは、アシュリオ=ベルウォールだ。

魔力ゼロのセリナを見つけるには、彼女の気配を知りその『気』を追える者が不可欠だった。

さらに、迎えに出向く王を援護する役目を果たす者としても、彼は適任であった。

(あの時は……侍女の魔力を辿って、その側にセリナの『気』がないことに動揺したものだったわ。)

浮かぶ苦笑を押し込めて、ティリアは兄に目を向ける。

「ラシャク様の『気』ならば、お兄様の方が良くご存じでしょう?」

当然の指摘を受けて、クルスは少し困ったようにティリアを見つめた。

「風が吹いているんだ。」

告げられた内容に、ティリアは一瞬表情を凍らせ、やがて納得したように小さく頷く。

「わざわざ、わたくしを呼ぶくらいですものね。精霊の名を、呼べと。お兄様が言うのなら、やってみましょう。」

すっと、ティリアは地図の上に手をかざした。

「こんなことを頼んで、すまないな。」

「いえ、事態は急を要するのでしょう。」

そうでなければ、クルスがティリアにこんな依頼をするはずがない。


「……責任を持って、止めてくださいね。」


魔力に秀でた名門・アーカヴィ家において、ティリアは稀な類の落ちこぼれだった。

その身に、誰もが羨むほどの高位の精霊の加護を受け、質の良い魔力を宿しながら、それを制御する能力が決定的に不足しているのだ。

突出した風属性の魔力をその身に保ちながら、力を使えば、コントロールし切れずにとてつもなく体力を消耗する羽目になる。

それゆえにティリアは、扱いづらい自身の魔力を好んで使用することはなくなっていた。


それを知っているクルスが、ティリアを頼るということは、今回の適任者が彼女しかいないということだ。

それも、一番暴走してしまう“風”の力こそ必要とされている。

「役に立てるのなら、呼んでみます。」

言って、ティリアは両足に力を入れた。

ティリアと同じように、クルスも地図の上に手を伸ばす。

「行くぞ。」

クルスの一言で、部屋に張られていた魔法陣が青い光を放つ。


辿り探すは、行方が分からなくなった男。

風が渦巻く南へと、空色の風が吹き抜ける。

追いかけるべき『気』を紛らわせる障害を蹴散らし、澄んだ空気が流れゆく。


微かな存在を敏感に掴み取り、クルスは意識を集中させる。


空色の風は大地を渡り、大海へと広がる。

天地に横たわる青に歓喜して、疾風は天を目指した。

けれど、天空を昇りきるより前に、風は光に絡め取られる。

「―――っ。」

かくん、と膝の力が抜けて、ティリアはテーブルに両手をつく。

それをクルスが、抱きかかえるようにして支えた。

「大丈夫か。」

「えぇ。それより、居場所はわかりましたか。」

「ティリアのおかげでな。」

ほっとしたように息をついたティリアだが、浅い呼吸を繰り返しながら、クルスの腕を掴む。

「いったい……何が、起こっているのですか。」

不安の色に陰る空色の瞳に、クルスは一瞬返す言葉に迷う。

捕捉した場所へと意識を向け、そこに漂う気配に渋面を浮かべた。

「それを確かめに行く。」

クルスの答えに神妙な顔で頷いて、ティリアはそれ以上を口にせず地図に目を落とした。









「ティリア様。」

城の応接室にあるソファで休んでいたティリアは、呼ばれて顔を上げる。

今まで側に付いていたリルの隣に、カナンの姿があった。

「カナン、どうだった。」

それが、と言いかけたカナンの顔に、心配そうな表情が浮かぶ。

「わたくしは大丈夫。久しぶりの使役だったけど、消耗はそれほどでもないわ。それより、隊長には会えた?」

告げたティリアの顔色が、さほど悪くないのを確認してから、カナンは口を開いた。

「いえ、それがお会いできませんでした。」

「会えなかった? お忙しいのかしら。」

クルスに呼び出されて城へやって来たのに合わせて、ティリアは侍女のカナンを使いに出していた。

内容はたいしたことではない。

視察団が、というよりセリナが城へ戻って来るのがいつ頃になるのか、ラヴァリエ隊長に尋ねておこうとしただけのこと。

ティリアの呟きに、カナンは顔を曇らせる。

「それが……よくわからないのです。」

「わからないって、どういうこと?」

不思議そうに首を傾げたのはリルだ。

「教えてくれたのは、“ラヴァリエ”の騎士なのですが、昨日からエリティス隊長の姿を見ていないのだとか。」

「どこかへ出かけているの?」

その問いにカナンは首を振る。

「城内にはいらっしゃるらしいのです。今日、騎士隊の指揮を取っている、副隊長のジルド=ホーソン様からは、『隊長は別件で手が離せないが、なんの問題もない』とだけ聞いているそうです。」

