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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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Ⅹ.追い風 79

79.



こちらの来訪に気づいて、部屋の前に立っていた魔法騎士が扉を開けた。

「準備は整ってございます。」

騎士はそう言って頭を下げ、ジオを中へ通す。

背後に扉の閉まる音を聞きながら、部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろすと、その斜め後ろにゼノが立った。

目の前の壁に掛かっているのは、大きな鏡。魔法鏡だ。

そこに映っているのは、深々とお辞儀をしている者の姿。彼がいるのは、王城の会議室の1つである。

ダイレナンはその役割上、以前より王城と相互に繋がっている魔法陣を備えている。

視察の中継点として、安定した環境で報告を交わすことのできる重要なポイントであった。

緋の塔も同じ機能を備えているが、人が増える分、機密性の保持ではここに劣ることになる。

「始めよう。」

ジオの言葉に、さらに頭を下げてから、鏡の中の男が顔を上げた。

「すこぶる順調な道行きでございますな。」

鏡に映しだされた男・宰相ジェイクが、手元の紙をめくる。

「各所の結界点も、異常なしとのこと。安心しました。」

「城の方も、問題ないか。」

「はい。リビス祭の準備も、滞りなく進んでおりますが……1つ、大神殿から祭りに関して、星の巡りが合わないので、城へ上がるのを1日早めたいとの申し入れが来ています。」

「では、そのように。」

「かしこまりました。予定を調整させます。」

ここ数日の穴を埋めるいくつかの報告を交わした後で、ジェイクは書類を閉じた。

代わりにジオが、隣に置かれた机の上から紙の束を持ち上げる。

「これらの書類には目を通した。この後、そちらに送らせる。」

必要なものには、署名済みだ。

「中に『不要』なものが混ざっていたようだが、宰相の指示か?」

問われて、ジェイクはお辞儀で下げていた顔を上げる。

「無用な書類は、ないと存じますが。」

「領主や町長の娘の情報など不要だ。」

「視察に関する、基本的な情報の1つかと。」

「必要があれば、問う。余計な真似だ。」

「大変、失礼を致しました。」

視察に関係する者たちの家族構成で、役に立ったのはバッカスの村長の娘と孫の情報だが、それを褒めるようなものでもない。

宰相の思惑は明らかで、忌々しくも苦言を呈するが、露骨すぎて怒りにはならない。

発案がジェイクなのか、貴族側から売込みがあったのか、それもどうでも良いことだ。

(そろそろ風当たりが強くなって来たな。)

今期の社交場では、女神の件をタテに、王の相手探しは有耶無耶に処理していた。

それどころではない、というスタンスだ。

ここ数か月、比較的落ち着いていたのだが、当然のように再燃したというわけだ。

「併せて送り返す。処分しろ。」

「御意。」

予想していたのか、唯々諾々と頭を下げる宰相に不満げな様子はない。

その話題は早々に切り上げて、ジェイクから視線を外し、その後ろに控えている男に目を止める。

「クルセイト。用意してもらいたい資料がある。」

「なんなりと。」

「研究所が、ノアの書物を一覧にして整理していたな。」

「はい。」

「その表と、“蒼の塔”に保管されている『ファトレ』を。」

「『ファトレ』の原紙は、持ち出せません。借り出せるのは複製本ということになるのですが、よろしいでしょうか?」

「魔法転写本ではなく、書き写した物だったな。」

「はい、賢者の書はプロテクトがかかっておりますので。」

存命中に、本人が複製していなければ、その本は世界でただ1つの物となる。

「それでいい。」

「わかりました。すぐにお届けを?」

「否、帰城後に確認する。」

「かしこまりました。」

頷いたクルスを確認してから、ジオは椅子に背を預けた。

「他に報告は。」

鏡の向こうで、2人が顔を見合わせる。

こちらに向き直った宰相がゆっくりと口を開いた。

「以上でございます。」

「……。」

微かにサファイアの瞳が眇められる。

ゼノは目聡くそれに気づいたものの、ジオが軽く手を振る仕草に、黙って頭を垂れた。

鏡の向こうの2人も、同様に頭を下げている。

ややあってから、鏡の像が揺れ、そこに映るのは正しくこの部屋の様子に戻る。

姿勢を戻して、ゼノがようやく口を開いた。

「陛下、どうかされましたか?」

目の前の鏡に視点を定めていたジオは、やがて表情を変えないまま立ち上がる。

「いいや、なんでもない。」











(ちょっと緊張する。)

ラスティに先導されながら、セリナはダイレナンの廊下を進む。

セリナの緊張には気づいているのだろうが、あいにくと藍色髪の騎士は、彼女を和ませるような言葉をくれたりはしない。

ブランチ(砦)という建物のせいなのか、屋敷は全体的に灰色の暗い印象だ。

城やホワイト・ローズのような華やかな装飾がないせいもあるのだろうが、あまり1人でうろうろしようとは思わない場所である。

(大丈夫、怒られるわけじゃないんだから。)

