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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
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Ⅰ.巡りの砂 1

1.



黒い瞳、漆黒の長い髪。

『こちら』を見ているその存在は、確かにそれを有していた。

光を受けてこげ茶色に見える『自分』の瞳よりずっと黒曜石に近い。

癖のない真っ直ぐの髪は濡れたように艶やかだ。

寝癖ですぐにはねてしまう『自分』の髪とはまったく違う。

あぁ、と答えを見つけて呟いた。


「あなたが。」


着ているのは黒のドレスだというのに、美しいと感じる程の光を身に纏う存在。

今目にしている相手がそうなのだと、深い納得を見せる。

しかし。


『貴女よ』


透明な声音。

感情の読み取れない瞳は、しかし真剣だ。

「……なら、あなたは誰。」

問いかける。


柔らかい風が吹いた。


ドレスと髪が波打つように揺れる、恐ろしいほど優美に。

こぽり、とどこからともなく白い泡が現れた。


『いずれ、時が来たら』


そう言って笑った、ような気がした。

そして、何かを考える暇もなく、景色は白で埋め尽くされる。















寒々しい色の壁に囲まれた中庭に鈍い音が響く。

動く2つの人影は組み合った後、弾かれるように距離を取った。

その手に持つ剣を上段に構えた男が、足を引く。

ジャリ…と地面が音をたてる。

正面に剣を構えた青い髪の男が、僅かに柳眉を寄せる。

次の瞬間。

どちらからともなく2人はその距離を詰めた。

蹴られた足元から、砂が舞う。


―――キン……ッ


乾いた空に鋭い金属音が響き、2人は動きを止めた。

男の手から弾き飛ばされた剣が地面に突き刺さる。

一拍あってから、丸腰になった茶髪の男は降参というように両手を上げた。

青い髪の男が、にやりと笑い、構えていた剣を下ろす。

「オレの勝ちだな。」

「今の勝負は完敗ですね。」

答えながら男は自分の剣を拾い上げると鞘にしまう。

「左の、あの角度からの攻撃は苦手だろう?」

相手の悠然たる笑みに、微苦笑を浮かべる。

「そんなことを言うのは、我が師匠とルーイ様くらいですよ?」

「なんだ、気づいたのはダリウスの方が先か。」

残念そうにルーイと呼ばれた青年が呟く。

同じ師に剣術を習った同士であるのでそのスタイルはよく似ているが、それぞれの癖が出るのは仕方のないことでもある。

「ルードリッヒ様! こちらにおいででしたか!」

建物の方から慌てたような声で名前を呼ばれ、ルーイは振り向いた。

「何事だ、騒々しい。」

答えながら、ルーイはその表情を険しくする。

呼びに来た者の態度から、あまり良い知らせではないと察したからだ。

「そ、それが今、ギゼル=ハイデン様がここへいらして。隊長に会いたいと。」

「ハイデン?」

思わず繰り返し、首を傾ける。

「“ダンヘイト”の隊長がこんな辺境になんの用だ?」

「詳しいことは何もお話しにならないのですが、事情があってルードリッヒ様のお力を借りたく相談に伺ったとか。」

「事情……ねぇ。どう思う、ロベルト。」

ルーイはゆっくりと剣をしまうと、隣にいる部下に視線を向けた。

「あのハイデン様がこんな場所まで遊びに来るとは思えませんから、何か任務の途中なのでしょう。」

そこまで言って、ロベルトは肩をすくめて見せた。

ルーイは、植込みに投げ置いていた上着を掴むと歩き出す。

「どうせ彼だけじゃなく、ご一行様が近くにいるのだろう? 回りくどい方法などとらず、さっさと目的を言えば良いものを。相談だと? まったく、めんどうなことが好きな奴らだな。」