「……。」

「確かに、指示は通っていて混乱はないようですが、ディア様のことについては詳しい者がおらず……すみません。」

頭を下げたカナンに、ティリアは首を振る。

「隊長がいなかったのなら、仕方ないわ。」

けれど、とティリアはわずかに眉根を寄せた。

「“ラヴァリエ”の任は、城内警護。エリティス隊長は、その現場責任者として、視察にも同行しなかった。その立場を離れるような、別件なんて。」

途中で口を閉ざし、ティリアは風の吹く窓の外へ視線を投げる。

急いた様子で部屋を出て行ったクルスは、ラシャクの行方を追って、南へ飛ぶと言っていた。

ガタガタと、窓が揺れる。

(落ち着かない風が吹いているわ。)

「なんでもないのなら、それでいいのだけど。」



それは、視察団が緋の塔へ到着した日のことだった。






*****






フィルゼノン王国・西部。

収穫を迎えるこの時期、農村地帯は慌ただしくなる。

今月下旬から来月にかけて各地で収穫祭が催され始めると、それぞれに活気に満ちあふれ、どの町でも笑顔の花が咲く。

元々文化が隆盛した東部はより華やかな空気に包まれ、まだ戦の爪痕を残す西部でも穏やかな空気が流れる季節だった。



ところが。

ラグルゼ警備隊の建物の一室。

総隊長の部屋だけは、まったく和らいだ空気はなかった。

統括官であるガーライル=ウィンダムは、この警備隊で最上位にあるにも関わらず、今その部屋で跪いて頭を下げていた。

「この度の失態、お詫びのしようもなく。」

予言に名高い黒の女神をその領内で誘拐されるという失態を演じたラグルゼの警備隊。

ことが発覚した昨日、すぐに報告は上げているが、一夜明け、塔との通信回線が繋がれた。

その先に揃っていた面々に、ガーライルは冷や汗を流す。

自分の後ろで、同じく頭を下げている警備兵レイクも緊張を隠しきれていない。

彼の前に座っている人物は、この国の王その人である。

さらに王の後ろには、近衛騎士隊長のゼノ=ディハイトと緋の塔の実力者エリオス=ナイトロードが控えていた。

通信用の鏡を挟んで向かい合ってはいるが、もちろん同じ部屋にいるわけではなく、ラグルゼと緋の塔というだけの距離が存在する。

だからといって、向こうからの威圧感が減るというものでもない。

「ディア様の行方は八方手を尽くして捜索中でありますれば……。」

聞いていたエリオスは、冷たく彼の言葉を遮った。

「闇雲に動いて、見つかるとは思えませんが。」

事件が起きて既に半日以上過ぎている。

国境線が近い土地柄、国外へ出た可能性も高い。

魔法壁に異常は検知されていないが、対侵入用の防壁は、国内から外へ出るのはその逆よりも容易いのだ。

昨夜は酷い嵐だったが、そこで足止めを期待するのは、楽観的すぎる。

息をのむガーライルに向けて、エリオスは冷静なまま先を続ける。

「目的が殺害だったならば、既に彼女はこの世にいないでしょう。ですが、わざわざ攫っていったなら、少なくとも今すぐ命の危険に晒されているというわけではありません。」

一度、口を閉ざして、変わらぬ口調で結論を述べる。

「相手が、彼女になんらかの価値を見出しているということですから、とても厄介な事態です。」

エリオスの正論を聞きながら、ジオは椅子の肘掛を指で叩く。

昨夜、ラグルゼから受けた知らせは、塔の上層部にも漏れている。

『女神が外出先で襲撃を受け、何者かに攫われた』と。

エリオスは、“塔”が動くことを主張したが、それではどうしても周囲を巻き込んで騒ぎになってしまう。

昨夜のエリオスの決然とした表情を思い出して、ジオは眉間にしわを刻んだ。

攫われた話も、外出していた話も、できれば伏せておきたいことだ。

「事態の経緯と、現在の状況との説明を求める。」

ゼノの言葉に、は、と短く返事をしてガーライルは口を開いた。

「昼の定時連絡と目的地からの出発報告は、問題なく届いておりますので、一行の当初の目的は果たせたものと考えられます。次に受けたのが緊急通信ですが、同行していた者の報告によれば、初めに予備隊が奇襲を受けたと。林の中で、待ち伏せをされていたようだと言っておりました。」