部屋を訪ねて来たのは、グリフ=メイヤードだった。

アエラの開いた扉から顔を出した彼が、もたらしたのは陛下からの伝言。

曰く、『今夜の食事を一緒に』と。

一緒に?と疑問符が浮かんだことで、返事が遅れたセリナに、グリフが説明を付け足した。

(明日以降のことで、話があるってことなら、聞かないわけにはいかないもの。)

辿り着いた部屋の前で、ラスティは壁際に下がりセリナに道を譲る。

「……。」

イサラに言われるまま整えた身支度を見下ろし、スカートを引っ張って、寄ってもいないしわを伸ばす。

「失礼します。」

光灯に照らされた室内は明るいが、寒々しい印象は拭えない。

ここでの食事が1人でなくて良かった、というのがセリナの感想だ。

既に室内にいたジオが、セリナに手振りで着席を促す。

「ジオ…と、こんなふうに食事をするのは初めてね。」

差し向かいに座ったセリナは、緊張した顔で無理に微笑んで見せた。

今更、陛下とも呼べず、微妙な間が出来てしまった。

「そうだな。」

対するジオは少しも態度が崩れない。

「えぇ。」

(というか、誰かと食事をすること自体初めてなんだけど。)

今更のように、マーラドルフに作法を習っていたことを感謝する。

奥から現れた給仕が、グラスに水を注ぐ。

「慣れない馬車での移動、さぞ疲れただろう。」

「いえ、この国のことをいろいろ見られて良かったわ。」

本当はお尻が痛くて、根を上げかけているのだが、黙っておく。

「そうか。」

運ばれて来た皿が置かれ、静かに食事が始まる。

「部屋に、レーニアをありがとう。」

「ここは殺風景だからな。」

「あれはベル・ヒルから持って来たの?」

「いや、ここで咲いていたものだ。レーニアは、この時期どこにでもある。」

「じゃあ、塔にも?」

「ベルほど絶景ではないが。塔の少し南に、ルサというポイントがある。そこまで行けば、まぁ、見られる程度には咲いているだろう。」

その光景を想像して、セリナは笑う。

「へぇ、行ってみたい。せっかくこんな遠くまで来たんだもの。」

「時間があれば散策してみるといい。あまり面白いモノはないと思うが。」

「そんなことないよ。初めての場所だもの、全部が新鮮。」

「そういうものか。」

「ジオは?」

「なんだ?」

「ずっと仕事してるでしょ。息抜きできる時間はちゃんとある?」

「……。」

「息が詰まっちゃいそう。」

「……なぜ、セリナがそんな心配をする。」

「余計なお世話だろうし、いらないお節介だよね。私が言うのも筋違いっていうか、変な話だけど。」

あははとセリナは力無く笑う。

それを見ていたジオは、やがて目を逸らして息をついた。

「変だな。本当に理解しがたい、おかしなヤツだ。」

「う。」

わかっていても、肯定されると悲しいものだ。

「“ホワイト・ローズ”でも、そんなことを言っていたな。」

ジオは視線を戻すと、唐突に告げる。

「ルサに、散策に出かけるなら言え。」

「……へ?」

「最終日でいいなら、案内くらいしてやる。」

「…………。」

セリナは信じられないという顔でジオを見つめた。

「不服なら別にかまわないが。」

「いえ、全然不服じゃないです! 案内! お願いします!」

眇めた目でセリナを見返して、ジオはふんと鼻を鳴らした。

不機嫌そうな態度だが、セリナには照れ隠しにしか見えなかった。

(どういう風の吹き回しかわからないけど、陛下が、そんなこと提案してくれるなんて。)


食事の最中は当たり障りのない世間話を交わしただけで、ようやく本題を口にしたのは、皿が片付けられテーブルの上にグラスだけが残った状態になってからだった。


「明日、“緋の塔”に到着後、顔合わせの挨拶の儀がある。それに出席してもらう。一応、君を塔の者に引き合わせるという裏事情があるのでな。」

ここで本人に告げている時点で既に裏事情ではないが、言い出したのはセリナなのだから今更である。

頷くセリナに、ジオは説明を続けた。

「挨拶には、“緋の塔”の主立った人物が一堂に会することになっている。その後は、好きに過ごしてかまわない。」

「はい。」

給仕もすっかり下がり、部屋の空気が一瞬だけ張りつめる。

(あ。)

思わずジオに目を向ける。

「勘はいいんだな。結界を張った……この先は誰かに聞かれては困るからな。」

ジオの持つグラスの中で、赤い液体が揺れた。

セリナの断ったそれは、お酒である。

「その後、の話だが。我々の滞在期間は4日。さっきも言ったように明日の午前はいてもらわねば困るし、自由時間は2日が限度だ。“塔”から直接碑石に向かうのは効率が悪い。一度ラグルゼに行くのがいいだろう。」