「ルーイ様、声が大きいですよ。」

ロベルトの忠告にチラリとだけ視線を走らせてから、ルーイは取り次ぎに来た部下に指示を飛ばす。

「隊長様を応接間へご案内しろ。すぐに私も行く。あぁ、扱いは丁重にな。」

「はい! 早急に!!」

びしっと綺麗な敬礼をしてから、身を翻すとオリーブ色の軍服を着た男は廊下の奥に消えて行った。

ルーイは紫色の瞳を細める。

「“ダンヘイト” ……ここしばらく姿を消していたが、どこで何をしていたのやら。」

呟いて、部下と同じ色をした上着を肩に引っかけた。






リシュバイン。

隣国との国境に近いこの地は、戦時中何度も進駐基地としての役割を果たした。

中央から遠征して来たルーイたちが、今留まっている砦も当時活用された場所である。

ルーイは自ら扉を押し開けて、簡素な応接室へと足を踏み入れた。

「お待たせしました。」

声をかけると、中で待っていたギゼルがソファから立ち上がり、恭しくお辞儀を返してきた。

その頭にはちらほらと白いものが混じっている。

「急な訪問にも関わらず、時間をいただき有難うございます。」

ソファに座るよう促してからルーイは口を開く。

「何やら事情がおありとか。使者ではなく、ハイデン様本人がいらっしゃるくらいです、よほどのことでしょう?」

ギゼルが座ってから、ルーイもソファに腰かける。

「我が隊は人手不足ですので、隊長と呼ばれていようと使いに走らねばならぬのです。それに、他の者では何か失礼があってはいけませんから。」

部隊内情の真偽はどうだか知らないが、言い訳のように付け加えられた後半は、本音だと推察する。

噂に、部下は曲者ぞろいと聞いている。

「ただ、今回は確かに急を要する事態ですので、早速で申し訳ないのですが、本題に入らせていただきます。」

ルーイは、どうぞと手振りで示す。

「実は、ルードリッヒ様に内々にお願いしたいことがあるのです。」

相談じゃなかったのかよ、という思いが浮かぶが、口に出したのは、別の部分だった。

「内々に、ですか。」

「えぇ。」

「それはどのような?」

「医師を貸していただきたい。」

「医者?」

予想していなかった言葉に思わず聞き返す。

「ここリシュバインへの遠征に従軍している者がいるはずです。それが難しいなら、せめて薬などの物資を分けていただきたく。」

「病人か怪我人でも出たのですか。」

「えぇ。」

「その者は今どこに?」

「ノーラの第3砦に。他の仲間と共に。」

ギゼルの言葉に、ルーイは内心でやはりと呟く。

(“ダンヘイト”……国王直下の兵隊はノーラに。また何か動いていたか。)

「失礼ながらノーラの第3といえば、海側の僻地。ただでさえ設備も少なく備蓄も僅か。破損が酷く、補修もされず放置されているとか。かろうじて風雨を凌げる、という程度の場所のはず。」

「おっしゃる通りです。」

ギゼルの返事に、ルーイは少しだけ目を細める。

(半時も動けばもう少しマシな第2があるのに、そこに行くだけの機動力を欠いているのか?)

僻地とはいえ近くに村はあり、そこにも1人くらい医者はいるはずだ。

けれど、わざわざ馬を駆って遠征軍の元へ頼みに来ている。

“事情”が深いことは明らかすぎるほどだ。

「そこでは、例え医者を走らせても診療に限界があります。物資を持ち込んだところで、また然り。本当に治療を望まれるなら、こちらへ移送すべきです。もちろん、他の仲間も一緒に。」

「そのように取り計らっていただけるのならば、大変ありがたく存じます。」

僅かに、安堵の表情を見せてギゼルが頭を下げる。

欲しているのは、倒れた仲間の治療だけではなく、隊をここで一時的に保護することもだ。

(だからこそ、隊長自らが頭を下げに出向いてきたのだろうが。)

「ただ熱が高く、今の我々の力では移動させることが難しいので、なんとか医師を派遣していただきたいのです。」

その声を聞きながらルーイは足を組んだ。

「事情があり、民間の医者に診せるわけにもいきません。」

「もちろん、そのような状態の者を放って置くわけにはいかないでしょうね。」

「それでは……。」

喜色を浮かべた声を遮るように、ルーイの落ち着いた声が続きを紡ぐ。

「熱、と言いましたが。民間を使えない、緊急を要する……とは言うものの、他の仲間を側に残しているということは、伝染病といった類の危険な病ではないということですよね。」

「ご心配するような病では、ありません。」

へぇ、とやけに悠長な様子でルーイは頷いて見せた。

「ハイデン様。どうにも話が見えませんね。」

「と言われると?」

「口振りからするに、毒というわけでもなさそうだ。仮にも“ダンヘイト”の兵士ですよね。国王直轄の精鋭。その任務故に、怪我や病に倒れることもあるでしょうが。失礼ながら、今の話では、隊長自ら助けを求めに来るような緊急事態だとは思えません。」

紫色の鋭い瞳に射抜かれて、ギゼルは初めてぐっと口を引き結んだ。

「民間の医者に診せられなくとも、解熱剤を手に入れることくらい簡単でしょう? けれど、それでは足りないと考えている。いったい、どういうご事情で?」

しばし沈黙が落ちる。

「ルードリッヒ様、その問いには。」

困惑したように薄い笑いを浮かべたギゼルに、ルーイは大げさに眉をひそめた。

「ハイデン様、配下の者を派遣しようというのに、隊長の私が事情を知らないでは通らないでしょう。そのようなことでは協力しようにも、しようがない。」

強い口調にギゼルは再び沈黙する。

対峙する青年はギゼルよりいくつも年下で、この場所での地位でいえばギゼルの方が上にも関わらず、覆すことのできない立場の差がある。

それは頼み事する立場だからというような事情ではなく、絶対的なものだ。

「“ダンヘイト”の任務中なのでしょう。その途中で予期しない事態に陥った……軽々しく話せないことは承知しています。けれど、偶々遠征で近くにいたといえ、私を頼ってきたということは、抱えている事情を見せてもかまわないと。そう判断したのではないのですか? 私ならあなたたちの力になれると。」

「……。」

「簡単に自分の大切な部下を差し出すほど、私はお人好しではありません。」

そう言い切った後で、ルーイは口調を和らげる。

「質問に事実だけを語っている。その姿勢は評価しますがね。」

笑みすら含んだその言葉に、ギゼルは最善策を計算する。

「助けたいのは、いったい誰なのです? 必要なら医者だけではなく、移動のための馬車も用意しましょう。ノーラの第3では、今宵一晩過ごすことも厳しいのでは?」

まだ9月とはいえ、海風の強い荒涼たる大地の朝晩は冷え込む。

鍛えられた兵士たちなら、それで体調を崩すということもないだろうが、既に高熱にうかされている者にとって、冷気を遮ることもできない場所にいることは命取りになりかねない。

「助けたいのは、いったい誰なのですか?」

同じ台詞が向けられる。

言葉を探すかのように視線を彷徨わせた後、ギゼルは口を開いた。



「―――…。」





アキュリス暦1783年9月。

リシュバイン。

やがて訪れる転機を知らず、人々はそれぞれの時を刻む。



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