「待ち伏せで……まず予備隊を?」

探るようにゼノが繰り返す。

「本隊から離れて、護衛についていた者が2名。敵はさらにその外側を固めて、襲撃の機会を狙っていたのだと思われます。奇襲時の敵の数は4。初めの襲撃で、護衛の内1人が大怪我を負い、もう1人が本隊へ報告に。そうだな?」

ガーライルに問われてレイクは静かに頷くと、説明を継ぐ。

「襲撃を報告しに本隊と合流した騎士と共に、私は敵部隊と交戦を開始しました。この時相手は3人。すぐにもう1人残っていた敵が現れ、ナクシリア殿が相手を。

逃れた一行の先頭にはサイモン、ディア様はライズ殿の馬に同乗されており、敵の追撃もないものと思ったのですが。」

「同乗?」

ゼノが怪訝そうな表情で口を挟んだ。

「当初予定していた馬車での移動が困難になり、ディア様と侍女殿にも馬での移動を……それぞれライズ殿とナクシリア殿の馬に同乗して。」

「馬車が使えなくなった理由は?」

エリオスからの問いに、レイクが理由を語った。

「……。」

ゼノが目を細め、王に視線を向ける。

目が合ったものの、鏡に視線を戻したジオの意図を汲み、ゼノは口を開く。

「説明を続けろ。」

「は、はい。我々が交戦している場に、新手の1名が合流。それに応じたところ、情けない話ですが、戦線離脱した敵を逃してしまいました。また、先を行っていたサイモンも、途中で敵と接触を。その間に、ライズ殿とディア様は林を抜けるべく逃れたはずだったのですが。」

レイクは一旦言葉を句切るが、思い直したように顔を上げ、続きを告げた。

「敵の狙いはディア様ただお1人だったのでしょう。サイモンも、敵を止められず、追撃を許してしまったようです。ライズ殿も……悪天候の中、慣れぬ道では、さすがの“ラヴァリエ”といえども追っ手を振り切ることは難しかったと。」

「ディア様を追ったのは、その1人だけか?」

ゼノの質問に、レイクは首を振る。

「いいえ。ナクシリア殿と交戦した者も、途中で戦いを放棄したとの話。おそらくディア様を追ったものと思われます。追撃するも、見失ってしまったと言っていました。我々が相手をしていた3名も急に撤退して行きました。」

「5人はいたという計算になるな。」

ゼノが眉を寄せた。

「一部は、あの場所からさらに南へ向かったようですが、その後、彼らの詳細な動きは、まだ把握し切れていません。2手に分かれた襲撃者たちをそれぞれ追ったのですが……申し訳ありません。」

苦々しげな表情でガーライルは告げる。

「ようやく居場所を見つけ駆けつけた時には、既にディア様の姿はなくライズ殿も。」

そこでレイクは言葉を切ると、目を伏せた。

「相手の正体は。」

眉を寄せたままのゼノの言葉に、すぐに鵜呑みにするわけにはいかないでしょうが。と前置きをして、レイクが再び語り出す。

「敵の使用していた剣は、アジャートの物でした。」

「フェイクの可能性は?」

「状況から考えて低いと思います。動きは訓練された職業軍人のものでしたし、剣裁きもかつて戦ったアジャート軍の兵士と似ておりました。」

その見解に、エリオスが唸るのがわかった。

「アジャート……!」


組んでいた腕を解き、ジオは口元を覆う。

アジャートの手に渡ったとなれば、穏やかではない。

好戦的なあの国が、女神の名を盾に理由を取り繕い、休戦条約を破る可能性は高いのだ。

(戦闘の離脱・撤退の速さから考えて、足止めされていたのはこちらの方。待ち伏せ。それから、馬車もおそらくは仕組まれたもの。襲撃を仕掛けるならば、機会はその前にもあったはずだが……追い詰められたか。)


「申し訳ありませんでした!」

レイクの声に顔を上げたジオは、深く首を垂れるガーライルとレイクの姿を横目に、ゼノへ視線を送る。

その視線を受けて、ゼノは咳払いをした。

「今後の対応については、追って使いから知らせる。この件、決して扱いを間違うことのないよう肝に銘じよ。」

「はっ。」

ガーライルたちは、下げている頭をさらに下げて、鏡の映像はそこで切れた。


威圧感から解放されて、思わず息をつきそうになるが、ガーライルは立ち上がりレイクの名を呼ぶ。

「塔からの使いが着くまでに、最新の状況をまとめておけ。」

「はいっ。」

速やかに処理すべきことは多い。

気を抜くような息をつくのは、まだ先になりそうだった。



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