「ラグルゼ……確かポセイライナの北に。」

「塔の南西に位置する城塞都市で、国境警備隊がいる。“緋の塔”とラグルゼには、行き来のできる魔法陣が創られているから移動は一瞬だ。ラグルゼから碑までは馬の足で半日……碑石で何か調べるなら1日がかりだろう。それでも翌日の朝には、十分“塔”に戻って来ることができる。4日目の午後には、城へと通じる魔法陣で帰城予定、その前日の夜には、塔の兵士たち全員が出席できる宴が催されるはずだ。出席するかどうかは自由だが、最後に一度くらい顔を見せておいた方がいいだろう。」

「遅くても3日目の午後には戻ってきていなきゃいけないってことね。」

確認するように呟いてセリナは頷く。

「塔の魔法陣を稼働させても、不審がられないよう、明日の夜、ラグルゼにグリフ=メイヤードを使いに出す予定にしている。時間になれば、グリフが陣のある場所に案内してくれる。」

「わかった。」

建前では、セリナがその『お使い』に便乗して、塔から勝手に抜け出した、ということになるわけだ。

「メイヤードは警備隊との連絡役だが、視察に不在では困る。彼にはすぐ塔へ戻ってもらう、その代わりにラグルゼの方で案内役が立つことになっている。まぁ、碑石へ出発するのは翌日の早朝になるだろうがな。」

「その人について行けばポセイライナに?」

「あぁ、碑石への道と塔への帰り方はその者に任せておけばいい。」

「はい。」

「同行者はもう決めているだろうな。」

「? みんな、じゃダメなの?」

5人で行くものだと、なんとなく思っていたセリナは思わず確認してしまう。

「人数が増えれば、それだけ目立つ。できれば、侍女は置いて行け。」

「あ……。」

小さく声をもらして、セリナは口元を押さえた。

(そっか、その方が“塔”の中に女神がいるみたいに見える。)

「行くまでに、決めておくわ。」

「そうしてくれ。帰りは、ラグルゼの魔法陣から塔へ戻って来られるようこちらでも手配しておく。何か質問は。」

「え? えぇと、いえ。」

「どんな成果であれ、結果は報告を。」

真っ直ぐな瞳に射抜かれて、セリナは神妙な顔で頷いた。

「はい。」

収穫がゼロだとしても、セリナにとって不利になることでも。

(彼には伝えるべき。)

「……。」

少し迷ってから、セリナが口を開く。

「あの。」

「なんだ?」

「やっぱり質問をいいかしら。ずっと気になっていることがあって……。」

「?」

テーブルの上から引いた手を、セリナは膝の上で握りしめた。

「ジオは、初めから“黒の女神”を保護すると決めていたのよね?」

「……。」

「どんな存在かわからないのに、危険かもしれないのに。」

“女神”のせいで起こった暴動を、自ら鎮めたと聞いた。

誰も教えてくれないその話は、あの日、街に出なければ知ることがなかった。

(そういう事実が、きっと他にもまだあるんだと思う。)

知らない内に、セリナは多くの悪意から守られている。

「それは、どうして?」

触れていたグラスから手を外すと、ジオは腕を組んだ。

「今だって、どうなるかわからないのに、協力してくれてる。」


「その理由を語るには、今宵は場所が悪いな。」


静かに告げられた言葉に、セリナは顔を上げる。

変わりない無表情かと思ったのだが、ほんの少し唇が笑みを浮かべている。

(……なんで。)

その表情は、とても寂しそうに見えた。

「時間も足りないだろう。」

「……。」

「どうしても知りたいのなら、城に戻った後に。」

疑問は浮かぶが、その表情に深く聞くことは躊躇われて、セリナは首を縦に振った。

「……わかったわ。」


「では、その時。私からも1つ質問していいか?」


「え?」

「私も、初めからずっと気になっている疑問がある。」

「今、聞かないの?」

セリナが首を傾げる。

「……おそらく、今はその時ではない。」

「よくわからないけど、答えられることなら。」

「あぁ。」

不思議な空気が流れ、セリナは肩をすくめた。

グラスを傾けるジオを眺めて、少しの違和感を覚える。

(なんだか、少し……。)

表現する適当な言葉が浮かばず、かける言葉に迷っているうちに、部屋に給仕が入って来た。

いつの間にか、結界は解かれていたらしい。

注がれようとした水をセリナが断ると、再度、給仕は部屋を出て行く。

席を立ったジオに続いて、セリナも立ち上がる。

開かれた扉の向こう、それぞれの護衛が立っているのが見えた。

隣に来たジオがセリナの手を取る。それは作法の1つだ。

(終わり?)

思わず、ジオを見上げると瞳が合った。

「セリナ。」

ただ名前を呼ばれただけなのに、セリナの心臓はどくんと大きく高鳴った。

「やはり、先に1つだけ答えておこう。」

「え?」



「君を保護したのは、オレの我が儘だ。」


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